ブトカラⅠ – スワート渓谷のガンダーラ遺跡

ブトカラⅠはガンダーラの中心地のひとつであったスワート渓谷にある遺跡。紀元前3世紀に遡るマウリヤ朝時代アショーカ王の時代に遡る仏塔があること、その周りに272もの奉献塔があることで知られています。ブトカラⅠは仏塔群だけでなく僧院などの建築物もあるのですが、その部分は発掘されておらず、すでにその上に住宅が建てられています。

 

遺跡は1956年から1962年にかけて、イタリア考古学調査団とパキスタン政府考古学局によって発掘されました。この遺跡の歴史はマウリヤ朝時代紀元前3世紀にまでさかのぼり、紀元後11世紀ごろまで使用されていたと考えられています。

 

サンチ―型の円形基壇のメインストゥーパは、内部に一番古い部分にあたる紀元前3世紀のマウリヤ朝時代の仏塔があり、その上に覆いかぶせる形で何世紀にもわたり5回拡大されました。発掘現場の一部からその増築の過程が見えるようになっています。

 

メインストゥーパの周りは参拝者が右繞(うにょう)した繞道があります。参拝者は仏塔だけでなく胴部のレリーフも拝んだことでしょう。

 

ストゥーパの周囲の繞道には敷石が置かれ、一部にはガラスの装飾が残っています。

 

この座仏のレリーフは紀元前35~12年のインド・スキタイ王朝のアゼス2世のコインを含む層から出土したため、紀元前1世紀後期から紀元後初期のものとされているレリーフです。仏像の出現は紀元後とされているため、保守的な考古学者は紀元後1~2世紀ものと考えています。「仏像のはじまり」は常にガンダーラ美術の大きなテーマのひとつ。仏像の出現時期については議論が続いています。

 

メインストゥーパを取り囲む奉献塔(奉献ストゥーパ)を見て見ましょう。奉献塔は大きなストゥーパの周りに作られ小さなストゥーパ型のものです。当時の王侯貴族が寄進したものと考えられ、この奉献塔も崇拝の対象になりました。

 

奉献塔の方形基壇のレリーフの一部です。この図は「ブッダの一生」の出家のシーンのひとつで、愛馬カンタカがシッダールタの足をなめて別れを惜しんでいる図と思われます。奉献塔には寄進者の好むモチーフが描かれたのかもしれません。

 

奉献塔の葡萄のレリーフ

 

レリーフに表現された虎の頭です。右下には繊細に彫刻されたコリント式の柱頭。

 

パキスタンではトラは1900年ごろに絶滅したとされています。当時は豊かなスワートの森にベンガルタイガーが闊歩していたことでしょう。

 

仏鉢を持つ供養者のレリーフ

 

奉献塔のレリーフ、トリラトナ(三宝標)。法・仏・僧を現す3つのチャクラ(法輪)を崇拝の対象として描きました。

 

欠けた部分が多く、モチーフはわかりません。彫刻の素材には一般的に緑色千枚岩が使われています。

 

スワート博物館に展示されているブトカラⅠ出土品の一部を紹介します。スワートらしいものをピックアップしてみました。

 

ブトカラⅠ出土品:ブッダの一生のパネルのひとつ、「学校に通う太子」。ガンダーラではこの場面はなぜか「羊」に乗って通学する様子が描かれます。羊に直接乗っている場合もあれば、羊のカートに乗っている場合もあります。今のところこの理由について説明している学説はないようです。

 

ブトカラⅠ出土品:当時の貴族の女性像。大変豪華な髪飾りをしており、当時のスワートの風習を見ることができます。

 

ブトカラⅠ出土品:同じく、当時の貴族の女性を表現したと思われる彫像。蓮の花を片手に持つ女性の衣装・装飾が見事に描かれています。

 

