インド北東部 アルナチャール・プラデーシュ州へ
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2013.01.01 update
インド北東部 アルナチャール・プラデーシュ州へ
インド北東部に取り残されたように存在するアルナチャール・プラデーシュ州。中国・チベットやブータンに隣接するこの州は、仏教徒のモンパ族やノーズプラグや刺青などの独特な文化を持ち今まだアニミズム(精霊信仰)を信仰するアパタニ族など多くの民族が暮らしている地域です。
山奥という厳しい立地ゆえにそれぞれの村は独立性が強く、独自の信仰・文化・食習慣がはぐくまれて現在まで残されています。インドにありながら、巷のイメージとは全く別の側面をご覧いただけるアルナチャール・プラデーシュ州の旅をご案内いたします。
(左)ジロの村のシャーマン (右)モンパ族の女性
アルナチャール・プラデーシュへの玄関口はアッサム州の州都ガウハティという街です。「創造の神」としてヒンドゥー教の三大神にもなっているブラフマー神の名前を持つ大河『ブラマプトラ河』に抱かれたこの街は、まだまだインドのイメージそのままヒンドゥー文化圏です。
この街から陸路移動で1日半。まずは国境に程近いタワンの街を目指します。 出だしはブラマプトラ河沿いを走り、途中のテズプールという街からは山に向かって進みます。山深くまで車を進め、標高4,200mのセ・ラ(峠)を超えた先にありますのがモンパ族の暮らす里タワンです。実はこのルートはかつてダライラマ14世が亡命した際に通ったルートと言われています。
標高4,200mのセ・ラ(峠)
モンパ族の踊り
モンパの里タワン
ブータン、チベットとの国境に囲まれた場所に位置する街、タワン。この街は敬虔なチベット仏教徒のモンパ族が暮らす仏教の街で、大小数多くの仏教寺院が点在しています。
その中でも中心とされるのが17世紀にメラ・ラマという高層によって建てられた古刹『タワン僧院』です。「神の馬に選ばれし最も聖なる場所」という名前を持つこのタワン僧院はタワンの街を見渡す高台に建てられ、この辺りのチベット仏教の総本山の役目を果たしています。 対岸のタワンの街から眺める僧院は、さながら城塞の様で圧巻です。
一方、人口約5千人程度のタワンの街は、インド国内にありながらそこはもう国境を越えた先のブータンやチベットと変わらぬ街並みです。 タワン周辺には、ダライラマ6世の生誕の地で、敷地にはダライラマ6世にゆかりのある井戸や大木が残されている『ウルゲリン僧院』や古いタンカ(仏画)が見所の『プラマドゥンチェン尼僧院』など、由緒ある寺院がたくさんございます。
タワンの街と僧院
タワン僧院本殿内の仏像
辺境の村ジミタン
タワンから更に奥へと車を進めますと、チベットとの国境真近にある『ジミタン』の村を訪れることができます。タワンからジミタンまでは車で約3時間弱の道のりで、途中の峠からはブータンとの国境と、そしてダライラマ14世が1952年にブータンを通ってインドに亡命してきたルートをご覧いただけます。
『ジミタン村』は車で来る事ができるインド側最奥の村でして、パンチェンタ族が暮らす小さな村です。 このパンチェンタの人々は元々山向こう(中国側チベット)から降りてきた部族で、タワンのモンパ族とは異なり、言葉も元は全く違う言葉を使っていたそうです。パンチェンタの人たちはモンパ族の人よりも身長が低いのも特徴の一つです。
山と共に生きる彼らの生活はとても素朴で、脈々と流れる時の中で何百年も前から同じ生活を繰り返してきた事を容易に想像させてくれます。
村の手前に建つゴルサム・チョルテン
ジミタンの民家
次には、タワンを離れアルナチャール・プラデーシュ州を更に東に進み、今なお精霊を信仰する村々がある地域を訪れます。 タワンから一度山を下り、アッサム州に一度戻り、更に1日かけて東へと山に入って行きますと、仏教の影響は次第になくなり、いまだにアニミズム(精霊信仰)を続ける多くの民族が暮らす地域です。
古くからこの辺りは険しい地形や厳しい自然環境によって民族や地域を結ぶ交通網が発達せず、強力な権力によって統一された事もなかったため「山一つ超えると、そこは違う文化の違う国」と言われるように州内アチコチに言葉も文化も異なる民族が独自に暮らしてきました。一説によるとアルナチャール・プラデーシュ州には26の異なる民族が更に200の部族に分類されて、3600の村で暮らしていると言われていて、その全てにおいてそれぞれ異なる言葉や服装、習慣、宗教を持っているとされています。
