タグ別アーカイブ: フィンランド

枯れ葉

フィンランド

枯れ葉

 

Kuolleet lehdet

監督:アキ・カウリスマキ
出演:アルマ・ポウスティ、ユッシ・バタネンほか
日本公開:2023年

2024.1.3

秋のヘルシンキに咲く、小市民たちのドラマ

フィンランドの首都ヘルシンキ。理不尽な理由で失業したアンサと、工事現場で働く酒好きのホラッパはカラオケバーで出会い、互いの名前も知らないままひかれ合う。映画を観たり、食事をしたりしながら仲を深める二人だが・・・

日本に一番近いヨーロッパ、日本人に一番気質が近いヨーロッパ人などと紹介されることが多いフィンランドですが、小津安二郎監督の大ファンを長らく公言しているアキ・カウリスマキ監督のこの作品を観れば、なんとなくそれも納得できます。カウリスマキ監督の作品は、「シグネイチャー(署名)」とも言えるいくつかの特徴があります。

まずは、小市民な主人公だけれどもスポットライトがあたって舞台の上に立っているかのような照明。

渋くて盛り上がりを演出する意図では全く無い、哀愁漂うバンド演奏シーン。

静かに淡々と無表情に、でもちゃんと進んでいくドラマ。

主人公たちがふと見せる優しさ。

世の中の厳しさ。

ユニークな脇役。

まだまだありますが本作が特にユニークなのは、こうした淡々としたドラマの背後で、地理的な近接性もあり、ロシア・ウクライナ紛争のニュースが飛び込んでくることです。

それに対し登場人物たちは何をするわけでもありませんし、何かをしようと立ち上がるわけでもありません。カフェでコーヒーを頼むのをためらうようなアンサは、いくらかの絶望も伴いつつ、あくまでも目の前の現実をひとつひとつ受け止めていきます。

しかし考えてみると、元旦に起こった能登半島地震にしても、イスラエル・ガザ戦争にしても、ロシア・ウクライナ戦争にしても、募金等の支援を除けば「何もすることができないで状況を見つめる」ということぐらいしかできないのが小市民としては当たり前です。

「何もしていない」からといって「何も思っていない」わけではない。いつでも小市民の味方のカウリスマキ監督は、そんな勇気づけをこのタイミングで観客に持ち寄ってくれているように感じました。

一見淡々とした演出から、人間心理の深遠さを映し出す熟練した演出が魅力の『枯れ葉』は、2023年末より全国上映中。詳細は公式HPをご確認ください。

秋のフィンランドをめぐる旅

フィンランドの秋は自然の色が変わりゆく季節で、フィンランド人が『ruska(ルスカ)』と呼ぶ紅葉の季節です。9月のラップランドは、ルスカの季節で緑から黄色に色づく森をお楽しみいただけます。ヘルシンキの2つの国立公園は、きのこなどいわゆる「隠花植物」の宝庫です。お昼は焚火を囲みフィンランド式バーベキューも楽しみます。

アアルト

(C)FI 2020 – Euphoria Film

フィンランド

アアルト

 

Aalto

監督: ビルピ・スータリ
出演: アルバ・アアルト、アイノ・アアルト ほか
日本公開:2023年

2023.8.30

20世紀を代表するフィンランド人建築家アルバ・アアルトの人生

フィンランド出身の世界的建築家・デザイナーのアルバ・アアルトの人生と作品にスポットを当てたドキュメンタリー。

不朽の名作として愛され続ける「スツール60」、アイコン的アイテムである花器「アアルトベース」、自然との調和が見事な「ルイ・カレ邸」など、優れたデザインの家具・食器や数々の名建築を手がけたアルバ・アアルト。

同じく建築家であった妻アイノとともに物を創造していく過程とその人生の軌跡を、観客が映像ツアーに参加しているかのような独創的なスタイルで描き出す。さらに、アイノと交わした手紙の数々や、同世代の建築家、友人たちの証言を通し、アアルトの知られざる素顔を浮き彫りにしていく。

