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Shari

27f72ba92f0e5bab(C)2020 吉開菜央 photo by Naoki Ishikawa

北海道(日本)

Shari

 

監督: 吉開菜央
公開:2021年

2021.12.8

知床・斜里(しゃり)町にドロンと現れる、得体の知れない「赤いやつ」

日本最北に位置する知床半島・斜里町。希少な野生動物が人間と共存する希有な土地として知られるこの町には、羊飼いのパン屋、鹿を狩る夫婦、海のゴミを拾う漁師、秘宝館の主人、家の庭に住むモモンガを観察する人など個性的な人々が暮らし、冬になるとオホーツク海沿岸に流氷がやって来る。

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しかし2020年の冬は雪が全く降らず、流氷もなかなか姿を現さない。そんな異変続きの斜里町に、どくどくと波打つ血の塊のような空気と気配を身にまとった「赤いやつ」が突如として出現。

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「赤いやつ」は町内を自由自在にさまよい歩き、子どもの相撲大会に飛び込んでいく・・・

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本作はダンサーでもある吉開菜央さんの監督作で、「鑑賞する」というよりも、作中に込められているダンス・振り付けのような動きのパワーを「体感する」というほうが、作品の手触わりを言い表すのに相応しいかもしれません。

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「シャリッ」という雪の音を筆頭に、さまざまな擬音がカット変遷のペースを握っているのですが、擬音(オノマトペ)というのは不思議なものだなと思うことが、子育てをしてから多くなりました。

もともと、旅先で自分とは喋る言葉が違う人に会うと、擬音や畳語(繰り返し言葉)はよく話の種になるので、関心はありました。犬・鶏・羊など生き物の鳴き声、お腹の鳴る音、料理の音、ゴジラの鳴き声、ゴワゴワ・サクサク・ニヤニヤなどという言葉を、どうやって多言語に翻訳するのかに度々悩まされた記憶があります。

子育てをして気付いたのは、擬音や畳語というのは特段教え込まなくても、子どものボキャブラリーにスッと自然に加わっていくことです。とても不思議です。そして、ときどき大人がポカンとさせられるのは、モクモク・パクパク・プンプンなど、大人にとっては何ら面白くない言葉を言うだけで大爆笑になるときです。

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本作に登場する謎の存在「赤いやつ」は、そんな童心の壮大さを体現しているような気が僕はしました。可笑しく不可解で、時にはブルッと震えるような恐ろしさも持ち合わせている(「赤」は血も象徴しています)とでもいいましょうか・・・

シャリッと雪を踏んだ足音が、地球を一周回って色々貫通した末に再び自分の身体に戻ってくるような想像は、大人になるといつしかできなく(しなく)なってしまうなと、童心への憧憬を本作から僕は感じさせられました。

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体全体がグワッと映画に引き寄せられて、いつの間にかジワッと知床半島・斜里の地に身体に溶け込んでいるかのような心地がする『Shari』は、10/23(土)より全国順次上映中。詳細は公式ホームページをご確認ください。

冬の奇跡 美瑛の雪原とオホーツクの流氷世界く

ツアーでは富良野に2泊し、富良野の冬景色を上空から満喫する熱気球フライト、美瑛では白銀の世界の中でスノーシュー体験へご案内。また、冬の北海道の代名詞である流氷を堪能するための流氷クルーズはもちろんのこと、流氷を直接肌で感じていただける流氷ウォーク®にもご案内。通常の冬の北海道ツアーでは味わうことのできない体験ができる充実の5日間です。。

風をつかまえた少年

89f9019d2445dac7(C)2018 BOY WHO LTD / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / THE BRITISH FILM INSTITUTE / PARTICIPANT MEDIA, LLC

マラウィ

風をつかまえた少年

 

監督: キウェテル・イジョフォー
日本公開:2019年

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現代マラウィ版・宮本武蔵―14歳の少年はどのように風をつかみ、水を味方につけたか?

