シムシャール・パミールトレッキングとミングリク・サール(6,050m)登頂 Part-2

ミングリク・サール山頂付近から望むヒスパー・ムスターグ山脈
ミングリク・サール山頂付近から望むヒスパー・ムスターグ山脈

2024年8~9月にかけてのシムシャール・パミールの山旅、後編はミングリク・サール(6,050m)登頂からシムシャール村に戻るまでの道のりをたどります。

>>前編はこちら

 

■トレッキング7日目 ミングリク・サールB.C.(4,730m)→ミングリク・サール(6,050m)登頂

深夜、ファースト隊、セカンド隊それぞれミングリク・サールB.C.を出発です。外気温は-7℃。トランシーバーでコンタクトをとりながら進みます。ヘッドライトで足場を確かめながら進みます。そしてガレ場+ザレ場の急登を一歩一歩登っていきます。

 

ヘッドランプで足場を確かめながら進みます。
ヘッドランプで足場を確かめながら進みます。

稜線上(約5,320m)に到着。その後、ファースト隊とセカンド隊が合流し、セカンド隊が追い越してゆきます。やがて日が昇り景色も変わりました。岩の稜線を終え、雪面の直登取り付き点に到着。

 

背後を振り向くと素晴らしい山並みが!
背後を振り向くと素晴らしい山並みが
ガレ場の急登稜線を越えると、まもなく雪面へ
ガレ場の急登稜線を越えると、まもなく雪面へ

ここでアイゼンを着用し、アンザイレンして頂を目指します。先頭を歩くガイドがキックステップでトレースをつけてゆきます。素晴らしい山並みを背後に一歩一歩頂上を目指します。右手にK2も見えてきました!

 

一歩一歩着実に頂上を目指す
一歩一歩着実に頂上を目指す
果てしなく感じた頂上への登り 前方に先行したセカンド隊
果てしなく感じた頂上への登り 前方に先行したセカンド隊
山頂付近より ヒスパー・ムスターグ山脈の素晴らしい展望
山頂付近より ヒスパー・ムスターグ山脈の素晴らしい展望
遂に、ミングリク・サール(6,050m)登頂!!!
遂に、ミングリク・サール(6,050m)登頂
絶景を噛みしめます
絶景の中で

下山時は固く締まっていた雪が柔らかくなり、下りやすくはなっていましたが、油断は禁物です。歩一歩下ってゆきます。眼下にB.C.が見えるのですが、遥か遠くに感じられました。

 

慎重に下ります
下山時の景色

転倒や落石に神経を張り巡らせながら下り、全員がB.C.に戻ったのは、まもなく日が沈む頃…。長時間お疲れ様でした!

 

■トレッキング8日目 ミングリク・サールB.C.(4,730m)→アルバ・プリエン(3,900m)

朝、ヤクの鳴き声で目が覚めました。
前日に引き続き快晴の空のもと、下山開始です。往路と同ルートを引き返していきます。

 

ミングリク・サールB.C.の朝
ミングリク・サールB.C.の朝
アルバ・プリエン(3,900m)を目指す
アルバ・プリエン(3,900m)を目指す

シュイズへラブへの下りでは、左手にシスパーレ(7,611m)西壁が見えました。

 

シスパーレ(7,611m)西壁
シスパーレ(7,611m)西壁
往路で歩いたルートを引き返す
往路で歩いたルートを引き返す

往路同様にチコールにて昼食。ポーターも、ロバ、ヤクたちも皆リラックスムードで休憩しています。

 

チコールにて休憩 リラックスムードが漂う
チコールにて休憩 リラックスムードが漂う

落石地帯を無事に越え、夕方、赤土が目立つキャンプ地へ到着。標高4,000m以下に入り、一気に空気が濃く、そして暖かく感じられました。

 

■トレッキング9日目 アルバ・プリエン(3,900m)→パスト・フルズィン(3,550m)

凹んだ沢地形のキャンプ地からひと登りして、核心部へと向かいます。登りより難しい下りの危険箇所が待っているので、緊張感が漂います。

 

パスト・フルズィン(3,550m)へ
パスト・フルズィン(3,550m)へ

プリエン・サール(3,850m)からプリエン・ベンへの下り、そこからウッチ・フルズィン手前の吊り橋まで、マンツーマンサポートで着実に下りていきます。視界に下部が入ってくることで、足元も、メンタル的にもキツいルートが続きましたが、無事に全員通過。

 

緊張感のある下りが続く
緊張感のある下りが続く

後は引き続きパスト・フルズィン(3,550m)まで細い崖道を歩きました。

 

高度感のある細い崖道
高度感のある細い崖道
パスト・フルズィン(3,550m)のキャンプ地
パスト・フルズィン(3,550m)のキャンプ地

パスト・フルズィン(3,550m)キャンプ地に到着。翌日はトレッキング最終日です!

 

■トレッキング10日目 パスト・フルズィン(3,550m)→シムシャール村(3,100m)

登頂日以降、天気は回復し晴天のもと、最後の行進です。忍耐強く崖道を進み、ようやく前方視界が広がってきて、初日のキャンプ地ガーレ・サール(3,670m)に到着。ここから川までは、各自好きなペースで歩いていきました。

 

トレッキング最終日。シムシャール村(3,100m)へ!
トレッキング最終日。シムシャール村(3,100m)へ
崖道を進む
スライディングエリアを歩く
初日のキャンプ地ガ ーレ・サールに到着
初日のキャンプ地ガーレ・サールに到着

そしてついにシムシャール村が見えてきました!崖道も終えて、川原まで下っていきます。小屋での最終ランチの後、のんびりと平坦道を歩き村へ向かいました。

 

川のむこうはシムシャール村!
川のむこうはシムシャール村!

長かったようで短かったシムシャール・パミールの山旅。アプローチの険しさと高所キャンプの寒さを名残惜しみながら村に到着。大きなバケツでお湯をもらい、心身ともにリフレッシュしました。

 

コーラで乾杯の準備
コーラで乾杯の準備

夕食時には、お世話になったガイドやポーターたちが訪問してくれ、お別れの場を設けることができました。

 

お別れの儀
お別れの儀

長い様で一瞬で過ぎた10日間のトレッキング。決して容易ではない山行でしたが、山頂からの展望は格別で、苦労の末の達成感は大きく、この場所・このルートでしか決して味わうことのできない特別な体験となりました。

 

Photo & Text : Osamu KUSUNOKI

Visit : August 2024, Shimshal Pamir, Shimshal, Gilgit-Baltistan

 

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シムシャール・パミールトレッキングとミングリク・サール(6,050m)登頂 Part-1

シュイズへラブで放牧されるヤクたち
シュイズへラブで放牧されるヤク

2024年8月下旬から9月にかけてシムシャール・パミールの6,000m峰を目指した山旅の記録です。場所は「カラコルムの空白地帯」とも称され、トレッカーが訪れることも稀なシムシャール・パミール。私自身、2011年の夏に初めて訪問して以来、毎年のように“帰省”している場所です。

 

この地域は厳しい自然の中で放牧地を移動しながら、ワヒ族がヤギ、羊、ヤクを放牧しています。かつては移動しながら女性達が夏を過ごし乳製品を作っていましたが、暮らしの近代化が進み今は行われなくなてしまいました。(過去のシムシャールの夏の暮らしはこちらの記事をご覧ください。

>>Shimshal Pamir シムシャール・パミール ある夏のクッチ

 

「シムシャール・パミール」の旅では、ワヒ族の夏の放牧地の暮らしにふれることができます。実際のところ、シムシャール村を出発しこの「夏の放牧地」を訪れるだけでも十分ハードなトレッキングですが、さらにその先に待つ6,000m峰への登頂は達成感が大きく、とても満足度の高いルートです。

