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明日に向かって笑え!

『明日に向かって笑え!』ポスタービジュアル(c)2019 CAPITAL INTELECTUAL S.A./KENYA FILMS/MOD Pictures S.L.

アルゼンチン

明日に向かって笑え!

 

La Odisea de los Giles

監督:セバスティアン・ボレンステイン
出演: リカルド・ダリン、ルイス・ブランドーニほか
日本公開:2021年

2021.7.28

2000年代初頭・アルゼンチン金融危機のほろ苦くも忘れがたい記憶

2001年、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス近郊の田舎町。元サッカー選手のフェルミンら住民たちは放置されていた農業施設を復活させるために、資金集めに奔走する。

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銀行の融資を取り付けるために手持ちの米ドルを全て預けた翌日、金融危機で預金が凍結されてしまう。さらに、状況を悪用した銀行と弁護士に預金を騙し取られて一文無しになったフェルミンたちは、奪われた夢と財産を取り戻すべく、破天荒な作戦を練りはじめる・・・

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私は2007年から2008年にかけてイギリスに留学していたのですが、生まれてはじめて南米出身の人と何人か知り合うことになりました。あるとき、コロンビア人の友人が「日本や欧米はとても安全だよ、なぜなら銀行に騙されることがないから」とサラッと言うので「銀行に騙されるなんていうことがあるのか」と驚きました。本作を観ながら最初に思い出したのは、その言葉です。

もちろんコロンビアと本作の舞台・アルゼンチンは、南米大陸の北端と南端でものすごく距離が離れていることは承知しています。正直、地球の裏側にある南米大陸の国々は、サッカー・コーヒー・ワイン・映画・文学など何かしら切り口がないと混同せざるをえません。逆に、南米大陸の人々には日本と韓国・中国あたりの文化・風習が混同して見えているでしょう。

それだけ距離が離れている国で起きている金融危機をテーマにした映画が、日本人に向けて上映されて成立する秘訣は、本作の持つコメディ要素です。

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作品を通して笑いを生むには、種々様々な前提を観客と共有しておく必要があります。本作で最も入念に表現されている前提は、アルゼンチンの大統領に2度選出されたファン・ペロン元大統領の存在であると思いました。軍人を経て1946年から1955年に大統領に就任したペロン(1970年代の2度目の就任期間は短命に終わりました)は、労働組合の保護や労働者の賃上げに力を入れました。

もちろん、ペロンは「独裁者」と呼ばれることもあり賛否両論で、本作は彼の功績を称賛する内容ではありません。しかし、それでもペロンが重要なモチーフであると感じる理由は、本作で描かれている2001年からの苦しい数年間というのは、1946〜1955年のペロン体制下のアルゼンチンを直接経験しなかった人々にとって、「復古」とでも言えるような不思議なエナジーが肌で感じられるひとときだったのではないかと思ったからです。

『明日に向かって笑え!』メイン

主演を務めるアルゼンチンの国民的俳優リカルド・ダリンは1957年生まれで本作のプロデューサーとしても名を連ねています(実際の息子さんが息子役を演じています)。監督・脚本を務めるセバスティアン・ボレンステインは1964年生まれです。おそらく1950年代後半から1960年代前半生まれの「アフター・ペロン」とでも言える世代にとって、自分が生まれる前の歴史が地中からシューッと蒸気のように湧き出てきたのが2000年代初頭だったのでしょう。私は、物語の本筋であるコメディの根底に、そういった強い憧憬の温度を感じました。

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旅先で偶然知り合った人から「あの頃は・・・」と懐かしい記憶を思いがけず聞いたような心地になる『明日に向かって笑え!』は、8/6(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ他全国順次公開。その他詳細は公式ホームページをご確認ください。

大地と白い雲

c22748c9a7c94242(C)2019 Authrule (Shanghai) Digital Media Co.,Ltd, Youth Film Studio All Rights Reserved.

中国(内モンゴル)

大地と白い雲

 

Chaogtu with Sarula

監督:ワン・ルイ
出演:ジリムトゥ、タナ、ゲリルナスン ほか
日本公開:2021年

2021.7.7

モンゴルの果てしない大地と空―その「果て」が見えてしまった若い夫婦の選択

内モンゴルの草原に、ある若い夫婦が暮らしている。夫のチョクトは馬ではなく車を乗り回すような都会での生活に憧れているが、妻のサロールは昔ながらの暮らしに満足している。

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しかし、そんな2人の気持ちは、大小さまざまな出来事が要因で段々とすれ違うようになっていく・・・

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本作は大きく分けて2つの場、草原(雪に覆われているときもあるので、タイトルにある通り「大地」が妥当かもしれません)と都会で物語が展開されます。

