チョウモス祭 – シシャオ・アドゥ:今も息づくカラーシャの儀式

カラーシャの神バリマインを迎えるための儀式が始まりました。女性の浄めの日、シシャオ・アドゥの様子です。

シシャオ・アドゥの前日は女性の浄めの儀式のためのパン、シシャオ作りのための石板を準備する日です。男性は山に入り適した石板を探し、使うまで女性が触れないように安全な場所に置いておきます。女性はシシャオ作りのための小麦粉を準備します。

 

シシャオ作りに使用する石板を運ぶ男性

シシャオ・アドゥの日の朝、川原には浄めの身支度で女性たちが集まっています。小屋で湯あみし、髪の毛を洗います。この後、聖なる期間があけるまで湯あみはできません。

 

身支度する少女たち

シシャオ・アドゥ Shishao Aduは女性を浄める日。この日以降、新しくランブール谷に入ることはできません。これは外国人も例外なく、谷に暮らすイスラム教徒もカラーシャの村には入れません。
子供の通過儀礼ゴシュニク Goshnikの祝いにボンボレットからやってくる親族の女性も、この浄めを受けなくてはなりません。私たち外国人も浄めを受けます。村を歩いていると、「シャワーした?新しい服着てる?」と聞かれ、この戒律をまもらない者が谷にいると災いがくると考えています。

 

神殿でシシャオ作りが始まりました。

 

シシャオのために準備された浄められた小麦をこねます。男性の手は浄められシシャオの材料以外のもの、自分を含めて触ることはできません。

 

山から取ってきた石板と石を使ってパンの中身となるクルミを砕きます。

 

家族の女性一人につき5枚のシシャオを焼く必要があり、メンバーの多い家庭では朝からシシャオ作りがされます。

 

女性の浄めの儀式、シシャオ・スチェクが始まりました。女性は新しい服を準備し、春のジョシ祭なみに着飾った少女達の姿もありました。

 

最初に水で手を浄めます。
5つのくるみパン、シシャオが配られます。
炎のついたジュニパーの枝の煙で浄めます。

こちらはとても画期的な頭飾りをつけた女性。お母さんが作ってくれたと。

 

伝統的なスタイルの頭飾りクッパースKupasですが、色彩はモダンです。

季刊民族学のカラーシャに関する記事やわだ晶子さんの本に登場する伝統的な素材・色彩のものは本当に見られなくなってきました。カラーシャの女性たちは常に新しいモードを追っているようです。

 

ジェスタックハン神殿でもシシャオ・スチェックの儀式が始まりました。儀式は野外でも行われます。

 

神殿に集まった家族メンバーの女性たち
浄めを受ける少女
浄めの儀式、シシャオ・スチェク

この浄めのあと、7日間は”pure”を保たなくてはなりません。「イスラム教徒に触ってはいけない」「チキンは食べない」「卵を食べない」「牛の乳と乳製品を食べない」「はちみつを食べない」など。

とても美しい、人々の暮らしと信仰を見た日でした。

 

Text & Photo: Mariko SAWADA

Visit: Dec 2024, Kalash Valley – Khyber Pakhtunkhwa

※情報は現地での聞き取りによるものです。資料により儀式の表記や説明が異なる場合があります、予めご理解ください。

 

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チョウモス祭 – クタム: 今も息づくカラーシャの儀式

すべての収穫を終え、家畜が山から下りてきた12月上旬のカラーシャの谷。カラーシャの神バリマインを迎えるための儀式が始まりました。通過儀礼、浄めの儀式、神への生け贄が行われ、クライマックスとなる松明と大きな焚火でバリマインを見送ります。現代に生きる深い信仰と儀式に触れた旅のレポートです。

 

チョウモスの神聖な期間はイスラム教徒は谷に入れません。イスラマバードからのスタッフもガイドも谷に入れないため、アユンにカラーシャのスタッフが迎えに来てくれました。

 

カラーシャの村では、神聖な期間に新しい服を着るため、洗濯物がたくさん干されていました。浄めの儀式の前に湯あみをし、新しい服を着る必要があります。

 

家に飾られていたシャラビラ

ちょうどボンボレット谷でシャラビラ作りを見学することができました。シャラはマーコール、ビラは雄ヤギを差します。女性が翌日に配るチーズの入ったクルミのパンを焼いた後に、男性が小麦をこねてマーコールや雄ヤギの形を作ってストーブで焼きます。この儀式はクタムKutramと言います。

 

シャラビラ作りは夜に行われます。ちょうど訪れた時、谷に電気がなくストーブの火の光で美しい光景を見ることができました。女性がクルミのパンを焼いていました。

 

そして浄めをした男性が浄めた小麦粉を練って動物の形を作り始めました。

 

そしてストーブで焼きます。

 

完成したシャラビラ

クタムの儀式は各家庭で行われるほか、ジェスタック女神の神殿でも行われます。各家から集めた小麦でシャーラ(マーコール)を作ります。夜、男性が集まって作り、早朝まで壁に絵をかいたり、飲んだりして過ごします。朝4時頃に、「チッチッチ(ヤギを追う時の掛け声のよう)」と、シャラビラにデジラワトへ行くように促します。カラーシャの人々はシャラビラの魂がアフガン国境に近い場所デジラワトへ行くと信じています。

 

ジェスタックハン神殿の壁に描かれたシャラビラの絵。祭壇のそばに3つのシャラ(マーコール)。

 

神殿の壁の絵は、女性が用意したクルミの木の皮を燃やして作った炭で描きます。

 

2024年のクタムで描かれた絵

ところでみなさんはマーコールをご存じですか?パキスタンの国獣であり、トロフィーハンティングにおいては非常に高価なことで知られている動物です。2024-25冬のハンティングシーズンにおいては3頭のカシミール・マーコールのハンティング許可が出され、それぞれ231,000ドル~27,1000(3500~4200万)ドルで落札されました。このトロフィーハンティングの収入の80%が地元に還元されるとのことで、トロフィーを増やすために保護が行われ、確かにマーコールの数は増えていますが、動物好きの自分は複雑な気持ちです。

 

カシミール・マーコール(トゥーシシャシャ野生動物保護区)

マーコールはカラーシャの人々にとって超神聖な生き物。チトラールゴル国立公園やその付近の保護区で見ることができます。角の大きなオスは普段は山の標高の高い場所におり、冬の繁殖シーズンになると低い場所まで降りてくるので観察することができます。カラーシャの村からも1時間ほど山を登ると観察できる場所があるとのことでした。ちなみに、この地域のものは亜種、カシミール・マーコールです。

 