 

トレッキングルート
トレッキングルート

■トレッキング1日目 シムシャール村(3,100m)→ガーレ・サール(3,670m)

初日はシムシャール村からガーレ・サール (3,670m)を目指します。小さな吊り橋(Michael Bridge)を渡り、ヤズギール氷河のエンドモレーンを眼前に望みながらシムシャール川沿いを直進。平坦な道ではありますが、川岸の大きい石がゴロゴロしていて歩きにくい箇所もあります。今回は川の水量が多く、ヤクは対岸からロープを渡して、引っ張って渡らせていました。

 

ヤクに乗って移動することもできます。「ヤク・サファリ」と呼ばれています。
ヤクに乗って移動することもできます。「ヤク・サファリ」と呼ばれています。
ヤズギール氷河のエンドモレーンを眼前に望みムシャール川沿いを直進
ヤズギール氷河のエンドモレーンを眼前に望みムシャール川沿いを直進

シムシャール川と支流のパミール・タング川が合流するポイントの橋で川を渡り、その先の小屋で昼食。この後から急登が始まります。まだ登り慣れていない足腰には堪えます…。

 

急登が始まります
急登が始まります

徐々にヤズギール氷河を見下ろす角度が変わり、しばらくして展望のよいキャンプ地に到着です。日が落ちると、シムシャール村の夕景を見ることができました。

 

展望のよいキャンプ地に到着
展望のよいキャンプ地に到着

■トレッキング2日目 プリエン・サール(3,850m)へ

ここからは絶壁、ランドスライド地帯など少々危ない箇所を歩きます。緊張感が高まると一層疲労が増します。やがて、急な谷を下りるとパスト・フルズィン(3,550m)のキャンプ地がみえてきました。さらに崖道を進み、休憩場所となるウッチ・フルズィン(3,365m)に到着。

 

谷を見下ろしながら歩く
谷を見下ろしながら歩く
ウッチ・フルズィンにて休憩
ウッチ・フルズィンにて休憩

吊り橋を対岸へ渡り、危険なトラバースを進みプリエン・ベン(3,596m)へ。緊張が続くルートですが、無事に谷を見下ろすポイントまで辿り着きました。

 

吊り橋をわたり対岸へ
吊り橋をわたり対岸へ
危険なトラバース
急な斜面のトラバース
プリエン・ベンを見下ろす展望地から、右上のコル(パスト・ダルワザ)まで ジグザグに急斜面を登る先行ポーター組を眺める
プリエン・ベンを見下ろす展望地から、右上のコル(パスト・ダルワザ)まで ジグザグに急斜面を登る先行ポーターを眺める

いよいよ、高低差約320mの急な登りに差し掛かります。足を滑らすことのないよう、スタッフと共にマンツーマンで一歩一 登ります。

 

標高差約320mの登り
高低差約320mの登り

無事に登りきった先は、石で作られた門のあるパスト・ダルワザ(下の門)。さらに石と木の階段を手を使いながら登り、ウッチ・ダルワザ(上の門)へ。宿泊地プリエン・サール(3,850m)に到着です!アプローチの核心部を無事に越えました。そして前方にはミングリク・サールの頭が見えてきました。

 

パスト・ダルワザ(下の門)
パスト・ダルワザ(下の門)
プリエン・サールのキャンプ地 左奥にはミングリク・サール(6,050m)の頂上がみえる
プリエン・サールのキャンプ地 左奥にはミングリク・サール(6,050m)の頂上がみえる

■トレッキング3日目 シュイズへラブ(4,350m)へ

今日は夏村シュイズヘラブを目指します。朝、ホワイトホルン(6,400m 左)とディスタギル・サール(7,885m)が太陽の光を浴びて、輝いていました。

 

朝日に輝くディスタギル・サール(7,885m)とディスタギル・サール(7,885m 影がついている奥の峰)
朝日に輝くディスタギル・サール(7,885m/左)とディスタギル・サール(7,885m/影がついている奥の峰)

前日とはうってかわって広々としたルートを進んでいきます。アルバ・プリエン(復路のキャンプ地)を経て進み、シュイズヘラブの川とガンジ・ドールの川との合流地点を越えていきます。

 

川の合流地点を目指す
川の合流地点を目指す

柳の木が生えるチコールで昼食。シュイズへラブ川沿いに進み、夏村が近付いてくると放牧されているヤクたちの姿が現れました。シュイズへラブはシムシャール村から移牧して登ってきたヤギや羊、ヤクが放牧されながら夏を過ごす村です。

 

チコールでパスタランチ
チコールでパスタランチ
ヤクの親子
ヤクの親子

■トレッキング4日目 シュイズヘラブ(4,350m)滞在

休養日です。ヤクの乳絞りや夏の住居の訪問などワヒ族の夏のパミールの暮らしを見学。ヤクは、ヤギ、羊とは異なり迫力があります。

 

家畜とともに生きるワヒ族の暮らしを見学
家畜とともに生きるワヒ族の暮らし
ヤクの乳絞り体験
ヤクの乳絞り
ヤクミルク
ヤクミルク

その後高所順応も兼ねて、隣丘のグルチンワシュク・サム(4,600m)までハイキング。標高差250mの登りです。上部では登頂日のガレ場登りの練習になりました。

 

グルチンワシュク・サムの丘にて
グルチンワシュク・サムの丘にて
登頂日のアンザイレン下山練習を兼ねて高所順応
登頂日のアンザイレン下山練習を兼ねて高所順応

■トレッキング5日目 シュイズヘラブ(4,350m)→ミングリク・サールB.C.(4,730m)

ミングリク・サールB.C.まで約3~4時間の道のりです。途中、ミングリク・サールを左手に通り過ぎます。角度によってはなだらかな山に見え、山麓にはザック・ゾーイ(小湖)とルップ・ゾーイ(大湖)の2つがあります。今回はザック・ゾーイ沿いにB.C.を設置しました。

 

ザック・ゾーイ沿いにB.C.を設置
ザック・ゾーイ沿いにB.C.を設置

天気予報では翌日から回復に向かうとのことだったので、もう1日高所順応日を設けることとしました。その間、シュウェルトで4万ルピーで購入してきた羊を捌き、日本風カレーでいただきました。

■トレッキング6日目 ミングリク・サールB.C.(4,730m)滞在

夜から雪が降り積もり、ベースキャンプは雪景色へと様変わりしました。気温も氷点下となり冷え込んできました。今日は動けないかと思っていましたが、雪が止んだので登頂ルートの視察も兼ねて高所順応トレッキングに出かけました。太陽が出て、どんどん天気が回復に向かっている様子が見てとれます。地面の雪もどんどん融けてゆきました。

 

高所順応トレッキングに出発!
高所順応トレッキングへ
高所順応途中(約4,000m)にB.C.方面を振り返る。
約4,000m付近でB.C.方面を振り返る。

午後は、装備チェックをしたり、ゆったりと過ごしました。体を動かしたいメンバーはさらに奥の村シュウェルト(4,670m)まで訪問しました。

 

ウスユキソウ属の花も逞しく咲いている
ウスユキソウ属の花
B.C.(4,730m)から望んだミングリク・サール(6,050m)
B.C.(4,730m)から望んだミングリク・サール(6,050m)

ミングリク・サールもはっきりと確認でき、士気も高まります。

後編へつづく。

 

 

Photo & Text : Osamu KUSUNOKI

Visit : Aug-Sep 2024, Shimshal Pamir, Shimshal, Gilgit-Baltistan

 

