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不思議の国のシドニ

(C)2023 10:15! PRODUCTIONS / LUPA FILM / BOX PRODUCTIONS / FILM IN EVOLUTION / FOURIER FILMS / MIKINO / LES FILMS DU CAMELIA

フランス

不思議の国のシドニ

 

Sidonie au Japon

監督: エリーズ・ジラール
出演: イザベル・ユペール、伊原剛志、アウグスト・ディール ほか
日本公開:2024年

2024.11.20

京都・奈良、そして直島へ―「光」を求める再生の旅

フランスの女性作家シドニは、自身のデビュー小説『影』が日本で再販されることになり、出版社に招かれて訪日することに。見知らぬ土地への不安を感じながらも日本に到着した彼女は、寡黙な編集者・溝口健三に出迎えられる。

シドニは記者会見で、自分が家族を亡くし天涯孤独であること、喪失の闇から救い出してくれた夫のおかげで『影』を執筆できたことなどを語る。溝口に案内され、日本の読者と対話しながら各地を巡るシドニの前に、亡き夫アントワーヌの幽霊が姿を現す。

旅の季節は春。今は紅葉でさぞかし人でにぎわっているはずの京都・奈良、そして直島をフランスの名女優イザベル・ユペールが旅していきます。京都・奈良は日本人でも時の流れの深遠さを感じますし、直島はまだ行ったことはないですが、島の暮らしやアートに触れて心洗われる体験ができると多くの知り合いに聞いてきました。内容もさることながら「いい旅をしているなぁ」と、ただただボーッと眺めていられる映画です。

そんな本作のテーマは「光」であるように僕には思えました。序盤から中盤にかけて亡き夫アントワーヌが描かれるとき、違和感があるくらいに強く光(照明)があたって、まだ生きているシドニとのコントラストが描かれます。

シドニと健三は伝統建築も含めてたくさんの場所を巡っていきますが、たとえば東大寺の場面でいかにも日本の伝統建築らしい自然光の差し込み方や外と中の曖昧さが、シドニたちの心理状態と呼応するシーンはとても印象的です。

そしてアートで有名な直島に訪れますが、今度は段々とシドニの心の中に光がさしてきて、色々な意味で明るくなってきます。対象的に「影」として描かれるのは健三になりますが、服の色などもかなり計算されているかと思うのですあ、主人公たちの「光の受け渡し」が特に中盤から終盤にかけて描かれています。

あとは、秋に春の映画を観るのもまたいいなと思いました。『不思議の国のシドニ』は12/13(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国劇場にて公開中。そのほか詳細は公式ホームページをご確認ください。

殯の森

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日本

殯の森

 

監督:河瀬直美
出演: うだしげき、尾野真千子ほか
公開年:2007年

2020.6.10

奈良の森の奥深くで、ふたりの喪が明けるひととき

奈良県東部の山間地(ロケ地は生駒市南田原町)。自然豊かなこの里に旧家を改装したグループホームがあり、軽度の認知症を患った人たちが介護スタッフとともに共同生活をしている。その中の一人、しげきは、33年前に妻・真子が亡くなってからずっと彼女との日々を心の奥にしまい込み、仕事に人生を捧げ生きていた。

そのグループホームへ新しく介護福祉士としてやってきた真千子もまた心を閉ざして生きていた。子どもを亡くしたことがきっかけで夫との別れを余儀なくされたのだ。つらい思いを抱えながらも、真千子は懸命に生きようとしていた。

毎日の生活の中で、しげきと真千子は打ち解けあっていく。そんなある日、真千子はしげきと一緒に真子の妻の墓参りに行くことになるが、墓は森の奥深くにあり、途中で真千子が運転する車が脱輪してしまう。

河瀬直美監督作『萌の朱雀』につづきご紹介するのは、同監督が2007年にカンヌ映画祭でグランプリ(パルム・ドールに次ぐ賞)を獲得した『殯の森』です。この作品も、監督の出身地・奈良の雄大な自然を舞台に撮影がなされています。

美しい茶畑でかくれんぼをする様子がメインビジュアルなことが示す通り、本作は純然たる日本映画なのですが、私が人に鑑賞を勧めるときは「まるでチベット仏教文化圏の荘厳さに触れたかのような」という形容を以って勧めています。自然と死への強い畏敬の念が、そのように観客に感じさせると思うのです。

「殯(もがり)」というあまり聞き慣れない単語は「敬う人の死を惜しみ、しのぶ時間や場所」のことで、その語源は「喪があける」ことにあるといいます。人の死は周囲の他者に大きな喪失をもたらし、葬式が終わったり、喪が明けたりしても心にずっと残り続けます。妻を亡くしたしげき、子を亡くした真千子。二人はそれぞれの空白を心に抱え、森へと迷い込みます。