Text & Photo: Mariko SAWADA

Visit: Dec 2024, Kalash Valley, Toshi Shasha – Khyber Pakhtunkhwa

※情報は現地での聞き取りによるものです。資料により儀式の表記や説明が異なる場合があります、予めご理解ください。

 

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「バルトロ氷河からブロードピークB.C.を経てK2B.C.へ」後編

K2B.C.から望むK2の朝焼け

2024年シーズン「バルトロ氷河からブロードピークB.C.を経てK2B.C.へ」のフォトレポートが、紙谷哲平ツアーリーダーより届きました。ドローン撮影した貴重な空撮写真も多く掲載しています。

 

トレッキング後半部【ウルドゥカス→ゴレⅡ→コンコルディア→ブロードピークB.C.(K2B.C.)→コンコルディア】を写真で辿ります。

 

●トレッキング7日目 (ウルドゥカス → ゴレII)

ウルドゥカスより7時に出発し、30分もしないうちにバルトロ氷河へ。本日のルートはひたすらバルトロ氷河のモレーンをアップダウンしながら進んでいきます。快晴だったので氷河上とはいえ、日が上がってくると日射のため体感温度が上がってきます。薄着でモレーンを奥へと進んで行きました。

 

正面に高く聳える山はガッシャーブルムIV峰(7,925m)
氷河湖の奥にガッシャーブルム山群

世界22位、K1の測量記号を持つマッシャーブルム(7,821m)

 

11:45に昼食場所のゴレI(4100m)に到着し、氷河の真ん中で食卓を広げて贅沢なランチとなりました。往路ではここには泊まらずゴレⅡまで進んでいきます。

 

ゴレⅠ(4100m)に到着。氷河の真ん中で食卓を広げて贅沢なランチ
バルトロ氷河の厚さは約100m、マンション25階に相当します

更に2時間半ほど進み、同じく氷河キャンプであるゴレII(4380)に15:00到着です!ゴレⅡからは氷の上で寝ることになり、気温も朝晩は下がっていきます。往路では曇っていたのですが、帰路のゴレⅠではガッシャーブルム山群が抜群の展望でした。ただし朝の気温はー6℃。手がかじかみました。

 

マッシャーブルムの景観が良好のゴレⅡキャンプにて。キッチンとダイニングの様子
マッシャーブルムの上にかかる天の川
これは帰路に撮影した写真です。

●トレッキング8~9日目 (ゴレII → コンコルディア)

氷河のキャンプで朝起きて、今までよりも確かに感じる冷気に味が引き締まります。少し薄曇りの中を、目的地コンコルディアに向けて出発。前日に引き続き、ひたすら氷河のモレーンのアップダウンになります。ですが道はかなり緩やかで、平坦な箇所も多かったため歩きやすかった印象です。

 

雲間から朝日が照らす中、氷の世界を歩いてコンコルディアを目指します

 

午後からかなり冷たい雨が降り始め、終盤の疲れた体には堪えました…。更に奥地へと行き、K2が目の前に見えるキャンプ地へ。ついに折り返し地点であるコンコルディアキャンプに到着です!残念ながらK2は雲の中で姿を現しませんでしたが、まだまだチャンスがあります。コンコルディアキャンプでも休養日を兼ねて2日間滞在しました。

 

到着したコンコルディアは積雪で白銀の世界になっていました
迫力のセラック帯!

●トレッキング10日目 (コンコルディア → ブロードピークB.C.)

朝はシンシンと降りしきる雪で目が覚めました。視界もほぼゼロでポーターさんや馬が進むことも困難だったため、出発を一時見送り待機。9時前に太陽がさし、一気に青空が広がって遅めの出発!

 

早朝は雪がシンシンと降りしきり視界ゼロだったのが、9時頃から晴れてきました
いざブロードピークBCへ出発
普段のモレーンが雪化粧され幻想的な世界に

歩き始め10分でチェーンスパイク&軽アイゼンに履き替え、セラック帯を通過。とはいえルートが少し変わったらしく、非常になだらかなセラックでスパイク無しでも十分行けるレベルだったので、少し拍子抜けだったでしょうか。大きなモレーンのアップダウンが終わると、ゴドウィン・オースティン氷河のサイドモレーンをただひたすらに緩やかに歩いていく道のりで、ブロードピークBCには14:00頃到着しました。

 

ゴドウィン・オースティン氷河ど真ん中のブロードピークBC
BCから見るブロードピークは3峰に分かれます。左奥からブロードピーク北峰、ブロードピーク中央峰、ブロードピーク主峰(8051m)
朝焼けのK2(8611m)は荘厳の一言

●トレッキング11日目 (ブロードピークB.C. → K2B.C.往復)

いよいよK2B.C.を目指します!ブロードピークB.C.からの日帰り往復の行程です。7時に出発し、モレーンの横の氷地帯を平坦に歩く非常に快適な登りが2時間半ほど続きました。その後はごちゃごちゃのモレーンのアップダウンを経て最初の目的地K2メモリアルへ。かなり切り立った岩の斜面に作られているため上がるのに苦労しましたが、K2を始めとするバルトロ氷河の山々で命を落とした多くのクライマーの慰霊碑を参拝しました。岩塔の下まで降りてきてからおにぎりなど簡単な昼食をとり、緩やかなモレーンを更に進んでついにK2ベースキャンプに11:30到着です!

 

そしてK2B.C.へ歩き出します
バルトロ氷河の山々で命を落とした数々のクライマーの慰霊碑
K2BCに(5150m)到達。倒れていた”K2BC”看板をガイドさんがモレーンの中から探してきてくれて記念撮影

●トレッキング12日目 (ブロードピークB.C. → コンコルディア)

連泊したブロードピークB.C.では5:35頃から朝焼けに輝くK2が顔を出し、皆さん世界第二の高峰に見入っているようでした。朝食後はコンコルディアへと帰ります。

 

ブロードピークB.C.から望む朝焼けに輝くK2

ベースキャンプの様子。皆さん世界第二の高峰に見入っておられました。

行きと同じく、とても緩やかなモレーンをひたすら3時間ほど歩き、アーミーキャンプを通過。モレーン&セラック帯の歩き1時間でコンコルディアに到着です。コンコルディアではスタッフさんが全く同じ立地にキャンプを設営していてくれ、ウェルカムドリンクと昼食まですでに用意してくれていました。いつも迅速な仕事をしてもらい感謝の一語に尽きます。

 