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カガン渓谷:夏のヒマラヤバードウォッチング

パキスタンのバードウォッチングで「ヒマラヤの野鳥」が見やすいのは、冬の時期のマルガラ丘陵と夏の時期のカガン渓谷。冬をマルガラ丘陵やパンジャーブ平野、遠い場所ではインド南部やスリランカで過ごした野鳥が、5月ごろになるとカガン渓谷の2,000~2,800 m付近のヒマラヤの湿潤温帯林(ほとんどが常緑針葉樹で一部に落葉樹)にやってきて繁殖し夏を過ごします。

 

5月下旬のカガン渓谷でのバードウォッチングの記録です。カガン渓谷には、ナランをはじめ、国内観光客向けに発達した(正直、オーバーツーリズム気味)場所が多く、バードウォッチャーは繁忙期や週末を避けて訪問するのがお勧めです。

松の巨木がある針葉樹林の斜面を歩き、ところどころに現れる小川、そして耕作地で探鳥します。今回の訪問では、野鳥のほか、2種のムササビ(カシミールムササビとオオアカムササビ)、希少種カシミールラングールも観察できました。

 

2泊3日の探鳥で出会った(写真が撮れた)野鳥の一部をご紹介します。

 

オオゴシキドリ  Great Barbet

何度も遭遇した種です。オオゴシキドリ Great Barbetは東南アジア~南アジアに広く分布しますが、パキスタンではカガン渓谷やマリーなど限られた地域で見られる鳥です。32~35cmと、ゴシキドリの仲間で一番大きな鳥です。

 

ロクショウヒタキ  Verditer Flycatcher

ロクショウヒタキ(雄) Verditer Flycatcher(Male)は高い木の上に留っていることが多く、観察しやすい夏鳥です。

 

キバシサンジャク  Yellow-billed Blue Magpie

キバシサンジャク Yellow-billed Blue Magpie は雑食でいろんな場面で出くわします。ヒマラヤ山麓で通年見られるカラスの仲間です。

 

ホオジロヒヨドリ  Himalayan Bulbul

ホオジロヒヨドリ Himalayan Bulbul は スワート渓谷からチトラールにかけての地域、マルガラ丘陵からカガン渓谷にかけて通年見られるヒヨドリの仲間です。

 

ムナフガビチョウ  Streaked Laughingthrush

ムナフガビチョウ Streaked Laughingthrush は パキスタン北部で通年見られる鳥で、カガン渓谷でも毎日観察できました。

 

ヤマザキヒタキ  Grey Bushchat

ヤマザキヒタキ(雄) Grey Bushchat(Male)  です。ヒマラヤの1900m~3000mの間で短い渡りをする種で、カガン渓谷ではいたるところで見ることができました。メスはバフ色(クリーム色~うす茶色)です。

 

ニュウナイスズメ  Russet Sparrow

ニュウナイスズメ(雄) Russet Sparrow(Male)  はカガン渓谷では通年見られるようですが、冬はパンジャーブ地方へも移動します。

 

モンツキイソヒヨドリイ  Blue-capped Rock Thrush

モンツキイソヒヨドリイ(繁殖期の雄) Blue-capped Rock Thrush(Breeding Male)  は北部パキスタンの夏鳥。美しい繁殖期の雄の写真が撮れるととても嬉しいものです。

 

ウスゴシムシクイ  Lemon-rumped Warbler

ウスゴシムシクイ Lemon-rumped Warbler はヒマラヤ山麓で冬と夏に短い渡りをする鳥です。

 

キバラシジュウカラ  Green-backed Tit

キバラシジュウカラ Green-backed Tit  が枯れたマツの大木の穴で繁殖していました。通年見られますが、一部は冬にマルガラ丘陵へ下ります。

 

ニシセンダイムシクイ Western Crowned Warbler

ニシセンダイムシクイ Western Crowned Warbler は パキスタン北部の夏鳥で冬はインド半島部へと移動します。

 

コチャバラオオルリ  Rufous-bellied Niltava

コチャバラオオルリ Rufous-bellied Niltava  はマリーやカガン渓谷など限られた地域で観察される夏鳥です。

 

クリハラゴジュウカラ  Chestnut-bellied Nuthach

クリハラゴジュウカラ Chestnut-bellied Nuthach  もマリーやカガン渓谷などパキスタンの限られた地域に通年いる落葉樹林の鳥です。

 

オナガベニサンショウクイ  Long-tailed Minivet

オナガベニサンショウクイ(雄) Long-tailed Minivet(Male)  です。夏はヒマラヤ山麓、冬はインダス水系に沿ってパンジャーブ平野中部まで移動します。メスは背中が灰色でお腹が黄色です。

 

アカハラコルリ  Indian Blue Robin

アカハラコルリ(雄) Indian Blue Robin(Male) はヒマラヤ温帯林の夏鳥。観察中も美しいさえずりが森に響いていました。冬はインド半島部、スリランカへと渡り、森だけではなくお茶畑などでも見られるそうです。

 

ヒゲホオジロ  Rock Bunting

ヒゲホオジロ Rock Bunting は北部パキスタンの夏鳥で冬はパンジャーブ平野、バロチスタン北部に移動します。

 

キンクロシメ  Black-and-yellow Grosbeak

キンクロシメ(雄) Black-and-yellow Grosbeak (Male) 、これは写真が取れてうれしかった鳥です。ヒマラヤ温帯林で通年見られるようです。

 

ヒマラヤルリビタキ Himalayan Bluetail

ヒマラヤルリビタキ Himalayan Bluetail は パキスタン北部の夏鳥で冬はヒマラヤ山麓へ移動します。以前はルリビタキの亜種として扱われていましたが、移動距離の違いや成鳥のオスの青色がより濃いなどの違いがあり、独立種となったそうです。

 

ヒガラ Spot-winged Tit /Black-crested Tit

ヒガラ Spot-winged Tit またはBlack-crested Titと呼ばれるヒマラヤ針葉樹林帯で通年見られる鳥で、以前は種として独立して扱われていましたが、今はヒガラ Coal Titの亜種とされているそうです。

 

ヒマラヤアカゲラ  Himalayan Woodpecker

ヒマラヤアカゲラ(雄) Himalayan Woodpecker(Male)  は パキスタン北部のヒマラヤの森で通年みられるキツツキの仲間です。

 

ニシコクマルガラス  Eurasian Jackdaw

昼食をとったバラコットBalakot の食堂の駐車場から観察したニシコクマルガラス Eurasian Jackdaw。パキスタンでこのカラスが現在確認されているのはこのバラコットだけだそうです。白い目がとても特徴的です。バラコットではカワリサンコウチョウ Asian Paradise-flycatcherも観察できました。

 

最後に、野鳥以外に出会ったワイルドライフもご紹介します。希少なカシミールラングールとの遭遇は探鳥そっちのけで夢中になってしまいました。そして夜はムササビ2種の観察。おかげで早朝から夜中まで大変忙しい3日間となりました。

 

カシミールラングール Kashmir gray langur

生息地の減少から国際自然保護連合ICUNの「絶滅危惧種」に指定されています。移動距離が大きく、遭遇するのが難しいラングールの仲間です。

 

ムササビは猛禽類に狙われなくなる夜を待って活動を開始します。2晩でオオアカムササビ Red giant flying squirrel、カシミールムササビ Kashmir flying squirrelの2種を観察しました。

 

オオアカムササビ Red giant flying squirrel
カシミールムササビ Kashmir flying squirrel

そして一緒にバードウォッチングを楽しんだメンバー。パキスタンのバーダー人口も増えてきているようです!

