モヘンジョダロの大発掘が進められたのは1922年から1931年のこと。1947年のパキスタン独立前の発掘品の多くは英国やインドの博物館に収蔵されていますが、パキスタン国内にもいくつか貴重な発掘品が保存されています。
そんなパキスタンに残る、“マスターピース”がこのモヘンジョダロの”神官王像 (Priest -King)”です。
モヘンジョダロはパキスタンの中部にある紀元前2500年から1800年頃に繁栄したインダス文明最大の都市遺跡です。インダス文明は、インダス川流域を中心にインド亜大陸西北部に展開した南アジア最古の文明です。インダス文明については、世界中の考古学者たちの努力により少しづつその実態が明らかになってきていますが、未だに多くの謎が残されています。
エジプト文明、メソポタミア文明、中国文明といった、ほかの3つの古代文明の文字が何らかの形で解読されているのにも関わらず、インダス文明の文字は未だに解読されていません。彼らの起源や信仰についても謎が残りますが、その衰退の経緯についても最も大きな謎として残っています。
カラチのパキスタン国立博物館に収蔵されているこの神官王像は、その姿形からメソポタミアとの関係を疑われるなど、インダス文明の謎を紐解くピースのひとつになるのではないかと言われています。
モヘンジョダロの神官王像 ”Priest King” – Mohenjodaro
白色の凍石(ソープストーン、Steatite) で作られ、1,000度以上の高熱で焼いて固くされています。大きさは高さ17.5cm、幅11cmと小さなものです。1927年の発掘調査中、DK地区の貴族の家と思われる大きな建物跡(DK-B)から出土しました。
特徴的なマントには三つ葉模様、一重丸、二重丸の模様が描かれ、赤色の着色があった痕跡があります。ヘッドバンドに三つ葉の模様をあしらったマントとその風格から「神官王」と名付けられました。
イギリス植民地(イギリス領インド帝国)時代、発掘品はラホールの博物館に送ら得てましたが、その後インド帝国の新首都になるデリーへ移送されていました。そして1947年の分離独立後に、モヘンジョダロからの収蔵品の多くがインドにある状態となりました。1972年、当時のパキスタン大統領だったズルフィカル・アリー・ブットーとインド首相インディラ・ガンジーを代表として”シムラー協定”が締結され、インドにあった発掘品12,000点の半分がパキスタンへと戻されました。
その際、「最も有名な2つの彫像」をめぐり、パキスタン当局は「神官王像 Priest – king」と「踊る少女 Dancing Girl」の返還を求めましたが、ガンジーはそれを拒み「神官王像」のみが返却され、「踊る少女」は現在もデリーの国立博物館で展示されています。
モヘンジョダロ博物館に展示されている「踊る少女 Dancing Girl」のレプリカ。
モヘンジョダロ遺跡の入り口にある、大きな神官王像のレプリカ。
モヘンジョダロ博物館入り口の売店に並ぶ「神官王像」のレプリカ。人気者です!
Photo & text : Mariko SAWADA
※博物館内の撮影は原則禁止されています。大きなかばんの持ち込みが制限されています。
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