昔は違う部族間の結婚は禁止されていましたが、交通の発達にしたがって最近は異部族間の結婚も許されてきているので、その区分も徐々に消えつつあるようです。 また、この地方ではいまだに焼畑農業が行われているため、時期によっては途中の山中では原始的な農作風景である「野焼き」の光景にも出会えます。
アパタニ族のシャーマン
アパタニ族の里「ジロ」
『アパタニ族』は仏教やヒンドゥー教などの宗教に染まらず、いまだに独自の神と信仰を保持している貴重な部族です。
昔から彼らは「太陽と月の精霊」を『ドニ・ポロ』と呼んで神様と崇め、独自の信仰文化を築き上げてきました。
こうした自然に存在するものを神と見立てて信仰する姿を精霊信仰(アニミズム)と呼びます。このアニミズムは他の宗教のように神様を形として表現することはなく、このドニ・ポロ信仰の場合は太陽と月そのものが神様となります。
そしてこの「ドニ・ポロ」と唯一交信できて、神のお告げなどを村の人々に告げる役目を負うのが『シャーマン(霊媒師)』と呼ばれる人たちです。
アパタニの世界ではこのシャーマンが僧侶のような役目から先生やお医者さんなど、大事なことを決める時には色々な役回りを果たすことになります。アパタニ族の各村では毎年春のお祭りが開かれ、豚やミトン牛を生贄として太陽神ドニ・ポロに捧げて一族の繁栄などをお祈りします。一方、1年間で不幸などがあったお家にとっては、厄払いをお願いする機会でもあります。
ジロ郊外の村の風景
ジロの街並み
オールド・ジロの民家
そんなアパタニ族の村の一つが「ジロ」です。ジロ周辺では竹で建てられたアパタニ族の伝統的な家屋の街並みがご覧いただけ、家々の前には子供の数を知らせる「ボボ」と呼ばれるポールと「アギャン」と呼ばれる魔よけの竹かごが置かれ、また村の数箇所には長老達が村の決め事などを話し合う会議(ブーセン)を行う少し高くなった集会所「ラパン」を今でも見ることができます。
そして、道を行けばアパタニ族の象徴でもある「籐で出来たノーズプラグ(鼻栓)をして顔に入れ墨」を施している年配の女性に頻繁に行き会います。これは今では法律で禁止されているようですが、古くからのアパタニ族女性の習慣でもありました。
アパタニ族の女性があまりにもキレイな為、近隣の部族にさらわれる事が多く、そうした事を防ぐためにあえて顔を醜く見せるために施されたものだと言われています。 このノーズプラグの習慣は最近では徐々に消えつつある習慣なので、ある一定年齢の年配の方にしか見られません。
村の民家では地元料理を楽しむ事もできます。アパタニ料理の特長は生活にはなくてはならない「竹」で調理されていて、ご飯やお肉などを竹筒にそれぞれ詰めて、煮たり焼いたり調理するのです。 味は極めて薄味で、竹の香りが調味料の役目も果たしています。
ノーズプラグ(鼻栓)をしたアパタニ族の女性
ジロの民家で地元料理を楽しむ
特徴的な帽子のニシ族
この地域のもう一つ代表的な部族に「ニシ族」があります。 アパタニ族の暮らすジロから南へ向う地域にニシ族の村は点在しており、彼らの最大の特長としては、彼らのかぶる帽子があげられます。
今ではあまり見られなくなってしまいましたが、竹で出来た帽子に色とりどりの鳥の羽やサイチョウのくちばしなどで装飾を施したそれは、色鮮やかで個性的、誰が見てもすぐに「ニシ族」と分かります。
ニシ族の伝統家屋は全て高床式。 竹と木で出来ており、屋根は椰子の葉やバナナの葉などで葺くのが伝統手法です。 そしてもう一つニシ族の大きな特徴は「一夫多妻制」。他の周辺部族が全て「一妻制」であるのに対しニシ族の男性は「最大5人まで」妻を持つことが許されているのです。
そんな男性の家は長屋になっており皆一緒の屋根の下で生活をします。中にお邪魔すると、そこにはそれぞれの奥さん専用の囲炉裏が横に並んで作られており、妻が増えるごとに家を増築して囲炉裏を増やしていくそうです。
ニシ族の長屋
鳥の羽やくちばしで装飾の施された竹の帽子を被るニシ族の男性
アッサム・ティーの紅茶園
こうしてアルナチャールの山中を走り回った後は、元来た陸路を再びテズプール、ガウハティと戻って行きます。実はこの道中、テズプールの周辺は世界的に有名なアッサム紅茶の産地でして、道沿いには広大な紅茶園もご覧いただけ、紅茶好きにはたまらない地域だったりもします。
このようにインドの東端に位置するアルナチャール・プラデーシュ州の山奥では、多種多様な文化・風習を持った部族が今なお昔からの伝統を守りながら暮らしています。 世間一般で言われる「インド」のイメージとは全く別の世界が広がり、素朴ながらも人懐っこい村人たちが出迎えてくれるはずですので、ぜひ一度ご旅行ください。
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