再びセラック帯をゆるりと通過しコンコルディアへと戻ります
ミトレピークとセラック帯の奥に見える我々のキャンプ
夜は月明かりが山を照らし美しい光景でした

そしてコンコルディアからK2に別れを告げて、更に5日をかけて往路を引き返しアスコーレで長いトレッキングが終了します。全行程17日間に及ぶ山行でした。ゴールではスタッフさんたちがお祝いしてくれ、コーラで乾杯。人生でこんなにコーラを美味しく感じたことはないというコメントも出ました。頑張って歩き切ったあとだからこそ、そう感じたのだと思います。本当にお疲れ様でした。

 

Photo & text : Teppei Kamitani

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「バルトロ氷河からブロードピークB.C.を経てK2B.C.へ」前編

 

2024年シーズン「バルトロ氷河からブロードピークB.C.を経てK2B.C.へ」のフォトレポートが、紙谷哲平ツアーリーダーより届きました。トレッキング前半部【アスコーレ→ジョラ→スカム・ツォク→パイユ→コボルツェ→ウルドゥカス】までを写真で辿ります。

まずはイスラマバートからトレッカーの玄関口スカルドゥの街へ国内線で移動します。天気が良ければナンガパルバットをはじめとする絶景の山岳フライトですが、今回は曇っていて見ることはできませんでした。しかし、フライトがキャンセルになると陸路で2日間かかるため、無事に到着したことがなによりです。

 

トレッカーの玄関口であるスカルドゥの街

翌日はスカルドゥ滞在またはデオサイ高原にオプショナルツアーで訪問する日程でした。その翌日にトレッキングのスタート地点、アスコーレへと向かいます!道中はシガール渓谷のビューポイントや、砂丘が広がるサルフランガ寒冷地砂漠を眺めながら谷の奥へと進んでいきます。アスコーレへと近づくにつれ道は険しく、川沿いスレスレのアップダウンが多くなっていきます。車酔いしやすい方には試練の道です。

 

ジープでアスコーレに向かう

●トレッキング1日目 (アスコーレ → コラフォン → ジョラ)

いよいよ緑豊かなアスコーレ村からトレッキング開始!途中、この近辺で人が住む最後の集落であるテステ村前のオフィスで手続き。この先は人の住まない広大な道が始まります。

 

緑豊かなアスコーレ村からスタート
人の住まない荒涼とした大地をゆく

出発から約4時間半後、ラトック山群から流れるビアフォ氷河のエンドモレーン内のキャンプ地コラフォンで昼食。腹拵えの後も引き続き川沿いを歩いていき、ドモルド川の対岸にジョラキャンプが見えて来ました。ここで最近開通した、スノーレオパルド橋を渡りnewジョラキャンプへ到着しました。

 

ビアフォ氷河内のコラフォンでランチ
河原沿いのNewジョラキャンプ

●トレッキング2日目 (ジョラ → スカムツォク)

ブラルドゥ川沿いにジープ道を緩やかにアップダウンしながら進み、後半は山道を崖沿いに歩いて行きます。遠くにスカムツォクが見えてきたところで山間に世界第12位の高峰ブロードピーク(8051m)を確認。本日の天気では見れない可能性が高いと思っていたので、ラッキーでした。

 

彼方に8000m峰ブロードピークが見えます

スカムツォクに着いたのは11:20ということで、出発から約4時間半後でした。昼食後、ティータイムを挟んでのんびりとした時間を過ごしました。この日と翌日の午後は休養をしながら、鋭気を養いました。

 

スカムツォクキャンプと大きな虹
スカムツォクキャンプではカレーの夕食でした

●トレッキング3日目 (スカムツォク → パイユ)

この日は氷河前の憩いのキャンプ、パイユまでの半日行動を歩く日となります。スカムツォクより緩やかなアップダウンを過ぎて2時間半ほどすると、バルトロ氷河が見え始めます。トランゴキャッスルやカテドラルなど、バルトロを代表する山々も展望できました。

 

本日も崖道をアップダウンしながら奥へと進みます
バランスをとりながら丸太橋を通過
バルトロ氷河がついに見えてきます

ルート後半は山肌のトラバース道を歩き、ポプラの生い茂るパイユキャンプ(3450m)に到着。水も綺麗な山水がジャバジャバ出ており、洗濯される方もたくさんいらっしゃいました。ダイニングテントの椅子をテント前に持ってきてリラックスする、昼下がりの時間でした。翌日はコボルツェまでの1日行程なので、昼食後は休養の時間とさせて頂きました。

 

パイユ直前は再び崖道に入り、アップダウンが少し増えます
木陰が嬉しいパイユのキャンプ地。氷河上は日陰が全くありません。

●トレッキング4日目 (パイユ → コボルツェ)

いよいよバルトロ氷河に入っていく長い1日です。気合いを入れて出発しました。バルトロ氷河へと歩いて行き、90分もすれば氷河舌端部に到着。

 

いよいよバルトロ氷河舌端部へ

最初こそ少し晴れ間が見えましたが、パイユの下の方から雲が上がってきて雨が降り始めました。氷河の出口から山肌を緩やかに進み、谷が作り出した台地のようなリリゴにて昼食。ここから土砂崩れの恐れのある斜面をヘルメットをつけながら通過し、氷河川の対岸に見えてきたキャンプがまさにとコボルツェ(3940m)です!

 

この小さな木製橋のおかげで渡渉せずに済みました。橋を渡りコボルツェキャンプへ

コボルツェキャンプの夜、北極星とトランゴキャッスル、ビアレ、カテドラル

●トレッキング5~6日目 (コボルツェ → ウルドゥカス)

半日行程で、4時間かけウルドゥカス(4050m)へ。本日はバルトロ氷河には入らず、その支流にある無名氷河を二つ渡って行きます。緩やかな山肌のアッパダウンを進みながら、ひとつ目の無名氷河に入ったあたりでブロードピーク、ガッシャーブルムII,III,IVなどが見えるポイントがありますが、今回は雲で見えずでした。

 

コボルツェからの朝焼けを展望。正面の岩峰はトランゴキャッスル(5753m)
バルトロ氷河には入らず、側面斜面のトラバース。アップダウンが続いていきます

ウルドゥカスは『割れた大岩』という意味で実際に巨岩が散見される、山肌のキャンプになります。真正面はバルトロ氷河、そしてその奥にはトランゴ山群、カテドラル、またビアレから流れ落ちる ビアレ氷河など、名だたる名峰&氷河のパノラマが広がっていました。

 