近代化・グローバル資本主義の潮流の中で、伝統と革新の両方を知っている若い夫婦がどのような未来を選択をしていくかというのが物語の大枠ですが、序盤の草原のシーンを観ながら、私は森のことを考えていました。

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映画の中に森は一切出てこないのですが、タイを代表する映画監督 アピチャッポン・ウィーラセタクン(作品の多くを森の中で撮っている監督)に関する評論を思い出していたからです。誰がどこに書いた評論かは忘れてしまったのですが、それはだいたいこのような内容でした。

森というのは、どっちの方向を向いても森だ。方角・方向の表現は限られ、画としてはやや単調になってしまう。しかし、森のカットが積み重なっていくと「森が森である」という事実は薄らいでくる。そして、唯一無二の「場」ができあがる。アピチャッポン・ウィーラセタクンの映画は、そのようなキャンバス上に描かれている。

なぜこの評論を思い出していたかというと、物語のある時点で、雄大なはずのモンゴルの空が窮屈に思えてきたからです。評論の言葉を借りると、草原・空のカットが積み重なるにつれて「草原が草原で、空が空である」という事実が薄らいでくる感覚を味わったということです。

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これは、都会に憧れているチョクトの感覚に近いのではと思います。実際、物語がどちらかというとサロール側に傾いているときは、大地や空は広く感じました。

ちょうどその「狭さ」の感覚がピークに達しようかという頃に、チョクトとサロールは都会へと繰り出します。チョクトとサロールは別行動になり、チョクトは男友達とつるんでカラオケに行くのですが、そこで選曲されるのは大草原の雄大さがテーマの定番曲らしきナンバーで、大合唱となります。

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カラオケという閉鎖的・都会的空間と行為の団体性を以って、大草原(大地)と都会のどちらにも自身の所在を見出せないという葛藤は、チョクトだけではなく彼の世代全体のものなのだということが映像的に表現されているのですが、物語の本筋とは別に、このような社会的背景がしっかりと設定されている点が本作の見所のひとつだと思います。

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秘境を旅するにあたって、その旅先の人々が「伝統と革新」や「ローカルとグローバル」の狭間に立たされていることは、もはや前提条件といってもよいでしょう。

まるでVR作品かのように、秘境・モンゴルの若者たちが立っている「現在地」を体験させてくれる『大地と白い雲』は、8/21(土)より岩波ホールほか全国順次ロードショー。詳細は公式サイトからご確認ください。

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名もなき生涯

9086a7d0352e25a3(C)2019 Twentieth Century Fox

オーストリア

名もなき生涯

 

A Hidden Life

監督: テレンス・マリック
出演:アウグスト・ディール、バレリー・パフナーほか
日本公開:2020年

2021.6.16

大自然の中で育った頑固者フランツ・イェーガーシュテッターの「良心的兵役拒否」

第2次世界大戦時のオーストリアで、ヒトラーへの忠誠を拒んで信念を貫く「良心的兵役拒否」をしたことで知られているフランツ・イェーガーシュテッターの人生に基づいた作品。
ドイツの国境と接しているザンクト・ラーデグントという美しい山村で、フランツは妻・フランチスカと3人の娘と暮らしていた。やがて、フランツは激化する戦争へと狩り出されるが、ヒトラーへの忠誠を頑なに拒んだことで収監されてしまう。裁判を待つフランツをフランチスカは手紙で励ますが、彼女自身もまた、裏切り者の妻として村人たちから酷い仕打ちを受ける・・・

本作の撮影は、フランツ・イェーガーシュテッターが暮らしたオーストリアのザンクト・ラーデグントや、係争地の歴史を持つイタリア・南チロルで行われています。
監督はテレンス・マリック。マジックアワー時間帯の撮影ににこだわりぬいた『天国の日々』、太平洋戦争のガダルカナル戦を描いた『シン・レッド・ライン』、白人入植者とネイティブ・アメリカンの戦いを描いた『ニュー・ワールド』、1900年代後半のアメリカ暮らす家族の一世代分をまるごと描いた『ツリー・オブ・ライフ』、宇宙と生命の神秘を描いた『ボヤージュ・オブ・タイム』など、いままでの多様な作品群で得た叡智と洞察が結集したような作品です。

本作の大きな見所のひとつは、ザンクト・ラーデグントや南チロルの自然や景観です。景観というよりも、景観のなかに流れる「瞬間」や「時」と言うべきかもしれません。光は原則的に自然光しか使われておらず、計算して準備を整えたうえで、その場でキャッチした光と一緒に各シーンが展開されています。そのため、1940年代の話ではあるのですが、まるで目の前で出来事が起こっているかのような錯覚に陥ります。風や草のそよぎも、扇風機やCGは使われていないかと思うのですが、ストーリー本筋よりもその場その場の臨場感が映画の流れを掴んでいます(テレンス・マリックの他作品も同様の独特なリズムの作品が多いです)。