2001年、アフリカの最貧国の内の一国・マラウィを大干ばつが襲う。14歳のウィリアムは貧困で学費を払えず通学を断念するが、図書館で出合った1冊の本をきっかけに、独学で風力発電のできる風車を作り、畑に水を引くことを思いつく。

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しかし、ウィリアムの暮らす村はいまだに祈りで雨を降らそうとしているところで、ウィリアムの考えに耳を貸す者はいなかった。それでも家族を助けたいというウィリアムの思いが、徐々に周囲を動かし始める・・・

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本作は『風をつかまえた少年―14歳だったぼくはたったひとりで風力発電をつくった』という、2010年に出版されたノンフィクション本をもとにした作品です。タイトルには「風」が前面に出ていて、遍く吹き抜ける風が、物語において象徴的要素になっていますが、僕は本作は「水」の話だと受け取りました。

2001年当時、マラウィでは人口の2%しか電気を使うことができなかったそうです。主人公のウィリアム少年は学費が払えずに退学になりつつも、両親を含む大人たちが直面するシビアな飢餓の危機を目の前にして、図書館にある本を読もうとする熱意を捨て去りません。その様子はさながら、荒れ地に流れこんできては地に吸い取られ、それでもまた流れこんで来る水流のようです。

ウィリアムは、風力で電気を得て、畑に水を行き渡らせる動力源となる水車を回そうと試みます。畑に水が行き渡れば、もちろん作物を実らせる環境を整えることができるのですが、映画のつくり手である僕からするとそれ以上に、キャラクター造形における「水」の重要性が見て取れます。ウィリアム少年自身は、まるである時期の宮本武蔵のように、「水」の本質を体現しようと自己研鑽していくのです。

武蔵は中年にさしかかかったとき、道端で遭遇した伊織という少年を養子にとり、共に数年がかりで荒れ野を開墾し、治水して田畑を作りました。その田畑のある村が山賊に襲われた際には、山賊と闘い、村人にも闘い方を教えて一丸となって村を守ったと言われています。

「9.11の同時多発テロ事件の裏側で、アフリカのマラウィではどのようなことが起こっていたか?」という疑問は、本や映画がなければまず抱かないはずですが、強力な渦潮のようなグローバル社会の流れの中で「風をつかまえる」という行動に最貧国の一国・マラウィに暮らす少年が行き着けたのは、宮本武蔵さながらに「水」を味方につけて家族を守ろうとした結果なのです。劇中で大雨のシーンが印象的ですが、ただ大雨が降っているということではなく、そのようなキャラクター造形の意図のもと雨が降っているのだという視点を持って鑑賞されると、映画の深みが増すと思います。

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宮本武蔵の『五輪書』を構成する「地の巻」「水の巻」「火の巻」「風の巻」「空の巻」がすべて含まれているような本作は、約20年前のマラウィの厳しい状況を、小川のような穏やかな流れの中で味わう旅に案内してくれます。

ドラケンスバーグも訪れる 知られざる東南アフリカ5ヶ国縦断

世界遺産マラウィ湖からインド洋に面したモザンビーク島、さらに南部アフリカの中で未だ訪れる観光客の少ないモザンビーク、エスワティニ(旧スワジランド)、レソトを縦断。南アフリカとレソトの国境では「龍の山」とも呼ばれ、緑の谷と峻険な奇峰群が連なるドラケンスバーグ山脈の大自然をご覧いただきます。

夫とちょっと離れて島暮らし

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日本(加計呂麻島・奄美大島)

夫とちょっと離れて島暮らし

 

監督:國武綾
公開:2021年

2021.11.17

期間限定移住という旅―加計呂麻島が若手イラストレーターにもたらしたもの

幼い頃から東京暮らしのイラストレーター・ちゃず。結婚4年目の時、仕事に追われる東京での毎日に息苦しさを感じていたちゃずは、都会に住みたい夫を東京に残し、単身で1300km離れた奄美群島・加計呂麻島(鹿児島県)に期間限定の移住生活を2018年3月からし始めた。

