カイバル峠を越えて Over the Khyber Pass

ペシャワールからアフガニスタンとの国境の間にある「カイバル峠」。古くから中央アジア文化圏とインド文化圏を結ぶ交易路にある重要な峠でした。峠がある山はパシュトゥー語でスピンガーと呼ばれ、紀元前4世紀にアレキサンダー大王の軍隊が、7世紀に玄奘三蔵が越えた場所でもあります。ムガール朝時代にはインドのアグラからアフガニスタンのカブールへの幹線道路=グランド・トランク・ロードの一部として発達し、近代ではイギリス植民地時代のアフガン戦争において戦場となった場所でもあります。 独立後はトライバル・エリア=連邦直轄部族地域(FATA)呼ばれるパシュトゥーン族の自治区となりましたが、2018年にその制度は廃止されました。外国人の訪問には事前許可と警備の同行が必要となっています。観光客が「カイバル峠」へ行く、という場合、一般的にはカイバル・ゲートからミチニ・チェックポストまでの区間の訪問を指します。

 

カイバル・ゲートとジャムルード砦  Bab-e-Khyber and Jamrud Fort

ペシャワール中心部から18Km。カイバル・ゲートと呼ばれる記念碑の門で1963年に建てられました。記念門の横には小さな公園がありカイバル石板にカイバル峠の歴史が刻まれています。カイバル・ゲートはパキスタンのお札、10ルピー札にも登場します。

カイバル・ゲートを越えてすぐ右手にはジャムルード・フォートがあります。もともとあった古い要塞の上に1823年、シク教徒によって建てられた砦です。シク教徒の英雄だった将軍ハリ・シン・ナルワ Hari Singh Nalwaはアフガン勢力と戦いジャムルード・フォートで殺され埋葬されています。現在はパキスタン軍が駐屯し、内部に入ることはできません。

 

カイバル・ゲートを歩いて越える、パンジャブ地方から来たラクダのミルク売り
2007年までカイバル・ゲートの近くに大きなアフガン難民キャンプ(カチャガリKacha Garhi refugee camp)がありました。1979年のソ連侵攻後からアフガニスタン戦争の終結までの間、この門を通じ多くの難民が行き来しました。
パキスタンの10ルピー札に描かれているカイバルゲート

 

カイバル峠ビューポイント Khyber Pass Viewpoint

ガイドブックに紹介されている「カイバル峠の写真」は、国境へ向かう途中の道から振り返ってペシャワール方面を見た景色です。今は新しく拡張された道路になり、国境を行き来する輸送トラックが列をなして走る道ですが、かつてはアフガニスタンから来たキャラバンの目の前に「ガンダーラ平野」が広がる、ドラマチックな光景だったことでしょう。

 

カイバル峠ビューポイントより、ペシャワール方面を望む

 

シャーガイ・フォート Shagai Fort

1920年代にイギリスがカイバル峠ルートを監視するために作った要塞。現在はパキスタン軍が駐屯し監視しています。砦の反対側にはモニュメントと展望台があります。

 

シャーガイ・フォート遠景
シャーガイ・フォートの入り口

 

アリー・マスジッド Ali Masjid

カイバル峠の道で両サイドを山に挟まれた一番狭い場所。もともと荷物を積んだラクダ2頭がギリギリすれ違えるくらい細かった場所でしただったそうです。戦略上重要な位置だったため、過去の戦争の際には激戦地となりました。道は徐々に拡張されていますが、現在もこの場所は車線が別れ、ペシャワール方面へ向かう車線は崖の上に作られています。

道路沿いに小さなアリー・マスジッド(モスク)、マドラサがあり、丘の上にはパキスタン軍が駐屯するアリー・マスジッド・フォートがあります。

 

道路沿いのアリー・マスジッドモスク。より大きなモスクを建設中です
狭い道を監視するアリー・マスジッド・フォート

 

アユーブ・アフリディの豪邸  Palatial Residence (Fort) of Ayub Afridi

麻薬王であり部族政治家としても有名な人物で、アメリカとの接触についてのエピソードなどの話題で知られる人物です。道路沿いには100部屋以上あるという豪邸の壁が続きます。

 

スフォラ・ストゥーパ Sphola Stupa

2~3世紀頃のシャン朝時代のストゥーパ。3層の基壇の上にストゥーパが乗っており、20世紀初めの発掘では仏像も出土しています。2024年現在、基壇部の修復がされています。カイバル峠エリアにある唯一のガンダーラ仏教遺跡です。

 

スフォラ・ストゥーパとカイバル鉄道の線路

 

軍隊のエンブレム Emblem of the Military Corps

この地を通過した様々な時代の軍隊が、その記念として自分たちの軍隊の紋章を岩肌に刻んでいきました。

 

軍隊のエンブレム

 

カイバル鉄道 Khyber Railway

ペシャワールとランディ・コタールを往復する観光客向けの蒸気機関車が月に1回程度運行していた時代がありました。この鉄道の歴史は古く、イギリス統治下の1926年に軍事物資運搬の目的で開通しました。ペシャワールからランディ・コタールまで約40キロ・高低差600メートルの道のりを34のトンネルと92の鉄橋を渡っていきます。

2006年の大雨と洪水により壊滅的な被害を受け、復旧のめどは全く立たない状態です。現在は傷んだ線路、トンネル、鉄橋、駅の跡が見られるだけです。

 

洪水で破壊された線路
トンネル
鉄橋
保存されている蒸気機関車(ペシャワール)

 

ランディ・コタル Landi Kotal

パキスタン側の最後の町がランディ・コタル。町の表通りのさらに一段低い場所にも商店が広がっています。かつては武器や麻薬を扱う「密輸品バザール」で知られていました。現在も活気のある市場があります。

 

ランディ・コタルのカバブ店
町で人気のチャッパル・カバブの店
明るくツーリストに話しかけてくるランディ・コタルの人々
学校から帰宅途中の子供たち

 

ミチニ・チェックポスト Michini Check Post

アフガニスタンの査証なしに訪問できるパキスタン側の最後の地点が国境トルハムを展望するミチニ・チェックポストです。ここから5Km下ると国境の町・トルハムです。 また、国境をはさむ岩山には1,2,3の番号が刻まれ、その線をつないだところが両国の国境線となります。

 

ミチニ・チェックポストから国境トルハムを望む

ミチニ・チェックポストには観光客が入れるビューポイントがあります。そのビューポイントからタイモール・フォート Taimoor Fortまたはタメルラン・フォートTamerlane Fortと呼ばれる古い建物があり、ティムールのインド攻略の際に牢獄として使ったものだという伝承があります。

 

タイモール・フォート Taimoor Fort
国境のトルハムを望む展望台

 

トルハム国境  Torkham Border

国境に近づくとドライポート、そして出入国管理の建物があります。建物の前にはアフガニスタンへ向かう人々、荷物を運ぶポーターや両替商がおり国境情緒に溢れます。2024年現在、トルハムの国境はパキスタンとアフガニスタンの間で唯一開いている国境です。

 

荷物を運ぶポーター、両替商が待機する国境
パキスタンとアフガニスタンの間をつなぐ通路

アフガニスタンとの国境の間は長い通路でつながれており、国境を越えるとそこからカブールまで230Km、車で6時間ほどで到着です。

 

Photo & Text : Mariko SAWADA

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