そうした美しさがゆえに、ロケ地の係争地としての苦難の歴史が際立ちます。特に南チロル(イタリア)は、世界史において様々な争いの舞台になってきました。調べたところ、南チロルを巡る議論はシリア紛争後に再浮上してきて、オーストリア・イタリアの国境・ブレンナー峠の閉鎖が主張されたり、ドイツ語圏のオーストリアへの返還も検討されているそうです。

暗めの話が多くなりましたが、教会の神父さえも神への忠誠心を脇に置かざるを得なかった状況下で、頑なに自分の信念を貫いた農夫フランツ・イェーガーシュテッターの信念がオーストリア・イタリアの山々によって育まれたことは、環境・開発・人権など依然多くの倫理的問題を抱えた現代人への示唆を多く含んでいると思います。また、もしこの地に旅することができたならば、のびのびした大自然の中で、燻し銀のように自分の心を熟成させることができるに違いないと憧れさせてくれます。

オーストリア・チロルを歩く
花咲くインスブルック・イタリア国境トレイルを行く

オーストリア・チロルの中でも旅行者に知られていないインスブルック南部のトレイルに特化した企画。他のトレッカーにほとんど出会わない静かなアルプスの田舎の山歩きを満喫できます。

わたしはダフネ

190c7237c229bf3d(C)2019, Vivo film – tutti i diritti riservati

イタリア

わたしはダフネ

 

Dafne

監督:フェデリコ・ボンディ
出演: カロリーナ・ラスパンティ、アントニオ・ピオヴァネッリほか
日本公開:2021年

2021.6.2

母亡き後も人生は続く ― イタリア人父娘の、切なくも万事快調な巡礼の旅

いつも明るくまわりの人々に慕われているなダウン症のイタリア人女性・ダフネは、都市部にあるスーパーで働きながら両親と平穏に暮らしていた。しかし、母・マリアが亡くなったことで生活が一変。年老いた父ルイジは自分が死んだら娘がひとり残されてしまうという不安にかられ、ふさぎ込んでしまう。そんな父にダフネは、一緒にトスカーナ地方にある母の故郷を訪ねてみようと提案する。その旅は、母であり妻であった愛する人の死を乗り越え、父と娘が互いを理解しあうための、かけがえのない時間になっていく・・・

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コロナ以前に制作された映画に意図せずしてコロナ以降の意味合いが生まれた例をいくつか知っていますが、本作で描かれている「”なんてことなさ”の尊さ」はその最たる例だと思います。

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ダウン症という設定の主人公・ダフネを演じるカロリーナは、自身もダウン症で、監督は脚本を一切カロリーナに見せないまま撮影を進めたそうです。シナリオのあるフィクションでありつつも日常をありのままに記録したドキュメンタリーのようなタッチで、静かな湖面に吹くそよ風のようなストーリーが観客を包み込みます。

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ダフネはまるで子どものように「あれは何?」「これは何?」「なんで?」と身の回りの物事に興味を持ち、父・ルイジに尋ねます。煩わしさを感じながら接していたルイジが、だんだんとダフネのペースにまきこまれていく様子は、コロナ禍以降の観客にとっては「身の回りのありふれた物事の素晴らしさに、もっと目を向けてみたら?」という投げかけにも思えることでしょう。

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私が好きなシーンは、ダフネが旅の途中で出会う若き森林警備員との別れのシーンです。彼らは爽やかに「チャオ、アリベデルチ、ボン・ビアッジョ」(「じゃ、さよなら、良い旅を」というような感じかと思います)という3つの言葉でダフネたちを見守ります。この瞬間は、ダフネの陽気さに魅入られて、挨拶の言葉を思わず3つも重ねてしまったかのような表情と声のトーンが記録されています。

「自分がした旅でもこんなふうに見送られたことがあったなぁ」と、一瞬の仕草とセリフでしたが懐かしい気持ちにさせられるとともに、自分が見送られるときは決して見ることができない、見送る側の表情をじっくりと見させてくれました。

人とは違うところに気が付き思いもよらぬ心の引き出しを開けるダフネから、幸福のパワーをもらえる『わたしはダフネ』は、7/3(土)より岩波ホールほか全国順次公開。その他詳細は公式ホームページをご確認ください。

ハニーランド 永遠の谷

0fb58262ff6fbfe6(C)2019, Trice Films & Apollo Media

北マケドニア

ハニーランド 永遠の谷

 