ブトカラⅠ出土品:このレリーフは以前は遺跡にあったのですがスワート博物館に移設されました。シッダールタの「婚約」とされるシーンで、真ん中に立つのがシッダールタ太子、一番右端が恥ずかしそうにするヤショーダラーで、その横がヤショーダラーを紹介する祭祀。シッダールタの左側はひざまずくマーラとその周りはマーラの娘3人が描かれています。マーラは世俗の象徴でシッダールタの成道を阻止するものとして描かれています。

 

コリント式の柱頭。アカンサスの葉とともに寄進者と思われる女性が描かれています。

 

スワート博物館はバリコット、サイドゥシャリフストゥーパ、ブトカラⅠからの出土品展示室が設けられています。ぜひ、ゆっくり時間をとって見学してみてください。

 

↓↓ Butkara – Gandhara site of Pakistan

 

ブトカラⅠ – 今では周囲を住宅街に囲まれてしまいましたが、520年に中国の僧・宋雲が訪問した記録には大変豪華な寺院の姿が記されています。

 

Image & text: Mariko SAWADA

参考文献:栗田功著「仏陀の生涯」他

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シャティアールの岩絵(カラコルム・ハイウェイ)

カラコルム・ハイウェイを北上、ギルギット・バルティスタン州に入り、未知の仏教遺跡があることで知られるタンギール谷とダリル谷の間にあるのが、シャティアールの岩絵 Shatial Rock Art Carving /Petroglyphです。

古来からこの付近は「古のシルクロード」のインダス川を渡るポイントであり、インダス川に流れ込む谷を結ぶジャンクションになっていました。

日本人には「仏教の岩絵」として知られるシャティアールですが、仏教徒が岩絵を刻む以前から、中央アジアの商人たち、巡礼者、旅人がここを通過し、名前や時を刻んでいきました。シャティアールの橋の付近にはそういった古代文字(ソグド文字、バクトリア文字など)も見つかるそうです。

 

インダス川の河原でヤギを放牧する人々。削られた岩と砂の河原。最近は少なくなりましたが、以前は砂金を取る人々の姿がありました。

 

インダス川にかかるタンギール谷 Tangir Valleyへの橋。かつての旅人は、冬になりインダス川の水量が減る時期に渡渉し、その河原に足跡を刻みました。仏教の時代には「ガンダーラ」を目指して僧侶・巡礼者が訪れ、この河原の大きな岩にストゥーパや仏の姿、ジャータカ物語を刻み、祭壇を創り出しました。

 

シャティアールの橋と岩絵。ストゥーパ、仏の姿が刻まれています。

 

仏教のモチーフと、右上にはアイベックスが刻まれています。アイベックスは標高3,000mを越える山岳地帯に生息していますが、ヒンドゥークシュ山脈を越えフンザ川、インダス川に沿って南下する途中に見たのでしょう。それぞれの岩絵の時代や書き手はわかりませんが、貴重な歴史と古代に生きた人々の証です。

 

そしてこのインダス川沿いの景色も変わろうとしています。

カラコルム・ハイウェイのベシャムからチラースの間には2つの大きなダムプロジェクトが急ピッチで進められています。ダスーダム水力発電所とディアメルバシャダム水力発電所です。

昔からあったプランですが、電力不足解消と化石燃料による発電所の廃止方向が決まりものすごい勢いで工事が進んでいます。

沈むのはカラコルム・ハイウェイや村だけでなく、インダスが育んできた悠久の歴史も人の暮らしもです。この川沿いの風景が失われていくことは残念でなりません。メインの岩絵はおそらく「移設」されるのでしょうが多くは水没します。

あと何年、この景色を見ることができるのでしょうか、これまで長距離で苦痛だったカラコルム・ハイウェイの旅も、この景色もカウントダウン。貴重な思い出になっていくのでしょう。

 

Photo & Text : Mariko SAWADA

Visit : Dec 2020, the Karakorum Highway, Shatial,  Gilgit-Baltistan

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ガンダーラに見る東西文明の融合(ペシャワール博物館)