 

 

Photo & Text : Mariko SAWADA

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カイバル峠を越えて Over the Khyber Pass

ペシャワールからアフガニスタンとの国境の間にある「カイバル峠」。古くから中央アジア文化圏とインド文化圏を結ぶ交易路にある重要な峠でした。峠がある山はパシュトゥー語でスピンガーと呼ばれ、紀元前4世紀にアレキサンダー大王の軍隊が、7世紀に玄奘三蔵が越えた場所でもあります。ムガール朝時代にはインドのアグラからアフガニスタンのカブールへの幹線道路=グランド・トランク・ロードの一部として発達し、近代ではイギリス植民地時代のアフガン戦争において戦場となった場所でもあります。 独立後はトライバル・エリア=連邦直轄部族地域(FATA)呼ばれるパシュトゥーン族の自治区となりましたが、2018年にその制度は廃止されました。外国人の訪問には事前許可と警備の同行が必要となっています。観光客が「カイバル峠」へ行く、という場合、一般的にはカイバル・ゲートからミチニ・チェックポストまでの区間の訪問を指します。

 

カイバル・ゲートとジャムルード砦  Bab-e-Khyber and Jamrud Fort

ペシャワール中心部から18Km。カイバル・ゲートと呼ばれる記念碑の門で1963年に建てられました。記念門の横には小さな公園がありカイバル石板にカイバル峠の歴史が刻まれています。カイバル・ゲートはパキスタンのお札、10ルピー札にも登場します。

カイバル・ゲートを越えてすぐ右手にはジャムルード・フォートがあります。もともとあった古い要塞の上に1823年、シク教徒によって建てられた砦です。シク教徒の英雄だった将軍ハリ・シン・ナルワ Hari Singh Nalwaはアフガン勢力と戦いジャムルード・フォートで殺され埋葬されています。現在はパキスタン軍が駐屯し、内部に入ることはできません。

 

カイバル・ゲートを歩いて越える、パンジャブ地方から来たラクダのミルク売り
2007年までカイバル・ゲートの近くに大きなアフガン難民キャンプ(カチャガリKacha Garhi refugee camp)がありました。1979年のソ連侵攻後からアフガニスタン戦争の終結までの間、この門を通じ多くの難民が行き来しました。
パキスタンの10ルピー札に描かれているカイバルゲート

 

カイバル峠ビューポイント Khyber Pass Viewpoint

ガイドブックに紹介されている「カイバル峠の写真」は、国境へ向かう途中の道から振り返ってペシャワール方面を見た景色です。今は新しく拡張された道路になり、国境を行き来する輸送トラックが列をなして走る道ですが、かつてはアフガニスタンから来たキャラバンの目の前に「ガンダーラ平野」が広がる、ドラマチックな光景だったことでしょう。

 

カイバル峠ビューポイントより、ペシャワール方面を望む

 

シャーガイ・フォート Shagai Fort

1920年代にイギリスがカイバル峠ルートを監視するために作った要塞。現在はパキスタン軍が駐屯し監視しています。砦の反対側にはモニュメントと展望台があります。

 

シャーガイ・フォート遠景
シャーガイ・フォートの入り口

 

アリー・マスジッド Ali Masjid

カイバル峠の道で両サイドを山に挟まれた一番狭い場所。もともと荷物を積んだラクダ2頭がギリギリすれ違えるくらい細かった場所でしただったそうです。戦略上重要な位置だったため、過去の戦争の際には激戦地となりました。道は徐々に拡張されていますが、現在もこの場所は車線が別れ、ペシャワール方面へ向かう車線は崖の上に作られています。

道路沿いに小さなアリー・マスジッド(モスク)、マドラサがあり、丘の上にはパキスタン軍が駐屯するアリー・マスジッド・フォートがあります。

 

道路沿いのアリー・マスジッドモスク。より大きなモスクを建設中です
狭い道を監視するアリー・マスジッド・フォート

 

アユーブ・アフリディの豪邸  Palatial Residence (Fort) of Ayub Afridi

麻薬王であり部族政治家としても有名な人物で、アメリカとの接触についてのエピソードなどの話題で知られる人物です。道路沿いには100部屋以上あるという豪邸の壁が続きます。

 

スフォラ・ストゥーパ Sphola Stupa

2~3世紀頃のシャン朝時代のストゥーパ。3層の基壇の上にストゥーパが乗っており、20世紀初めの発掘では仏像も出土しています。2024年現在、基壇部の修復がされています。カイバル峠エリアにある唯一のガンダーラ仏教遺跡です。

 

スフォラ・ストゥーパとカイバル鉄道の線路

 

軍隊のエンブレム Emblem of the Military Corps

この地を通過した様々な時代の軍隊が、その記念として自分たちの軍隊の紋章を岩肌に刻んでいきました。

 

軍隊のエンブレム

 

カイバル鉄道 Khyber Railway

ペシャワールとランディ・コタールを往復する観光客向けの蒸気機関車が月に1回程度運行していた時代がありました。この鉄道の歴史は古く、イギリス統治下の1926年に軍事物資運搬の目的で開通しました。ペシャワールからランディ・コタールまで約40キロ・高低差600メートルの道のりを34のトンネルと92の鉄橋を渡っていきます。

2006年の大雨と洪水により壊滅的な被害を受け、復旧のめどは全く立たない状態です。現在は傷んだ線路、トンネル、鉄橋、駅の跡が見られるだけです。

 

洪水で破壊された線路
トンネル
鉄橋
保存されている蒸気機関車(ペシャワール)

 

ランディ・コタル Landi Kotal

パキスタン側の最後の町がランディ・コタル。町の表通りのさらに一段低い場所にも商店が広がっています。かつては武器や麻薬を扱う「密輸品バザール」で知られていました。現在も活気のある市場があります。

 

ランディ・コタルのカバブ店
町で人気のチャッパル・カバブの店
明るくツーリストに話しかけてくるランディ・コタルの人々
学校から帰宅途中の子供たち

 

ミチニ・チェックポスト Michini Check Post

アフガニスタンの査証なしに訪問できるパキスタン側の最後の地点が国境トルハムを展望するミチニ・チェックポストです。ここから5Km下ると国境の町・トルハムです。 また、国境をはさむ岩山には1,2,3の番号が刻まれ、その線をつないだところが両国の国境線となります。

 

ミチニ・チェックポストから国境トルハムを望む

ミチニ・チェックポストには観光客が入れるビューポイントがあります。そのビューポイントからタイモール・フォート Taimoor Fortまたはタメルラン・フォートTamerlane Fortと呼ばれる古い建物があり、ティムールのインド攻略の際に牢獄として使ったものだという伝承があります。

 

タイモール・フォート Taimoor Fort
国境のトルハムを望む展望台

 

トルハム国境  Torkham Border

国境に近づくとドライポート、そして出入国管理の建物があります。建物の前にはアフガニスタンへ向かう人々、荷物を運ぶポーターや両替商がおり国境情緒に溢れます。2024年現在、トルハムの国境はパキスタンとアフガニスタンの間で唯一開いている国境です。

 

荷物を運ぶポーター、両替商が待機する国境
パキスタンとアフガニスタンの間をつなぐ通路

アフガニスタンとの国境の間は長い通路でつながれており、国境を越えるとそこからカブールまで230Km、車で6時間ほどで到着です。

 

Photo & Text : Mariko SAWADA

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カラーシャの春祭り・ジョシ祭の儀式

長い冬が終わり、その間にあつらえた新しい衣装を身に着け春の到来を祝う祭り、ジョシ。祭りの後に夏の放牧に行く家畜たちの安全を祈願し、祭りでは若い男女が出会う場所でもあります。

 