フィンランドという国のことは、「知っているようで知らない」と感じる方が少なくないはずです。デザインセンスがあるっぽい、自然が豊かっぽい、オーロラが見えるっぽい、教育・福祉が充実していそう、日本から一番近いヨーロッパ、日本人と気質が似ている、キシリトール、、、などなど。連想し得ることは様々ですが、「フィンランド人といえば」と問われたときに、20世紀を代表する建築家の一人のアルヴァ・アアルト(1898-1976)の名前を挙げる人は世界中にたくさんいるのだろうと本作を観て思いました。

と言いつつも、僕は本作がきっかけでアアルトのことを初めて知りました(「フィンランド人といえば」と問われたら映画監督のアキ・カウリスマキと答えます)が、建築だけでなく家具・ガラスなどの日用品のデザインまで手掛けたアアルトの作品は「これってアアルトのデザインだったのか」と思うものがいくつも映画の中で紹介されていました。

「丸イス」と僕が今まで呼んでいた「スツール60」は1933年(90年前!)にデザインされたものと知って驚きましたし、映画の中に出てくる建築の竣工年とデザインの先進性のギャップに目を疑いました。

アアルトの人生や建築・家具のことは映画を観ながら「ツアー」していただくとして、僕が印象に残ったナレーションやコメンタリーをいくつかご紹介します。

まず、「建築には階層(区分)があって、すべてが均一であるわけではない」というもの。
次に、「そこで可能なこと」という言い回し。
最後に、「何かを高めていなければ建築とはいえない」というもの。

ともすると忙しさや情報の洪水にさらされて表層的・一面的になってしまいがちな現代人の物事を捉え方に、「こう考えることもできる」「ああ考えることもできる」「どうすればもっと面白くなるだろうか」などと気付きがもたらされるか否かというのは、「自己責任」だったり「個人の自由」と任せられっぱなしで、結果的にその責任の重さや自由の曖昧さゆえに、盲目的に何かに従ったり強制されるという結果に陥ることが昨今は多いように感じます。

しかし、家具・建築・町に宿った多様な階調や包括的なデザイン意匠が、個々人を適度な力で「引っ張っていく」ことが今大事なのではないかと、アアルトの創作物全般が教えてくれたような気が僕はしました。

 

『アアルト』は、10/13(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、UPLINK 吉祥寺ほか全国順次ロードショー。そのほか詳細は公式ホームページをご確認ください。

 

コンパートメントNo.6

© 2021 – AAMU FILM COMPANY, ACHTUNG PANDA!, AMRION PRODUCTION, CTB FILM PRODUCTION

ロシア・フィンランド

コンパートメントNo.6

 

Hytti Nro 6

監督:ユホ・クオスマネン
出演:セイディ・ハーラ、ユーリー・ボリソフほか
日本公開:2023年

2023.1.25

目的地への道中、目的地にいるとき、思い出 どれが一番「旅らしい」時間か?

1990年代のモスクワ。フィンランドからの留学生ラウラは恋人と一緒に世界最北端駅ムルマンスクのペトログリフ(岩面彫刻)を見に行く予定だったが、恋人に突然断られ1人で出発することに。

© 2021 – Sami_Kuokkanen, AAMU FILM COMPANY (以降写真同様)[/caption]

寝台列車の6号客室に乗り合わせたのはロシア人の炭鉱労働者リョーハで、ラウラは彼の粗野な言動や失礼な態度にうんざりする。

しかし長い旅を続ける中で、2人は互いの不器用な優しさや魅力に気づき始める・・・

読者の皆さんは、海外の寝台列車に乗った経験はあるでしょうか? 僕はもともと電車が好きということもありますし、西遊旅行の添乗業務もありましたので、そこそこ乗車経験があるほうかもしれません。

