大峯奥駈道 完全踏破 (前編その①) 吉野~前鬼
- 日本
2021.07.15 update
大阪支社トレッキング担当の楠です。
今回は、春に歩いた大峯奥駈道(吉野~前鬼)の様子をご紹介いたします。
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大峯奥駈道は、修験道の根本道場である金峯山寺などがある奈良吉野山と
熊野三山を結ぶ大峯山を縦走する、修験道の修行場として開かれた道。
1,000m~1,900m級の険しい峰々を踏破する「奥駈」という峰入修行を行なう古道を
指します。修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)が8世紀初頭に開いたと
されています。主稜線沿いに75の靡(なびき)と呼ばれる行場(霊場)があり、
修行を行いながら回ります。熊野本宮から吉野に向かう順峯(1→75)、逆に吉野から
熊野本宮に向かう逆峯(75→1)とがあり、それぞれ主宰する宗派が異なります。
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このコースは逆峯で歩き、前編では前鬼山の29番まで、可能な限り丁寧に歩きます。
奥まった山々をテント又は避難小屋を利用しながら縦走するが故、個人装備
(昼食、寝袋、食器類 等)は自身で運ばなければならず(共同装備:朝食/夕食/燃料 等は
スタッフが運ぶ)、軽量化は徹底して行うように、事前にご案内差し上げました。
5月中旬にも関わらず史上最速の近畿地方梅雨到来、そんなニュースが舞い飛ぶ中の
出発となりました。
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近鉄・吉野駅に集合し、徒歩にて73番靡の吉野山へ。
「吉野なる 銅の鳥居に手をかけて 弥陀の浄土に 入るぞうれしき」
役行者には前鬼(ぜんき)と後鬼(ごき)という鬼の弟子がおり、後鬼の子孫が住む
洞川温泉エリアの工場で作られる陀羅尼助(薬)について案内後、金峯山寺へ。
国宝である仁王門(修理中)と蔵王堂(3体のご本尊は開帳時期注意)を拝観後、宿へ。
夕食のカモ鍋をたらふくに食べ、お風呂にゆったりと浸かり、就寝zzZ
翌朝からいよいよトレッキング開始です!
■トレッキング①(吉野→二蔵宿小屋)
まずは舗装道を上りたっぷり汗を搔きながら72番靡の水分(みくまり)神社を参拝。
「みくまり」が「みこもり」となまり、子守明神と呼ばれ子授けの神として信仰を
集めているそうで、豊臣秀吉もこの地を訪れて祈願し、子の秀頼を授かったそうです。
その後、71番靡の金峰神社(金精大明神)を参拝。
吉野山の地主神・金山毘古命(かなやまひこのみこと)を祀っています。
その下部に、源義経が隠れたという伝説がある蹴抜塔があります。
義経が敵に襲われて隠れ、追手が来たときに天井を蹴破って出たとされるが、
本来は「気抜け」で、音によりたまげさせて気を抜く事で疑死を表す行為と
解釈もできるそうです。
「吉野なる 深山の奥のかくれ塔 本来空の 住みかなりけれ」
70番靡の愛染の宿(安禅蔵王堂跡)の跡地を経て、旧・女人結界のあった碑を
左折し青根ヶ峰(858m)へ登頂。
この後、小さなピークを含め、幾つも丁寧に経由していくこととなります。
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昼食(名物・柿の葉寿司!)を頂き、69番靡・二蔵宿小屋(百丁茶屋跡)へ。
立派なもので、毛布や調理器具類もデポされていました。
水場は乏しい水量でしたが、無事カレーを召し上がっていただき、就寝zzZ。
■トレッキング②(二蔵宿小屋→山上ヶ岳→小笹の宿)
ミヤマトリカブトが生えている急坂を登り、大天井ヶ岳(1,439m)へ。
そこから一気に五番関まで下ります。
五番関には現・女人結界門があり、ここから女性陣は洞川温泉へ下ってゆきます
(翌日は、女人大峯の稲村ヶ岳(1,726m)へ登頂し、翌々日に弥山の小屋で再会)。
男性陣は、そのまま前進し、68番靡にあたる浄心門(洞辻)の茶屋で休憩。
陀羅尼助茶屋から先、表行場の名所である油こぼし、鐘掛岩、西の覗を経て
宿坊群の横を通過しつつ、67番靡・大峯山寺を参拝。
「鐘掛と 問ふて尋ねて来てみれば 九穴の蔵王を 下にこそ見れ」
途中、頭は吉野、尾は熊野に繋がるといわれる役行者が修行をしたお亀石も経由。
「お亀石 踏むな叩くな杖つくな よけて通れよ 旅の新客」
山上ヶ岳(1,719m)の頂にある湧出岩を見学。
役行者が大峯山をご開山の時、この山頂に於いて、社会と衆生を守護くださるご本尊を
祈請されたところ、先ず釈迦如来が、次いで千手観音・弥勒菩薩が現れたといいます。
しかし末世剛悪・混迷しきった世間や人心を救うにはあまりにも優しすぎるとして、
さらに祈りを重ね一千日のご修行の末、最後に忿怒身をもった金剛蔵王大権現が
ご出現下さった、と伝わっています。
66番靡の小笹の宿へ。ここには役行者の第6生の骸骨があるといわれています
(役行者は生まれ変わること7度の第7生だったとのこと)。
避難小屋は扉が壊れていましたが、貸切状態。沢の隣に位置し、水は豊富にございます。
■トレッキング③(小笹の宿→行者還小屋)
翌朝、65番靡・阿弥陀ヶ森で女人結界から出ることとなります。その先10分下ると、
64番靡・脇の宿(跡)があり、ここから63番靡普賢岳(小&大)への登りが開始です。
満開のツクシシャクナゲが出迎えてくれました。視覚を潤しながら無事登頂!
ここから岩場を下り、笹原にある水太覗、その先の61番靡・弥勒岳、
国見岳(1,655m)はともにザックを道中にデポして、ピストンで頂上を踏みました。
60番靡の稚児泊(ちごどまり)を経て、緑が美しいコケの森を進み、七つ池へ。
急登やクサリ場を登り59番靡・七曜岳(1,584m)に登頂。
滑りやすい腐りかけの木の梯子を慎重に下りあと一息で小屋です。
58番靡・行者還(行者岳;1,547m)もピストンで踏みました。
行者還小屋へ到着すると、再び貸し切り状態で広々と使えたことで、テントを始め、
様々衣類や装備も乾かすこともできました。
~前編その②へ続く・・・~