インダス川にできる2つのダムのため、永久に失われることになる貴重なシルクロードの遺産、”インダス河畔の岩刻画”について記録しています。
圧巻のストゥーパ描写とインスクリプション、”シャティアールの岩刻画”
カラコルムハイウェイから少しそれてインダス川へ下った斜面にあるシャティアールの岩刻画群。インダス川の南岸に位置し、東のダレル谷と西のタンギール谷の間にある、当時の旅人、交易キャラバン、巡礼者にとってとても重要であったことがわかります。仏教以前と考えられる岩刻画から、ガンダーラ全盛期のもの、ポスト・ガンダーラ期と考えられるものまでその図象は多岐にわたります。
まず、一番有名な岩刻画です。これは一般の観光客の方でもバスから降りてみて「あ、すごい」と思っていただける岩刻画です。
大きな岩の中心には、ベルをたくさんつけた繊細な描写がなされた大きなストゥーパ、左には「シビ王ジャータカ」を描いた図、右には奉献ストゥーパが描かれています。岩の左側には、このストゥーパの建立者の名前がカロシュティー文字で刻まれ5世紀ごろのものであることがわかっています。ストゥーパと奉献ストゥーパの間にはブラフミー文字とソグド文字で人物の名前が刻まれています。
メインストゥーパの三段の階段の両側には中央アジア風の衣装を着た信者が描かれています。この階段は4つの「階段のモチーフ」で飾られた台座へと続きます。2本の柱が梁をささえ、ドーム状のストゥーパが載っています。ベルは梁、ストゥーパ、龕にもつけられています。ストゥーパの上には傘蓋が載せられ、旗が両側にはためき、まるでアーチのように描写されています。ベルは傘蓋にもつけられ、この岩刻画を他のストゥーパとは違う、斬新なものにしています。
メインストゥーパの右側にある奉献ストゥーパは4段の階段が高い基壇へと続き、三角形のストゥーパ、その上に傘蓋、そして旗がうねってたなびいてる様が描かれています。メインストゥーパとは異なるスタイルのものです。
この左側の図は、「シビ王ジャータカ」が描かれています。
シビ王ジャータカについて
(ジャータカはお釈迦様が誕生される前のお話です)シビ王という心やさしい王がいました。シビ王のところに鷹に追われた鳩が飛んで来て、命ごいをしました。そこに鷹がやってきて、鷹は王様に「私は何日も食べておらず、鳩を食べないと死んでしまいます。あなたは鳩と私の命のどちらが大切だと思っているのか」と問いました。そこでシビ王は鷹の命も大切だと思い、自分の足の肉を鳩と同じ重さに切り取り天秤の上に置きました。しかし鳩の方が重かったので、再び肉を切り取って置きましたが釣り合いません。シビ王は深く考え、自分の体を天秤に乗せると釣り合ったのです。王様は鷹に「どうぞ私を食べて元気になって下さい」と言いました。シビ王は自らの命を鷹に与ることで鳩の命を救おうとしました。シビ王の心を知った鷹は帝釈天の姿で表れ、シビ王の行動を「あなたは将来仏陀になるでしょう」と敬いました。
※「シビ王ジャータカ」「シビ王と鷹と鳩」は様々なお寺さまのWEBサイトで詳しく紹介されています。ぜひ検索なさってください。
この岩刻画では、仏陀が洞窟の中に座し、「鳩」を手にしています。右に描かれている人物は天秤を持っています。この天秤にのっているものは鳩の命を救うために切り取られたシビ王の肉です。鳩を抱く仏陀の下には信者が両側に描かれています。
以上がメインストゥーパの説明ですが、シャティアールには他にも、特徴的で貴重な岩刻画がたくさん残されています。
ストゥーパの反対側の岩に描かれているもので、右側がヤントラ Yantra、左下がラビリンス Labyrinthとされている図象です。
これは ゾグド人のタムガです。タムガ Tamgaは、古代ユーラシア大陸の遊牧民やその影響を受けた文化圏で使用されていた紋章のようなものです。岩刻画では下記の写真のように現れます。
トール ( Thor ) の岩刻画にはサマルカンドの町のタムガが発見されてるそうです。
これはとても見えにくいのですが、中央に杯のようなものを持つ人物像がわかりますでしょうか?
祭壇の前で儀式をしているソグド人とされる岩刻画です。ソグド人なので拝火壇でしょうか。
最後に、この地を行き来した人々が描いた動物たちを紹介します。インダス川上流部やギルギット川、フンザ川流域の岩刻画はアイベックスが中心でユキヒョウやマーコールも見られますが、ここではフタコブラクダ、アジアゾウの姿が。シルクロードのキャラバンはとってもロマンですし、ゾウの描写はインドが近くなったことを感じさせます。初めてゾウを見た中央アジアの旅人はそれは驚いたことでしょう。
下記の図象以外もラクダやゾウに見える岩刻画が何点かありましたが、確実そうなものだけここにあげました。
何度行っても新しい発見があるシャティアールの岩刻画です。
ところで岩刻画のあるサイトから眺める村は、水没による補償金目当てで急ピッチで建てられた住居でいっぱいです。古の岩壁画のまわりの環境もずいぶん変わってしまいました。
Photo & text : Mariko SAWADA
※記事について:古い書籍をもとに記事を書いています。別の見解や説明も存在するかと思います。勉強したいので是非お知らせくださるとうれしいです。Reference:”Human records on Karakorum Highway” “The Indus, cradle and crossroads of Civilization”
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