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地域の人々との交流た大自然に囲まれた島での暮らしは、ちゃずにとってしっくり来るもので、移住生活は延長が繰り返されて約2年間に及び、「円満な別居生活」が日常となった。

ちゃずは写真・動画共有SNS・インスタグラムに移住記をマンガで連載して人気を博し、島内外問わず、その暮らしぶりが知られるようになっていた。

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ちゃずの移住生活が終わりを迎える数ヶ月前(奇しくもコロナ禍に突入する直前)の2020年2月、ファンの一人である監督は、ちゃずの生き方を映像に残したいと思い立ち、奄美群島へ向かう・・・

本作は、僕の作品にも出演いただいたことがある、女優・國武綾さんが「今撮らなければ!」と思い立って監督した作品です。「旅は道連れ世は情け」という江戸時代のことわざがありますが、撮影後、主人公のちゃずさんを撮った側の國武さんご自身が、奄美大島に引き込まれて移住することになるという、不思議なバックグラウンドのもとに成り立っている作品です(ちなみに、ご存じの方も多いかと思いますが、今年7月に奄美群島のうち奄美大島・徳之島は世界自然遺産に登録されました)。

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僕自身も移住者(2016年に東京から福岡に拠点を変えました)ですし、ご縁あって奄美大島には年に数回撮影に行っていますが、離島の生活リズム・社会環境・大自然は、都会人を「生きるとは何か?」という根源的な疑問に立ち返らせてくれます。

ちゃずさんが、ダイビングショップの壁にイラストを書き終わって記念撮影をする際に逆立ちを急にするのですが、都会から離島への旅というのは、まさに旅程を通じて逆立ちをしているような心地にさせられるものです。

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映画の冒頭に「東京に帰っちゃうのはさびしい」「すぐまたいらっしゃいよ」とご近所さんに呼びかけられたときに、ちゃずさんは「来ます」「まだ居ます」と返します。

移住というのも旅の一種だとすると、その特徴は、「行く」「帰る」「来る」「戻る」の使い分けに戸惑うことや、「居る」と「居ない」の境界線が揺らぐことだと本作を観て感じました。

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おそらく、ちゃずさんはいつの日かまた加計呂麻島を訪れる際には「帰る」という言葉を使うかと思いますし、加計呂麻島に「居ない」けれども、想像力をちょっと働かせれば加計呂麻島に「居る」ことが今でもできるはずです。島の人々と共に過ごした時間・場や生活リズムの蓄積が、「居なくても居る」ことを可能にしてくれるのです。

テクノロジー的にはオンラインでいろんな人に会ったり場所に行ったりすることができるようになりはしましたが、「居なくても居る」ことができるような、豊かな想像が心のなかに宿るような出会いや交流の機会がコロナ後の世界を作っていくのだなと、ほっこりとした心地になる作品でした。

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離島での移住生活や多拠点生活ににひょっとすると興味が出るかもしれないし、夫婦生活の選択肢の多様さを考える上で「離れたほうがうまくいく」という好例が記録されているという意味で、離島生活・移住にさほど興味がないという方でも楽しめる内容になっている『夫とちょっと離れて島暮らし』は、2021年12月25日(土)より新宿K’s cinemaにて2週間限定公開ほか全国順次上映。詳細は公式ホームページをご確認ください。

加計呂麻島も訪れる 奄美大島と喜界

加計呂麻島は美しいグラデーションの海が広がる一方で、戦争の歴史や奄美の典型的な集落が今でも残る島です。その一方、隆起サンゴでできた喜界島は今でも隆起が続く生きた島です。奄美大島だけではなく、特色のある加計呂麻島と喜界島をお楽しみいただけます。

