Shimshal Pamir シムシャール・パミール 52頭のヤクと61人のショポディン峠(5,346m)越え

2011年6月のシムシャール・パミールの旅の様子です。この旅では徹底的に「ヤクの道」にこだわりました。1993年にできたヤクの通れない“タング・ルート“は歩かず、伝統的にシムシャールの人々がヤクを連れて歩いてきた牧草地と峠と村をつなぐ”ヤクの道“を歩く旅。そのルートのひとつ、難関でありハイライトでもあるのがショポディン峠(5,346 m)越えです。

今回はシムシャールの歴史にも残る、52匹のヤクと61人(11人の日本人、3人の西遊パキスタン現地スタッフ(パキスタン人)、47人のシムシャールの村人)による峠越えとなりました。

 

ショポディン峠の登り。6月末、5,000m過ぎから雪が残りそこから雪解け水が流れ出してぬかるみや滝を作っていました。150mほどの岩場を登り、そこから峠の頂上まで一気にヤクに乗って進みました。

 

もうすぐ峠の頂上へ。シムシャール村のヤク・マスターともいえるカズィさん。若い頃は登頂ポーターとして8,000m峰を登った彼も、今日は自分のヤクに乗って峠へ。

 

峠への到着直前、感謝の祈りを捧げていました。

 

ショポディン峠の頂上で。天候にも恵まれ、ヤクと村人と供にたどり着いた峠の景色は格別です。ショポディン峠5,346mの絶壁からは、はるか上部フンザ・パスーのシスパーレからヒスパー・ムスターグ山群のディスタギルサール、アドベルサールなどの7,000m峰を望むパノラマが広がりました。

そしてショポディン峠の頂上でお祝いの踊り。うれしいと踊る・・・これは町のパキスタン人も山のパキスタン人も同じこと。シムシャールの山旅の要所で長老による歌、「パミール」=「人と家畜が一緒に暮らせる豊かな牧草地」を愛でる歌を何度も聞きました。自然の中での暮らしに感謝する歌、その美しさに感動したものです。

 

ショポディン峠の難しさは登りではなく下りです。雪の斜面と相対する乾燥した35度角の下り斜面がこの峠の厳しさ。一部は雪解け水でぬかるみ、一部は岩盤むき出しで滑りやすい。

 

そんな下りを約2時間、麓のザルガルベン渓谷ショポディンのキャンプ地を目指しました。もちろん、ヤクたちはあっと言う間に斜面を駆け下り、草を食んでいます。

 

翌日にはシムシャール村に到着です。ヤクと村人と歩く最後の日。12日間をともにしたチームと一緒に過ごすのは残り数時間になっていました。

シムシャールの村人、ヤク使い、山ガイド、ポーター・・・ご参加の皆様とツアーを支えてくださったすべての人に感謝申し上げます。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

Visit : Jun 2011, Shopodin Pass, Shimshal, Gilgit-Baltistan

※この記事は2011年7月にアップしたブログ「サラームパキスタン」の記事を加筆・訂正したものです。

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バロチスタン Adventure exploring the impressive mud volcanoes in Balochistan (お客様から届いたvlog)

今年の2月、スイス人とメキシコ人のカップル、ルーカス&パトリシア、そして写真家・中西敏貴氏と訪れたバロチスタン。パトリシアから旅のレポートビデオが届きました。スペイン語ナレーションに、英語字幕ですが、ツーリストから見たバロチスタン、ご覧ください。

 

 

パトリシアは本来、野生動物フォトグラファー。パキスタンに来る前はスイスの友人達に「パキスタン?何の動物を撮りに行くの?その前に危ないんじゃないの?」と言われ続けたたそうです。そして旅が終わった今、「みんなにパキスタンの旅の素晴らしさを知ってほしい」と、ビデオを作ってくれました。

 

そしてコロナで#STAY HOME … 「今は時間もある!」とパトリシア。ありがとうございます!

