引用

夢二

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日本

夢二

 

監督:鈴木清順
公開:1991年

2021.7.21

極彩色の紅葉―北陸の風土が彩る 画家・竹久夢二の迷宮的世界観

大正6年、石川県金沢。竹久夢二は悪夢に取り憑かれていた。駆け落ちを約束した恋人・彦乃とは、湖畔で落ち合う事になっていた。そこへ、隣の村で殺人事件があったという知らせを聞く。妻を寝取られた男が殺人鬼と化して、山へ逃げ込んだという。
女たちの間を行ったり、来たりする夢二。紅葉の金沢の湖はいつしか血に染まっていく・・・

「幻想的な」というキャッチフレーズがぴったりの『夢二』は、紅葉やススキがみたいとき(紅葉やススキをどのように撮ればいいのか考えを練るとき)に、私が折にふれて参考にする作品です。実在の画家・詩人の竹久夢二をモデルにした物語ですが、原作はなく、いくらかの史実をもとにして鈴木清順監督特有の映画言語が物語が展開されていきます。

物語の筋は途中何度も見失うタイプの観念的な作品ですが、紅葉の色彩の素晴らしさや、山水画のような浮遊感は唯一無二です。耳に残る不可思議さをもつサウンドトラックは、金沢とも竹久夢二とも全く関係ないけれども詩的なことで有名な香港映画『花様年華』(ウォン・カーウァイ監督)に全編に引用されました。

主なロケ地となった金沢の湯桶温泉についてですが、西遊旅行の国内ツアーの見出し写真の多くを見たときのように「日本にはこんな場所があったのか」と思わせてくれる光景の場所です(20年前の作品ですが 調べた限りでは今も景観が保全されていてそこまで変わっていないようです)。

北陸には3回行ったことがあり、毎回金沢を拠点にしましたが、一番昔ですが一番強く記憶に残っているのが、20年ほど前に真冬に金沢を旅したときのことです。東京で生まれ育った私にとって、その寒さは桁違いで、「横殴り」という言葉がぴったりの凍てつく風もかなり堪えて、完全に油断していた私は震えて観光もままなりませんでした(並んで入ったお寿司さんで生タコがとてつもなく美味しく、「タコ感」が覆されたときだけ寒さによる震えが止まったのをよく覚えています)。

テキスタイルや和紙など、北陸が誇る伝統工芸が劇中でどこまで使われているかは専門外でわからないのですが、「北陸」と聞くとまず最初に思い出すのがこの『夢二』です。ほかにも、鈴木清順監督の作品には鎌倉を中心に独特な世界観が展開される『ツィゴイネルワイゼン』(現在は立入禁止の釈迦堂切通がこの世とあの世の境目として使われています)や松田優作が出演を懇願したという『陽炎座』(琴弾橋という鮮やかな赤で飾られた欄干を持つ短い橋が 異界への入り口に化けます)もオススメなので、ぜひ『夢二』とあわせてご覧ください(大正三部作と呼ばれています)。

東京干潟/蟹の惑星

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日本

東京干潟/蟹の惑星

 

監督:村上浩康
公開:2019年

2021.7.13

満ち引きする小宇宙ー多摩川河口の干潟という秘境から望む、大都会・東京の眺望

しばらく海外の作品紹介が続きましたが、ふたたび邦画の紹介に戻ります。今回は多摩川河口という極めて限定された範囲を深く掘り下げた、同一監督による2作品です。

『東京干潟』
多摩川の河口で暮らす80代のホームレスの老人は、捨てられた十数匹の猫を殺処分から救うために日々世話をしながら、干潟を臨む小屋で10年以上生活している。生計の柱はシジミだが、近年は乱獲や環境変化によってシジミの数が減少してきているという。変わりゆく東京の姿を、老人は複雑な思いで干潟から日々眺めている。

『蟹の惑星』
多摩川河口の干潟で、15年にわたって独自にカニの観察を続けている吉田さんは、定年退職後にカニというライフテーマを自らの人生に添えた。干潟には狭い範囲に様々な種類のカニが生息しており、吉田さんはカニの生態記録に余念がない。その研究成果からは激変する東京にも適応ししっかりと生き残っているカニたちの、生命の神秘が明らかになる。

コロナ禍という状況がなければ、「旅」や「秘境旅行」というのは、多くの場合「遠くに行くこと」と関連深いと思います。ひとたび移動が制限されると、「近くて遠い旅」が注目されるようになりました。すぐ近くにあるけれども今まで自分が目を向けてこなかった、いわば「身近にある秘境」を旅することです。

『東京干潟』と『蟹の惑星』はまさにその「身近にある秘境」に一歩一歩深く踏み入っていく体験ができるドキュメンタリー映画です。そして、多摩川の河口で日々考えを巡らせながら探求者・探索者として生きる被写体は、西遊旅行のお客さまを想起させました(リピーターの皆様はきっと主人公たちに感情移入できるはずです)。