ギリシャ、西アジア、ペルシャ(イラン)、インドなど様々な文明・美術の影響を受け、それを取り入れたガンダーラ美術。ガンダーラ地方に最初にギリシャ文明をもたらしたのは紀元前4世紀のアレキサンダー大王の東方遠征で、ここにギリシャ文明とオリエント文明が融合した「ヘレニズム文明」が生まれます。

 

ガンダーラ美術が最盛期を迎えるのはそのもっと後の時代、紀元後1~5世紀のクシャン朝の時代です。西洋からの文明とインドで生まれた仏教が出会い、仏像が生まれ、その中で西洋の神々や意匠がガンダーラ仏教美術の中に取り込まれました。

 

この片岩の彫像は、ガンダーラ美術に現れたギリシャの神アトラスです。

 

アトラス神はギリシャ神話で世界の西のはてで天空を支える神です。ガンダーラにおいてはストゥーパや仏像の台座を支えています。ギリシャの神が仏教の世界観を支えている・・・なんともロマンチックな話です。

 

こちらはケンタウロス、ギリシャ神話に現れる半人半馬の怪獣です。上半身は人間、下半身は馬の前足、後ろはトリトン(ポセイドンの子で半人半魚の神)のように魚の尾びれが渦巻き状に表されています。

ケンタウロスやトリトンのモティーフは建物の角を飾ったと思われる直角三角形のパネルによく表れます。

 

こちらは手に金剛杵(ヴァジュラ)を握る執金剛(ヴァジュラ・パーニ)。その起源はギリシャ神話の英雄ヘラクレス。困っている王たちをその怪力で助けたヘラクレスは、ガンダーラ世界では常に釈迦の脇にいる守護神として描かれてます。

ガンダーラのヘラクレスが金剛杵(ヴァジュラ)を持っているの対し、ギリシャのヘラクレスは棍棒を持っているものが多く見られます。

 

これは花綱模様。波状に展開する花綱を若い青年がかかえているモティーフで、ギリシャ・ローマを起源としますがガンダーラでも大いに流行りました。

花綱の上がったところをキューピッドが背負い、下がった所には葡萄の房やリボンが装飾されています。

 

ハーリーティーとパーンチカです。ハーリーティーとは鬼子母神のこと。

人の子をさらう人食い鬼だったハーリーティー。釈迦により子供を奪われて苦しむ親の気持ちを知り、我が子も他人の子も愛すようになり「子供の守護神」となりました。また、ハーリーティーは500人とも1,000人とも言う多産だったため「安産の守護神」ともされ、「多産」のシンボルでもある柘榴(ざくろ)の花を髪につけています。

このハーリーティー、ギリシャの女神のようですよね、ギリシャの運命の女神テュケーです。

 

ガンダーラに現れる柱のスタイルは、アカンサスの葉の柱頭をしたギリシャのコリント様式のものが一般的です。が、この写真のものはガンダーラで見られる別のスタイルのもの。

 

2頭のこぶ牛を背中合せに配置し、その真ん中に獅子(と思われる)の頭があるデザインです。これは古代ペルシャ(イラン)の柱頭のスタイルでペルセポリスの遺跡などで見ることができるスタイルです。

 

そしてこの動物は獅子、ライオンです。ライオンというとアフリカの動物と思われるかもしれませんが、当時のパキスタンには「アジアライオン」が生息していました。

 

メソポタミアの遺跡に描かれた「ライオン狩り」のレリーフ、イランのペルセポリスの遺跡に描かれたライオンが有名ですが、これはガンダーラ美術で表現されたライオン。

 

このアジアライオン、イラク、イラン、パキスタンでは絶滅してしまいましたが今もインドのグジャラート州、ササンギルの森に暮らしています。その数、500頭!