2連泊するウルドゥカスはバルトロ氷河を見下ろす高展望地です
ウルドゥカスの大岩から望むバルトロ氷河と岩峰群
これから進む方面のバルトロ氷河と名峰群

水道もあるこのキャンプでは休養日含め2泊します。気持ち的にもだいぶ楽だったのではないでしょうか。旅を支えてくれている現地のスタッフさんたちも一息ついて、アリさんの音頭でポーターさん達が歌っていました。

 

アリさんの音頭でポーターさん達が歌っていました。彼らの支えなくしてこの旅は実現できません。

 

後編に続く…

Photo & text : Teppei Kamitani

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K2・バルトロ氷河トレッキング vol.04 ウルドゥカスからゴレⅡへ

K2・バルトロ氷河トレッキング vol.05  ゴレⅡからコンコルディアへ

コンコルディア滞在、K2、ブロードピーク、ガッシャーブルム山群、カラコルムの高峰群に囲まれて

 

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カイバル峠を越えて Over the Khyber Pass

ペシャワールからアフガニスタンとの国境の間にある「カイバル峠」。古くから中央アジア文化圏とインド文化圏を結ぶ交易路にある重要な峠でした。峠がある山はパシュトゥー語でスピンガーと呼ばれ、紀元前4世紀にアレキサンダー大王の軍隊が、7世紀に玄奘三蔵が越えた場所でもあります。ムガール朝時代にはインドのアグラからアフガニスタンのカブールへの幹線道路=グランド・トランク・ロードの一部として発達し、近代ではイギリス植民地時代のアフガン戦争において戦場となった場所でもあります。 独立後はトライバル・エリア=連邦直轄部族地域(FATA)呼ばれるパシュトゥーン族の自治区となりましたが、2018年にその制度は廃止されました。外国人の訪問には事前許可と警備の同行が必要となっています。観光客が「カイバル峠」へ行く、という場合、一般的にはカイバル・ゲートからミチニ・チェックポストまでの区間の訪問を指します。

 

カイバル・ゲートとジャムルード砦  Bab-e-Khyber and Jamrud Fort

ペシャワール中心部から18Km。カイバル・ゲートと呼ばれる記念碑の門で1963年に建てられました。記念門の横には小さな公園がありカイバル石板にカイバル峠の歴史が刻まれています。カイバル・ゲートはパキスタンのお札、10ルピー札にも登場します。

カイバル・ゲートを越えてすぐ右手にはジャムルード・フォートがあります。もともとあった古い要塞の上に1823年、シク教徒によって建てられた砦です。シク教徒の英雄だった将軍ハリ・シン・ナルワ Hari Singh Nalwaはアフガン勢力と戦いジャムルード・フォートで殺され埋葬されています。現在はパキスタン軍が駐屯し、内部に入ることはできません。

 

カイバル・ゲートを歩いて越える、パンジャブ地方から来たラクダのミルク売り
2007年までカイバル・ゲートの近くに大きなアフガン難民キャンプ(カチャガリKacha Garhi refugee camp)がありました。1979年のソ連侵攻後からアフガニスタン戦争の終結までの間、この門を通じ多くの難民が行き来しました。
パキスタンの10ルピー札に描かれているカイバルゲート

 

カイバル峠ビューポイント Khyber Pass Viewpoint

ガイドブックに紹介されている「カイバル峠の写真」は、国境へ向かう途中の道から振り返ってペシャワール方面を見た景色です。今は新しく拡張された道路になり、国境を行き来する輸送トラックが列をなして走る道ですが、かつてはアフガニスタンから来たキャラバンの目の前に「ガンダーラ平野」が広がる、ドラマチックな光景だったことでしょう。

 

カイバル峠ビューポイントより、ペシャワール方面を望む

 

シャーガイ・フォート Shagai Fort

1920年代にイギリスがカイバル峠ルートを監視するために作った要塞。現在はパキスタン軍が駐屯し監視しています。砦の反対側にはモニュメントと展望台があります。

 

シャーガイ・フォート遠景
シャーガイ・フォートの入り口

 

アリー・マスジッド Ali Masjid

カイバル峠の道で両サイドを山に挟まれた一番狭い場所。もともと荷物を積んだラクダ2頭がギリギリすれ違えるくらい細かった場所でしただったそうです。戦略上重要な位置だったため、過去の戦争の際には激戦地となりました。道は徐々に拡張されていますが、現在もこの場所は車線が別れ、ペシャワール方面へ向かう車線は崖の上に作られています。

道路沿いに小さなアリー・マスジッド(モスク)、マドラサがあり、丘の上にはパキスタン軍が駐屯するアリー・マスジッド・フォートがあります。

 

道路沿いのアリー・マスジッドモスク。より大きなモスクを建設中です
狭い道を監視するアリー・マスジッド・フォート

 

アユーブ・アフリディの豪邸  Palatial Residence (Fort) of Ayub Afridi

麻薬王であり部族政治家としても有名な人物で、アメリカとの接触についてのエピソードなどの話題で知られる人物です。道路沿いには100部屋以上あるという豪邸の壁が続きます。

 

スフォラ・ストゥーパ Sphola Stupa

2~3世紀頃のシャン朝時代のストゥーパ。3層の基壇の上にストゥーパが乗っており、20世紀初めの発掘では仏像も出土しています。2024年現在、基壇部の修復がされています。カイバル峠エリアにある唯一のガンダーラ仏教遺跡です。

 

スフォラ・ストゥーパとカイバル鉄道の線路

 

軍隊のエンブレム Emblem of the Military Corps

この地を通過した様々な時代の軍隊が、その記念として自分たちの軍隊の紋章を岩肌に刻んでいきました。

 

軍隊のエンブレム

 

カイバル鉄道 Khyber Railway

ペシャワールとランディ・コタールを往復する観光客向けの蒸気機関車が月に1回程度運行していた時代がありました。この鉄道の歴史は古く、イギリス統治下の1926年に軍事物資運搬の目的で開通しました。ペシャワールからランディ・コタールまで約40キロ・高低差600メートルの道のりを34のトンネルと92の鉄橋を渡っていきます。

2006年の大雨と洪水により壊滅的な被害を受け、復旧のめどは全く立たない状態です。現在は傷んだ線路、トンネル、鉄橋、駅の跡が見られるだけです。

 

洪水で破壊された線路
トンネル
鉄橋
保存されている蒸気機関車(ペシャワール)

 

ランディ・コタル Landi Kotal

パキスタン側の最後の町がランディ・コタル。町の表通りのさらに一段低い場所にも商店が広がっています。かつては武器や麻薬を扱う「密輸品バザール」で知られていました。現在も活気のある市場があります。

 

ランディ・コタルのカバブ店
町で人気のチャッパル・カバブの店
明るくツーリストに話しかけてくるランディ・コタルの人々
学校から帰宅途中の子供たち

 