 

Text : Mariko SAWADA

Special Thanks to  SUMMERMATTER DIAZ ENRIQUETA PATRICIA. Please visit her web site :  https://elpadiro.ch/

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”王の道” グランド・トランク・ロードの果て

首都イスラマバードからペシャワールへ向かうとき、「モーターウェイにする?GTロードにする?」と聞かれます。この“GTロード、グランド・トランク・ロード Grand Trunk Road”こそ、古のムガール帝国時代の大幹線、「王の道」。もちろん、いまや近代的な普通のアスファルト道ですが、実に深い歴史を持つ道です。

そもそも「王の道」=グランド・トランク・ロードは16世紀、一時的にムガル帝国に取って代わったアフガン系王朝のシェール・シャーが道を整備して作り始めた壮大な一大ネットワーク。スール朝の短い治世にはアグラから彼の出身地と言われるビハール(インド)までの道をまず完成させ、やがて東は現バングラデッシュに位置するソナルガオン、西はパキスタンのムルタンまで整備されました。その後、再びムガル帝国に引き継がれ、ムガール帝国全土、東は現バングラデッシュのチッタゴンの港から西はカイバル峠を越えてアフガニスタンのカブールまで拡張され広大な帝国を発展させました。
この「王の道」は英領インドの時代に再び整備されます。カルカッタからイギリスが三回の侵略占領で植民地化できなかったアフガニスタンの手前、ペシャワールまでの区間を含む、カルカッタ~ペシャワールの区間です。この時に“Grand Trunk Road グランド・トランク・ロード”と名づけられ、整備されていきました。

現在も“グランド・トランク・ロード”として栄えた時代の名残が各地に残されています。

 

ムガル帝国時代の石畳

イスラマバード郊外に残るムガル帝国時代の“王の道”の石畳。現代のGTロードの脇に保存されています。石畳にはここを行きかった馬車の車輪で磨り減った跡も。

 

ラホール城(世界遺産)

ムガル帝国の古都、ラホール。ムガル帝国時代にもともとあった城の上に多くの建物が建築されました。メインゲートとなるAlamgiri Gateの夜の写真です。シャー・ジャハーンの時代に作られた豪華絢爛なシャーシ・マハル<鏡の間>は当時のムガル帝国の繁栄が偲ばれます。

 

ロータス・フォート(世界遺産)

シェール・シャーが“王の道”上に作った砦。シェール・シャーにとってはペシャワール~ラホールへ至る道を守る重要な要塞でした。

 

キャラバンサライ

ペシャワールのオールド・バザールの中には隊商が行きかった時代のキャラバンサライが残されています。かつてこの道を多くの商人が行き来し、広大なムガル帝国、その後の植民地時代を支えました。ペシャワールは中央アジア・インドからの商品にあふれ栄えていたことでしょう。

 

カイバルゲート

ペシャワールからカイバル峠に向かう途中にあるゲートであり記念碑です。道路脇にはジャムルードフォートという砦があり、もともとあった古い要塞の上に1823年に侵攻してきたシク教徒によって建てられた城です。中央アジアと南アジアを分けるカイバル峠の手前で、さまざまの民族の攻防の歴史を見てきた場所です。そしてカイバル峠を越えると、トルハムの国境がありアフガニスタンへと「グランド・トランク・ロード」は続きます。

 

バーブルの墓

ムガル帝国の第一皇帝はバーブル。中央アジア出身で、カブールに最初の拠点を置き、ここからパンジャーブ平野へ、そしてインドを征服し1526年、アグラでムガル帝国初代皇帝に即位しました。そのわずか4年後、バーブルはアグラで亡くなっています。彼は愛したカブールの地に墓標を持つことを願い、その後の戦乱で遅れたものの、家族によってカブールに墓が作られました。(写真はバーブル庭園修復中の時のもので、今はムガル帝国当時の墓を再現した美しいものになっています)

 

アフガンの戦後、訪れたバーブルの墓は荒れ果ててまさにムガル帝国の戦乱の歴史を思い起こさせる状態でした。アガハーン財団のプロジェクトにより“バーブル庭園”の中に美しく再建され、“王の道”の始まりであり、“グランド・トランク・ロード”の終着の地であった町、カブールを見守っています。

 

冬のカブール、バーブル帝の墓のあるバーブル庭園より

 

Photo & text : Mariko SAWADA

※カブールとカイバルゲートの写真は2006年の撮影であり現状が異なっていることがあります。その他の写真は2018年~2020年のものです。

※この記事は2011年6月にupしたブログ「サラームパキスタン」を加筆・訂正したものです。

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Shimshal Pamir シムシャール・パミール あなたもクッチ?私もクッチ。

 

Shimshal Pamir 夏の”クッチ=移動”に参加
シムシャールの夏と言えば「パミール」の暮らし。そして「パミール」に家畜をつれて大移動をするのことが「クッチ」。5月末、シムシャール村から最初の夏村シュイジェラブへ、そして6月末「パミール」の夏村シュウェルトへと「クッチ」がおこなわれます。

