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添乗員ツアーレポート  南アジア

精霊の土地 マナスル 日本登頂隊の軌跡を辿る

  • ネパール

2013.08.01 update

シムシャール・パミール SIMSHAL PAMIR ~カラコルム“地図の空白地帯” にヤクとともに生きる~
サマ上部より望むマナスルとエメラルドグリーンの湖水を湛える氷河湖

マナスル

「精霊の土地」を意味する世界第8位峰マナスル(8,163m)。南に延びる稜線上にはピーク29 (7,871m)、ヒマール・チュリ(7,893m)の巨峰が並び、合わせてマナスル三山と呼ばれています。1956年の日本隊による初登頂の快挙のニュースや映画「マナスルに立つ」は、国民を熱狂させ、子供たちに大きな夢を与えました。この頃から日本での登山ブームが始まったと言えるでしょう。あれから57年、今回は当時の夢と希望を間近で感じていただく、初登頂隊の軌跡を辿るルートをご紹介いたします。

 

軌跡を歩き始める

 トレッキングの拠点は、かつては旧王朝の発祥の地ゴロカからでしたが、現在は車道が伸びておりオフロードの山道を通り、アルガート・バザールまで乗り入れることができます。標高は約500mと低く、バナナの木が生い茂る亜熱帯の景観の中、汗だくになりながらの歩き始めです。前方にはガネッシュ・ヒマールの展望。ガネッシュ・ヒマールB.C.へも同じルートとなります。約2週間の行程の内、序盤の5・6日はブリ・ガンダキ(川)の深いV字谷の中、河原と高巻きの道の繰り返しで、その間ヒマラヤの展望はほとんど無い我慢のルート。しかし、宿泊地となる道中の素朴な村と生活、子供たちの笑顔に癒されます。そして、ありがたいのはビールが買えること。高山病の心配が無い序盤の行程はキャンプ地到着後に飲む、川で冷やしたビールが暑さで疲れた体に浸み渡ります。これらの村にはロッジもありますが、エベレスト街道などと比べると簡素なものが多く、まだまだテント泊のトレッキングの方が快適です。

グルン族とチベット

先に進むにつれ徐々にカンニ(仏塔門)やチョルテン(仏塔)が増えてきてチベット仏教色が強くなってきます。道中出会うほとんどの人がネパールの山間部に住むグルン族を名乗りますが、チベット国境に近くなるにつれ明らかに彼らの顔や服装はチベット人のものに変わってきます。それは、彼らがかつてヒマラヤを越えてチベットからやってきたルーツがあり、ネパール人として生活するためにグルン族を名乗っているのだそうです。

マナスルの麓ローで出会った子どもたち。チベットとの繋がり
マナスルの麓ローで出会った子どもたち。
チベットとの繋がりを感じずにはいられない。
ローより望むマナスル。手前には村の人々の祈りの場となるゴンパが建つ。
ローより望むマナスル。
手前には村の人々の祈りの場となるゴンパが建つ。
氷河上を進みラルキャ・ラ(5,160m)を目指す。峠を越えるとマナスル西壁の展望地ビムタンに辿り着く。峠からはネムジュンなど7,000m峰が顔を出す。
氷河上を進みラルキャ・ラ(5,160m)を目指す。峠を越えるとマナスル西壁の展望地ビムタンに辿り着く。峠を越えるとネムジュンなどアンナプルナ山群の7,000m峰が顔を出す。
サマ上部より望むマナスルと氷河。
サマ上部より望むマナスルと氷河。
マナスル西壁から南西壁を眺めがら徐々に下っていく。ビムタンよりマナスル山群のパノラマ展望を背に、ティリジェ(2,300m)へと向かう。
マナスル西壁から南西壁を眺めがら徐々に下っていく。ビムタンよりマナスル山群のパノラマ展望を背に、ティリジェ(2,300m)へと向かう。
ローより望む朝焼けのマナスル。朝日に照らされるマナスルは赤く燃 え上がるように色づいていく。まさに絶景の夜明けである。
ローより望む朝焼けのマナスル。朝日に照らされるマナスルは赤く燃え上がるように色づいていく。まさに絶景の夜明けである。

マナスルの展望地へ

いよいよヒマラヤの展望が開けるのはロー(3,180m)へと向かう日。ローに近づくにつれナイケ・ピーク、マナスル北峰(7,157m)、そして待望のマナスル(8,163m)が顔を出します。キャンプ地はローの集落を抜けた先のゴンパ近くがマナスル展望の抜群のロケーションです。朝日に焼けるマナスルは息を呑む美しさ・・・。

さらに先を進む

ローからサマ(3,520m)へは展望の良いホンサンホ・ゴンパに寄り道するルートが正解。サマからはマナスルのピーク部分しか見えないので、さらに上部に進むか、ゴンパに登りグルン族とチベットマナスルの展望地へさらに先を進むローより望むマナスル。手前には村の人々の祈りの場となるゴンパが建つ。ローよりに望む朝焼けのマナスル。朝日に照らされるマナスルは赤く燃え上がるように色づいていく。まさに絶景の夜明けである。ローで出会った子どもたち。チベットとの繋がりを感じずにはいられない。氷河湖に行くのがベストビューポイントとなります。
サマを過ぎると一旦マナスルは見えなくなり、流域最奥の集落ソムドゥ(3,876m)で一泊し、ラルキャ・ラ越えのベースキャンプとなるダラムサラ(4,460m)へと向かいます。この道中では日本隊が初登頂したマナスル北東面を展望することができます。

ラルキャ・ラ越え

極寒のキャンプ地を早朝の暗い内に出発。ラルキャ氷河上の長い緩やかな登りを行き、このルート上の最高地点ラルキャ・ラ(5.135m)を越えてビムタン(3,590m)へ。ビムタンからの下りもマナスル西壁~南西壁を眺めながらの絶景ルートです。日本隊もこのルートを下山しました。
ルートはダラパニ(1,860m)にてアンナプルナ外周、トロンパス越えのルートに合流。マルシャンディ川沿いにジャガット(1,300m)まで下り、トレッキングは終了。ここから陸路でカトマンズへと戻ります。

マナスルの誘い

57年前、日本中を歓喜の渦に巻き込んだマナスル登頂の快挙。日本隊の軌跡を辿り、彼らも眺めた、姿を変えてゆく美しいマナスルの全容を、見に行きませんか。

Column – 登山史

日本山岳会52年の偵察の後、53年春の第1次隊は7,750m地点で敗退。54年の第2次隊は山麓住民の阻止に会い撤退。満を持した56年春の第3次隊、5月9日に遂に今西寿雄隊員とシェルパのギャルツェン・ノルブによって初登頂に成功。マナスルは日本人によって登られた最初の8,000m峰となりました。71年春には日本のマナスル西壁登攀隊が、バリエーション・ルートからの第2登に成功。第3登はラインホルト・メスナーによる南西壁からの単独行。74年春には日本女性マナスル登山隊が通常ルートより女性による8,000m峰初登頂に成功しました。

「クッチ」の荷造りの様子。女性が中心であるため、小さな子供も参加します。
日本隊の登頂ルートが分かるマナスル北東面

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