 

Photo & text : Mariko SAWADA

(Photos are from a trip in Feb 2020)

Location :  Peshawar Museum, Peshawar, Khyber Pakhtunkhwa

参考図書:パキスタンのガンダーラ遺跡と博物館を訪問する方にお勧めの一冊!「ガンダーラ美術の見方」監修:奈良康明監修、著:山田樹人著、写真:高倉一太(里文出版)、「ガンダーラの美神と仏たち、その源流と本質」著:樋口隆康(NHKブックス)

アジアライオン(インドライオン)に関する記事はこちら

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ペシャワール博物館 Peshawar Museum

ガンダーラに関する収蔵品では断トツのペシャワール博物館。展示品のほとんどがガンダーラ美術に関するもので仏伝図のパネルや装飾の数々を見ていると時間がたりなくなる博物館です。

 

他の博物館と同じく、イギリス領インド帝国時代にさかのぼる博物館で1907年にヴィクトリア女王を記念する「ヴィクトリアホール」として建てられました。

 

ペシャワール博物館のメインホールです。このメインホールと入り口から入って左側のギャラリーにガンダーラの作品が展示されています。

 

スワートを中心とする遺跡から出土した、僧院やストゥーパの基壇や壁を飾ったであろう彫刻を施した片岩のパネルが展示されています。仏陀の前世の物語(ジャータカ物語)と仏陀の一生です。あまりにもたくさんの展示があり、同じシーンでも作風が異なるのでぜひ、博物館でゆっくりご覧になってください。

 

「誕生」のパネルです。中心にいるのがマーヤー夫人で右手を挙げて木につかまり、その右わき腹から太子が上半身を出しています。インドラ神がそれを受け止め、その後ろでブラフマン神が祝福しています。

 

「仏陀の一生」のパネルは白い象が夢に現れる托胎霊夢から始まり、出家、苦行、降魔成道、梵天勧請、初転法輪、舎衛城の奇跡、入滅、そして火葬と八舎利分配まで続きます。

 

仏陀の前世の物語(ジャータカ物語)の中でもガンダーラで大変人気があったのが燃燈仏授記(ディーパンカラ本生)です。

 

”燃燈仏が町にやってくると聞いた敬虔な青年メーガ(前世の釈尊)は、敬意を表そうとして散華(花をまき散らして仏に供養すること)のために花を買おうとしますが、国王が花を買い占めていたので買うことができません。そこに通りかかった乙女から蓮華の花を5本買いました。燃燈仏が現れたのでメーガは花を投げかけたところ、その花は地上に落ちず、仏の頭の上にとまりました。その奇跡に打たれたメーガはぬかるみで仏の御足が汚れないように自分の長い髪を投げ出します。燃燈仏はメーガを祝福し「お前は未来に悟りを開いて仏陀になるであろう」と予言しました。”

 

パネル下左寄りに髪の毛を投げ出す青年、メーガの姿があります。

 

そしてこの博物館の重要な展示物のひとつが「仏陀苦行像、断食する菩薩像(Fasting Siddhartha)」です。ラホールのものに比べると失われた部分が多いのですが、浮き上がる血管や助骨は大変リアリスティックです。

 

太子樹下観耕像(初めての瞑想)。

 

太子が木の下で畑仕事を見ていると、鍬で掘り返した土から虫がでてきて、それを小鳥が食べて、その鳥を大きな鷲が食べてしまいます。命のはかなさを感じ、後に出家・成道に至るきっかけとなった出来事です。

台座には春初めての観耕式の図が彫刻されています。見えにくいですが台座の右側には2頭立てで畑を耕す牛が描かれています。

 

そしてペシャワール博物館と言えば、シャージ・キ・デリー出土のカニシカ王の舎利容器。

 

クシャン朝時代のガンダーラの冬の都はプルシャプラ、現在のペシャワールです。ここで唯一発見された遺跡がシャージ・キ・デリーで、カニシカ大塔として知られています。この遺跡から舎利容器が見つかり、カロシュティ文字で「カニシカ王の元年にカニシカ寺に奉献された」と記されており、伝説のストゥーパが実在したことを裏付ける発見となった舎利容器です。

 

で、これはホンモノか?ネット情報に載っている写真とはかけ離れるものなので、レプリカですね。

 

ペシャワール博物館は2階建てです。2階はカイバル・パクトゥンクワ州 Khyber Pakhtunkhwa の民族の展示です。特にカラーシャ族の木像ガンダウ(死んだ男性の記憶、どんな貢献、功績があったかを偲ぶために作られる像)は立派なものはカラーシャの谷でも見られなくなっていますので貴重な収蔵品です。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

(Photos are from a trip in Feb2020)

Location : Peshawar Museum, Peshawar, Khyber Pakhtunkhwa

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(ドローン動画)タキシラのシルカップ都市遺跡

タキシラの都市遺跡シルカップの空撮です。
方格設計( Grid plan)という、道を碁盤の目状に配置した都市プランで、空撮によりその全貌を見ることができました!

