ブトカラⅠ – スワート渓谷のガンダーラ遺跡

ブトカラⅠはガンダーラの中心地のひとつであったスワート渓谷にある遺跡。紀元前3世紀に遡るマウリヤ朝時代アショーカ王の時代に遡る仏塔があること、その周りに272もの奉献塔があることで知られています。ブトカラⅠは仏塔群だけでなく僧院などの建築物もあるのですが、その部分は発掘されておらず、すでにその上に住宅が建てられています。

 

遺跡は1956年から1962年にかけて、イタリア考古学調査団とパキスタン政府考古学局によって発掘されました。この遺跡の歴史はマウリヤ朝時代紀元前3世紀にまでさかのぼり、紀元後11世紀ごろまで使用されていたと考えられています。

 

サンチ―型の円形基壇のメインストゥーパは、内部に一番古い部分にあたる紀元前3世紀のマウリヤ朝時代の仏塔があり、その上に覆いかぶせる形で何世紀にもわたり5回拡大されました。発掘現場の一部からその増築の過程が見えるようになっています。

 

メインストゥーパの周りは参拝者が右繞(うにょう)した繞道があります。参拝者は仏塔だけでなく胴部のレリーフも拝んだことでしょう。

 

ストゥーパの周囲の繞道には敷石が置かれ、一部にはガラスの装飾が残っています。

 

この座仏のレリーフは紀元前35~12年のインド・スキタイ王朝のアゼス2世のコインを含む層から出土したため、紀元前1世紀後期から紀元後初期のものとされているレリーフです。仏像の出現は紀元後とされているため、保守的な考古学者は紀元後1~2世紀ものと考えています。「仏像のはじまり」は常にガンダーラ美術の大きなテーマのひとつ。仏像の出現時期については議論が続いています。

 

メインストゥーパを取り囲む奉献塔(奉献ストゥーパ)を見て見ましょう。奉献塔は大きなストゥーパの周りに作られ小さなストゥーパ型のものです。当時の王侯貴族が寄進したものと考えられ、この奉献塔も崇拝の対象になりました。

 

奉献塔の方形基壇のレリーフの一部です。この図は「ブッダの一生」の出家のシーンのひとつで、愛馬カンタカがシッダールタの足をなめて別れを惜しんでいる図と思われます。奉献塔には寄進者の好むモチーフが描かれたのかもしれません。

 

奉献塔の葡萄のレリーフ

 

レリーフに表現された虎の頭です。右下には繊細に彫刻されたコリント式の柱頭。

 

パキスタンではトラは1900年ごろに絶滅したとされています。当時は豊かなスワートの森にベンガルタイガーが闊歩していたことでしょう。

 

仏鉢を持つ供養者のレリーフ

 

奉献塔のレリーフ、トリラトナ(三宝標)。法・仏・僧を現す3つのチャクラ(法輪)を崇拝の対象として描きました。

 

欠けた部分が多く、モチーフはわかりません。彫刻の素材には一般的に緑色千枚岩が使われています。

 

スワート博物館に展示されているブトカラⅠ出土品の一部を紹介します。スワートらしいものをピックアップしてみました。

 

ブトカラⅠ出土品:ブッダの一生のパネルのひとつ、「学校に通う太子」。ガンダーラではこの場面はなぜか「羊」に乗って通学する様子が描かれます。羊に直接乗っている場合もあれば、羊のカートに乗っている場合もあります。今のところこの理由について説明している学説はないようです。

 

ブトカラⅠ出土品:当時の貴族の女性像。大変豪華な髪飾りをしており、当時のスワートの風習を見ることができます。

 

ブトカラⅠ出土品:同じく、当時の貴族の女性を表現したと思われる彫像。蓮の花を片手に持つ女性の衣装・装飾が見事に描かれています。

 

ブトカラⅠ出土品:このレリーフは以前は遺跡にあったのですがスワート博物館に移設されました。シッダールタの「婚約」とされるシーンで、真ん中に立つのがシッダールタ太子、一番右端が恥ずかしそうにするヤショーダラーで、その横がヤショーダラーを紹介する祭祀。シッダールタの左側はひざまずくマーラとその周りはマーラの娘3人が描かれています。マーラは世俗の象徴でシッダールタの成道を阻止するものとして描かれています。