久しぶりにカラーシャの春祭りジョシへ行ってきました。この数年、パキスタンの辺境も「オーバーツーリズム」の様相で、いまや欧米だけでなくタイ、マレーシアなど東南アジアの観光客が押し寄せています。それに対してカラーシャの谷は圧倒的に欧米の観光客が多い場所。カラーシャの人々の外見と「アレキサンダー大王の軍隊の末裔説(DNA調査により関係ないと結論が出ているようですが)」で人気があるのかもしれません。

 

最近のパキスタン人観光客のSNSに上がる“Chilam Joshi Festival”の写真を見てその変化に驚いていました。昔のカラーシャを知っている方々にとっては「残念過ぎる状態」かもしれません。2024年の春に経験したカラーシャのジョシ祭の儀式の一部をご紹介したいと思います。なお、名前・スペルなど案内してくれた地元の方々の協力によるもので、文献などと異なる場合もありますが、現地で見聞きした通りで表現しています。ご容赦ください。

 

カラーシャの谷へ
クナール川を渡るつり橋がコンクリート橋に変わったものの、昔ながらのアユンの街並みが残っています。道を進めていくとヒンドゥークシュ最高峰ティリチミール(7,708m)を望む場所があり、さらに進めるとオーバーハングの崖もあるオフロードを川沿いに走ります。そしてつり橋を起点に左がボンボレット谷、右がランブール谷へと続きます。

 

カラーシャの谷へ

カラーシャのジョシ祭にはいくつかの儀式があります。

 

「ビシャの花摘み」プーシェンパリック Pushen Parik

子供たちが山に入り、神殿の飾り付けとチリクピピの儀式のために(ボンボレット谷の場合)ビシャの花を摘みます。ビシャは豆科の Piptantus Nepalensisで、カラーシャの人々にとってほかの花よりも早く咲き、「春の訪れを告げる花」です。

 

ビシャの花を摘んできた少女

 

神殿の飾り付け(プシ・ベヘック Pushi Behak)

家や神殿をビシャの花で飾り付けることを プシ・ベヘックPushi Behakと言います。ランブール谷では、夕方までにたくさんの花が集められ、8時ごろには飾り付けの時間まで一緒に過ごす子供たちが集まってきました。中にはブランケットを持ってきている子供も。9時ごろに太鼓をたたき、子供たちが踊り始めました。その様子はさながら“子供たちのジョシ”。30分ほど踊ると、子供たちはみんなで寝る場所へ移動していきました。早朝3時ごろ、ビシャの花とクルミの枝を持った子供たちがジャスタック・ハン神殿へ歩き始めました。神殿の入り口で昨年の花を落とし、みんなで新しい花を飾ります。外部が終わると中に入り、神殿の隅にある村の4つの氏族の祭壇へ。子供が一人代表で上がり、古い花を落とし新しい花を飾りました。そして広場に出て再び30分ほど踊りに興じました。

 

ビシャの花を持って神殿へ向かう子供たち
ジェスタク・ハン神殿の外壁を飾る女性たち。Jestakは家庭生活、家族・結婚の女神でこの女神の住まいがジェスタク・ハンです
ジェスタク・ハン神殿の内部。昨年のビシャの花を落とすと、バラングル村の4つの氏族の祭壇が現れました
祭壇は新しいビシャの花とクルミの枝で飾られます

 

ランブール谷の赤ちゃんの浄めの儀式(グルパリック Gul Parik)

ランブール谷のグルパリックは祭りと祭りの間の期間に生まれた赤ちゃんに対して行われます。ジョシ祭では、12月のチョウモス祭から5月のジョシ祭の間に生まれた赤ちゃんが対象です。この儀式をするまでのお母さんと子供は「不浄」と考えられ、お母さんと子供を浄めるのがグルパリックで、子供の健康を祈ります。儀式を行う男性は、自分自身も儀式のパンを焼く場所も浄め、この儀式のために浄められて用意された特別な小麦粉を、浄められた道具を使って神聖なクルミのパンを作ります。パンは最低でも男性用に5つ、女性用に5つ(それぞれ異なる粉です)、ふるまい用含めて20枚ほど焼かれます。

 

女性用、男性用の神聖なパンを焼くために用意された、浄められた小麦粉、クルミ、岩塩
クルミと岩塩を潰す男性
神聖なくるみのパン

くるみのパンが焼き終わると、お母さんと赤ちゃんが神殿へ現れ儀式が始まります。

 

グルパリック、赤ちゃんの浄めの儀式

神々しい空間、カラーシャの祈りの世界に圧倒されました。

 

ミルクの儀式(チリクピピ Chirik Pipi)

ボンボレット谷のチリクピピです。朝、女子たちがミルク容器と前日に集めたビシャの花とを持って集まります。儀式が始まると一斉に子供・女性たちが神聖な家畜小屋へ。村の人によると、5月1日から貯めた神聖なヤギの乳で、女性たちに配ります。本来なら、ここでチリクピピの歌(花の歌)が歌われるそうですがそれは聞きませんでした。家畜小屋は1か所ではなく何か所もあり、私たちは2か所回りました。そしてその後、村人が山を背景に踊っている美しい光景を見ることができました。

 

儀式の前に、集まり歌い、踊るカラーシャの人々
ミルクを入れる容器を手に集まった子供たち
清められた家畜の乳を配る。チリクピピの儀式
ミルクをもらい、ビシャの花で飾られた家畜小屋から出てくる女性たち
儀式の後、踊る女性たち

 

ボンボレット谷の赤ちゃんの浄めの儀式(グルパリック Gul Parik)

ボンボレット谷のグルパリックはランブール谷とは異なるスタイルの儀式です。昨年のジョシ祭以降、1年の間に生まれたすべての赤ちゃんとお母さんを浄め、赤ちゃんの健康を祈ります(実際には何回か清めの儀式があり、これが最終段階の浄めの儀式だそうです)。

赤ちゃんのいる家からクルミと乾燥した桑の実が入ったバスケットが村の広場へ届けられます。そして合図があると集まった村の女性たちと儀式を受けるお母さん・赤ちゃんが家畜小屋付近へ移動。そして、儀式をまかされた村の男性が集まった女性たちにミルクを投げて浄めます。

儀式が終わると再び広間に集まり、バスケットに入っているクルミと桑の実が分配されます(私たち、観光客にも!)。この日はボンボレットの小ジョシが行われるため、みんな準備のため家へ戻っていきました。

 

クルミと乾燥桑の実の入ったバスケットを運ぶ。村によってはチーズの場合もあります
浄めの儀式へ向かうお母さんと赤ちゃん
屋根の上にいるのがミルクで浄める男性(Chir histauチールヒスタウ)。この儀式をChirhistic チールヒィスティック(チリスティック)といいます。
クルミと桑の実を分配。写真に写っている犬は儀式の間もずっと一緒に行動していました。カラーシャの人々と犬はとても近い距離にあるようです。

 

ランブール谷のジョシ祭

一連の儀式が終わると、小ジョシ祭(サタック・ジョシ Satak Joshi)、 大ジョシ祭(ゴンナ・ジョシ Gonna Joshi)が持たれます。今は屋根のある会場で行われ、かなりの観光客でにぎわいます。

小ジョシはチャー(速いテンポの曲)やドゥーシャク(遅いテンポの曲)、より複雑なダライジャーラックといった太鼓と歌と踊りが繰り返されますが、大ジョシは最後に儀式的な踊りが組み込まれます。
カラーシャの曲は太鼓と歌からなる楽曲で、さらに限定された旋律の繰り返しです。歌詞は儀式にちなんだもの、カラーシャの神話や歴史にふれているもの、恋愛に関するものなど多様だそうです。基本は、「乳の豊穣を祈り、民族としてのアイデンティティを全員で確認」するための音楽です。