ミチニ・チェックポスト Michini Check Post

アフガニスタンの査証なしに訪問できるパキスタン側の最後の地点が国境トルハムを展望するミチニ・チェックポストです。ここから5Km下ると国境の町・トルハムです。 また、国境をはさむ岩山には1,2,3の番号が刻まれ、その線をつないだところが両国の国境線となります。

 

ミチニ・チェックポストから国境トルハムを望む

ミチニ・チェックポストには観光客が入れるビューポイントがあります。そのビューポイントからタイモール・フォート Taimoor Fortまたはタメルラン・フォートTamerlane Fortと呼ばれる古い建物があり、ティムールのインド攻略の際に牢獄として使ったものだという伝承があります。

 

タイモール・フォート Taimoor Fort
国境のトルハムを望む展望台

 

トルハム国境  Torkham Border

国境に近づくとドライポート、そして出入国管理の建物があります。建物の前にはアフガニスタンへ向かう人々、荷物を運ぶポーターや両替商がおり国境情緒に溢れます。2024年現在、トルハムの国境はパキスタンとアフガニスタンの間で唯一開いている国境です。

 

荷物を運ぶポーター、両替商が待機する国境
パキスタンとアフガニスタンの間をつなぐ通路

アフガニスタンとの国境の間は長い通路でつながれており、国境を越えるとそこからカブールまで230Km、車で6時間ほどで到着です。

 

Photo & Text : Mariko SAWADA

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カラーシャの春祭り・ジョシ祭の儀式

長い冬が終わり、その間にあつらえた新しい衣装を身に着け春の到来を祝う祭り、ジョシ。祭りの後に夏の放牧に行く家畜たちの安全を祈願し、祭りでは若い男女が出会う場所でもあります。

 

久しぶりにカラーシャの春祭りジョシへ行ってきました。この数年、パキスタンの辺境も「オーバーツーリズム」の様相で、いまや欧米だけでなくタイ、マレーシアなど東南アジアの観光客が押し寄せています。それに対してカラーシャの谷は圧倒的に欧米の観光客が多い場所。カラーシャの人々の外見と「アレキサンダー大王の軍隊の末裔説(DNA調査により関係ないと結論が出ているようですが)」で人気があるのかもしれません。

 

最近のパキスタン人観光客のSNSに上がる“Chilam Joshi Festival”の写真を見てその変化に驚いていました。昔のカラーシャを知っている方々にとっては「残念過ぎる状態」かもしれません。2024年の春に経験したカラーシャのジョシ祭の儀式の一部をご紹介したいと思います。なお、名前・スペルなど案内してくれた地元の方々の協力によるもので、文献などと異なる場合もありますが、現地で見聞きした通りで表現しています。ご容赦ください。

 

カラーシャの谷へ
クナール川を渡るつり橋がコンクリート橋に変わったものの、昔ながらのアユンの街並みが残っています。道を進めていくとヒンドゥークシュ最高峰ティリチミール(7,708m)を望む場所があり、さらに進めるとオーバーハングの崖もあるオフロードを川沿いに走ります。そしてつり橋を起点に左がボンボレット谷、右がランブール谷へと続きます。

 

カラーシャの谷へ

カラーシャのジョシ祭にはいくつかの儀式があります。

 

「ビシャの花摘み」プーシェンパリック Pushen Parik

子供たちが山に入り、神殿の飾り付けとチリクピピの儀式のために(ボンボレット谷の場合)ビシャの花を摘みます。ビシャは豆科の Piptantus Nepalensisで、カラーシャの人々にとってほかの花よりも早く咲き、「春の訪れを告げる花」です。

 

ビシャの花を摘んできた少女

 

神殿の飾り付け(プシ・ベヘック Pushi Behak)

家や神殿をビシャの花で飾り付けることを プシ・ベヘックPushi Behakと言います。ランブール谷では、夕方までにたくさんの花が集められ、8時ごろには飾り付けの時間まで一緒に過ごす子供たちが集まってきました。中にはブランケットを持ってきている子供も。9時ごろに太鼓をたたき、子供たちが踊り始めました。その様子はさながら“子供たちのジョシ”。30分ほど踊ると、子供たちはみんなで寝る場所へ移動していきました。早朝3時ごろ、ビシャの花とクルミの枝を持った子供たちがジャスタック・ハン神殿へ歩き始めました。神殿の入り口で昨年の花を落とし、みんなで新しい花を飾ります。外部が終わると中に入り、神殿の隅にある村の4つの氏族の祭壇へ。子供が一人代表で上がり、古い花を落とし新しい花を飾りました。そして広場に出て再び30分ほど踊りに興じました。

 

ビシャの花を持って神殿へ向かう子供たち
ジェスタク・ハン神殿の外壁を飾る女性たち。Jestakは家庭生活、家族・結婚の女神でこの女神の住まいがジェスタク・ハンです
ジェスタク・ハン神殿の内部。昨年のビシャの花を落とすと、バラングル村の4つの氏族の祭壇が現れました
祭壇は新しいビシャの花とクルミの枝で飾られます

 

ランブール谷の赤ちゃんの浄めの儀式(グルパリック Gul Parik)

ランブール谷のグルパリックは祭りと祭りの間の期間に生まれた赤ちゃんに対して行われます。ジョシ祭では、12月のチョウモス祭から5月のジョシ祭の間に生まれた赤ちゃんが対象です。この儀式をするまでのお母さんと子供は「不浄」と考えられ、お母さんと子供を浄めるのがグルパリックで、子供の健康を祈ります。儀式を行う男性は、自分自身も儀式のパンを焼く場所も浄め、この儀式のために浄められて用意された特別な小麦粉を、浄められた道具を使って神聖なクルミのパンを作ります。パンは最低でも男性用に5つ、女性用に5つ(それぞれ異なる粉です)、ふるまい用含めて20枚ほど焼かれます。

 

女性用、男性用の神聖なパンを焼くために用意された、浄められた小麦粉、クルミ、岩塩
クルミと岩塩を潰す男性
神聖なくるみのパン

くるみのパンが焼き終わると、お母さんと赤ちゃんが神殿へ現れ儀式が始まります。

 

グルパリック、赤ちゃんの浄めの儀式

神々しい空間、カラーシャの祈りの世界に圧倒されました。

 

ミルクの儀式(チリクピピ Chirik Pipi)

