インダス印章に描かれた生き物、モヘンジョダロ

インダス印章 、このデザインを好きな方はきいと多いことでしょう。私たちの会社Indus Caravan(西遊旅行パキスタン店)のロゴも、このインダス印象を参考にして作ったのです。

インダス印章は、インダス文明の時代に作られた印章で、正方形で凍石(ソープストーン、 Steatite)製のものが多く、片面2~5センチ、メインモチーフに一角獣や牛などの生き物とインダス文字が刻まれています。

 

代表的なモチーフはこのコブ牛。「インダス牛」とよく呼んでいますが、神々しく描かれています。

この印章を押した封泥の跡も見つかってることから、この用途は「はんこ」であったようです。メソポタミア、アラビア半島の遺跡から出土した印章からこのインダス印章のモチーフや文字が見つかりました。このことはインダス文明の都市とメソポタミア、湾岸の都市との間の交易を示し、考古学ファンのロマンをかきたてました。

さて、私は動物が大好きです。モヘンジョダロ博物館の展示品から見つけた「インダス印章に現れた生き物たち」を集めてみました。

 

実在しない生き物も描かれます。一角獣(ユニコーン)は人気のモチーフだったようです。一角獣の前にあるのは香炉でしょうか。

 

印章にはインダス文字が2~5個描かれることが多く、この文字は解読されていない謎の文字です。

 

これは一角獣、牛、ガゼルまたはアイベックスと思われる動物の頭を持つ生き物。ドキドキしますね!

 

この鎧に覆われた体、サイです。パキスタンには現在サイはいませんが(絶滅)、大昔は生息してたそうです。

インド亜大陸全体でもサイ(インドサイ Indian rhinoceros)が生息しているのはインド北東部のカジランガ国立公園とネパール・タライ平原のチトワン国立公園くらいです。隣国のブータン、バングラディシュからも絶滅してしまいました。

 

インドサイの印章。

 

ゾウの印象です。アジアゾウ Asian Elephant はパキスタンでは絶滅してしまいましたが、昔は西アジアまで分布していたそうです。

 

これは、きっとトラですね。ベンガルトラ Bengal Tiger は現在のパキスタンにはいませんが、かつてはインダス渓谷に沿って生息していたそうです。

 

これも、きっとトラですね。

 

印章以外に、土器に描かれてるアイベックスも見つけました。立派な角のシンドアイベックス思われます。

モヘンジョダロ博物館、このインダス印章のコーナーは本当に素敵です ♪

 

Photo & text : Mariko SAWADA

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モヘンジョダロ Mohenjodaro (2)

2022年の夏に起こった洪水被害の後のモヘンジョダロ遺跡。その最盛期は紀元前2500年~1800年の間で最大4万人の人が暮らしたと想像される都市遺跡ですが、何らかの理由で衰退しました。インダスの流れが変わった、異民族の侵入など、いろんな説がありますが、2022年の洪水でもこの都市は被害を受けました。

 

Photography by Yuka Fujimot, Oct 2022

洪水被害を受けた場所の復旧作業が行われていました。

 

修復用の煉瓦を運ぶロバ車。紀元前2000年前のインダス文明の都市では既に規格化された焼煉瓦が使用されていました。インダス文明の都市ではメソポタミア文明や黄河文明と比べて速い時代に焼き煉瓦が導入されていました。現在もモヘンジョダロ周辺の農村で焼き煉瓦を作っている作業を見かけます。インダス文明時代と同じ焼き煉瓦造りが続いています。

 

レンガで作られた分厚い壁の家屋と家屋の間の通り(DKエリア)。

 

市街地だったとされるDKエリアには「貴族の家」だったと想像される建物があります。この煙突のように見えるのは「井戸」で家の2階から水を汲むことができたと言います。

 

城塞区と呼ばれるSDエリアの下水システム。

 

この下水にはカバーもしてあったそうです。

 

モヘンジョダロを代表するSDエリアの光景です。「沐浴地」と考えらるプール、そこからの排水システム。都市遺跡の上にガンダーラ時代の仏塔が載っている、非常にゴージャスな、ロマンたっぷりの光景です。

 

この沐浴地のプールの壁を防水加工していたというビチューメン(歴青)。モヘンジョダロ博物館に展示されてます。

 

さて、最近のマイブームは夕陽のモヘンジョダロ。

 

夕陽の都市遺跡。今年は水害の影響で、遺跡の向こうに、水浸しの畑が光って見えました。

 