喜界島、加計呂麻島、与論島にも泊まる
薩南諸島縦断

鹿児島県薩摩川内市の西方約26kmの東シナ海上に位置し、北から上甑島、中甑島、下甑島の三つの島から形成される甑島を訪問。下甑島では、平家の落人伝説の残る手打集落を現地案内人と一緒に散策し、甑島の歴史にふれていただきます。また奄美大島や徳之島、沖永良部島など「奄美群島」として新しく2017年に国立公園に登録された島々の個性的で魅力ある自然と文化にふれます。これら薩南諸島の間のスムーズな移動は難しく、今ツアーではフェリーと海上タクシー、国内線をつなぎ、コンパクトかつ無理ない日程を実現しました。

喜界島にも泊まる奄美群島縦断スペシャル

奄美大島でのリバートレック、沖永良部島でのケイビング、加計呂麻島でのカヤックやSUP(12月コース)、ザトウクジラのウォッチングツアー(2月コース)など、各地でアクティビティを楽しみながら奄美群島を縦断します。
アクティビティだけでなく、各島々での見どころもしっかりと見学します。群島の歴史を学べる奄美博物館や、琉球国の祭司であったノロや国指定重要無形民俗文化財である諸鈍シバヤに関する展示を行う瀬戸内町立郷土館などで加計呂麻の風習に触れます。また奄美十景のひとつ沖永良部島の田皆岬や大島海峡を望む高知山展望台などの奄美群島屈指の景勝地の数々を訪れます。

東京物語

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尾道(日本)

東京物語

 

監督: 小津安二郎
日本公開:1953年

2021.11.10

1953年から変わらず保たれている、港町・尾道の原風景的景観

広島県の港町・尾道で暮らす老夫婦・周吉ととみは、東京で暮らす子どもたちを訪ねるため久々に上京する。しかし医者の長男・幸一も美容院を営む長女・志げもそれぞれの生活に忙しく、両親を構ってばかりはいられない。唯一、戦死した次男の妻・紀子だけが彼らに優しい心遣いを見せるのだった・・・

(C)1953/2017 松竹株式会社
(C)1953/2017 松竹株式会社

海外の映画メディアが、往年の日本映画ベストランキングを作成する際に、必ずベスト5に入る作品が本作『東京物語』です。1953年公開の作品ですがストーリーはとても現代的(現代社会の諸現象に通ずる点が多い)で、「血縁関係のない人のほうが血縁関係がある人よりも気遣いをみせてくれる」というストーリー展開については、僕が最近監督した作品でも本作をマネました。

西遊旅行のツアーには、目的地が秘境であるがゆえによく使われるキーワードがいくらかありますが、僕が在職中に最も多く関わったのは「原風景」に関連したツアーです。特にブータンは「昔の日本はこうだった」とお客様が見入るような、四季折々の稲田の風景がツアーの魅力のひとつでした。

今回、西遊旅行の国内ツアーを眺めているときに、尾道に対して「原風景」というキーワードが使われていることに気づきました。奇しくも僕は尾道を重要なロケ地として作品を撮ったことがあるのですが、尾道の場合、「原風景」というのは何を意味するのか『東京物語』を今一度観ながら考えてみました。そして、それはおそらく「繰り返しおとずれ、かつ、変わっているようで変わらないものがある」ということかと思いました。

『東京物語』は、老夫婦の東京への旅を挟む形で、オープニングとエンディングが尾道で展開され、オープニングとエンディングを比較するとある人物の不在が際立つストーリー構成となっています。その不在を包むのは、尾道の景観と人々の日常です。尾道市街と対面する向島とを数十分単位で往復する通称「ポンポン船」、市街を走る電車、小学校から聞こえる合唱の声、尾道市街を一望する浄土寺で迎える夜明け。こういった要素で映画は始まり、終わっていきます。

