アフガニスタン、ワハーン回廊。秘境好きの旅人の間で“ラスト・フロンティア”と呼ばれてきたこの地も、チャクマクティン湖まで未舗装の自動車道が完成し、キルギス族の暮らすリトルパミールまで車で行けるようになりました。4日間のトレッキングが、4時間の4WDの旅になったのです。高原で暮らすキルギス族の暮らしにも変化が現れています。
ワハーン回廊
ワハーン回廊はアフガニスタンのバダフシャン州にあるタジキスタン、中国、パキスタンと接する細長い領土(回廊)。山岳高原地帯でアムダリヤの源流が発する場所であり、夏には豊かな水と草地が現れ「パミール」と飛ばれています。
この不思議な国境線は1873年にアフガニスタンとロシア帝国の間がパンジ川・パミール川沿いに国境がひかれ、1893年にアフガニスタンとイギリス領インド帝国(現在のパキスタン)の国境線(デュアランドライン)が引かれたことでできました。当時のロシアとイギリスの「グレートゲーム」の緩衝地帯となった場所です。
ワハーン回廊のイシュカシムからサルハッドまではワヒ族が暮らし、そこから標高1,000mほど上がった「パミール」にはキルギス族が暮らしています。
チャクマクティン湖(Chaqmaqtin Lake)周辺は「リトルパミール」と呼ばれ、パミール川に沿ったタジキスタン国境からゾルクル湖にかけての高原は「ビッグパミール」と呼ばれています。いずれも標高4,000mを越える高原です。「リトルパミール」ではキルギス族は夏は湖の南で暮らし、冬は湖の北へと移動します。
アフガンパミールのキルギス族
キルギス族はテュルク系の中央アジアに暮らす民族です。古くからアフガンパミールへ夏の放牧地を求めてやってくるキルギス族の小グループがいましたが、1917年のロシア革命時に多くのキルギス族がアフガンパミールへと移動してきました。そしてこの閉鎖的な地域で季節ごとの小移動を繰り返す生活を作り出しました。その後の1949年の中国の建国、1978年のアフガニスタンの共産主義政権の成立時に国境を越えた民族移動があり、現在は1,300~1,400人ほどのキルギス族がアフガンパミールに暮らしていると言われています。最近では2020年の新タリバン政権成立後にタリバンを恐れた人々が一時的にタジキスタン国境へと移動しましたが、自分たちの家畜・生活が守られると聞き戻ってきたそうです。
リトルパミールのアンダミン集落のシューラの責任者によると、2023年のリトルパミールには28の集落があり、従来はリトルパミールに500人、ビッグパミールに800人ほどが暮らしていたそうですが、3年ほど前からビッグパミールの方からリトルパミールに人が移動してきて、今はリトルパミールに1150人が暮らしているとのことでした。これは2020年の道路の完成が影響しているのかもしれません。
厳しい高原での暮らし
イシュカシムからサルハッドへ移動の途中に、助けを求めるキルギスの男性に出会いました。男性によるとパミールで出産をした妻の体調が悪く、診療所でイシュカシムの病院へ行くように言われたとのことでした。「お金がない」、と。キルギス族の中にはパミールを訪れる商人と羊やヤギなどの家畜との交換で物を手に入れ、現金を持たない人もいます。「車に乗って病院へ行く」にはお金が必要なのです。この時はお金を渡し、この方の奥様の無事を祈ることしかできませんでした。
村でも子供を失った親、妻を失った男性にも出会いました。そして、老人の姿が少ないのです。厳しい環境に生きていることを実感しました。
アフガンパミールのキルギス族は自給自足をしているわけではありません。家畜を育て乳製品を作り、パミールにやってくる商人<ワハーン回廊のワヒ族や南部から来るパシュトゥーン族>から必要なものを手に入れます。家畜や乳製品と交換したり、または売ることで生活に必要な商品や現金を手に入れています。羊との交換の場合は、今年の子羊を来年受け渡す約束で成立するケースも多々あります。
新タリバン政権(2020年)以前はパキスタンのチャプルソンと交易がありました。毎年500匹のヤク、夏の間に作った乳製品クルトが売られていきました。今は、カブールなどアフガニスタン南部から来る商人に羊・ヤギを売り、チャプルソンとの交易再開を心待ちにしていると言います。
キルギス族の女性の夏の暮らし
キルギス族は初夏に生まれた家畜の子の世話をし、乳を搾り乳製品を作り暮らしています。朝はそんなに早くなく、8~8時30分ごろに乳しぼりを開始します。その後は川で洗い物をしたりナンを焼いたり販売用の乳製品クルト作ったりします。ワハーン回廊や南部アフガニスタンから来る商人との交渉も楽しみの一つ。女性たちは競って派手な布を買い、行事の度に新しいものを身にまといます。商人たちも彼女たちの好みにあったものをしっかり把握しているようです。それに比べ、キルギスの男性は「古着」が中心で地味です。
美しすぎる、キルギス族の世界
リトルパミールへの旅ではキルギス族のある小グループの暮らす集落に4日滞在しました。私たちがユルトを訪問するだけでなく、キルギス族の子供や家族が我々のキャンプを訪問してくるようになりました。私たちの持っているものへの興味、食べているものへの興味。子供たちの中には好奇心旺盛で朝から晩まで私たちのキャンプにいる子もいれば、親と一緒にしか来れない子もいました。
朝のヤクの乳しぼり、洗濯、クルトづくり、ナン焼き、空いた時間に友人訪問。歩いて、そしてロバや馬に乗って一日が過ぎていきます。
パミールに20年以上やってきている商人は、「道路ができてから貧しくなった人たちがいる」「ヤクをたくさん売って車を買い、その車が故障して貧しくなった人がいた」と。車で来れるようになったことで以前より多くの商人が訪れるようになったのでしょう、現金でのやりとりが増え、貧しくなった人たちがいる一方、車も家畜も持つキルギスの家族は豊かになっているようにも見えました。
アフガンパミールのキルギス族は、想像していたよりずっと多くの経験をし、いろんな人と出会いながら暮らしていました。大変、魅力的で興味深いものでした。
Photo & Text : Mariko SAWADA
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