思い出せる限りで、上海〜ウルムチ間(往路はちょっとずつ、復路は一気に約2日半)、西寧〜ラサ間、インド各地(バラナシ〜アグラや西インド等)、ギリシャのテサロニケからトルコのイスタンブール、ルーマニアのブラショヴ〜ハンガリーのブダペスト間(のはずがハンガリーのストライキで国境で降ろされる)、ブダペスト〜ポーランドのクラクフ間などです。

僕も本作の登場人物たちと同じように、通じているかどうか定かではないけれども同乗者と会話したり、互いの言葉を教えあったりしました。そういった一切合切の時間は、記憶の中にコンパートメントのようなものがあるとするならば、旅した区画ごとの「記憶コンパートメント」が連なった列車みたいなものが脳内に存在するように思えます。

90年代という時代設定の本作で、主人公はビデオテープが記録媒体のカメラを構えています。撮影している映像の宛て先には、自分も含まれているのでしょう。本作を見終わった後、自分が以前住んでいた住居を久しぶりに訪ねて、もう入れない場所を外から眺めているような心地になりました。

話が変わるようですが、先日偶然なタイミングで「セルフィー」という言葉の語源をしらべたときに、SNSに写真をアップすることが前提となった定義の言葉であることを知りました。つまり、本作で描かれている時代を含む「セルフィー」登場以前は、自分の写真や映像を撮っても、他者にそれが渡る機会が比較的少なかったということです。

そうした時代背景のもとストーリが進んでいくため、主人公がかつて過ごした時間への「戻れなさ」をいつか振り返るのだろうということ(フレーム外・作品で描かれるストーリー以降の時間)が、特に中盤以降から顕著に感じられるようになります。

鉄道で行ける最北端の地への旅気分が味わえる『コンパートメントNo.6』は、2023年2月10日(金)、新宿シネマカリテほか全国順次公開。その他詳細は公式ホームページをご確認ください。

オリ・マキの人生で最も幸せな日

f785771cfd66e7a9(C)2016 Aamu Film Company Ltd

フィンランド・北欧

オリ・マキの人生で最も幸せな日

 

Hymyileva mies

監督: ユホ・クオスマネン
出演: ヤルコ・ラハティ、オーナ・アイロラ ほか
日本公開:2020年

2019.12.18

モノクロでもカラフル―あるボクサーの宝物のような記憶

1962年夏、パン屋の息子でボクサーのオリ・マキは、世界タイトル戦でアメリカ人チャンピオンと戦うチャンスを得る。準備はすべて整い、あとは減量して集中して試合に臨むだけというタイミングで、オリはライヤという女性に恋をする。

メイン

フィンランド国中が試合の結果を期待し盛り上がる中、オリは試合のプレッシャーとささやかな幸せとの間を揺れ動く・・・・・・

サブ7

スポーツはしばしば国民的記憶をつくり出します。海外旅をしていてスポーツの話をしていると、自分の全く知らない熱狂の存在(たとえばインド・パキスタン・スリランカのクリケットなど)を知り、また逆に自国の熱狂が海外では全く知られていないことに驚くことがあります。

サブ1

私が自分の記憶で真っ先に思い出すのはサッカー日本代表の軌跡(ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、日韓ワールドカップなど)。記憶の深いところにはあるのは長野オリンピック(寒そうな開会式での力士の土俵入り、スキージャンプのドラマ、スピードスケートやボブスレーという競技を知ったこと)。近年ではラグビー日本代表の躍進、そしてこれからのイベントとしては、東京オリンピックが間違いなく日本人の国民的記憶として多くの人の心に残っていくことになるでしょう。

本作は、実在の人物であるオリ・マキの人生を再現する形のドラマです。フィンランドの年輩の人にとって、1962年の世界タイトルマッチがどれほど記憶に残っているものなのかはわかりません。フィンランド語のWikipediaを見る限りでは、ビックイベントだったようなので、日本での力道山の活躍のように、ある年代の人々にとっては広く知られている出来事なのでしょう。

