インド洋交易によって栄えた海洋文明
スワヒリ文化が息づくザンジバルとキルワの史跡群を訪ねて
- タンザニア
2014.03.01 update
東アフリカ、インド洋に面した都市に残る知られざる遺跡を求めて2012年よりはじまったタンザニア島嶼部を訪ねるツアー。
中世以降、インド洋交易を舞台に興った都市文明を辿り、スワヒリ地方の魅力に迫ります。
ザンジバルの港を航行するダウ船
東アフリカ島嶼部・外来文化と土着文化の融合「スワヒリ文化」
ザンジバル島の市場にて
スワヒリとはアラビア語で「海岸」を意味するサーヒルに由来します。ソマリア南部からモザンビーク北部に 至るベルト状の海岸地域で、約2000kmの範囲を指します。ここでは古くからインド洋を舞台にアラビアや ペルシャ、インドとの交易が、行われてきました。規則的に風向きを変えるモンスーンと海流を利用し、冬季 の11月から2月には北東モンスーンに合わせて西アジア地域から香辛料や乳香が、夏季の4月から9月には 南西モンスーンに合わせてスワヒリ地域から象牙や奴隷、金が帆船(ダウ船)によって運ばれてきました。 人種的にはコイサン系狩猟民とエチオピアから南下したクシ系牧畜民が生活していたところへ、5世紀頃大陸 内部からバントゥー系農耕民が入り、さらに彼らとアラブ人、ペルシャ人商人との通婚で混血化が進み、現在 のスワヒリ人が生まれたと考えられています。このような現地社会と外来の商人との関わりの中でスワヒリ語 に代表される独自の文化が育まれ、12世紀以降スワヒリ文化として開花しました。その後、西欧や東イスラ ム圏、中国における象牙や金の需要の高騰によってスワヒリ地域の交易も刺激を受け、スワヒリ人自身も商業 のために海へ乗り出すようになりました。
黄金の港湾都市・盛衰の歴史「キルワ・キシワニ」
タンザニアの最大都市ダルエスサラームから南へ300kmの洋上にキルワ・キシワニ島はあります。伝説では750年に現在のイラン・シラーズ出身のハッサンという王が兄弟7人でアフリカ東海岸へ七艘のダウ船でやってきて、それぞれキスマユ(ソマリア南部)、モンバサ、ラム(ともにケニア)、マフィア、ザンジバル、キルワ(いずれもタンザニア)、ソファラ(モザンビーク)の海岸に流れ着き、このスワヒリの各都市で強大な王国を築きました。キルワは6番目の王子によってその基礎が築かれたと言われています。12世紀末に現在のジンバブエに繁栄していたモノモタパ王国の産金地帯とソファラを結ぶ交易路を支配し重要な交易都市として発展しました。14世紀には東アフリカ最大の都市として全盛期を迎え、アラブ人の大旅行家イブンバットゥータも1331年に訪れ、「世界で一番美しい整然とした町の一つ。町全体のつくりが上品である」とその旅行記の中で伝えています。 しかし、1500年に来航したポルトガルによってキルワの状況は一変します。ポルトガルの朝貢国となることを拒否したため、ソファラとの金交易の道を遮断されたあと略奪、破壊を受け、徐々に衰退して行きました。1569年に訪れたイエズス会の神父によると「かつては町に人々があふれ繁栄していたが今は貧しく権力も失われてしまった。王というよりは族長と呼ぶ方が似合っている」とその変わり様を伝えています。その後、住民も本土へと移り住み、キルワ・キシワニは荒廃していきました。現在は、木々に埋もれるようにして当時の栄華を伝える遺跡が島に残っています。
- キルワ・キシワニの金曜モスク跡
- ソンゴ・ムナラに残る遺跡
- ポルトガル要塞
アラブの伝統を色濃く残す旧市街ストーンタウンが残る
ザンジバルとマスカットオマーン
ポルトガルの後にスワヒリ地域にやってきたのはマスカットオマーンです。インド洋仏領諸島でサトウキビプランテーション経営が始まり、また西アフリカで奴隷交易の取り締まりが厳しくなるなかで、喜望峰を越えて東アフリカまで来るようになった奴隷交易の拡大・需要を受け、18世紀のスルタン、サイイド・ザイードは1840年にその拠点を本国からザンジバル島に移します。奴隷交易が廃止された後もオマーン人商人によってクローブ(丁子)が導入され、現在まで続く重要な外貨獲得源となりました。ザイードが珊瑚石の壁で建設したストーンタウンの街並みは現在ユネスコの世界遺産として登録され、オマーン人による支配時代の宮殿跡やイギリス統治時代の教会などが残ります。
オマーンの影響が残る扉
ザンジバルの旧市街
【キルワでの滞在】マングローブ林に眠る宮殿跡
キルワの滞在中は、キルワ・キシワニ島とソンゴ・ムナラ島の二つをボートで巡ります。なかでも、キルワ・キシワニ島には、ポルトガル要塞からさらにマングローブ林の狭い水路を進むと、外洋まで見渡せる位置に宮殿跡が残っています。フスニクブワ(大きな城の意)宮殿跡は14世紀のスルタン・スレイマンによって建てられたもので、当時訪れたイブン・バットゥータもここでスルタンに謁見したといわれます。宮殿中庭のプールはマムルーク朝エジプトで流行していたもの、円錐形のドームはイランやアナトリア地方、テント型のドームはセルジューク朝時代の北イラクやトルコ、ペルシャの影響がみられるもので、インド洋交易がもたらしたキルワの栄華を見てとることができます。 ソンゴ・ムナラ島の遺跡にはスルタンの暮らした宮殿とモスク跡が残っています。現在は押し寄せる波やマングローブの気根、バオバブの密林に侵食されほとんどが廃墟と化してしまっていますが、モスクにはメッカの方角を示す精緻なミフラブ(聖龕)があり、スワヒリに定着したイスラム教徒の敬虔な信仰を今に伝えています。修復活動、研究が続けられていますが未だに多くに謎に包まれています。
- マングローブ林をボートで進む
- ソンゴ・ムナラのモスク跡
- キルワ・キシワニの宮殿跡
【ザンジバルでの滞在】旧市街の散策や美しい海辺の魅力
滞在中は旧市街のストーンタウンに連泊。史跡以外にもこの地に生まれたイギリスのロックヴォーカリスト・フレディマーキュリーの家や、元奴隷市場があった広場に建つカテドラル、奴隷が幽閉されていた場所、またザンビアのタンガニーカ湖畔で息を引き取った著名な探検家リビングストンゆかりの十字架など、ザンジバルの歴史を彩る数々の名所をじっくりと見学します。このほか、ザンジバル名産のスパイスや新鮮な魚介類を売る活気ある市場の散策をお楽しみいただきます。ザンジバル島東海岸のパジェのビーチにも連泊し、新鮮なシーフード料理やインド洋を望む快適なホテルでのゆったりとした時間をお楽しみください。ご希望の方はスパイス農園やドルフィンスイムにもオプションでご案内することができます。
美しいインド洋
ザンジバルの旧市街
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