 

あなたもクッチ?私もクッチ。
2009年の6月のある日。シムシャールの「ヤクの道」をシュイジェラブへと歩いていました。足の遅い私をどんどん追い抜くシムシャールの村人。みんな口々に「クッチ」。この大移動を手伝うために町に行った若者や村の男性が手伝いにシュイジェラブを目指していました。シュイジェラブにつくと既に集められた、あふれんばかりのヤギ・羊が。
「クッチ」の日まで待つ間も、朝・夕に私のテントの横を通っていく羊・ヤギたちを眺め、乳絞りに参加し、シムシャールの夏の暮らしを体験。

 

「パミール」を目指す
昨日の晩、「明日はクッチだ」と決定。朝から荷造りがはじまります。

 

オスのヤクに家財をつみ、家をかたづけ、そして9時、最初の荷ヤクの群が出発。続いてヤクの囲いが開けられいっせいにパミールへ歩き出しました。羊・ヤギは足が遅いので遅れてやってきます。高原に出ると6000m峰ミングリクサールの麓をとおり美しい湖ルップゾーイをすぎ、いよいよシムシャール峠へ。

 

シムシャールの6,000m峰ミングリクサールの麓を通過する荷を運ぶヤク。ヤクの背にあるのはブハリ(ストーブ)でその中に歩けないヤギが入って運ばれています。

 

ここから後方を振り返るとたくさんのヤクが押し寄せるパノラマが広がりました。標高4,900mの高所であることも忘れてヤクと一緒にパミールの村「シュウェルト」まで一気に歩く幸せ。

 

シムシャル峠を越えるメスのヤクと子供の群れ

 

クッチの無事終了と夏の暮らしを祈る儀式

 

シュウェルトの夏の始まり
シムシャールの女性たちが放牧と乳製品づくりをして3ヶ月を暮らす村がシュウェルト。クッチが終わるとすぐにこの夏の無事と収穫を祈る儀式が行なわれ、人々は家の準備、家畜の世話をします。そして夕方にはいつも通りの「乳搾り」の光景。


シュウェルトの家畜小屋。朝・夕の乳絞り。

お世話になった人々に別れを告げ、シュウェルトを出発するとき、この景色が惜しく、何度も振り返りました。

 

Photo & Text : Mairko SAWADA

Visit : Jun 2009, Shimshal Pamir, Shimshal, Gilgit-Baltistan

※この記事は2011年3月にアップしたブログ「サラームパキスタン」の記事を加筆・訂正したものです。シムシャールのクッチの伝統は急速になくなりつつあります。2018年、2019年と村の女性の参加する姿はほとんど見られなくなったと聞いています。

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Shimshal Pamir シムシャール・パミールってどこ?

2009年から通うこととなったシムシャール村のその奥、シムシャール・パミール。宿泊高度が4,700mを越える高所で簡単にける場所ではありませんが、山や大自然の景色だけではなく、ワヒ族の暮らしと伝統、人と家畜の大移動「クッチ」を体験することができる特別な場所です。

 

シムシャール村ってどこ?

シムシャール村は2003年に自動車道でつながった上部フンザの村。地図でいうとパキスタンと中国の国境付近、クンジェラブ峠の東側にあたります。カラコルム・ハイウェイを北上し、フンザの中心カリマバードを越え、アッタバード湖のトンネルを通り、パスーの村から未舗装の道を60キロほど走ったところにあります。2003年以前はパスーから歩かなくてはなりませんでしたが、四輪駆動車でアクセスできるようになりました。それでも道はかつての「トレッキングルート」。自動車道といえど、道中の険しい峡谷、村の手前に広がるムルングティ氷河など雄大な景色が続きます。

 

シムシャール村

標高3,000mの渓谷に広がるのがシムシャル村。1973年までフンザのミールの領土として乳製品や家畜を税として収めていました。1973年にフンザとともにパキスタン・イスラム共和国の一部になり、シムシャールの土地の一部は「クンジュラーブ国立公園」になりました。2003年には自動車道でつながるようになり、生活は便利になりましたが若者が都会へとでていくようになりました。村にはゲストハウスも数軒あり、不安定ながらも小さな水力発電の電気も通りました。この数年はトレッキングを含め村を訪問する観光客も増えてきました。

 