2020年にアカデミー賞・作品賞を受賞した『パラサイト 半地下の家族』でポン・ジュノ監督は格差社会に関する様々なシンボルを作中に点在させていましたが、本2作はそれとは全く違う形で、日本社会の現状をシンボルとして表現しています。最も強いシンボルは「干潟」「河口」です。

東京オリンピックに向けて干潟には橋がかかり、沿岸には高層ホテルが建てられていく。しかし、河口に現れては消える干潟に立ってみると、格差社会・環境破壊・高齢化問題・ペット遺棄など、現代日本が抱えるさまざまな問題が見えてくる。私は東京で生まれ育ち多摩川を毎日渡って10代の多くの時間を過ごしましたが、このように東京を眺めることができる場所があることは完全に盲点でした。知られざる多摩川河口のルポルタージュであるだけでなく、「身近にある秘境」を探そうという意志(既に見つけられている方は もっと掘り下げようと思わせてくれる力)を観客に与えてくれる一作です。

少年

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日本

少年

 

監督:大島渚
出演: 阿部哲夫、小山明子ほか
公開:1969年

2021.4.28

「風土の力」をフル活用した、大島渚監督の感性と作家性

戦争で傷を負ったことで定職につかない男とその先妻の息子・少年。男の同棲相手と彼女との間に生まれた子・チビ。一家は、車にひかれたふりをしてお金をだまし取る「当たり屋」で生計を立てている。一箇所で仕事を続けると商売がバレるため、一家は次々と場所を変えて旅をする・・・

2021年4月3日、本作に「少年」役で出演した渡辺文雄さんが渋谷の映画館で行われた大島渚監督作品特集に同席し、52年ぶりに公の場でトークイベントを行ったというニュースがありました。残念ながら私は福岡在住のため上映にかけつけることができませんでしたが、上映のレポートを読んでいると、50年以上前の物事をまさに「昨日のように」振り返るやりとりを目の当たりにできるイベントだったようです。

大島渚監督作品は『戦場のメリークリスマス』等をはじめデジタルリマスター化作業が進められており、作品を振り返る機会が多くなりました。大島作品の中で最も低予算な部類の作品であるがゆえに最もリアルな「旅」を描いているのが、この『少年』です。

低予算映画というのは様々な面で「借り物」をしなければなりません。1969年当時はまだスタジオ・システム全盛の時代でしたが、社会派の大島監督は町に飛び出し、全国各地の風土を巧みに借りながら、いびつでリアルな家族の絆を描きました。Wikipediaによるとロケ地は、高知・尾道・倉敷・北九州・松江・ 豊岡・天橋立・福井・高崎・山形・秋田・小樽・北海道(歌志内・札幌・小樽・稚内)で、まさに「列島縦断ロケ」です。

西遊旅行のツアーには、横断・縦断・峠越えなどというダイナミックさを示す言葉や、最高峰・最南端といった地点を示す言葉が入ったツアーが少なからずあります。私は、自分の作品のロケで枕崎に行ったとき「日本最南端の始発・終着駅」という看板があるのを見て「やはり僕はこういう西遊旅行のツアータイトルのような場所に惹かれるのだな」と思ったことがありますが、横断・縦断したり、山や海の向こうを目指したり、一番端まで行ってみたいという旅のモチベーションというのは、最も素朴で原初的なのではないでしょうか。

「少年」の家族が追い詰められて向かう先は、日本の最北端・宗谷岬。季節は冬です。うまいなぁと、思わず感嘆してしまいます。旅の理由は悲しいですが、フィクション映画のシナリオとしては、ベストシーズンにベストプレイスで追い詰められています。「あの山や海を越えた先に何があるかを見てみたい」「端から端まで全部行まわってみたい」というような思いを一度でも抱いたことのある方は、間違いなくドキドキハラハラできる作品です。

裸の島

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日本(瀬戸内海)

裸の島

 

監督:新藤兼人
出演: 乙羽信子、殿山泰司ほか
公開:1960年

2021.4.21

瀬戸内海・宿禰(すくね)島の日常とコロナ禍

瀬戸内海の孤島、広島県・宿禰(すくね)島に、中年の夫婦と二人の子どもが生活している。島には水がなく、畑へやる水も飲み水も近隣の島から船で桶に入れて運ぶ。夫婦の仕事の大半は、この水を運ぶ労力に費いやされている。そんな淡々とした日常の中にも、幸福や喜びがある。ドラム缶風呂に入るひととき、釣りあげた鯛を町で金にかえて日用品を買うひととき・・・。しかし、ある暑い日の午後、突然子どもが発病してしまう。

本作は、いわゆる「名画」とカテゴライズされる日本映画の中で、最も実験的でありながらも世界的な知名度を誇る一作です。モノクロ、セリフなし、効果音と音楽のみで構成、淡々としたストーリー。そう聞くと退屈そうに聞こえてしまいますが、私はコロナ禍になってしばらくしてから、無性に本作が観たくなって10年ぶりぐらいに再鑑賞しました。