ボンボレット谷のチリクピピです。朝、女子たちがミルク容器と前日に集めたビシャの花とを持って集まります。儀式が始まると一斉に子供・女性たちが神聖な家畜小屋へ。村の人によると、5月1日から貯めた神聖なヤギの乳で、女性たちに配ります。本来なら、ここでチリクピピの歌(花の歌)が歌われるそうですがそれは聞きませんでした。家畜小屋は1か所ではなく何か所もあり、私たちは2か所回りました。そしてその後、村人が山を背景に踊っている美しい光景を見ることができました。

 

儀式の前に、集まり歌い、踊るカラーシャの人々
ミルクを入れる容器を手に集まった子供たち
清められた家畜の乳を配る。チリクピピの儀式
ミルクをもらい、ビシャの花で飾られた家畜小屋から出てくる女性たち
儀式の後、踊る女性たち

 

ボンボレット谷の赤ちゃんの浄めの儀式(グルパリック Gul Parik)

ボンボレット谷のグルパリックはランブール谷とは異なるスタイルの儀式です。昨年のジョシ祭以降、1年の間に生まれたすべての赤ちゃんとお母さんを浄め、赤ちゃんの健康を祈ります(実際には何回か清めの儀式があり、これが最終段階の浄めの儀式だそうです)。

赤ちゃんのいる家からクルミと乾燥した桑の実が入ったバスケットが村の広場へ届けられます。そして合図があると集まった村の女性たちと儀式を受けるお母さん・赤ちゃんが家畜小屋付近へ移動。そして、儀式をまかされた村の男性が集まった女性たちにミルクを投げて浄めます。

儀式が終わると再び広間に集まり、バスケットに入っているクルミと桑の実が分配されます(私たち、観光客にも!)。この日はボンボレットの小ジョシが行われるため、みんな準備のため家へ戻っていきました。

 

クルミと乾燥桑の実の入ったバスケットを運ぶ。村によってはチーズの場合もあります
浄めの儀式へ向かうお母さんと赤ちゃん
屋根の上にいるのがミルクで浄める男性(Chir histauチールヒスタウ)。この儀式をChirhistic チールヒィスティック(チリスティック)といいます。
クルミと桑の実を分配。写真に写っている犬は儀式の間もずっと一緒に行動していました。カラーシャの人々と犬はとても近い距離にあるようです。

 

ランブール谷のジョシ祭

一連の儀式が終わると、小ジョシ祭(サタック・ジョシ Satak Joshi)、 大ジョシ祭(ゴンナ・ジョシ Gonna Joshi)が持たれます。今は屋根のある会場で行われ、かなりの観光客でにぎわいます。

小ジョシはチャー(速いテンポの曲)やドゥーシャク(遅いテンポの曲)、より複雑なダライジャーラックといった太鼓と歌と踊りが繰り返されますが、大ジョシは最後に儀式的な踊りが組み込まれます。
カラーシャの曲は太鼓と歌からなる楽曲で、さらに限定された旋律の繰り返しです。歌詞は儀式にちなんだもの、カラーシャの神話や歴史にふれているもの、恋愛に関するものなど多様だそうです。基本は、「乳の豊穣を祈り、民族としてのアイデンティティを全員で確認」するための音楽です。

そしてジョシ祭の最後にはこの祭りの特別な曲「ガンドーリ」、「ダギナイ」が演じられます。

 

「ガンドーリ」枝を手にして投げる瞬間を待つ

ダギナイはジョシの最後を締めくくる歌で、チャーの旋律で歌われる「悲恋の歌」です。歌の間、紐や布でつながって鎖のようになって踊り(本来は柳の枝で編んだものだったそうです)、この鎖が切れると災いがあるとされ、みんな必死に紐を握っていました。最後は突然太鼓の音が止まり、一斉にこの布を投げて、ジョシが終了します。

 

紐でつながって踊る「ダギナイ」

「ダギナイ」の歌詞です。(季刊民族学 1991年”カフィリスタン・ムンムレット谷 カラーシャ交響曲 「ジョシ」 ”より)

 

ダギナイ かの偉大なる谷間の上に 
ウチャオ月に先し月のころわれ、山の牧にあり
おお、ダギナイ ダギナイ
白き柄の小剣 みぞおち深くささり
おお、ダギナイ

 

この歌の背景はカラーシャの誰もがしっている悲恋の物語です。

 

むかし、ある男その妻の妹と恋仲になりし
嫉妬した妻、放牧地に夫行きし間にヘビの毒もちいて妹を殺(あや)めし
男、戻りてみると、その恋びと、毒によりビーシャの花のごとく黄色くなりすでに息絶えて眠りし
男、悲しみ、「ダギナイ」を歌いしのち遺体に突き立てし刃の上に身を投げ、自害せり
男と恋びと、べつべつの柩に入れられしも翌朝にはひとつの柩のなかに眠りし驚きし人びと、ふたたびふたり引き離し
べつべつの柩に戻ししも、翌日またふたりひとつの柩のなかに収まりし
ふたりの愛、かくのごとく強し

 

この物語の歌を歌い、踊り、カップルが誕生していくんですね!

 

今どきのカラーシャの若者たち

ジョシ祭のもうひとつの意味は、男女の出会いの場所であることです。伝統的にはジョシ祭のあとに夏の放牧地に行くので、戻ってきた後に行われる8月下旬のウチャオ祭が恋愛の本番になります。ジョシと同じ舞台で、夜に若い男女だけが踊り、相手を探します。

 

「ガンドーリ」

25年以上カラーシャの春祭りに通っている男性に聞いたところ、カラーシャの衣装や若者の様子はかわってしまったけど、儀式は25年前と変わらないよ、と。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

参考文献・出展:季刊民族学1991年 小島令子著「カラーシャ交響曲「ジョシ」

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ブトカラⅠ – スワート渓谷のガンダーラ遺跡

ブトカラⅠはガンダーラの中心地のひとつであったスワート渓谷にある遺跡。紀元前3世紀に遡るマウリヤ朝時代アショーカ王の時代に遡る仏塔があること、その周りに272もの奉献塔があることで知られています。ブトカラⅠは仏塔群だけでなく僧院などの建築物もあるのですが、その部分は発掘されておらず、すでにその上に住宅が建てられています。

 

遺跡は1956年から1962年にかけて、イタリア考古学調査団とパキスタン政府考古学局によって発掘されました。この遺跡の歴史はマウリヤ朝時代紀元前3世紀にまでさかのぼり、紀元後11世紀ごろまで使用されていたと考えられています。

 

サンチ―型の円形基壇のメインストゥーパは、内部に一番古い部分にあたる紀元前3世紀のマウリヤ朝時代の仏塔があり、その上に覆いかぶせる形で何世紀にもわたり5回拡大されました。発掘現場の一部からその増築の過程が見えるようになっています。