そしてジョシ祭の最後にはこの祭りの特別な曲「ガンドーリ」、「ダギナイ」が演じられます。

 

「ガンドーリ」枝を手にして投げる瞬間を待つ

ダギナイはジョシの最後を締めくくる歌で、チャーの旋律で歌われる「悲恋の歌」です。歌の間、紐や布でつながって鎖のようになって踊り(本来は柳の枝で編んだものだったそうです)、この鎖が切れると災いがあるとされ、みんな必死に紐を握っていました。最後は突然太鼓の音が止まり、一斉にこの布を投げて、ジョシが終了します。

 

紐でつながって踊る「ダギナイ」

「ダギナイ」の歌詞です。(季刊民族学 1991年”カフィリスタン・ムンムレット谷 カラーシャ交響曲 「ジョシ」 ”より)

 

ダギナイ かの偉大なる谷間の上に 
ウチャオ月に先し月のころわれ、山の牧にあり
おお、ダギナイ ダギナイ
白き柄の小剣 みぞおち深くささり
おお、ダギナイ

 

この歌の背景はカラーシャの誰もがしっている悲恋の物語です。

 

むかし、ある男その妻の妹と恋仲になりし
嫉妬した妻、放牧地に夫行きし間にヘビの毒もちいて妹を殺(あや)めし
男、戻りてみると、その恋びと、毒によりビーシャの花のごとく黄色くなりすでに息絶えて眠りし
男、悲しみ、「ダギナイ」を歌いしのち遺体に突き立てし刃の上に身を投げ、自害せり
男と恋びと、べつべつの柩に入れられしも翌朝にはひとつの柩のなかに眠りし驚きし人びと、ふたたびふたり引き離し
べつべつの柩に戻ししも、翌日またふたりひとつの柩のなかに収まりし
ふたりの愛、かくのごとく強し

 

この物語の歌を歌い、踊り、カップルが誕生していくんですね!

 

今どきのカラーシャの若者たち

ジョシ祭のもうひとつの意味は、男女の出会いの場所であることです。伝統的にはジョシ祭のあとに夏の放牧地に行くので、戻ってきた後に行われる8月下旬のウチャオ祭が恋愛の本番になります。ジョシと同じ舞台で、夜に若い男女だけが踊り、相手を探します。

 

「ガンドーリ」

25年以上カラーシャの春祭りに通っている男性に聞いたところ、カラーシャの衣装や若者の様子はかわってしまったけど、儀式は25年前と変わらないよ、と。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

参考文献・出展:季刊民族学1991年 小島令子著「カラーシャ交響曲「ジョシ」

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タルパンのアルターロック<祭壇の岩>、インダス河畔の岩刻画

タルパンのアルターロック(Alter Rock)「祭壇の岩」はインダス川北岸の砂地にあります。仏教モチーフより動物を中心としたモチーフが描かれた岩です。この古代シルクロードの魅力に満ちた岩刻画をご紹介します。

古来より多くの旅人が行き来したタルパン。最初にこの場所を選び彫刻をしたのは遊牧民でした。アルターロックの正面の岩面はさまざまな動物、屠殺シーンが描かれ、まさに「祭壇」として使われていたのかもしれません。

 

アルターロック、全景

このアルターロック(Alter Rock)の岩の岩刻画の中でも際立つのが、この「生贄を持つ戦士」の絵。生贄なのか狩猟した動物(多くの資料にはヤギとなっていますが動物好きの私にはアイベックスに見えます)を屠るシーンのようですが、大きなナイフを持つ中央アジア風の人物の姿が大変特徴的です。
この男性の服装は当時の騎馬遊牧民の衣装だと考えられ、紀元前3世紀から紀元後3世紀までイラン高原で栄えた王朝、パルティア(Parthian)の人物ではないかとされています。

パルティアは現在のトルクメニスタンで発祥し、イラン高原を中心に紀元前3世紀から広く西アジアを支配し、その治世末期の紀元20年頃分派し、ゴンドファルネス王によってインド・パルティア王国が建てられました。タキシラも一時都としたインド・パルティアはこのインダス河一帯でも活躍していたのでしょう。

この動物を生贄(または屠る)岩刻画のモチーフは殺生を禁ずる仏教の影響より、中央アジア民族の影響が強かったことが伺えます。

 

前足を45度にまげた、デザイン化された馬(また一角獣)の図です。
このポーズは”Knielauf”と呼ばれる表現で古代ギリシャで飛翔を描く際に見られた表現で、アケメネス朝ペルシャの芸術でも見られます。この馬はたてがみと尾が結ばれまるで弓のように見えます。

 

デザイン化したアイベックスでしょうか。目が円い、ことなるスタイルのイラン的な表現です。

 

角をデザイン化したシカのような生き物と、それを追う2つの尾を持つ生き物の図です。パキスタンで野生動物の観察をしている私には、崖にいるアイベックスを襲うユキヒョウに見えます。面白いのは崖のように見えるギザギザの線の先にヘビの頭があることです。
「これは前にはヘビがいて、後ろにはユキヒョウがいて、さらに狩人と猟犬がいて、行き場を失って困っているアイベックスの図です」と教えてくれた人がいました。
このような波状のようなデザインは南シベリアのアルタイ地方の芸術によく見られる特徴だそうです。

このアルターロックにおいて、イラン的な要素の岩刻画が見られることは、すでにアケメネス朝時代にガンダーラ、タキシラがサトラップであったことから驚くことはありませんが、世界でも有数の山脈地帯を越えた北にある南シベリアのアルタイ地方とこのインダス河畔地域に交流があったことは驚かされます。

 

光背持つ大きな仏陀座像と同じく光背を持つ4つの小さな仏陀座像の図です。どの仏陀像も定印 を結び、その衣装は両肩を隠し、衣紋が平行に優雅に描かれています。このような衣紋はインドでAD320~550年に栄えたグプタ朝で見られるデザインに似ています。同じ岩にアイベックスと思われる生き物が描かれていますが、その動きと方向から先にこのアイベックスが描かれ、その上に仏陀像が描かれたと考えられます。

このアルターロック岩刻画の製作年代ですが、仏教モチーフ以外のものは紀元前1千年期半ばごろのものと推測されています。

 

アルターロックの西側のパネルも岩刻画で覆われてます。

 

インダス河畔の岩刻画の中でもマスターピースとも言えるアルターロック。
繰り返し言い続けていますが、これらの岩絵がダムにより永久に失われることが残念でありません。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

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杏の花咲く、春の桃源郷フンザ

3月下旬、フンザの谷が淡いピンク色の杏の花に包まれました。畑には小麦の新芽の緑が。フンザは1947年の印パ分離独立後も1974年まで藩王が支配していました。ブルシャスキー語を話す、ブルショーの人々が暮らす谷です。

 

フンザは「桃源郷」と謳われ、「長寿の里」として知られています。この美しさ、果樹に支えられた村の暮らしが「長寿の秘訣」なのかもしれません。

ブルショー Brushoの人々が話す言葉、ブルシャスキー語 Burushaski は「孤立した言語」で他のいかなる言語とも関連性が見つかっていません。インド・アーリア系民族の到来以前にこの地に存在した言語集団の末裔ではないか、と言われています。フンザ谷、フンザ川をはさんで対岸のナガール谷、ワハーン回廊へ通じるヤスィーン谷、イシュコマン谷にもブルシャスキー語を話す人々が暮らしています。

 

