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チャド ティベスティ山地一周

  • チャド

2012.08.01 update

トルゥー・オ・ナトロン
トルゥー・オ・ナトロン
ティベスティ山地はチャド北部にある休火山群の巨大な山塊です。チャドの最高峰エミ・クーシ(3,415m)、リビアの最高峰ビクー・ビティ(2,267m)もティベスティ山地にあります。1998年以降の内戦と治安の悪化により訪問することができませんでしたが、2011年9月に訪問許可が発行されるようになり、2012年1月、内戦後初となるティベスティ山地一周視察ツアーを行いました。厳しい環境の中でたくましく暮らすトゥブ族、休火山群の創りだすパノラマ、奇岩群が迎えてくれました。 北ティベスティの入り口となるゴウロからバルダイ、そしてトゥルー・オ・ナトロン、南ティベスティ、ファヤを経て首都ンジャメナを目指すルートをご紹介します。

ゴウロ Gouro - 北ティベスティの入り口のオアシス

ゴウロはティベスティ北部へのゲートとなる村。岩山が多く家畜に適した牧草地がないことからひとびとはナツメヤシ栽培に従事しています。村自体、パルメリー(ナツメヤシ園)と伝統的なトゥブ族の家屋が大変美しい村です。2012年2月、ゴウロに初めて私設の博物館がオープンしました。その名も Musee de Liberte 「自由博物館」。ゴウロ出身の3人の男性が、ゴウロ・オアシスのトゥブ族の伝統的な暮らしを紹介するために設立。どのようにティベスティに育つ植物を利用して暮らしているのか、キャラバンの飾り、戦闘用具、住居、ゲルバの作り方などを展示しています。トゥブ族は外部者を受け入れることがなく、閉鎖的な社会。その文化が展示されている、貴重なトゥブ族の文化を見ることができる博物館です。

ゴウロの村
ゴウロの村
小さなゴウロの博物館
小さなゴウロの博物館

北ティベスティの厳しい道のり

ゴウロを出発してからバルダイに到着するまではかつての内戦の地雷のあとを避けながら道を取り、厳しい岩山を進んでいきます。途中、奇岩群(トゥブ語でニャラ)のある地域、溶岩流や火山弾の大地を走ります。この道は岩場に登ったりワディに下ったりの繰り返し。これはラクダのキャラバンが水や草を求めて定期的に草地のあるワディに降りるためです。そして内戦後は車用のワディに立ち寄らない新しいルートもでき始めています。

険しいコルドンのパサージュ
険しいコルドンのパサージュ
マンダゲリの砂岩のキャンパス
マンダゲリの砂岩のキャンパス

イェボア氏族、ベルドゥア氏族の暮らす村

北ティベスティはトゥブ族の中でもイェボア氏族、ベルドゥア氏族が分かれて村を作っています。 イェビ・ブーとイェビ・ソウマはトゥブ族のイェボア氏族が暮らす土地。岩山の大地にある村で家畜の食料となる牧草地がないため、人々は家畜をつれてワディ・ミスキまで放牧にでかけます。村の渓谷には大きなパルメリー(ナツメヤシ園)が発達。収穫の季節には村人が全員そろい賑わうそうです。住居は火成岩とナツメヤシからできています。 ベルドゥア氏族はズッムリ地区からバルダイにかけて暮らしています。

イェビ・ブーのパルメリー
イェビ・ブーのパルメリー
イェビ・ソウマのパルメリー
イェビ・ソウマのパルメリー
ズムリ・ウェシの住居
ズムリ・ウェシの住居
ズムリ・ウェシのモスク
ズムリ・ウェシのモスク

 

バルダイ Bardai

北ティベスティの中心地でニャラとパルメリーに囲まれたオアシス。ベルドゥア氏族が暮らし、長年の内戦の舞台にもなった町です。リビアからのトラック輸送ルートがあり、新鮮なフルーツが届いていました。そしてこのバルダイからウディンゲール渓谷を経て、いよいよトルゥー・オ・ナトロンへ近づいていきます。

バルダイ付近のニャラ(奇岩群)
バルダイ付近のニャラ(奇岩群)

トゥルー・オ・ナトロン Trou au Natron

トゥシデ火山(3,265m)の麓にある巨大クレーター。直径8㎞、深さ700mのクレーターで、トゥシデの噴火により空洞化したマグマ室が沈下し発生しました。クレーター内部には小さな火口と炭酸ナトリウム(炭酸ソーダ)の泉があり、クレーターの表面にミネラルを出し続けています。 巨大なクレーターを下ること3時間、そのクレーター内を散策、そして登り4時。クレーターの底には不思議な景色が待っていますが、復路が登り700mありますので十分な体力が必用です。

クレーターを下る
クレーターを下る
ナトロンの上を歩く
ナトロンの上を歩く
炭酸ナトリウムの泉
炭酸ナトリウムの泉
「足湯」で疲れを癒して、帰りの登りに備えます。
「足湯」で疲れを癒して、帰りの登りに備えます。

 

南ティベスティ、ゾワールへ Zouar

トゥブ族の精神的指導者「デルデ」の座があるのがゾワール。ゾワールは1917年からフランスの支配下に入りましたが1960年独立後の内戦とリビアとの干渉において非常に重要な地点となり、リビア軍のベースとなったほか、1998年からの内戦の舞台でもありました。そのため、付近には戦車が散乱するなど未だ内戦の跡が多く残されています。

ゾワール付近に残る内戦の跡
ゾワール付近に残る内戦の跡

ファヤ Faya

70km続くパルメリー(ナツメヤシ園)の広がるティベスティ南部のゲートとなる町。リビアのフェザーン地方の町(クフラ、セブハー)やアベチェ、カライの交易キャラバン、輸送で栄えてきました。空港もあり、北部チャドで一番大きな町です。

ファヤの市場
ファヤの市場
豊富な香辛料
豊富な香辛料
新鮮な野菜も
新鮮な野菜も

ンジャメナへの道

ティベスティからンジャメナへと向かうルートはいくつかありますが、今回はジュラブ砂漠、バハル・エル・ガゼルを通るルートを取りました。このルートは古代チャド湖水系ルート。今ではバルクハン砂丘連なる砂丘地帯になっていますが、かつて湖だったことを示す、ダイアトマイト、貝、魚の化石なども見られるルートです。かつては川だったバハル・エル・ガゼルも家畜に素晴らしい草地を提供しています。

ダイアトマイト(珪藻の遺体が故障の底に沈殿してできた堆積物)
ダイアトマイト(珪藻の遺体が故障の底に沈殿してできた堆積物)
かつての湖底を歩いて魚の化石を発見
かつての湖底を歩いて魚の化石を発見
古代チャド湖の魚の化石
古代チャド湖の魚の化石
バハル・エル・ガゼルの井戸に集う人々
バハル・エル・ガゼルの井戸に集う人々

バハル・エル・ガゼルに入ると「サハラ」は終わり、サヘル地帯となります。家畜の数が増え、砂漠の暮らしから「チャド湖水系」の暮らしの景色へ。そしてその先は、もう首都ンジャメナです。

 

■関連リンク
ツアーレポート:「サハラ最深部チャド北部のサハラ砂漠踏査行 エネディ山地の旅

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