シムシャール・パミールへ

雪に閉ざされた長い冬が終わると、人々は5月末から放牧へとでかけます。シムシャールの暮らしで一番大切なのが「家畜」。ヤク、ヤギ・羊をつれて夏の放牧へ。特にシムシャールでは伝統的な「クッチ」と呼ばれる家畜をつれて夏の放牧地「パミール」を目指す「大移動」が行なわれます。

 

夏の家畜の世話と乳製品づくりは女性の仕事(残念ながらこの伝統は急速に失われています)。男性はより厳しい放牧にでかけたり、町に仕事に行ったり、山岳ポーターやガイドとして働いたりしてます。

 

イスラマバードからカラコルム・ハイウェイを旅してくると、カリマバードやパスーでも十分に山奥。そのさらに山奥のシムシャール村へ、そして歩いてシムシャール・パミールへ・・・。二の足を踏むかもしれませんが、本物の山の暮らし、家畜とともに生きるシムシャールの暮らしに触れることができる場所です。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

※Photos were taken between 2009 and 2012 at Shimshal village & Shimshal Pamir

※この記事は2011年3月にアップしたブログ「サラームパキスタン」の記事を加筆・訂正したものです。

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モヘンジョダロの”神官王像”(カラチ・パキスタン国立博物館蔵)

モヘンジョダロの大発掘が進められたのは1922年から1931年のこと。1947年のパキスタン独立前の発掘品の多くは英国やインドの博物館に収蔵されていますが、パキスタン国内にもいくつか貴重な発掘品が保存されています。

そんなパキスタンに残る、“マスターピース”がこのモヘンジョダロの”神官王像 (Priest -King)”です。

 

 

モヘンジョダロはパキスタンの中部にある紀元前2500年から1800年頃に繁栄したインダス文明最大の都市遺跡です。インダス文明は、インダス川流域を中心にインド亜大陸西北部に展開した南アジア最古の文明です。インダス文明については、世界中の考古学者たちの努力により少しづつその実態が明らかになってきていますが、未だに多くの謎が残されています。

 

エジプト文明、メソポタミア文明、中国文明といった、ほかの3つの古代文明の文字が何らかの形で解読されているのにも関わらず、インダス文明の文字は未だに解読されていません。彼らの起源や信仰についても謎が残りますが、その衰退の経緯についても最も大きな謎として残っています。

 

カラチのパキスタン国立博物館に収蔵されているこの神官王像は、その姿形からメソポタミアとの関係を疑われるなど、インダス文明の謎を紐解くピースのひとつになるのではないかと言われています。

 

 

モヘンジョダロの神官王像 ”Priest King” – Mohenjodaro

 

白色の凍石(ソープストーン、Steatite) で作られ、1,000度以上の高熱で焼いて固くされています。大きさは高さ17.5cm、幅11cmと小さなものです。1927年の発掘調査中、DK地区の貴族の家と思われる大きな建物跡(DK-B)から出土しました。

 

 

特徴的なマントには三つ葉模様、一重丸、二重丸の模様が描かれ、赤色の着色があった痕跡があります。ヘッドバンドに三つ葉の模様をあしらったマントとその風格から「神官王」と名付けられました。

 

イギリス植民地(イギリス領インド帝国)時代、発掘品はラホールの博物館に送ら得てましたが、その後インド帝国の新首都になるデリーへ移送されていました。そして1947年の分離独立後に、モヘンジョダロからの収蔵品の多くがインドにある状態となりました。1972年、当時のパキスタン大統領だったズルフィカル・アリー・ブットーとインド首相インディラ・ガンジーを代表として”シムラー協定”が締結され、インドにあった発掘品12,000点の半分がパキスタンへと戻されました。

その際、「最も有名な2つの彫像」をめぐり、パキスタン当局は「神官王像 Priest – king」と「踊る少女 Dancing Girl」の返還を求めましたが、ガンジーはそれを拒み「神官王像」のみが返却され、「踊る少女」は現在もデリーの国立博物館で展示されています。

 

モヘンジョダロ博物館に展示されている「踊る少女 Dancing Girl」のレプリカ。

 

モヘンジョダロ遺跡の入り口にある、大きな神官王像のレプリカ。

 

モヘンジョダロ博物館入り口の売店に並ぶ「神官王像」のレプリカ。人気者です!