そして、尾道が何より魅力的なのは、もちろん多少形は変わってはいるものの、こうした景観や地域の人々の日常がほぼそのまま残っている(変わっているようで変わらない)ことにあります。ぜひ、尾道のツアーに参加される前には、『東京物語』をご覧になってからの参加されてみてください。

日本の原風景紀行
鞆の浦と尾道&錦帯橋と厳島を歩く

鞆の浦は「潮待ちの港」として江戸時代から栄え、坂本龍馬ともゆかりの深い港町。古い町並みを歩いて散策します。近年では「崖の上のポニョ」の舞台としても有名です。尾道は多くの映画の舞台にもなった海と山と坂とお寺の町。日本遺産でもある「箱庭的都市」を歩きます。迷路のようでレトロな坂の町、そして船の行き交う海辺を歩きます。

友だちのうちはどこ?

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イラン

友だちのうちはどこ?

 

Where Is the Friend’s House?

監督: アッバス・キアロスタミ
出演: ババク・アハマッドプール、アハマッド・アハマッドプールほか
日本公開:1987年

2021.11.3

イラン版『はじめてのおつかい』―宿題ノート一冊に宿る「全世界」

イラン北部にあるコケール村の小学校。モハマッドは宿題をノートではなく紙に書いてきたため先生からきつく叱られ、「今度同じことをしたら退学だ」と告げられる。しかし隣の席に座る親友アハマッドが、間違ってモハマッドのノートを自宅に持ち帰ってしまう。ノートがないとモハマッドが退学になると焦ったアハマッドは、ノートを返すため、遠い隣村に住む彼の家を探し回るが、なかなか見つけることができず、ジグザグ道や入り組んだ路地を右往左往する・・・

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「旅と映画」で既に何作かご紹介したイラン映画界の巨匠アッバス・キアロスタミ監督作品のデジタル・リマスター版特集上映が、2021年10月から全国で順次おこなわれています。キアロスタミ監督の代表作である本作はまだご紹介していなかったので、この機会に書きたいと思います。

子育ての経験があってもなくても、テレビ番組『はじめてのおつかい』で、主人公の子どもを応援したくなってしまう気持ちは万人共通かと思います。

本作の主人公・ババク少年は、“はじめて”どころか、大人の頼み事や先生の厳しい言葉をしたたかに受け止めていく「大人びた子ども」なのですが、ついつい劇中の要所要所で「頑張れ!」「負けるな!」と応援してしまいたくなる作品です。

ババク少年はたかが(しかし少年にとっては「全世界」のような)宿題ノート一冊のために違う村まで山を越えていき、土砂降りの雨に降られて、友だちの学校生活のためにあくせくするのですが、平凡な彼がノート一冊のために惑う姿を見ていると、非常に不思議なのですが「自分の見ている“世界”というのは一体どれだけのものだろうか?(きっと思っているほど大したものではないんだろう)」というような、心が洗われる気分にさせられます。

実はごく最近、本作のことを連想した日常の光景がありました。僕の住まいのから数駅行ったところに昔からの商店街があるのですが、夜は日本酒の角打ちをやっているお店の前で、オーナーの方が持っている畑でできたという4色ほどのトマトがバスケットに入って売られていて、おそらく6歳ぐらいの娘さんが客引きやお会計をかなり立派にこなしていました。

なんというか、お店の切り盛りが彼女にとっての「全世界」のような感じがお店一帯に漂っていてババク少年の有様を思い出しましたし、どこか秘境に旅行して、交通の要所の売店で店の手伝いをする子どもに出会ったような心地になりました。まだまだ遠くに気軽に行きにくい日々が続きそうですが、日本にも、近所にも、秘境旅行を味わえる場はたくさんあるのだと思わされた光景でした。

『友だちのうちはどこ?』も含むアッバス・キアロスタミ監督作品7作がデジタル・リマスターで観れる特集上映「そしてキアロスタミはつづく」は、2021年10月16日からユーロスペースほか全国順次上映中です。詳細は公式ホームページをご確認ください。

