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MEMORIA メモリア

084c93148674193c(C)Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF/Arte and Piano, 2021.

コロンビア

MEMORIA メモリア

 

Memoria

監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
出演:ティルダ・ウィンストンほか
日本公開:2022年

2022.3.9

コロンビアのジャングル×タイの熱帯雨林のサウンドスケープ

イギリス人のジェシカは、姉が暮らすコロンビアの首都・ボゴタに滞在している。ホテルの一室で眠っていると、大きな爆発音で目を覚ます。それ以来、彼女は自分にしか聞こえない爆発音に悩まされるようになる。

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ジェシカは建設中のトンネルから発見された人骨を研究する考古学者アグネスと親しくなり、彼女に会うため発掘現場近くの町を訪れる。

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そこでジェシカは魚の鱗取り職人エルナンと出会い、川のほとりで思い出を語り合う・・・

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「頭内爆発音症候群」という実際にある症状に戸惑いながら異国の地・コロンビアの町で暮らしさまよう主人公ジェシカは、自分の頭の中を旅するようになります。

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観客は広い画角(ワイドショット)を中心にジェシカの旅を見守りますが、折に触れてジェシカの頭の中の音を共に体験します。画は遠いけれども、音は近い。このミスマッチにおそらく大半の観客は戸惑いを覚えながらも、だんだんと距離感が麻痺していき、遠い画全体に深く没入していくかのような世界観が展開されていきます。そして、「音の橋」がジェシカ以外にも架けられていることが示されたとき、鳥が電線を伝って歩くように、ジェシカ以外の頭の中に観客は自由に動くことができるようになっています。

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爆発音ではないですが、私も3-4年に一回、頭の中で導火線に火が灯るような電撃音がすることがあります。それは例えば、ずっと分からなかったことが分かるようになったとき、突如思わぬ発見をしたときなどです。逆に、糸が切れるような音がしたこともあります。それは、こだわり続けた物事を手放すときでした。

本作で描かれている爆発音というのは、都市生活や資本主義・市場経済のストレス、そして自然・死との接点の欠如が象徴されていると思います。

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私はアピチャッポン監督に、福岡・天神で開催された数日間のマスタークラスで指導を直接受けたことがありますが、音にとても敏感な監督でした。福岡市は空港が中心部に隣接していて、市内で頻繁に飛行音がするのですが、そのことにアピチャッポン監督はとても気を留めていました。

また、マスタークラスが開催されたのは2016年4月中旬のことでしたが、最終日前夜に熊本地震が起きて、福岡市もそれなりに揺れたことに加えて地震の被害情報が次々と入ってくるという出来事がありました。海外の人にとっては地震はかなり怖いのではと思っていましたが、そのことに関してはさほど動揺せず落ち着いて受け止めていました。監督が拠点にされているチェンマイは自然豊かで、毎朝音に身を浸しながら瞑想をしているという話などもマスタークラスで聞きましたが、地震という「災害」というよりも「自然現象」としてアピチャッポン監督は受け止められていたのかなと、本作を観ながら当時を思い返しました。

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特に私が好きだったのは、あるシーンで登場する「雨が降り始めるまで」のサウンドスケープ(ランドスケープの音版)が提示されたシーンです。雨という天気の中にも小宇宙があって、そこを伝っていけば国境や遠く離れた場所に易々と旅できるという想像が掻き立てられるような、シンプルで力強く、でも幻想的な描写でした。

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「音映画」とでも言うべき『MEMORIA メモリア』は、3/4(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町・渋谷、シネマカリテほか全国順次公開中。詳細は公式ホームページをご確認ください。

黄金郷 コロンビア探訪

コロンビア南部、マグダレナ川上流の標高1000~2000mの山岳地帯に500㎢にわたって点在する遺跡群を訪れます。紀元前500年前まで遡る遺跡からは、ペルーのチャビン文明を彷彿とさせる独特の石彫が数多く発見されており、インカ文明に滅ぼされた文明の面影や当時の影響力を垣間見ることができます。

彷徨える河

彷徨える河_表_チラシ©Ciudad Lunar Producciones

配給: トレノバ、ディレクターズ・ユニブ

コロンビア

彷徨える河

 

El abrazo de la serpiente

監督:シーロ・ゲーラ
出演:ヤン・ベイブート、ブリオン・デイビス、アントニオ・ボリバル・サルバドール、ニルビオ・トーレスほか
日本公開:2016年

2016.10.5

「コロンビア人も知らないコロンビア」で 交錯する2人の来訪者の記憶

舞台は20世紀初頭コロンビア・アマゾン川流域。ドイツの探検家・テオの病気を治すために、先住民・カラマカテの案内でヤクルナという聖なる植物を探し求める旅が始まります。

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数十年後、テオの著作をもとにヤクルナを求めて同じ地に訪れたアメリカの植物学者・エヴァンが年老いたカラマカテと出会います。カラマカテは昔の記憶を失いかけていましたが、エヴァンの旅に同行することで少しずつ過去の出来事を思い出していきます…

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植民地としてのコロンビアの歴史もストーリーに大きく関わっていますが、物語の源泉をじっと見つめると、「記憶」あるいは「知識」というテーマが潜んでいることがわかってきます。老年になり記憶を失ったカラマカテは、自身のことを「チュジャチャキ 」と呼びます。おそらく先住民の言葉かと思われますが、写真に映った人物のことを指したり、字幕では「無の存在」と訳されています。そして、シーロ・ゲーラ監督は、会話の中で巧みにカラマカテと欧米人の時間軸の違いを描き出していきます。

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カラマカテは侵略者によって村を滅ぼされた中で唯一の生き残った男で、記憶をバトンタッチする相手がいません。この映画の原題は「大蛇の抱擁」という意味だそうですが、記憶を受渡す相手がいないカラマカテを、アマゾンの大自然が包み込んだというのがチュジャチャキという言葉の本質ではないかと思います。つまり、一個人の記憶がなくなるということはごく自然なことである、という考え方を示しているのではないかということです。

自分の記憶が確実に失われていることに当惑しているカラマカテは、知識を伝達することを目的とした植物学者・エヴァンに共鳴するかのように旅に同行したいと自分の意志で申し出ます。

何かを得るということは、何かを失うことになるかもしれない…そうした疑念を抱くかのように、訪問者たちはカラマカテと仲良く旅をするというよりはお互い背中合わせのような状態で、不思議な間柄のまま旅をしていきます。

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この映画の大きな見どころの一つは、老年のカラマカテが実際にオカイナ族という民族の最後の一人であるアントニオ・ボリバル・サルバドールによって演じられていることです。物語もドイツの民族学者テオドール・コッホ=グリュンベルクとアメリカの生物学者リチャード・エヴァンズ・シュルテスの実際の手記を元に構成されていますが、製作陣が先住民の人々に協力を請い説き伏せるまでの学者並みの努力は敬服に値します。

コロンビアやアマゾンに興味がある方、ジャングルの奥深くまで冒険に出た気分になってみたい方に特にオススメです。

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『彷徨える河』は2016年10月29日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次上映。

詳細は公式サイトからご確認ください。

黄金郷コロンビア

オリノコ源流域に隠された虹色に輝く川カーニョ・クリスタレスと黄金郷伝説の残るコロンビアのみどころを巡る9日間の旅。植民地時代の面影を今に残す世界遺産カルタヘナも訪問。