 

メインストゥーパの周りは参拝者が右繞(うにょう)した繞道があります。参拝者は仏塔だけでなく胴部のレリーフも拝んだことでしょう。

 

ストゥーパの周囲の繞道には敷石が置かれ、一部にはガラスの装飾が残っています。

 

この座仏のレリーフは紀元前35~12年のインド・スキタイ王朝のアゼス2世のコインを含む層から出土したため、紀元前1世紀後期から紀元後初期のものとされているレリーフです。仏像の出現は紀元後とされているため、保守的な考古学者は紀元後1~2世紀ものと考えています。「仏像のはじまり」は常にガンダーラ美術の大きなテーマのひとつ。仏像の出現時期については議論が続いています。

 

メインストゥーパを取り囲む奉献塔(奉献ストゥーパ)を見て見ましょう。奉献塔は大きなストゥーパの周りに作られ小さなストゥーパ型のものです。当時の王侯貴族が寄進したものと考えられ、この奉献塔も崇拝の対象になりました。

 

奉献塔の方形基壇のレリーフの一部です。この図は「ブッダの一生」の出家のシーンのひとつで、愛馬カンタカがシッダールタの足をなめて別れを惜しんでいる図と思われます。奉献塔には寄進者の好むモチーフが描かれたのかもしれません。

 

奉献塔の葡萄のレリーフ

 

レリーフに表現された虎の頭です。右下には繊細に彫刻されたコリント式の柱頭。

 

パキスタンではトラは1900年ごろに絶滅したとされています。当時は豊かなスワートの森にベンガルタイガーが闊歩していたことでしょう。

 

仏鉢を持つ供養者のレリーフ

 

奉献塔のレリーフ、トリラトナ(三宝標)。法・仏・僧を現す3つのチャクラ(法輪)を崇拝の対象として描きました。

 

欠けた部分が多く、モチーフはわかりません。彫刻の素材には一般的に緑色千枚岩が使われています。

 

スワート博物館に展示されているブトカラⅠ出土品の一部を紹介します。スワートらしいものをピックアップしてみました。

 

ブトカラⅠ出土品:ブッダの一生のパネルのひとつ、「学校に通う太子」。ガンダーラではこの場面はなぜか「羊」に乗って通学する様子が描かれます。羊に直接乗っている場合もあれば、羊のカートに乗っている場合もあります。今のところこの理由について説明している学説はないようです。

 

ブトカラⅠ出土品:当時の貴族の女性像。大変豪華な髪飾りをしており、当時のスワートの風習を見ることができます。

 

ブトカラⅠ出土品:同じく、当時の貴族の女性を表現したと思われる彫像。蓮の花を片手に持つ女性の衣装・装飾が見事に描かれています。

 

ブトカラⅠ出土品:このレリーフは以前は遺跡にあったのですがスワート博物館に移設されました。シッダールタの「婚約」とされるシーンで、真ん中に立つのがシッダールタ太子、一番右端が恥ずかしそうにするヤショーダラーで、その横がヤショーダラーを紹介する祭祀。シッダールタの左側はひざまずくマーラとその周りはマーラの娘3人が描かれています。マーラは世俗の象徴でシッダールタの成道を阻止するものとして描かれています。

 

コリント式の柱頭。アカンサスの葉とともに寄進者と思われる女性が描かれています。

 

スワート博物館はバリコット、サイドゥシャリフストゥーパ、ブトカラⅠからの出土品展示室が設けられています。ぜひ、ゆっくり時間をとって見学してみてください。

 

↓↓ Butkara – Gandhara site of Pakistan

 

ブトカラⅠ – 今では周囲を住宅街に囲まれてしまいましたが、520年に中国の僧・宋雲が訪問した記録には大変豪華な寺院の姿が記されています。

 

Image & text: Mariko SAWADA

参考文献:栗田功著「仏陀の生涯」他

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杏の花咲く、春の桃源郷フンザ

3月下旬、フンザの谷が淡いピンク色の杏の花に包まれました。畑には小麦の新芽の緑が。フンザは1947年の印パ分離独立後も1974年まで藩王が支配していました。ブルシャスキー語を話す、ブルショーの人々が暮らす谷です。

 

フンザは「桃源郷」と謳われ、「長寿の里」として知られています。この美しさ、果樹に支えられた村の暮らしが「長寿の秘訣」なのかもしれません。

ブルショー Brushoの人々が話す言葉、ブルシャスキー語 Burushaski は「孤立した言語」で他のいかなる言語とも関連性が見つかっていません。インド・アーリア系民族の到来以前にこの地に存在した言語集団の末裔ではないか、と言われています。フンザ谷、フンザ川をはさんで対岸のナガール谷、ワハーン回廊へ通じるヤスィーン谷、イシュコマン谷にもブルシャスキー語を話す人々が暮らしています。

 

バルティット村の中心地の景色です。昔は大きな建物というと、藩王の居城だったバルティットフォート Baltit FortとダルバールホテルDarbar Hotelくらいでしたが、今は大きな建物(ホテル)が目立つようになってきました。

 

バルティット村から望むラカポシ Rakaposhi (7,788m)。フンザ川対岸のナガール谷の山で、フンザのいたるところから展望できる名峰です。

 

同じくバルティット村から望むディラン峰 Diran  (7,266m)。

 

杏の花咲くアルティット村 Altit Village とドゥイカル Duikal の間を歩いてみました。

 

満開に咲き誇る杏。杏の実、その種、種から取る油がどんなに暮らしの中で大切かがわかります。

 

アルティット村はたくさんの杏の果樹に覆われていました。村歩きでは美しい村人との出会いが。フンザの人々、ブルショー人は見た目も色が白く、髪の毛の色が薄い人が多くいます。

 

可愛らしい子供たちとの出会いが。

 

この日のランチは、バルティット村のアミンさんの家でフンザの郷土料理を用意してもらいました。

 

ちょうど写真家・中西俊貴さんの撮影ツアーがフンザに来ており、郷土料理を作る様子を撮影。

 

フンザを代表するメニュー ドウドスープ Dowdo Soup を準備しています。

 

大変美味なチーズチャパティ(ブルシャスキー語でブルスシャピック Burus Sapik)を作っています。フンザのチーズ、ミント、トマト、ネギ、玉ねぎ、果実オイルが小麦のチャパティで巻かれています。とてもヘルシーで、パキスタンに来て食事に困っているベジタリアンの方にもおすすめです。

 

本日のランチ。果実油をたっぷり使った郷土料理、フンザの郷土ワインとの相性も抜群です。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

Visit : March 2023, Hunza, Gilgit-Baltistan

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デオサイ高原の5,000m峰、シャトゥン・ピーク登頂

2020年の夏に出発予定だった「デオサイ高原、シャトゥン・ピーク登頂」企画、コロナ禍でキャンセルとなって以来、念願のツアーを2023年夏に実現することができました。ガレ場続きのルートは大変でしたが、無事5名のメンバーと登頂を果たすことが出来ました。手厚いサポートをしてくれた登山ガイドやサトパラ村からのポーター達に感謝です。

 

山頂からの360度のパノラマビュー。気分は高所クライマー!