なぜコロナ禍と本作が関係あるかということですが、外出の自粛を要請され、スーパーマーケットやコンビニや散歩など限られた目的でしか出歩けないという状況下で、コンビニから家に向かって歩いているときに本作のあるシーンをふと思い出しました。主人公たち(父親・母親)が水の入った重い桶を肩にかけて、炎天下のあぜ道を歩くシーンです。私が持ち運んでいたのは桶に入った水には到底及ばない重量の荷物でしたが、そのほかに、これだけ広い世界が広がっているのにたった数箇所との間しか行き来できないことに対する不可思議さのようなものを抱えていました。

作品の舞台になっているのは瀬戸内海の島で、雄大でありながらも時に人間に牙をむく厳しさを持った自然に、登場人物たちは囲まれています。一方、コロナ禍の私を囲んでいたのはウイルスです。ウイルスは自然ではありませんが、私たち人間とは違い生物ではなく、意思を持っていないという点では自然と似通っています。

あらすじに書いている通り、本作では子どもが病気に苦しめられます。病気にかかっても、自然はそんなことは知らずにいつも通り流転していきます。私がコロナ禍の中で歩みをすすめる中で、なぜ『裸の島』がふと観たくなったのか・・・・・・それは、本作で描かれている「意思にあふれた人生」と「 意思を持たない自然」との圧倒的なコントラストに、助けを求めるような気持ちだったのだと思います。実際、本作を観た後からは、無味乾燥に思えたすぐ近所での買い物からの帰り道を味わい深く歩めるようになりました。

ちなみに、ロケ地の宿禰島は2013年に競売にかけられ一度一般の人が落札した後、新藤兼人監督の二男が買い戻し、広島県・三原市に寄贈されました。また、2012年に亡くなった新藤兼人監督の遺骨は、翌年・一周忌のときにこの宿禰島界隈に散骨されたそうです。

埋もれ木

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日本(三重・群馬)

埋もれ木

 

監督:小栗康平
出演: 夏蓮、浅野忠信、岸部一徳ほか
日本公開:2005年

2021.4.14

日本人が日本の秘境を旅すること
地中から埋もれ木が掘り起こされること

ある田舎町。高校生のまちは女友達と短い物語をつくり、それをリレーして遊ぶことを思いつく。スタートは町のペット屋さんが”らくだ”を買って、”らくだ”が町にやって来たという夢物語。彼女たちは次々と、そして唐突に物語を紡いでいく。

一方、同じ町の中で、ゲートボール場の崖が崩れて“埋もれ木”と呼ばれる古代の樹木が地中から姿を現す。夢と物語と現実とが少しずつ重なり始め、ファンタジーな世界が開けていく・・・

ちかごろ西遊旅行のホームページを見ていて、魅力的な国内ツアーがどんどん増えていっていることに気づきました。「日本にはこんな場所もあったのか」と驚くようなツアーが多くありました。
そこで、昨年も邦画をいくつかご紹介しましたが、まだご紹介していなかったこの『埋もれ木』という作品について書きたいと思います。

埋もれ木は埋没林ともいわれ、古代の森が火山噴火によってそのまま地中に埋もれたものです。この映画で描かれる埋もれ木という存在は、個々人が持つ思い出・記憶などのストーリーの譬喩であると私は解釈しています。

住むにしても旅するにしても、人が立っている大地というのは(たとえ埋立地であっても一面コンクリートであっても)何かしらの記憶をもっています。ときに「風土」と呼ばれたり、「伝統」と呼ばれたりして、それらは気まぐれなタイミングで人の前に立ち現れ、思考や記憶と交差します。

海外ではなく日本の秘境を旅する楽しみは、そうした気まぐれな邂逅(セレンディピティ)の確率の高さにあるかもしれません。2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの最近のインタビューでこのようなコメントがありました。

俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。
私は最近妻とよく、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が私たちには必要なのではないか、と話しています。自分の近くに住んでいる人でさえ、私とはまったく違う世界に住んでいることがあり、そういう人たちのことこそ知るべきなのです。

この言葉を読んだときに、日本人が国内の秘境を旅するというのは、「縦の旅行」と「横の旅行」のメリットを兼ね備えているのではないかと思いました。

私は最近ご縁あって奄美大島でドキュメント映像を撮らせてもらっているのですが、土地土地にどんな埋もれ木(ストーリー)が埋まっているかは、島にずっと住んでいる方々のほうが逆にわからなかったりします。そこに「横の旅行」的なモチベーションで旅行者や移住者が来て、同じ日本人としての「縦の旅行」的な好奇心で旅して人々や風土・伝統と触れあう。そうすると、想像もしていなかったようなストーリーがゴロッと転がり出てくる。

そういう瞬間に立ち会えることがドキュメントを撮っていて本当に面白いなと思う(一部こちらからご覧いただけます)のですが、『埋もれ木』という映画が描こうとしているのも根本的には全く同じに思えます。個々人のストーリーがゴロッと掘り起こされて、他者と分かち合われる。この素晴らしさを小栗康平監督は描きたかったのだと、私は解釈しています。

『埋もれ木』は三重や監督の故郷・群馬の風土が土台となっていますが、観客の想像力を縦横無尽な旅に連れて行ってくれる一本です。