Honeyland

監督: リューボ・ステファノフ、タマラ・コテフスカ
日本公開:2020年

2021.5.26

北マケドニアの養蜂家の小さな小さな生活圏と、大きな大きなグローバル化の波

北マケドニアの首都・スコピエから20キロほど離れた、電気も水道もない谷で、目が不自由で寝たきりの老母と暮らす自然養蜂家の女性は、持続可能な生活と自然を守るため「半分は自分に、半分は蜂に」を信条に、養蜂を続けていた。3年の歳月をかけた撮影を通して、彼女が暮らす谷に突然やってきた見知らぬ家族や子どもたちとの交流、病気や自然破壊など、人間と自然の存在の美しさや希望が描き出されていく・・・

北マケドニアの映画はフィクション作品の『ペトルーニャに祝福を』を紹介したばかりですが、この『ハニーランド 永遠の谷』はドキュメンタリー作品です。

どこの国のどんな場所に主人公の女性が暮らしているかについての説明的なナレーションや図示は一切なく、彼女の行動を以って所在や都市との距離感が表現されていきます。

手間ひまと人生をかけて採取された(もちろん無添加の)ハチミツは、市場経済というフィルターを通すと、一瓶せいぜい数十ユーロの「商品」として扱われます。マーケットの気さくな商人たちは彼女の老いた母親を心配するなど、まだ市場経済に人情を吸い取られていないことも描かれます。彼女は「オシャレしたいときもある」と髪染めを買います。こうした行動や、やりとりの総体によって、彼女の存在の輪郭が描きされていきます。

映画自体は86分と、劇場公開映画としては短めな部類かと思います。撮影期間は3年、フッテージの累計時間は400時間(ずっと見続けても17日弱)だそうなので、86分の中にかなりな時間の流れが凝縮されています。そのため、タイムワープしているかのような錯覚を鑑賞中に感じます。おそらくかなりの時間を被写体と一緒に過ごしているため、カメラはさながら透明人間のように、女性の生活を見守ります。

女性はハチの巣からハチミツを採取しているわけですが、制作クルーもまた、彼女の巣からハチミツを採取するように、「感情の結晶」ともいえる瞬間を次々と映し出していきます。「知られざる北マケドニアの、知られざる人生」とストーリーを眺めることもできますが、彼女にとってのハチミツのような存在が誰にとってもあるのかもしれないという意味で、「この映画で描かれている人生は、自分の人生のことかもしれない」とハッとさせられる瞬間があります。国内であれ海外であれ、旅の途中に車や電車で通り過ぎる一軒一軒の家やすれ違う一人ひとりに、人生というドラマが流れていることを想起させてくれる一作です。

古代マケドニアと南バルカンの自然

マケドニア、ギリシャ、ブルガリアの3ヶ国を巡り、各地で数々の歴史遺産を見学。かつてアジアまでの東方遠征を行い歴史に燦然とその名を残したマケドニア王・アレキサンダー大王を輩出したペラ(ギリシャ)や、その父王で強国マケドニアの礎を築いたフィリッポス2世の墳墓が発見されたヴェルギナなど、古代マケドニアに残る史跡を訪ねます。

ジャッリカットゥ 牛の怒り

08d82edcec37e216配給:ダゲレオ出版

(C)2019 Jallikattu

インド

ジャッリカットゥ 牛の怒り

Jallikattu

監督:リジョー・ジョーズ・ペッリシェーリ
出演:アントニ・バルギース、チャンバン・ビノード・ジョーズほか
日本公開:2021年

2021.5.19

追いつ追われつ―暴れ牛が描く 南インド村社会のエスノグラフィー

南インド・ケララ州にある小さな村で巨大な水牛が逃げ出し、人々はパニックになる。町の男たちは、泥にまみれ罵り合いながら牛を追いかけ回す。牛の存在は巨大な台風のように村社会を吹き荒らし、権力構造や矛盾を暴き出していく・・・

SABUMON FACING THE CAMERA Jallikattu / Lijo Jose Pellissery

「旅と映画」でご紹介している映画にオススメでないものはないですが、本作は特に特に観ていただきたい一作です。なぜかというと、僕がプログラマーとして関わってきたアジアフォーカス福岡国際映画祭(残念ながら昨年度で30年の歴史に幕を下ろしました)で「この作品だけは絶対したい!」という熱量をもって推薦した作品だからです。ついついこの作品について話すと、劇中の迫力が乗り移って熱がこもってしまうのですが、なるべく冷静にご紹介します。

まずは背景知識です。タイトルの「ジャッリカットゥ」という怪獣のような名前は、南インドのタミル・ナードゥ州で行われてきた牛追い競技の名称です。2000年代に入って動物愛護の観点から開催の妥当性が議論されてきました。