バルティット村の中心地の景色です。昔は大きな建物というと、藩王の居城だったバルティットフォート Baltit FortとダルバールホテルDarbar Hotelくらいでしたが、今は大きな建物(ホテル)が目立つようになってきました。

 

バルティット村から望むラカポシ Rakaposhi (7,788m)。フンザ川対岸のナガール谷の山で、フンザのいたるところから展望できる名峰です。

 

同じくバルティット村から望むディラン峰 Diran  (7,266m)。

 

杏の花咲くアルティット村 Altit Village とドゥイカル Duikal の間を歩いてみました。

 

満開に咲き誇る杏。杏の実、その種、種から取る油がどんなに暮らしの中で大切かがわかります。

 

アルティット村はたくさんの杏の果樹に覆われていました。村歩きでは美しい村人との出会いが。フンザの人々、ブルショー人は見た目も色が白く、髪の毛の色が薄い人が多くいます。

 

可愛らしい子供たちとの出会いが。

 

この日のランチは、バルティット村のアミンさんの家でフンザの郷土料理を用意してもらいました。

 

ちょうど写真家・中西俊貴さんの撮影ツアーがフンザに来ており、郷土料理を作る様子を撮影。

 

フンザを代表するメニュー ドウドスープ Dowdo Soup を準備しています。

 

大変美味なチーズチャパティ(ブルシャスキー語でブルスシャピック Burus Sapik)を作っています。フンザのチーズ、ミント、トマト、ネギ、玉ねぎ、果実オイルが小麦のチャパティで巻かれています。とてもヘルシーで、パキスタンに来て食事に困っているベジタリアンの方にもおすすめです。

 

本日のランチ。果実油をたっぷり使った郷土料理、フンザの郷土ワインとの相性も抜群です。

 

Photo & text : Mariko SAWADA

Visit : March 2023, Hunza, Gilgit-Baltistan

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デオサイ高原の5,000m峰、シャトゥン・ピーク登頂

2020年の夏に出発予定だった「デオサイ高原、シャトゥン・ピーク登頂」企画、コロナ禍でキャンセルとなって以来、念願のツアーを2023年夏に実現することができました。ガレ場続きのルートは大変でしたが、無事5名のメンバーと登頂を果たすことが出来ました。手厚いサポートをしてくれた登山ガイドやサトパラ村からのポーター達に感謝です。

 

山頂からの360度のパノラマビュー。気分は高所クライマー!

 

チラスからアストール渓谷を走りデオサイ高原へと上がります。途中、ナンガパルバットの圧巻の景色。デオサイ高原に上がると美しいショーサル湖畔でキャンプ。大変美しい場所ですが、標高4,200m近いキャンプ地で深夜まで騒々しい音楽で騒いでいるパキスタン国内観光客に驚きました。が、メイン道を外れると他に誰もいない秘境エリアに入り本来のデオサイ高原のが広がります。ベースキャンプからも世界第9位の高峰ナンガパルバット(8,126m)が見えます。

 

登山の序盤はのんびりしたルート、キンポウゲやサクラソウの群生に目を癒されながら歩いて行きます。後に困難なガレ場続きのルートが待っているとはつゆ知らず。

 

ルート上は山上湖が点在しています。とても美しい谷です。前方の雪山が今回目指すシャトゥン・ピーク!

 

サクラソウの群生地を歩きキャンプ1を目指します。楽なのはこの辺りまで。

 

ガレ場のキャンプ1に到着。さてどこにテントを張ろうか。

 

ガレ場の上で寝るよりは、雪の上がずっと快適です。雪渓が残っていてよかった、いよいよ明日早朝山頂アタックです!

 

キャンプ1から山頂までは95%がガレ場のルート。永遠に続くように思える急登をただひたすらに登ります。

 

立ち止まって振り替えると素晴らしい展望が広がります。

 

山の向こうはインド側のカシミール地方。シュリーナガルもすぐ近くです。インドヒマラヤの名峰ヌン峰・クン峰も見えました。

 

世界第9位峰ナンガパルバット8,126mも見えます。

 

ガレ場の急登もあと少し。稜線が近づいてきました。

 

稜線に出ると後は雪渓を登るだけです。日も高くなってきました。

 

5名のメンバーとガイド、ポーター達とシャトゥンピーク(5,260m)登頂に成功です!バックはナンガパルバット!

 

山頂からはK2をはじめバルトロ山群も展望する事が出来ました。つまりここからはパキスタンにある8,000峰5座、ナンガパルバット(8,126m)、K2(8,611m)、ブロードピーク(8,051m)、ガッシャーブルムⅠ(8,068m)、ガッシャーブルムⅡ(8,034m)のすべてを展望できるという事になります。天気に恵まれ、風もなく好天。この後、急なガレ場の下りが待っていることはとりあえず忘れて、約1時間近く山頂に滞在して至福の時を味わいました。

 

Image & text : Tomoaki TSUTSUMI

Tour conducted in July 2023, Deosai National Park, Gilgit-Baltistan

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DISCOVER AFGHANISTAN:ワハーン回廊、アフガンパミールのキルギス族

アフガニスタン、ワハーン回廊。秘境好きの旅人の間で“ラスト・フロンティア”と呼ばれてきたこの地も、チャクマクティン湖まで未舗装の自動車道が完成し、キルギス族の暮らすリトルパミールまで車で行けるようになりました。4日間のトレッキングが、4時間の4WDの旅になったのです。高原で暮らすキルギス族の暮らしにも変化が現れています。

ワハーン回廊

ワハーン回廊はアフガニスタンのバダフシャン州にあるタジキスタン、中国、パキスタンと接する細長い領土(回廊)。山岳高原地帯でアムダリヤの源流が発する場所であり、夏には豊かな水と草地が現れ「パミール」と飛ばれています。

この不思議な国境線は1873年にアフガニスタンとロシア帝国の間がパンジ川・パミール川沿いに国境がひかれ、1893年にアフガニスタンとイギリス領インド帝国(現在のパキスタン)の国境線(デュアランドライン)が引かれたことでできました。当時のロシアとイギリスの「グレートゲーム」の緩衝地帯となった場所です。

 

チャクマクティン湖 Chaqmaqtin Lake
キルギスの墓 Bozai Gumbaz アムダリヤ源流となるワフジール川とワハーン川の合流地点

ワハーン回廊のイシュカシムからサルハッドまではワヒ族が暮らし、そこから標高1,000mほど上がった「パミール」にはキルギス族が暮らしています。

チャクマクティン湖(Chaqmaqtin Lake)周辺は「リトルパミール」と呼ばれ、パミール川に沿ったタジキスタン国境からゾルクル湖にかけての高原は「ビッグパミール」と呼ばれています。いずれも標高4,000mを越える高原です。「リトルパミール」ではキルギス族は夏は湖の南で暮らし、冬は湖の北へと移動します。

 

チャクマクティン湖を背景に、キルギス族の家族

アフガンパミールのキルギス族

キルギス族はテュルク系の中央アジアに暮らす民族です。古くからアフガンパミールへ夏の放牧地を求めてやってくるキルギス族の小グループがいましたが、1917年のロシア革命時に多くのキルギス族がアフガンパミールへと移動してきました。そしてこの閉鎖的な地域で季節ごとの小移動を繰り返す生活を作り出しました。その後の1949年の中国の建国、1978年のアフガニスタンの共産主義政権の成立時に国境を越えた民族移動があり、現在は1,300~1,400人ほどのキルギス族がアフガンパミールに暮らしていると言われています。最近では2020年の新タリバン政権成立後にタリバンを恐れた人々が一時的にタジキスタン国境へと移動しましたが、自分たちの家畜・生活が守られると聞き戻ってきたそうです。