 

コリント式の柱頭。アカンサスの葉とともに寄進者と思われる女性が描かれています。

 

スワート博物館はバリコット、サイドゥシャリフストゥーパ、ブトカラⅠからの出土品展示室が設けられています。ぜひ、ゆっくり時間をとって見学してみてください。

 

↓↓ Butkara – Gandhara site of Pakistan

 

ブトカラⅠ – 今では周囲を住宅街に囲まれてしまいましたが、520年に中国の僧・宋雲が訪問した記録には大変豪華な寺院の姿が記されています。

 

Image & text: Mariko SAWADA

参考文献:栗田功著「仏陀の生涯」他

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DISCOVER AFGHANISTAN:ジャムのミナレット The Minaret of Jam

アフガニスタンにある2つの世界遺産のうちのひとつが「ジャムのミナレットと考古遺跡群 Minaret and Archaeological Remains of Jam」。ゴール州の山の中にあり、バーミヤンからもヘラートからもアクセスが容易でなく、悪路を延々と走らないと行けない場所にあります。

 

「ミナレットと考古遺跡群」と呼ばれていますが、実際にミナレットかどうかははっきりしていません。そこにはモスクはなく(もしかしたらオープンタイプのモスクがあったのかもしれません)、イスラム以前の異教の聖地の上に建てられた戦勝記念塔ではないか、など諸説があります。素敵な説のひとつに、「幻のフィローズコー(フィールーズクーフ)」説があります。ゴール朝には3つの主な都がありました。ガズニGhazni 、バーミヤン Bamiyan、フィローズコーFirozkohです。このうちフィローズコーのみ所在が明らかになっておらず、ミナレットのそばの遺跡群がその都跡なのではないかと推測されています。そういえば、ゴール州のチャグチャランChaghcharanは町の名を最近フィローズコーFirozkohに変え、バーミヤン側からジャムのミナレットを訪れる旅行者の玄関の町になっています。

 

ミナレットのそばの岩山に残る建築物の跡。見張り塔がはっきりとわかります。

ジャムのミナレットはアフガニスタン中央部の山岳地帯から興ったゴール朝がアフガンから北西インドまで支配した時代に作られました。1150年~1215年に栄えた王朝で12世紀の王、ギヤスウッディーンGhiyath al-Din Muhammad(1162年~1203年)とその弟ムイッズィディーンMu’izz ad-Din Muhammad (1203年~1206年)の時代が最盛期でした。王朝はこの兄弟の死後分裂し、1221年にはチンギスハーンの軍隊によりその都も滅ぼされました。その後、山奥に位置するため人目に触れることはありませんでしたが、1943年ヘラートの知事によりこの遺跡のことが公表され、1957年にアフガン歴史協会(Afghan Historical Society)とフランス考古学代表団(French Archaeological Delegation in Afghanistan)が訪問し、この貴重な遺跡が「発見」されました。

 

ジャムのミナレットは高さ65m、3層の構造になっている

この遺跡はハーリルード川とジャム川の合流地点にあることから土台が浸食され少し傾いています。ジャムのミナレットはゴール朝時代の残された唯一の建築物で中世のイスラム建築を知るために非常に重要であり、2002年に世界遺産に登録され「危機遺産」として遺跡の保護が叫ばれています。

ジャムのミナレットは3層構造になっていおり、各層は突き出たコーベルバルコニーで仕切られ最上部には6つのアーチの円形のアーケードがあります。

 

頂上部の6つのアーチのアーケード

37m付近までの第1層は型押しされた黄褐色のレンガのレリーフで精巧に装飾されています。

 

ミナレットの八角形の基礎部の直径は14.5mで高さは65m、先細りの塔で焼きレンガでできています。八角形の基壇に対応する8つの縦長のパネルは型押しのレンガで見事にされています。ブハラで発達したバラエティ豊かな幾何学模様、植物模様。素晴らしいのはアラビア語クーフィー体でコーラン第19章スーラ、マルヤム章の全文の碑文の帯が1つのパネルから別のパネルへと表現されているのです。

 