 

Photo & text : Mariko SAWADA

※博物館内の撮影は原則禁止されています。大きなかばんの持ち込みが制限されています。

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絶景バロチスタン・マクランコーストと泥火山世界

2020年2月下旬、今シーズンのバロチスタン海岸部の旅の季節も終了です。もうずいぶん日中の気温も高くなってきました。

今シーズンに撮りためた「マクランコーストと泥火山」ドローンクリップです。

 

Video & Text : Maiko SAWADA

Visit : Nov2019 -Feb2020, Makran Coast, Balochistan

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ミアンナシールモハンマドカルホロの墳墓群へ

Necropolis of Mian Nasir Mohammad Kalhoro

インダスハイウェイの旅の最中、村人の紹介で訪問したのが、シンド州で2番目に大きな墳墓群と言われるミアンナシールモハンマドカルホロの墳墓群(Necropolis of Mian Nasir Mohammad Kalhoro)です。

 

17世紀のシンディの氏族カルホロ王朝の墳墓で、王族の墓、聖者の墓、そして周りに村人のお墓がならぶ現在進行形の一大墳墓群でした。世界遺産マックリーヒルMakli Hillsの墳墓群が今も続いていたらこんな感じになるのかな?と思わせる場所です。

 

墳墓遺跡自体はそれなりの雰囲気のものでしたが、みなさまがもっと喜んだのはインダスハイウェイからこの墳墓までの道中の「シンド州内陸部」の景色でした。懐かしく温かいパキスタンの景色です。

 

小麦が入っているのでしょうか。車・トラックの間をロバ車が走り抜けていきます。

 

収穫の季節ならではの景色、わらを乗せたロバ車が続きます。

 

畑でも収穫作業。小麦の収穫に続き米の収穫が始まります。

 

奥の村へ向かう軽トラックは荷物も人も満載。

すれちがう私たちに笑顔で答えてくれる、シンド州の村人たちです。

 

Photo & Text : Mariko SAWADA

Visit :Nov 2019, Necropolis of Mian Nasir Mohammad Kalhoro, Dadu, Sindh

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(動画)世界遺産ロータスフォート – シェール・シャーの遺産

パキスタンにある6つの世界遺産のひとつ、ロータスフォートRohtas Fort。

ムガル帝国時代の初期に短命ながらもその後の帝国の基礎となる税制や交通網を作りあげたスール朝のシェール・シャー Sher Shah Suri が建築した要塞です。スール朝は1539年から1555年、わずか16年の間に現在のアフガニスタンとパンジャーブ平野を結ぶグランドトランクロード Grand Trunk Roadを整備し、その「大幹線」上にロータスフォートを建設しました。

ドローン空撮による、ロータスフォートの景色です。

 

Video & Text : Mariko SAWADA

Visit : Feb 2020, Rohtas Fort, Punjab

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パキスタン最大の都市カラチの市場「エンプレスマーケット」へ

カラチは首都ではありませんがパキスタン最大の都市でその人口は1600万人、非公式には2000万人以上と言われています。一時のカラチは民族対立や犯罪で治安の悪い時期もありましたが、近年落ち着いてきました。

実際のカラチは、汚い、貧しい、目をおおいたくなるような場所から、おしゃれなエリート街まで多くの表情を持つ町です。また、イスラマバードなど他の都市に比べ人々はより開放的で、庶民物価が安いことからフンザなど地方に住む人もイスラマバードではなくカラチへ就学・労働にいくほうが多いようです。

 

カラチの、歴史あるエキゾチックなバザールがエンプレスマーケットです。

 

Empress=皇后の名を持つこの市場は英国領インド帝国時代の1884年から1889年の間に建設され、英国領インド帝国皇后ヴィクトリア女王を記念して命名されました。
サダル地区 Saddarにあり、開けた場所につくられた建物と時計台は遠くからでもよく見えます。

この歴史ある建物の市場で見たヒトコマです。

 

ココナッツ、ひまわりなどいろんなものから油をしぼり販売する職人さん。

 

野菜市場の少年。

 

市場の奥にあるチャイハナからお茶をデリバリーする少年。

 

子猫に肉を切って与える男性。肉売り場のまわりはたくさんの猫がいます。

そういえばこの市場では2015年まで野生動物の違法販売が行われていたという記事を見ました。
先日もバロチスタンの海岸で猛禽類を違法に捕まえアラブのお金持ちに販売する人をみたばかり。パキスタンのWildlife Departmentにはもっときちんと活動してもらいたいものです。

 

市場の周辺、サダルの雑踏。たくさんの人が往来します。

以前に比べて治安が良くなったと言っても貴重品や携帯電話の管理は気をつけましょう。

Photo & Text : Mariko SAWADA
Visit :Nov 2019, Empress Market, Karachi, Sind

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