リトルパミールのアンダミン集落のシューラの責任者によると、2023年のリトルパミールには28の集落があり、従来はリトルパミールに500人、ビッグパミールに800人ほどが暮らしていたそうですが、3年ほど前からビッグパミールの方からリトルパミールに人が移動してきて、今はリトルパミールに1150人が暮らしているとのことでした。これは2020年の道路の完成が影響しているのかもしれません。

 

チャクマクティン湖周辺に暮らすキルギス族

厳しい高原での暮らし

イシュカシムからサルハッドへ移動の途中に、助けを求めるキルギスの男性に出会いました。男性によるとパミールで出産をした妻の体調が悪く、診療所でイシュカシムの病院へ行くように言われたとのことでした。「お金がない」、と。キルギス族の中にはパミールを訪れる商人と羊やヤギなどの家畜との交換で物を手に入れ、現金を持たない人もいます。「車に乗って病院へ行く」にはお金が必要なのです。この時はお金を渡し、この方の奥様の無事を祈ることしかできませんでした。

村でも子供を失った親、妻を失った男性にも出会いました。そして、老人の姿が少ないのです。厳しい環境に生きていることを実感しました。

 

キルギス族の少年

アフガンパミールのキルギス族は自給自足をしているわけではありません。家畜を育て乳製品を作り、パミールにやってくる商人<ワハーン回廊のワヒ族や南部から来るパシュトゥーン族>から必要なものを手に入れます。家畜や乳製品と交換したり、または売ることで生活に必要な商品や現金を手に入れています。羊との交換の場合は、今年の子羊を来年受け渡す約束で成立するケースも多々あります。

 

キルギス族の育てるヤギ・羊。羊はお尻に脂肪を蓄えたドンバ羊です
アフガンパミールのヤクは隣国パキスタンのヤクより大型です
乳製品<クルト>づくり

新タリバン政権(2020年)以前はパキスタンのチャプルソンと交易がありました。毎年500匹のヤク、夏の間に作った乳製品クルトが売られていきました。今は、カブールなどアフガニスタン南部から来る商人に羊・ヤギを売り、チャプルソンとの交易再開を心待ちにしていると言います。

キルギス族の女性の夏の暮らし

キルギス族は初夏に生まれた家畜の子の世話をし、乳を搾り乳製品を作り暮らしています。朝はそんなに早くなく、8~8時30分ごろに乳しぼりを開始します。その後は川で洗い物をしたりナンを焼いたり販売用の乳製品クルト作ったりします。ワハーン回廊や南部アフガニスタンから来る商人との交渉も楽しみの一つ。女性たちは競って派手な布を買い、行事の度に新しいものを身にまといます。商人たちも彼女たちの好みにあったものをしっかり把握しているようです。それに比べ、キルギスの男性は「古着」が中心で地味です。

 

ヤクの乳を搾る

美しすぎる、キルギス族の世界

リトルパミールへの旅ではキルギス族のある小グループの暮らす集落に4日滞在しました。私たちがユルトを訪問するだけでなく、キルギス族の子供や家族が我々のキャンプを訪問してくるようになりました。私たちの持っているものへの興味、食べているものへの興味。子供たちの中には好奇心旺盛で朝から晩まで私たちのキャンプにいる子もいれば、親と一緒にしか来れない子もいました。

朝のヤクの乳しぼり、洗濯、クルトづくり、ナン焼き、空いた時間に友人訪問。歩いて、そしてロバや馬に乗って一日が過ぎていきます。

 

クルト(乳製品)を作る傍らで髪を洗う女性。
髪を洗う女性
キルギス族の暮らすユルトの中
食器の片づけをする子供たち
キャンプ地を訪問する子供たち

パミールに20年以上やってきている商人は、「道路ができてから貧しくなった人たちがいる」「ヤクをたくさん売って車を買い、その車が故障して貧しくなった人がいた」と。車で来れるようになったことで以前より多くの商人が訪れるようになったのでしょう、現金でのやりとりが増え、貧しくなった人たちがいる一方、車も家畜も持つキルギスの家族は豊かになっているようにも見えました。

 

アフガンパミールのキルギス族は、想像していたよりずっと多くの経験をし、いろんな人と出会いながら暮らしていました。大変、魅力的で興味深いものでした。

 

Photo & Text : Mariko SAWADA

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桃源郷フンザのおみやげ

7,000m級のカラコルムの高峰群に抱かれ、「桃源郷」とも呼ばれるフンザの里。
フンザで人気のお土産をいくつかご紹介します。

フンザの中心地、カリマバードのメインストリートには特産品を売るバザールが並びます。規模は大きくありませんが、観光の合間に気軽に散策を楽しめる場所です。

 

カリマバードのバザール

最初にご紹介するのは、フンザの特産品ともいえるドライフルーツとナッツ。

杏などの果物の栽培が盛んなフンザでは、果実の収穫後すぐに種を取り出し天日干しをし、保存食としてドライフルーツにします。ドライアプリコットは一般的なものと比べると色は茶色く、食感も硬めですが、これは添加物が一切使われていない証。噛むほどに杏の華やかな香りが広がり、つい癖になる味わいです。

ナッツは新鮮なクルミやアーモンド、アプリコットシード(杏仁)が有名。アプリコットシードは一見アーモンドに似ていますが、その名の通り、杏仁豆腐でおなじみの独特な香りが楽しめます。少し苦味はありますが、免疫を高める効果があるといわれています。

その他にもさくらんぼや桑の実、梨のドライフルーツもなかなかこの地でしか手に入らないのでおすすめです。

 

お土産屋さんで売られるドライフルーツ

バザールでは木工製品のお土産も目立ちます。杏の木やくるみの木は木工細工にも適しているため、それらの木材を使った置物や小物入れ、食器などが並びます。

 

杏の木やくるみの木でできたスプーン。アーティストが毎日一つ一つ手作りしています。

 

精巧な彫刻が施されたティッシュボックス

フンザの伝統的な刺繍をあしらった手工芸品も人気のお土産の一つ。ウール製のバッグやスリッパ、帽子に鮮やかな刺繍が施されています。

 

ポーチバッグ
スリッパ

また、フンザ周辺の北部パキスタンは数多くの天然石の原産地。専門店では水晶、アクアマリン、トパーズ、ガーネット、ブラックトルマリンなど色とりどりの天然石を扱っており、小さい原石などは比較的安価で手に入れることができます。
お気に入りの石や誕生石などを探してみるのも特別なお土産になりそうです。

 

アクアマリンの原石

バザール散策で一息つきたくなったら、Cafe De Hunza(カフェ・ド・フンザ)に立ち寄るのもおすすめ。

ここではフンザのくるみをたっぷりと使った名物のくるみケーキがいただけます。
コーヒーとの相性は抜群。ケーキはお持ち帰りもできます。

 

キャラメルでからめたくるみがぎっしり入った名物ケーキ

Cafe De Hunzaではお土産用にアプリコットオイルも販売していました。
喉の痛みや滋養効果があり、サラサラしているのでスキンケアとしても使える万能オイルです。

 

アプリコットシードオイル

ドライフルーツに木工品、ナッツ、オイル…と杏を良いところを余す事なく使用していて、フンザの人々にとって杏は生活に欠かせない、とても大切な存在なのだなと感じます。

まだまだご紹介しきれていないものもたくさんありますが、フンザを訪れた際にはぜひ、バザール散策でフンザならではの「桃源郷土産」を探してみてはいかがでしょうか。

 

Photo &Text : Madoka Nishioka

Visit : March 2023, Karimabad, Hunza, Gilgit-Baltistan

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カテゴリ:■ギルギット・バルティスタン州 > フンザ
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