 

シルカップ遺跡についてはこちら

 

空撮 タキシラ・シルカップ Drone footage Sirkap, Taxila

 

 

Video & text : Mariko SAWADA

(Video is from a trip in Feb 2020)

Location : Sirkap, Taxila, Punjab

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(ドローン動画)ダルマラージカ仏塔、タキシラ

ドローン撮影も含む、ダルマラージカー・ストゥーパの動画です。

紀元前3世紀、マウリヤ朝のアショーカ王がガンダーラ地方で作ったストゥーパ(仏塔)が2基のうちのひとつ。空から見ると円形基壇の巨大ストゥーパとそれを囲む祠堂の様子がよくわかります。

 

>ダルマラージカの遺跡についてはこちら

 

空撮 タキシラ・ダルマラージカ仏塔 Drone footage Dharmarajika Stupa, Taxila

Video & text : Mariko SAWADA

(Video is from a trip in Feb 2020)

Location : Dharmarajika, Taxila, Punjab

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タキシラ博物館 Taxila Museum

タキシラ一帯の遺跡からの出土品が展示されているのがタキシラ博物館 Taxila Museum。パキスタンがイギリス領インド帝国の時代に建てられ、1928年に開館した大変古い博物館です。

 

館内には遺跡から運ばれてきた化粧漆喰(ストゥッコ)によるガンダーラ仏、奉献ストゥーパの台座、かつてはストゥーパの基壇を飾っていたであろう片岩に彫刻された仏伝図などが展示されています。

 

これはモーラモラドゥにある奉献ストゥーパのレプリカです。この7層の傘蓋を持つ小型ストゥーパ、実物は遺跡の僧院区の僧房に残されています。

 

これはインドのサンチー仏塔の頂部にあるものと非常に似ています。四角い「平頭」があり、その上に「傘蓋」。その周りを木柵を石に置き換えた「欄楯」が囲んでいます。

 

展示品のストゥーパの一部には装飾を飾った石が見られます。

 

奉献ストゥーパの台座です。仏陀像、各パネルの間にはギリシャ様式の柱、そして台座を支えるアトラス神の姿が。

 

東西文化の融合を象徴する展示品もたくさんあります。これは花綱模様。波状に展開する花綱を若い青年がかかえているモティーフで、ギリシャ・ローマを起源としますがガンダーラでも大いに流行りました。

 

花綱の上がったところをキューピッドが背負い、下がった所には葡萄の房やリボンが装飾されています。

 

そしてこれは仏陀像のわきに立つ、明らかに異国の人。ジョウリアン遺跡を飾っていた見事なストゥッコ像で、解説には「おそらく奉献者とその妻」と。帽子の形からサカ族でしょうか。

 

そしてもっと異国情緒あふれるこのボデイ、ガンダーラに現れたギリシャの愛の女神アフロディーテーです。

 

Photo & Text : Mariko SAWADA

(Photos are from a trip in Feb2020)

Location :  Taxila Museum, Taxila, Punjab

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タフティバーイ – ガンダーラ仏教寺院

ガンダーラの遺跡にはタキシラのシルカップのような都市遺跡と人里離れた山中にある仏教寺院があります。その仏教寺院の代表的なものがタフティバーイ Takht-i-Bahi。日本語の読み方がいろいろあり、タフテ・バヒーだったり、タフティ・バイだったりします。ペシャワールから北西に80キロ、マルダーンの町から15キロのところにあるガンダーラの山岳仏教寺院で、早くから調査され保存状態の良い遺跡です。