パピチャ 未来へのランウェイ

c782031dfd52874a(C)2019 HIGH SEA PRODUCTION – THE INK CONNECTION – TAYDA FILM – SCOPE PICTURES – TRIBUS P FILMS – JOUR2FETE – CREAMINAL – CALESON – CADC

アルジェリア

パピチャ 未来へのランウェイ

 

Papicha

監督:ムニア・メドゥール
出演:リナ・クードリ、シリン・ブティラほか
日本公開:2020年

2021.9.22

アルジェリア「暗黒の10年」の渦中で、輝きを求めたファッション学生たち

90年代、アルジェリアの首都・アルジェ。内戦によるイスラム原理主義の台頭により、町中には女性のヒジャブ着用を強要するポスターがいたるところに貼りだされている。

ファッションデザイナーを夢みる大学生のネジュマは、ナイトクラブのトイレで自作のドレスを販売して自分の表現を追求している。現実に抗うネジュマは、ある悲劇的な出来事をきっかけに、自分たちの自由と未来をつかみ取るため、命がけともいえるファッションショーを、大学構内で開催することを決意する・・・

おそらく、日本の多くの観客にとって、本作は「初めて観たアルジェリア映画」となるのではないかと思います。最近デジタル・リマスターがなされた『アルジェの戦い』という1966年のイタリア映画があるにはあるのですが、アルジェリア人(ムニア・メドゥール監督は女性です)が監督した作品というのは、私は初めて観ました。文学でもフランツ・カフカの作品ぐらいでしか、「アルジェリア」という国名に遭遇したことはないかと思います。

1990年代アルジェリアの世界を旅できる本作ですが、先日ご紹介した隣国・モロッコの『モロッコ、彼女たちの朝』にそっくりな点があります。それは、カメラに映される場所がとても限られているという点です。主要なロケ地は、主人公たちの学校の構内・学生寮・ナイトクラブ、主人公の実家、車内、何箇所かの路上、ボーイフレンドの家ぐらいでしょうか。

もちろん、広い画角で撮ってしまうと1990年代らしからぬ物が映ってしまうという都合もあったかと思います。ですが、『モロッコ、彼女たちの朝』と同じく、女性の自由・権利が抑圧されている強さに合わせて、物語の中でカメラが行ける範囲も強く制限するという制作者の狙いを感じました。そして、物語の終盤に突如訪れる「ある事件」は、実際にあった出来事をモチーフにしています。その展開は正直なところ悲しいですが、本作の主題は「パピチャ」(アルジェリアのスラングで「愉快で魅力的で常識にとらわれない自由な女性」の意味)です。

権力を回避しやすい車の中で「アルジェリアに住み続けたい人なんていない」「アルジェリアという国は巨大な待合所のようで、皆が何かを待っている」など、若者たちは不満を噴出させます。しかし、主人公のネジュマだけは「アルジェリアに住み続けて、夢を追いたい」とまっすぐな瞳で語ります。

2020年代に「暗黒の10年」「テロルの10年」とも呼ばれるアルジェリアの過去を、なぜ振り返る必要があるのか? 現在、アフガニスタンでもこの作品で描かれているような混乱が巻き起こっていますが、1990年代を描きながらも、とても現代的・普遍的なメッセージを持った作品に仕上がっています。アルジェリアの歴史・文化を何も知らないでも観れるように配慮がされているので、ぜひ身構えずご覧になってみてください。

アルジェリア探訪

ティムガッドも訪問 望郷のアルジェに計3泊と世界遺産ムザブの谷。

くじらびと

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インドネシア

くじらびと

 