Photo & text : Mariko Sawada

Visit : Nov 2022, Mohenjodaro, Sindh

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ミアンナシールモハンマドカルホロの墳墓群へ

Necropolis of Mian Nasir Mohammad Kalhoro

インダスハイウェイの旅の最中、村人の紹介で訪問したのが、シンド州で2番目に大きな墳墓群と言われるミアンナシールモハンマドカルホロの墳墓群(Necropolis of Mian Nasir Mohammad Kalhoro)です。

 

17世紀のシンディの氏族カルホロ王朝の墳墓で、王族の墓、聖者の墓、そして周りに村人のお墓がならぶ現在進行形の一大墳墓群でした。世界遺産マックリーヒルMakli Hillsの墳墓群が今も続いていたらこんな感じになるのかな?と思わせる場所です。

 

墳墓遺跡自体はそれなりの雰囲気のものでしたが、みなさまがもっと喜んだのはインダスハイウェイからこの墳墓までの道中の「シンド州内陸部」の景色でした。懐かしく温かいパキスタンの景色です。

 

小麦が入っているのでしょうか。車・トラックの間をロバ車が走り抜けていきます。

 

収穫の季節ならではの景色、わらを乗せたロバ車が続きます。

 

畑でも収穫作業。小麦の収穫に続き米の収穫が始まります。

 

奥の村へ向かう軽トラックは荷物も人も満載。

すれちがう私たちに笑顔で答えてくれる、シンド州の村人たちです。

 

Photo & Text : Mariko SAWADA

Visit :Nov 2019, Necropolis of Mian Nasir Mohammad Kalhoro, Dadu, Sindh

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モヘンジョダロ Mohenjodaro (1)

インダス文明の都市遺跡モヘンジョダロ Moenjodaro

 

インダス文明最大の都市遺跡で、最盛期は紀元前2500年~1800年の間。最大4万人の人が暮らしたと想像される都市遺跡で、東の城砦区(ガンダーラ時代の仏塔がある。沐浴地など、宗教や政治にかかわる場所と考えられる場所)と西の市街地(貴族の館、商店、平民の家など)にわかれています。まだ全体の10パーセントしか発掘されておらず、未発掘のマウンドが点在しています。

 

地元の言葉で 「死者の丘」 を意味し、古い時代の死者が眠る丘として地元民は恐れて近よらない場所でした。1921年にインド人の考古学者が「2~3世紀のガンダーラ遺跡」だと思い発掘を行ったところなんとインダス文明の都市遺跡が現れたのです。

1947年までの英国領インド時代にインド考古局により精力的な発掘調査が行われました。1980年には世界遺産に指定されています。この都市遺跡が衰退した理由はわかっていません。また、出土した印章に刻まれたインダス文字が解読されていないため、本当の町の名前はわかっていません。

 

モヘンジョダロの城砦区SDエリアにある紀元後2~3世紀のガンダーラ時代の仏塔。周囲は僧院があり、このガンダーラ遺跡自体がインダス文明時代のレンガを使って作られました。

 

有名な沐浴場は12m×7m、深さ2.5mの大きさで、レンガを密着させて精巧に造られた壁にはタールを塗って防水していた跡があります。ここに水を溜めて何らかの宗教的儀式が行われていたと考えられます。水面に降りていく階段状のガート(テラス)は、のちのヒンドゥー教の特徴につながるものではないかと想像されます。

 

SDエリアにある下水システム。石灰岩の石でカバーされていました。市街地のDKエリアでは完全に地中に作られているものもあります。

 

SDエリアの下水システム。沐浴池やそのほかの住居から流れてきた水がこの水路を通ってインダス川へとつながっていました。この時代、インダス川はモヘンジョダロの町のそばを流れてました。

 

市街地DKエリアの貴族の家の片隅にある「ゴミ箱」。「ゴミ箱」はもちろんSDエリアにもあります。このゴミに関する考え方が現代パキスタン人に引き継がれなかったことは残念です。

 

市街地DKエリアの貴族の家は2階建てで、井戸の水を2階からもとれるようになっていました。

 

「死者の大通り」とも呼ばれるメインストリート。両サイドには商店が並んでいました。

 

最近はパキスタンの国内観光客の姿もずいぶん増えました。日没時には多くの人がやってきます。訪問したときはあいにくの曇りでサンセット・モヘンジョダロは見れませんでしたが、次回に期待です。
でも、個人的なお勧めは、朝一番の「だれもいないモヘンジョダロ」です。

 

Photo & Text : Mariko SAWADA
Visit :Nov 2019, Mohenjo-daro(moenjodaro), Sind

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