 

紀元後1~7世紀に栄えた仏教寺院遺跡で、ガンダーラ美術はクシャーナ朝で最盛期を迎えます。この時代の(冬の)都はプルシャプラ、現在のペシャワールでした。

 

タフティバーイの仏教遺跡は平地から150mほど登った山の上に築かれました。入口からよく整備された階段を上っていくと遺跡の入り口、奉献塔区の入口へと到着します。

 

入口の遺跡の壁の写真です。上部は修復していないガンダーラ時代の壁、白いラインから下は修復されたもので、『A.S.I 1946』と刻まれています。A.S.I.とはインド考古調査局 (Archaeological Survey of India)のことで、時代はインドとパキスタンが分離独立する前の1946年、イギリス領インド帝国時代に考古学チームによって発掘と修復が行われました。

 

タフティバーイの遺跡は主塔院区(メインストゥーパ)、奉献塔群区、僧院区、瞑想室、その他の建物からなるガンダーラ仏教寺院の構成をよく残しています。

 

歩いてきて最初に到着するのがこの奉献塔群区。南の主塔院区と北の僧院区の間にある一画で35基の奉献ストゥーパが並んでいました。今は基壇部のみが残されています。基壇部にはギリシャ風の柱が装飾されています。

 

奉献塔群区

35基の奉献ストゥーパのうち2基が円形基壇で残りは方形基壇です。

 

僧院区です。中庭を囲んで15の小房があり、各房にはランプを置いた壁龕があり、一部は2階建てだったことがわかります。中庭の端には台所跡もあります。

 

主塔院区(メインストゥーパ)です。階段を上ったら広場がありそこにメインストゥーパの6.2m平方の方形基壇があります。このストゥーパの3面も祠堂が並び、龕室にはストゥッコの彫像が置かれていました。

 

主塔院区への階段の近くの祠堂。3面に壁龕が施されています。ストゥッコ(化粧漆喰)の彫像で覆われていたのでしょう。

 

瞑想室と考えられる地下室。小房は真っ暗ですが、明るい広場へもつながっています。

 

そしてここは、管理人さんの部屋。奉献塔区の一部を保存もしながら生活をしていました。

 

管理人さんの暮らす奉献塔区の基壇部。ストゥッコのアカンサスの葉の柱頭。ところどころ彩色が残っていました。

 

さらに山を登るとタフティバイの遺跡とその下に町を見下ろす展望台へ出ます。周りにはまだたくさんの建築物の跡が見られ、タフティバーイが巨大な仏教寺院であったことが想像されます。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

Location : Takht-i-Bhai, Mardan, Khyber-Pakhtunkhwa

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タキシラ – モーラモラドゥ

タキシラ仏教遺跡のひとつ、モーラモラドゥ。不思議な響きの名前ですが、付近の村の名前 Mohra Moradu に由来するガンダーラの僧院とストゥーパが残る遺跡です。

この写真はメインストゥーパの方形基壇ですが、高さがなんと4.75mもあります。

 

モーラモラドゥには2基の仏塔があります。ここにはメインストゥーパとその南に小型のストゥーパがあり、腰壁に仏陀象などのストゥッコ像(化粧漆喰)が残っています。

 

僧院には方形の庭の四周に27の小房があり、一部には階段が残されていることから2階建てだったことがわかります。庭の中央部は窪んでいて、おそらく儀式用の沐浴場であったと考えられます。

 

僧院に残されたストゥッコ(化粧漆器)の仏像。彩色のあとが残っています。

 

モーラモラドゥのマスターピースはこの高さ4mの奉献塔。僧院の小房で見つかったもので、円形基壇の上に半球形の覆鉢、その上に箱型の平頭(へいとう・ひょうず、舎利容器を収める場所と考えられる)、その上に7重にもなる傘蓋(さんがい)があります。