そんな現実世界から映画のフィクショナルな世界に引っ越しした水牛とむさ苦しい男たち約1000人は、思う存分追いかけ合いを繰り広げます。10分以上1ショット(カットを切らない)でつづく大迫力のチェイスや、数十人(しかも大半がアマチュア)がものすごい剣幕で罵り叫び合うシーンは、映画制作者でなくても「一体どうやって撮影しただろう」と疑問に思うこと請け合いです。

本作をオランダ・ロッテルダム映画祭で鑑賞した際は英語字幕バージョンでした。英語字幕を読むのはかなり慣れているのですが、本作のスピードについていけず、途中から字幕はちらっと見る程度にして映画のリズムに没入しました。ですが、(もちろん何を言っているか分かるに越したことはないですが)鑑賞後に内容理解が欠けているとは感じず、「巨大台風が過ぎ去りつつある空をボーッと見つめる、飛来物満載・湿度ムンムンの深い水たまり」のような心地になりました。

下部にリンクでご紹介している西遊旅行のツアーで訪れるケララ州の秘祭も、実際のジャッリカットゥもそうですが、大人数が集まる祭りや催しを堂々と行えるのは、世界中どの場所においてもしばらく先になることでしょう。そして、1000人の男たちが牛を追いかけ回す映画の撮影も、同じくらいの期間、撮影困難になります。

この2020年代においてとても貴重(ちなみに本国インドでのリリースはコロナ前の2019年です)で、あたかも西遊旅行の秘祭ツアーに訪れたかのような気分を味わえる『ジャッリカットゥ 牛の怒り』は、7/17(土)よりシアター・イメージフォーラム他でロードショー。その他詳細は公式HPをご確認ください。

ケララ北部の秘祭を撮る テイヤムの神と女神たち
知られざる南インドへ

秘祭テイヤムが行われるカヌールとバダカラの都市を訪問し、4日間に渡りたっぷりと祭りを見学。ヒンドゥーの神々と古代からの土着の宗教が相まった、インドの他地域とは異なる独自の文化をご覧いただきます。また、祭りの合間には郊外の村も訪問します。

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ケララ

44の河をもつ、緑豊かな「楽園」のイメージの土地です。 紀元前3世紀頃からすでにこの地では交易が盛んに行われており、エジプト、フェニキア、中国、バビロニアなどの地方からの人々で賑わいを見せ ていました。その後、大航海時代の1498年にポルトガル人が訪れ拠点を築き、続いてオランダ、イギリス、フランスからも相次いで上陸し、象 牙、チーク材、香辛料などを求めてヨーロッパ人の交易が開始されました。1956年、ケララ州はトラヴァンコール藩王国、コーチン藩王国な どのマラヤーラム語圏をもとに成立しました。 ケララは非常に緑が多く、車窓からは常にヤシ、バナナ、ゴムなどが植樹されているのを見ることができます。また、識字率がほぼ100%と高いことも特徴です。

ペトルーニャに祝福を

PETRUNYA_B5_H1_N_ol(C)Sisters and Brother Mitevski Production, Entre Chien et Loup, Vertigo.Spiritus Movens Production, DueuxiemeLigne Films, EZ Films-2019 All rights reserved

北マケドニア

ペトルーニャに祝福を

 

Gospod postoi, imeto i’ e Petrunija

監督: テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ
出演: ゾリツァ・ヌシェヴァ、ラビナ・ミテフスカほか
日本公開:2021年

2021.4.7

ぽっちゃり女性の心の中にこそ、神あり ― 北マケドニアの伝統と現代化

北マケドニアの東部にある小さな町・シュティプに暮らす32歳のペトルーニャは、美人でもなく、太めの体型で恋人もおらず、大学で良い成績で歴史学を修めて卒業したのに、仕事はウェイトレスのアルバイトしかない。

ある日、親に促されて仕方なく受けた面接でセクハラを受けたうえに不採用になったペトルーニャは、惨めな気持ちで家路につく。

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そこで偶然、ペトルーニャは地元の伝統儀式に遭遇する。「司祭が川に投げ入れる十字架を手にした者には幸せが訪れる」という由緒を持つ、女人禁制の儀式を目の前にして、ペトルーニャは本能的に十字架を追い求める。

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いつの間にか十字架を手にしていたペトルーニャは、儀式に参加していた男たちから猛反発を受け、あろうことか十字架を持ったまま逃走してしまい、警察に追われる身となってしまう・・・

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北マケドニアの作品を観る機会はそうそうありません。私はマケドニアやバルカン半島の民族音楽に興味があったので大学のときにいくらかマケドニアについては調べたことがありましたが、初めてマケドニアの映画を観たのは2018年で、韓国・釜山で自分の作品が上映されたときに併映されていたマケドニア監督の作品でした。