 

チラスからアストール渓谷を走りデオサイ高原へと上がります。途中、ナンガパルバットの圧巻の景色。デオサイ高原に上がると美しいショーサル湖畔でキャンプ。大変美しい場所ですが、標高4,200m近いキャンプ地で深夜まで騒々しい音楽で騒いでいるパキスタン国内観光客に驚きました。が、メイン道を外れると他に誰もいない秘境エリアに入り本来のデオサイ高原のが広がります。ベースキャンプからも世界第9位の高峰ナンガパルバット(8,126m)が見えます。

 

登山の序盤はのんびりしたルート、キンポウゲやサクラソウの群生に目を癒されながら歩いて行きます。後に困難なガレ場続きのルートが待っているとはつゆ知らず。

 

ルート上は山上湖が点在しています。とても美しい谷です。前方の雪山が今回目指すシャトゥン・ピーク!

 

サクラソウの群生地を歩きキャンプ1を目指します。楽なのはこの辺りまで。

 

ガレ場のキャンプ1に到着。さてどこにテントを張ろうか。

 

ガレ場の上で寝るよりは、雪の上がずっと快適です。雪渓が残っていてよかった、いよいよ明日早朝山頂アタックです!

 

キャンプ1から山頂までは95%がガレ場のルート。永遠に続くように思える急登をただひたすらに登ります。

 

立ち止まって振り替えると素晴らしい展望が広がります。

 

山の向こうはインド側のカシミール地方。シュリーナガルもすぐ近くです。インドヒマラヤの名峰ヌン峰・クン峰も見えました。

 

世界第9位峰ナンガパルバット8,126mも見えます。

 

ガレ場の急登もあと少し。稜線が近づいてきました。

 

稜線に出ると後は雪渓を登るだけです。日も高くなってきました。

 

5名のメンバーとガイド、ポーター達とシャトゥンピーク(5,260m)登頂に成功です!バックはナンガパルバット!

 

山頂からはK2をはじめバルトロ山群も展望する事が出来ました。つまりここからはパキスタンにある8,000峰5座、ナンガパルバット(8,126m)、K2(8,611m)、ブロードピーク(8,051m)、ガッシャーブルムⅠ(8,068m)、ガッシャーブルムⅡ(8,034m)のすべてを展望できるという事になります。天気に恵まれ、風もなく好天。この後、急なガレ場の下りが待っていることはとりあえず忘れて、約1時間近く山頂に滞在して至福の時を味わいました。

 

Image & text : Tomoaki TSUTSUMI

Tour conducted in July 2023, Deosai National Park, Gilgit-Baltistan

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桃源郷フンザのおみやげ

7,000m級のカラコルムの高峰群に抱かれ、「桃源郷」とも呼ばれるフンザの里。
フンザで人気のお土産をいくつかご紹介します。

フンザの中心地、カリマバードのメインストリートには特産品を売るバザールが並びます。規模は大きくありませんが、観光の合間に気軽に散策を楽しめる場所です。

 

カリマバードのバザール

最初にご紹介するのは、フンザの特産品ともいえるドライフルーツとナッツ。

杏などの果物の栽培が盛んなフンザでは、果実の収穫後すぐに種を取り出し天日干しをし、保存食としてドライフルーツにします。ドライアプリコットは一般的なものと比べると色は茶色く、食感も硬めですが、これは添加物が一切使われていない証。噛むほどに杏の華やかな香りが広がり、つい癖になる味わいです。

ナッツは新鮮なクルミやアーモンド、アプリコットシード(杏仁)が有名。アプリコットシードは一見アーモンドに似ていますが、その名の通り、杏仁豆腐でおなじみの独特な香りが楽しめます。少し苦味はありますが、免疫を高める効果があるといわれています。

その他にもさくらんぼや桑の実、梨のドライフルーツもなかなかこの地でしか手に入らないのでおすすめです。

 

お土産屋さんで売られるドライフルーツ

バザールでは木工製品のお土産も目立ちます。杏の木やくるみの木は木工細工にも適しているため、それらの木材を使った置物や小物入れ、食器などが並びます。

 

杏の木やくるみの木でできたスプーン。アーティストが毎日一つ一つ手作りしています。

 

精巧な彫刻が施されたティッシュボックス

フンザの伝統的な刺繍をあしらった手工芸品も人気のお土産の一つ。ウール製のバッグやスリッパ、帽子に鮮やかな刺繍が施されています。

 

ポーチバッグ
スリッパ

また、フンザ周辺の北部パキスタンは数多くの天然石の原産地。専門店では水晶、アクアマリン、トパーズ、ガーネット、ブラックトルマリンなど色とりどりの天然石を扱っており、小さい原石などは比較的安価で手に入れることができます。
お気に入りの石や誕生石などを探してみるのも特別なお土産になりそうです。

 

アクアマリンの原石

バザール散策で一息つきたくなったら、Cafe De Hunza(カフェ・ド・フンザ)に立ち寄るのもおすすめ。

ここではフンザのくるみをたっぷりと使った名物のくるみケーキがいただけます。
コーヒーとの相性は抜群。ケーキはお持ち帰りもできます。

 

キャラメルでからめたくるみがぎっしり入った名物ケーキ

Cafe De Hunzaではお土産用にアプリコットオイルも販売していました。
喉の痛みや滋養効果があり、サラサラしているのでスキンケアとしても使える万能オイルです。

 

アプリコットシードオイル

ドライフルーツに木工品、ナッツ、オイル…と杏を良いところを余す事なく使用していて、フンザの人々にとって杏は生活に欠かせない、とても大切な存在なのだなと感じます。

まだまだご紹介しきれていないものもたくさんありますが、フンザを訪れた際にはぜひ、バザール散策でフンザならではの「桃源郷土産」を探してみてはいかがでしょうか。

 

Photo &Text : Madoka Nishioka

Visit : March 2023, Karimabad, Hunza, Gilgit-Baltistan

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