この傘蓋(さんがい)、これだけ重なると傘にさえ見えないのですが、お釈迦さまの時代、王や貴族が外出の際に従者に傘をかざさせたもので、貴人の外出の必需品でした。それがお釈迦さまに敬意を表す象徴となり、信者たちが傘蓋を寄進し連ねて頂上にかざしたものです。

 

奉献塔の5層の円形基壇部分です。コリント式の柱壁で仕切られたパネルと壁龕には仏陀のレリーフが施されています。

そして一番下の層を支えているのはやはり、象とギリシャの神、”世界の西の果てで天空を背負う”アトラスです。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

(写真は2005年に撮影したものです)

参考図書:パキスタンのガンダーラ遺跡と博物館を訪問する方にお勧めの一冊!「ガンダーラ美術の見方」監修:奈良康明監修、著:山田樹人著、写真:高倉一太(里文出版)、「ガンダーラの美神と仏たち、その源流と本質」著:樋口隆康(NHKブックス)、「インド建築案内」著・写真:神谷武夫(TOTO出版)

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ダルマラージカー (タキシラ)

紀元前3世紀、マウリヤ朝のアショーカ王がガンダーラ地方で作ったストゥーパ(仏塔)が2基あります。1基はスワートにあるブトカラ遺跡にあるストゥーパ、もう1基がタキシラにダルマラージカー・ストゥーパです。

今日、全体の形が残っている最古のストゥーパはインドのサーンチーのものですが、ガンダーラ地方にも同型の、円形基壇に作られた巨大な仏塔があります。ただ、サーンチーの仏塔のように欄楯やトラナはなく、周りに祠堂や小ストゥーパ群が並んでいます。

 

基壇は径46m、その上に高さ14mの半球形の覆鉢がのるメインストゥーパ。

紀元前500年ごろ、クシナガラでお釈迦様が涅槃に入りました。7日後に荼毘にふされ、その遺骨(舎利)が8カ所の墳墓に舎利容器に入れて墳墓の中心部の底に納められました。これが最初のストゥーパ(仏塔)で、この舎利と舎利容器は崇拝の対象となりました。

紀元前3世紀になり、マウリヤ朝のアショーカ王が八舎利のうち七舎利を再発掘して8万4000塔に分納したそのうちの1つ、このダルマラージカー仏塔がそれにあたると言われています。

 

メインストゥーパをめぐる繞道があり、その周囲には紀元前1世紀から紀元後4世紀、ガンダーラを担ったクシャーナ朝時代に建てられた祠堂・小ストゥーパ(奉献塔)群があります。

小ストゥーパ群の方形基壇の壁面はコリント式の柱壁で仕切られたパネルや壁龕が施されたガンダーラ様式の建築が見られます。

 

小ストゥーパの基壇に施された装飾。象や人物像が基壇を支えています。この人物像、ギリシャの神アトラスなのです。

 

アトラスはギリシャ神話で世界の西の果てで天空を支える神。ガンダーラにおいては仏像の台座やストゥーパの基壇を支える役割として登場します。東西文化の融合の結果生まれた、ギリシャの神が支える仏教世界・・・なんともロマンチックです。

 

祠堂の中にはスタッコの仏像がありましたが残念ながら破壊されています。ストゥッコ(Stucco、化粧漆喰)像は粘土で作られた塑像で、ガンダーラでは紀元後3~4世紀に流行して作られました。

 

タキシラの観光では、タキシラ博物館・シルカップの都市遺跡・ジョウリアンの僧院というのが3点セットですが、ぜひダルマラージカーも訪問してみてください。

 

Photo & Text : Mariko SAWADA

Visit : Feb 2020 Dharmarajika Stupa, Taxila, Punjab (写真はドローン撮影を含みます。)

参考図書:パキスタンのガンダーラ遺跡と博物館を訪問する方にお勧めの一冊!「ガンダーラ美術の見方」監修:奈良康明監修、著:山田樹人著、写真:高倉一太(里文出版)、「ガンダーラの美神と仏たち、その源流と本質」著:樋口隆康(NHKブックス)

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