マケドニアは2018年に北マケドニアと国名を変えましたが、ユーゴスラビアが解体し1991年にマケドニアとして独立した際には、旧ユーゴスラビア諸国の中で最貧国だったといいます。映画の冒頭では、依然として貧困が大きな社会問題であることが示されます。

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加えて、マケドニアでも「30代女性の考え方が、両親世代の保守的な価値観と対立する」というような女性の生きづらさは、議論が足りていない(それがゆえに映画になる)トピックであることが明らかになっていきます。

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ペトルーニャの振る舞いだけでなく、「ペトルーニャ騒動」の一件を熱意をもって取材し続ける女性記者からも、いわゆるウィメンズ・ライツ(Women’s Rights)が切迫した社会課題であることを感じ取れます。

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北マケドニアは国民の約7割がキリスト教徒(のこり約3割は主にイスラム教徒)だそうですが、旧来から地域社会を束ねてきたマケドニア正教会の伝統的価値観は変容を迫られているはずです。本作の英題 “God Exists, Her Name is Petrunya”(神は存在する、彼女の名前はペトルーニャ)が示す通り「ペトルーニャという一個人にも(ひいてはどんな個人にも)神は宿っている」という、北マケドニアにおける「神」の現代的な解釈が、作品まるごとを以って表現されています。

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知られざる北マケドニアの現在を見聞できる『ペトルーニャに祝福を』は、5月22日(土)より岩波ホールほか全国順次公開。そのほか詳細は公式ホームページをご確認ください。

古代マケドニアと南バルカンの自然

マケドニア、ギリシャ、ブルガリアの3ヶ国を巡り、各地で数々の歴史遺産を見学。かつてアジアまでの東方遠征を行い歴史に燦然とその名を残したマケドニア王・アレキサンダー大王を輩出したペラ(ギリシャ)や、その父王で強国マケドニアの礎を築いたフィリッポス2世の墳墓が発見されたヴェルギナなど、古代マケドニアに残る史跡を訪ねます。

春江水暖~しゅんこうすいだん

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中国

春江水暖~しゅんこうすいだん

 

監督: グー・シャオガン
出演: チエン・ヨウファー、ワン・フォンジュエンほか
日本公開:2021年

2021.3.24

山水画で名高い景勝地・富陽―絵巻物のような中国若手監督の世界観

伝統的な景観の保全と再開発がしのぎを削るように並行して進む中国・杭州市 富陽地区。ある大家族が、年老いた母の誕生日を祝うため集まる。しかし、祝宴の最中に母は脳卒中で倒れてしまう。

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命は取り留めたものの認知症が進み、介護が必要になってしまった母。飲食店を営む長男。漁師の次男。ダウン症の息子を男手ひとつで育てる三男。気ままな独身生活を楽しむ四男・・・
それぞれの人生がゆるやかに交錯していく。

この映画のロケ地となっている富陽は、元代の著名な画家・黄公望(1269-1354)の水墨画『富春山居図』が描かれた地です。1988年生まれのグー・シャオガン監督は富陽で生まれ育ち、この地のリズムや風土を熟知していることが映像から見て取れる内容となっています。

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しばしば使われる長回しショットの雰囲気もあいまって、舞台はまぎれもなく現代中国ではありながらも、絵巻物の世界に入り込んだような感覚を本作は味わせてくれます。カラー作品ではありますが、「水墨画のような」という喩え方が本作にふさわしいと思います。

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絵画には必ずキャンバスがあり、どこからどこまで描けるかが決まっていて、当たり前ではありますがキャンバスの枠外に何かを描くことはできません。

映画にも縦横比で形成された枠(フレーム)がありますが、その枠はカメラの移動によって変容したり、音編集などによって枠の外側の物事や空間をグッと引き寄せることができます。

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縦横比で形成された映画のフレーム内をパン生地のようなものとして考えると、映画のオリジナリティというのはその生地をどれだけ捏ねて、どういう形にして、どういう焼き方にするかというひとつひとつの選択の総体のようなものです。

『春江水暖』はかなり柔らかく、ふんわりとしていて、でも後味は烏龍茶のように力強く残る。烏龍茶蒸しパン、といった感じでしょうか・・・・・・
なにはともあれ、映画にはそのような固有のキャンバスの形があるのかもしれないと鑑賞中に考えました。

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旅で色々な場所を訪れて、キャンバス・額縁・額縁の外の空間にはハッとさせられたことが、私は何度もあります。フェルメールの絵画や『モナ・リザ』を観たときは、「こんなに小さかったのか」と驚きました。