コーラン19章を現したクーフィー体のアラビア語がパネルを取り巻き延々と続きます。

最初のバルコニーのすぐ下に鮮やかなペルシャンブルーのクーフィー体の碑文、表面で唯一色のついた碑文があり、このミナレットの創建に関わった支配者の名が宣言されています。「サムの息子、ギャスウッディーン・モハマド、偉大なスルタン、王の中の王 Ghiyasuddin Mahammad ibn Sam, Sultan Magnificent! King of King!」この中に建築家の名前も「アリ、・・・の息子(・・・ Ali, son of ・・・)」と小さく刻まれています。

 

創健者ギヤスウッディーンの名を現す

インドのデリーにあるクトゥブ・ミナール Qutub Minarは1200年ごろデリー・スルタン朝時代に作られた、煉瓦で作られた世界一高いミナレット(72.5m)で、その建国者であるクトゥブッディーン・アイバクはゴール朝に仕えており、クトゥブ・ミナールはジャムのミナレットに影響され建設されたと言います。逆に、ガズナ朝時代のガズニに「ガズニのミナレット」があり、ジャムのミナレットはこれに影響されて建設されたようです。

 

ジャムのミナレットの影響を受けて建設されたというクトゥブミナ-ル(デリー)
ガズニのミナレットはジャムのミナレットの建築に影響を与えました

以前はミナレットの中のらせん状の階段を登ることができましたが、今はその出入り口は閉じられ入ることはできなくなっています。
長い悪路の旅の果てに見る「ジャムのミナレット」、その景色は圧巻で、遺跡ロマンたっぷりです。

 

Image & text : Mariko SAWADA

Reference :”An historical guide to Afghanistan ” Nancy Hatch Dupree

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古都ラホールのワジールハーンモスク Wazir Khan Mosque

ラホール旧市街にある17世紀に建築されたムガール帝国時代の遺産のひとつがワジールハーンモスク Wazir Khan Mosqueです。

シャー・ジャハン帝の時代に建設され、中庭のファサード、カシカリという複雑なファイアンスタイル装飾は当時のペルシャ建築様式が取り入れられました。モスク内部の礼拝の間はフレスコ画で埋めつくされています。

2009年よりパンジャブ州政府とアガ・ハーン文化基金による大規模な修復が行われ、ラホール観光のハイライトの1つにもなってきたモスクです。

 

古都ラホール ワジールハーンモスク Wazir Khan Mosque LAHORE

 

Videograhy : Mariko SAWADA

Visit : Feb 2020 , Lahore, Punjab

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ラホール旧市街ウォーク

ラホール旧市街ウォーク Lahore Walled City Bazaar

 

スイスとメキシコから来た友人がラホール旧市街を散策している様子です。

“Walled city of Lahore”  と呼ばれるラホール旧市街は1000年程前に泥レンガの城壁と門で囲まれた要塞の町として発達し、ムガール帝国時代には都として栄えました。

現在は城壁などは一部が残るだけになりましたが、2012年以降、ノルウェーやアメリカ政府の協力を受け旧市街を観光地として発達させるべく整備が行われています。デリー門からワジールハーンモスクにかけては観光客が情緒たっぷりの「旧市街ウォーク」を楽しめるようになりました!

 

Video & text : Mariko SAWADA

Visit : Mar 2020, Lahore, Punjab

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動画 Heritage of LAHORE 古都ラホール

Heritage of LAHORE | 古都ラホール

2019年2月19日は「スーパームーン」が観察されるという日でした。ラホールのバードシャーヒー・モスクを見下ろす屋上レストランで月を待ちましたがあいにくの曇天。

気を取り直してドローン撮影。撮影許可を取得してもらい、トビとカラスにドキドキしながら世界遺産の古都ラホールを空から撮影することができました。

日本ではあまり紹介されていませんが、ラホールの旧市街が観光客のためにきれいに整備されています。バザールの建物のぐちゃぐちゃだった電線は地下に収まり、ごみも落ちていません。ツーリスト向けの「デコトラ塗装したトゥクトゥク」が走り、シャーヒーハマムはしっかりとした「見学路」ができています。

 

世界遺産の古都ラホールは確実に観光地として進化していました。

 

Videography & Text : Mariko SAWADA

Visit of Lahore : Feb 2019

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