サブ3

しかし、ライヤとのことは書いていませんし、減量の難しさについては発言が引用されていても、本作のテーマである「幸福」についてはもちろん記録が残されていません。

サブ2

たまたまオリ・マキと同郷だった監督は、ある日の邂逅をきっかけに彼の記憶をすくい取り、メインキャストも同郷出身で固め、彼の記憶の再現を試みました(ちなみに鑑賞後に知りましたが、オリ・マキ本人がある重要なシーンに出演していて、彼は2019年4月に亡くなっているので本作は貴重な晩年の姿の記録にもなっています)。

こうした製作プロセスによって、本作はひとつのストーリーながらもどこか断片的で、美しい記憶のかけらが拾い集められたかのような雰囲気を醸し出しています。モノクロの色調、フィルムの質感もそれを助長しています。

サブ8

幸福度が高いことで知られるフィンランドの人々の精神性を垣間見れる『オリ・マキの人生で最も幸せな日』は、1/17(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー。そのほか詳細は公式ホームページをご確認ください。

 

ククーシュカ

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フィンランド

ククーシュカ ラップランドの妖精

 

The Cuckoo

監督: アレクサンドル・ロゴシュキン
出演: アンニ=クリスティーナ・ユーソ、ヴィッレ・ハーパサロ、ヴィクトル・ブィチコフほか
日本公開:2006年

2017.2.8

戦争の狂気を癒やす、フィンランド最北の地の民・サーミ人の精神

サンタクロース村があることで知られているフィンランド最北の地・ラップランド。第二次世界対戦中、この地でもロシア軍・ドイツ軍・フィンランド軍による衝突が起きていました。

フィンランド軍の狙撃兵ヴェイッコは、戦争への非協力的態度が原因でSS(ナチスの親衛隊)のバッジが付いた軍服を着せられた状態で、岩に鎖でつながれて置き去りにされてしまいます。時を同じくしてロシア軍大尉イワンは、部下の密告によって秘密警察の取り調べに向かう道すがら、味方による誤爆を受けます。ヴェイッコとイワンはなんとか生き延び、付近に暮らすサーミ人の女性・アンニの家に留まることになります。こうして、互いに言葉が通じない三人の共同生活が始まります。

題名の「ククーシュカ」という言葉はロシア語でカッコーを意味しますが、同時に狙撃兵という意味もあります。カッコーは他の鳥の巣に卵を産み育てさせる「托卵」という習性で知られていますが、ロシア人のアレクサンドル・ロゴシュキン監督はこの自然界の不思議な事柄を、異なる言語を話す三人の奇妙な共同生活の描写に応用しています。たとえば、物語序盤でヴェイッコが岩山に自分をつなぐ固い鎖をはずそうと解決策をひたすら模索するシーンがありますが、この苦しいはずのシーンはさながら鳥の巣立ちを描いているようで、どこか前向きな雰囲気が漂っています。

このシーンは映画全体に対してなかなかの長さを占めますが、見ていて全く飽きがきません。「探す」という極めて単純な行為は、しばしば映画に力強い効力を与えます。いくつか思い浮かぶ映画がありますが、イラン映画の名作『鍵』は4歳の男の子がひたすら鍵を探します。スタンリー・キューブリック監督の代表作『シャイニング』では迷路が重要な役割を果たします。できれば旅先で迷子になりたくないですが、探したり迷ったりするということは旅という特別な時間の流れにおいてとても重要なことなのだと、この映画を見ながら私は感じました。

もうひとつこの映画で重要なポイントは「言葉が通じない」という点です。あらすじから予想できる程度に説明はとどめておきますが、フィンランド人がナチスのバッジをつけていることは当然誤解を生みます。誤解が解けていく流れの中では、トナカイの血におまじないをかけるなど、原初的な生活を保つサーミ人の行動が重要な役割を果たします。

『ククーシュカ』はこうした巧みなシナリオに加えて、フィンランド北部の初秋の空気やサーミ人のトナカイ飼育方法・魚捕りの仕掛けなど、ラップランドの風土を体感できるオススメ作品です。