モネの『睡蓮』やレンブラントの『夜警』のダイナミックさには、圧倒させられ体の動きが止まったのをよく覚えています(きっと絵の世界に連れて行かれたのだと思います)。

マドリッドのソフィア王妃芸術センターでダリの『窓辺の少女』を鑑賞したときは、不思議な遠近感を持つ絵そのものも印象的でしたが、額縁の外の壁の白さと、周囲の作品との余白のとり方が鮮烈に記憶に残っています。

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同じくソフィア王妃芸術センターでピカソの『ゲルニカ』をみていた時は、横にいた幼児が急に大泣きしはじめて、ピカソの意思が時空を飛び越えて額の外へ飛び出してきたかのような感覚を味わいました。

しかし不思議なことに、水墨画や山水画に関しては中国で鑑賞した瞬間の記憶が私にはあまりありません(たしかに鑑賞したはずなのですが・・・)。本作の中にも霧がかった景色や、ぼんやりとした景色が折にふれて映し出されますが、山水画というのは『ゲルニカ』とは全く違う形で、まるで昇華するようにキャンバスから展示空間に飛び出していき、鑑賞者の意識を連れ去っていこうとするのかもしれません。

オーソドックスな映画が四角いキャンバスにしっかり塗られた絵をじっと鑑賞するようなものだとしたら、本作は山水画のように、絵の中にこめられた意思がキャンバスから段々蒸発して昇華されていく様を目で追うようなテイストの作品だと思います。

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フレーム内の景観への没入感は、ぜひダイナミックなスクリーンで体感していただきたいところです。コロナ禍で海外に行くことが叶わない今、まさに本作は「海外に行った気持ちになる映画」といえるでしょう。

『春江水暖~しゅんこうすいだん』は2021年2月よりBunkamura ル・シネマほか全国公開中。そのほか詳細は公式ホームページをご確認ください。

 

ブータン 山の教室

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ブータン

ブータン 山の教室

 

Lunana A Yak in the Classroom

監督: パオ・チョニン・ドルジ
出演: シェラップ・ドルジ、ウゲン・ノルブ・へンドゥップほか
日本公開:2021年

2021.3.3

ヒマラヤの村にあって 都会にないものは?―ブータン映画新境地

標高約2300m、ブータンの首都・ティンプー。若い教師ウゲンは、ブータン最北端の標高 約4800mにあるルナナ村の学校へ赴任するよう言い渡される。1週間以上かけて歩いてたどり着いた村には、教育を施すことができるウゲンの到着を心待ちにしている人々がいた・・・

サブ1

ブータンの映画が、映画祭だけではなく劇場公開映画として日本で観られるようになってから数年経ちますが、本作は「ブータン映画は珍しい」というフェーズの終わりを感じさせてくれるハイクオリティな一作でした。

主人公のウゲンは首都・ティンプーに暮らす今風の(髪がピチっとセットされていて音楽バーに通うような)青年で、心の底ではミュージシャンを目指したいという思いが強く、音楽を聞いていないときでもヘッドフォンを常に首にかけています。実際ブータンに私が訪れたときもこういう青年はたくさん見た記憶があるので、とてもリアルに感じました。

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夜はロウソクの光で暮らすルナナ村でデジタル音楽プレーヤーの電源は切れ、充電はままならず、ウゲンはヘッドフォンを置くようになります。これは地理的特性をいかした「新しい地への順応」の映像表現なのですが、こうした言わば模範的な表現を、ブータンクルーは難なくこなしています。

そこに、仏教国・ブータンだからこそのユニークな点だと思うのですが、映像表現上テクニックが要求される「無」「非」「不」の表現が巧みに織り込まれます。たとえば「机の上にコップがない」というショットを撮る場合、「机の上にコップがある(あった)」ことをまず示さないと「コップがない」ことは表現できないように、「無」「非」「不」の表現は技量が問われます。

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「道先案内人の青年・ミチェンにglobal warming(地球温暖化)という英語が通じない」というシーン(知識の不在)で、ミチェンは「その言葉はわからないけど、周囲にそびえる山の冠雪から変化は感じてるよ」というような返答をします。ブータン中部のフォブジカという村では、ヒマラヤから冬季に飛来するオグロヅルを気遣って電線を引かない決断をしたというエピソードは有名ですが、ブータンでは自然と人々の感覚が密接にリンクしているのだろうということが、ウゲンと村長のちょっとしたやりとり一つで表現されているのはとてもブータン映画らしいポイントだなと思いました。

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バスケットリング・黒板・トイレットペーパーなど「無いもの」も多く登場しますが、この描き方もまた絶妙で全く押し付けがましさがなく、独特な「ある/なし」の表現はブータン映画の新次元と言ってもよいでしょう。

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同じ映画監督としては、この表現から学ばなければいけないと思うとともに、いつかブータンクルーと映画を撮ってみたいなとも思いました。

