京都 西陣織の工房へ行ってきました
- 日本
2021.03.11 update
日本の手仕事を見て周る「テキスタイル紀行」シリーズ。新しい企画として、近畿圏内を開拓中です。そこで今回は、言わずと知れた染織の一大産地である京都の西陣織の工房見学に行った時の様子をご紹介します。
西陣織とは・・・
「多品種少量生産が特徴の京都(西陣)で生産される先染(さきぞめ)の紋織物」の総称です。
(西陣織工業組合ホームページより)
その歴史は古墳時代にまで遡ります。大陸からの渡来人である秦氏の一族が山城の国、今の太秦あたりに住みつき、養蚕と絹織物の技術を伝えたと言われています。平安時代の朝廷では絹織物技術を受け継ぐ工人(たくみ)たちを織部司(おりべのつかさ)という役所のもとに組織して、綾・錦などの高級織物を生産させ、国営の織物業が営まれました。
西陣とは「1200有余年の歴史を刻む織物の街」で、日本を二分する戦いとなった応仁の乱(1467-1477)にて、西軍の陣地が置かれていたあたりのことを指します。そして、西陣の織屋(織物業者)が製造する織物を西陣織と言い、法律によって現在では12種類の品種が西陣織に指定されています。
今回見学させていただいたのは、「織匠平居」さん。西陣織と聞くと「帯」をイメージする方も多いかも知れませんが、平居さんはお坊さんが身に纏う法衣金襴の織元さんです。昔ながらの土間の工房には、大きな高機が4台置かれていました。機は埋め機。土間を少し掘り下げて据えることで、一定の温度と湿度を保つことができるそうです。それにしても大きな織機で、これまで何ヶ所かの工房を見せていただきましたが、これ程奥行きも高さもあるものは初めて見ました。
「西陣織の特徴は、全てが分業制であること、また、ジャカードを使っていること」と平居さん。不具合が少なく、安定しているのはフロッピーディスクなのだそうで、フロッピーディスクに入れられた織物の情報(デザインや組織)は、ジャカードによって取り出されて、綜絖を通して織機に伝えられます。
経糸は、4,880本×2が基本(デザインによります)。「×2」というのは、糸が非常に細いので2本を1本として織るためです。
細かく美しい紋織。「多少の誤差はご愛嬌」だそうですが、それでも3mm以上のズレは許されません。その技術を身に付け、一人前と言えるようになるまでには、3~5年はかかるそうです。糸は絹を使いますが、緯糸として「箔」と呼ばれる和紙に金箔等を貼り付けたものを糸のように細く裁断したものも使います。箔を入れることで更に輝きを増します。金箔は、純金ではなく22~23金。純金だと輝きが少ないのだそうです。
織機にかかっている織り上がった部分は、裏面が上になっており表面は下となります。そのため、下には鏡が置いてあります。これは、緯糸を通すために経糸を持ち上げる際、裏が上になるように織っておけば、持ち上げる経糸の量が少なくて済む、つまり、労力を節約できることになるそうです。
昔は機の上に人が乗り、上から経糸を持ち上げていたそうです。
織匠平居さんでは、この素晴らしい西陣織の技術を少しでも多くの人に知ってもらいたいとのことで、できる範囲内での情報発信などをされています。
近くには西陣織ミュージアム「織成館」、また西陣織会館もあります。この日はこの今出川の周辺をぶらぶらと歩いて散策していましたが、織屋さんや関連する工房の看板や表札をあちこちで見かけました。さすが西陣の町。京都御所や北野天満宮へ行く人は多くても、工房へは足を運ぶ方は少ないそうです。
近々、京都(もちろん西陣織も)を含むツアーを発表予定です。是非、ご検討ください!