私は小学生4年生か5年生のときに修学旅行で蔵王に行って、山の中で1メートル先も見えないような濃霧が出てきたときに、初めて感じるタイプの恐怖と同時に「どうにもならない」というある種の安堵のような感覚をはじめて体験したのをよく覚えています。安堵(安心)とは違うのですが、何もできることがなく、なすがままにするしかないという感覚です。諦観とでもいうのかもしれませんが、その感覚が、「チベット仏教圏っぽい」と私がこの作品を感じる所以だと思います。

死というのはいつかやって来るのでどうにもならなく、生きているということも生まれてしまったからにはどうにもならない。年齢・性別・境遇、その他諸々の社会的属性を森の闇が帳消しにして、しげきと真千子の「どうにもならなさ」が川のように合流していく本作は、日本人にとっての自然観を今一度見つめ直すことができる一作です。

萌の朱雀

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日本

萌の朱雀

 

監督:河瀬直美
出演: 尾野真千子、柴田浩太郎ほか
公開年:1997年

2020.6.3

奈良・吉野の奥深き山々と、日本人の心

過疎化が進む奈良県吉野村、この山間の村にある田原家には、当主の孝三とその妻の泰代、母の幸子、そして孝三の姉が残していった栄介と、孝三と泰代の子・みちるの5人が暮らしている。村に鉄道を通す計画が持ち上がって15年になるが、トンネル工事に携わっていた孝三は、計画の中止を知らされすっかり気力を失っていた。

そんな孝三に代わって家計を支えるのは、町の旅館に勤める栄介である。ある日、少しでも家計の助けになればと、泰代が彼と同じ旅館に勤めることになった。ところが、元々体の弱い泰代は、体の調子を崩して倒れてしまう。泰代に秘かな想いを寄せていた栄介は彼女を心配するが、栄介を慕うみちるは母に嫉妬心を覚えた。そんなある日、突然孝三が姿を消し、警察から遺品である8ミリカメラが届けられる・・・

日本国内の景観がユニークな邦画紹介。『田園に死す』につづく2本目は、日本を代表する映画監督・河瀬直美の初期作品『萌の朱雀』です。

開始数分で「この映画はきっと良い映画」だ、と確信するような作品とたまに巡り合うことがありますが、『萌の朱雀』は多くの人にとってそんな作品だと思います。

35mmフィルムに焼き付いた日本家屋の質感、調理場に差し込む光、かまどから上る湯気、茶の間から見える吉野の山々、虫の声、坂道を登って学校から帰ってくる子どもたち。そういった「原風景」と呼ぶにふさわしいシーンが冒頭に連続するだけで物語が既に成り立っていて、あとは映画に流れる時間に引き込まれていきます。

この作品の世界観にひかれて、私は吉野とその界隈を何度かに分けて旅したことがあります。一度目は高野山、二度目は飛鳥、三度目は「日本一長い路線バス(奈良・近鉄大和八木駅から和歌山・JR新宮駅)」に乗って十津川村を訪れました。十津川村のそばには「呼ばれないと行けない」という言い伝えがある玉置神社があります。私は幸いにも行けましたが、急な雨やなぜかバスが止まってしまったなどということが時々あり、縁がないと行けないと現地の方も言っていました。玉置神社に行って何を思って何を見たのか、正直よく覚えていないのですが、「行った」という漠然とした経験がなんとなく心のどこかにずっと残っています。

場所にしても建築にしても、最近は全てが整えられすぎて味気なくなってしまいがちです。そうした中で「なんとなく」というような直感的なフィーリングをもたらしてくれる場は、価値を増してきているように思えます。尾野真千子のデビュー演技もみどころの『萌の朱雀』。なんとなく懐かしく感じる吉野の光景を、ぜひ体感してみてください。

 

大峯奥駈道 100km完全踏破

大峯奥駈道は、吉野から山上ヶ岳に登り、弥山、八経ヶ岳へ縦走し前鬼(ぜんき)へ下る前半部分と釈迦ヶ岳から笠捨山、玉置山を経て熊野本宮へ至る後半部分に分けられます。ツアーでは、実質8日間かけて100kmを歩きますが、毎日の歩行時間は8時間前後と長めです。また、吉野山(旅館泊)と前鬼(宿坊泊)、十津川温泉(ホテル泊)を除き、山中5泊は無人の避難小屋を利用する健脚向けコースです。。