私は西遊旅行勤務時にブータンツアーの手配・営業・添乗を担当していたこともあり、こまかな描写のなかにブータン人独特の感性を見つけて、なんだか懐かしくなりました。

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さらに特筆すべき点は、「幸福の国・ブータン」の矛盾を指摘している点です。ブータンを旅すると人々の無垢な笑顔や、日本人なら誰しもが懐かしさをおぼえる田園風景に癒やされます。しかし、教育を施せない貧困家庭が一定数いるのも現状で、ポスタービジュアルでも印象的な女の子・ペムザムの家庭は崩壊していると知ると、なんだか複雑な気持ちになります。

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ピースフルでほっとするような雰囲気の中に、鋭い問題提起も含まれている『ブータン 山の教室』は4月3日(土)より岩波ホールほか、全国順次ロードショー。詳細は公式ホームページをご覧ください。

僕が跳びはねる理由

401d2470330abfbe(C)2020 The Reason I Jump Limited, Vulcan Productions, Inc., The British Film Institute

イギリス、アメリカ、インド、シエラレオネ

僕が跳びはねる理由

 

The Reason I Jump

監督:ジェリー・ロスウェル
日本公開:2021年

2021.2.24

自閉症者の目線で感じる、人生という旅路

イギリス、アメリカ、シエラレオネ、インドに暮らす5人の男女たち。彼らは自閉症者と呼ばれている。当人や家族の証言を通して、彼らの感じている世界は「普通」と言われる人たちとどのように異なるのかが明らかになっていく。原作は2005年に作家・東田直樹が13歳の時に執筆し、世界30カ国以上で出版されたエッセイ『自閉症の僕が跳びはねる理由』。

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4カ国それぞれのエピソードのなかで私が最もグッときたのは、イギリスのパートで「(自閉症の)息子が感じている世界を、10秒だけでもいいから体験してみたい」と、世間から自閉症者とみなされている息子を持つ父親が語る場面です。なかば憧れに近いトーンで、その一言は発されます。

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グッときたというよりも合点がいったという感じかもしれません。私自身の作品の上映が行われたときに、お子さんがダウン症だという方から「いつかダウン症当事者とその家族の映画を撮ってください。あなたならその辛さではなくて、普通さ、幸せが撮れると思いました」と声がけしてもらったことがあります。その方の気持ちは、「いつか息子の世界を体験してみたい」というセリフのトーンにかなり近いのではないかと本作を鑑賞しながら思いました。両者に共通しているのは、世間から障害とみなされている子どもが「普通」とは違う世界の美しさを見出していると信じていることです。

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「頭の中身は人によって全く違う」ということは、自分のつくった映画を人に観てもらう(いわゆる上映活動)をすると、とてもよくわかります。当然、知識としては映画制作者でなくても知れることではあるのですが、それを身にしみて実感できる機会が多いことは、映画制作者の特権だと思っています。

自分が当然伝わると思っていたシーンが、違うように解釈される(最初はその都度ドキッと、あるいはギクッとしていましたが、今ではその解釈の違いが楽しみです)。自分の描いたシーンが、他者の予想だにしない記憶を蘇らせる。そうした連鎖の中で「頭の中身は人によって全く違う」と確信していくのですが、実は西遊旅行での添乗業務と偶然の一致を感じていました。

添乗業務では同じツアーや同じ場所に何度も添乗するのですが、参加いただく方の興味・関心によって、行程が同じツアーでも全く別物に変身します。もう10年以上前のことなので書かせていただきますと、入社したての頃は「同じツアーだから今回はわりと気楽に行けるかも」という若干の慢心とともに添乗に臨み、ツアー序盤であまりの違いに慌てて緊張感を呼び戻したことがあります。

話を映画の感想に戻しますが、自閉症の人々というのは(もちろん医学的見地からみた症状や、当人が感じる不都合というのはあるのかと思いますが)、たとえるならば、旅をしているときの手段や着眼点が違うだけなのだと私は思います。この場合の「旅する」というのは、人生をすごすことです。

あるとき、なかなかの僻地を行くツアー添乗中に自然災害が起き、バス移動だったところを徒歩で移動することになり、途中で現地の軍用トラックに便乗させてもらうという経験をしたことがあります。トラックの上でふと我に返ったとき「大変だけどこれもまた旅なのだな」と思ったのを今でも覚えていて、ほかにもいろいろと本作を観ている間に旅の記憶が蘇りました。

自閉症と旅。一見するとまったく関連がないようですが、おそらく私の様々な旅の思い出が蘇ってきたのは偶然ではないと思います。

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『僕が跳びはねる理由』、4/2(金)より角川シネマ有楽町ほか全国順次ロードショー。詳細は公式サイトからご確認ください。