Lamafa

監督:石川梵
出演:ラマレラ村の人々
日本公開:2021年

2021.9.15

「村の命運は 鯨が決める」―自然優位な流れの中で生きるインドネシアの漁村民たち

インドネシアの小さな島にある人口1500人のラマレラ村。住民たちは互いの和を何よりも大切にし、自然の恵みに感謝の祈りを捧げ、言い伝えを守りながら生きている。

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その中で、「ラマファ」と呼ばれるクジラの銛打ち漁師たちは最も尊敬される存在だ。彼らは手造りの小さな舟と銛1本で、命を懸けて巨大なマッコウクジラやマンタに挑む。

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「クジラが10頭獲れれば 1年過ごすだけの稼ぎとなる」というサイクルの中で暮らすラマレラ村の人々の生き方は、利便性・経済発展を軸に生きる人々とは全く異なる、非論理と畏怖心を基盤にしている。それゆえに、村でどんなに悲しい出来事起きようとも、伝承の力を借りて一丸となって対処していく・・・

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本作の舞台となるラマレラ村は、以前「旅と映画」でご紹介した『世界でいちばん美しい村』(2015年ネパール大震災震源地の村のドキュメンタリー)を監督された石川梵さんが、ライフワークとして約30年前から通い続けてきた場所です。

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メインの撮影はコロナ前の2017年から2019年までですが、30年前のフッテージが不自然さゼロで引用されるシーンもあり、監督が長い時間をかけて被写体と築いてきた信頼関係が映画全編に浸透しています。

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話がそれるようですが、私はここ数年で(子どもを2人育てるようになってから)、食事の際の食器の並べ方・食べ物の食べ方に異様にこだわるようになりました。以前はあまりそういうことは気にしませんでしたし、むしろ小さい頃から高校ぐらいまで両親から食事マナーに関して怒られっぱなしでした。今は、5歳になっておしゃべりになってきた娘から聞かれる「何でそんなふうに食べなければいけないの?」「何でそう置かなきゃいけないの?」というような質問に答えを返す立場となりましたが、「食べ物は“物”じゃなくて“命”なんだから それを感じるためだよ」とか「肘つくな」「足組むな」「いただきます/ごちそうさま言った?」と、毎日のように言っています。

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幼稚園児には難しいかもしれないのですが、分からなくてもいいので、呪文のように言い聞かせています(いつかその意味を分かってくれるときが来るといいのですが。。。)

『くじらびと』に話を戻しますが、劇中で村人たちが語る「漁の最中きたない言葉は使ってはいけない」とか「漁の前日は喧嘩してはいけない」とか「銛を刺すときは狙う箇所だけ見て 決してクジラの目は見るな」という、都会人からすれば非論理的で因果関係も特定できなさそうな伝承のひとつひとつが、前述のように娘の教育に試行錯誤している私にとっては、とても響きました。

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思うに、「こうすれば こうなる」というような「確実さの担保」が、世の中の価値判断において重視されすぎているのです。私は「どうなるか皆目見当がつかない物事」に極力熱を注ぎたいと日々思っているのですが、映画の企画にしても、他分野の話を聞くにつけても、そういったスタンスというのは世の中であまりウェルカムではないようです。

「確実さ」のサイドにいたほうが楽なので、当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、私はどうしてもその流れの中に居続けることができません(おそらく秘境旅行・冒険旅行を好まれる西遊旅行のお客さまにはこの考えを理解して頂きやすいと、勝手ながら予想しています)。そういう意味で、ラマレラ村の人々が言い伝えを拠り所にして不確実さの中を力強く突き進んでいく様子を本作で観て、生活環境は全く違いますが、ある種の親近感を私は感じました。

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私は生まれ変わりでもしない限り、ラマレラ村の人々のような暮らし方をすることは無いと思います。しかし彼らのように、ギュッと身が詰まっている瑞々しい果実のような、規律・思想・言葉・作法を持った人物 になりたいという憧れがあります。これから折にふれて私の頭の中には、ラマレラ村の人々の表情や言葉の響きがフラッシュバックすることと思います。

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リーダーシップ論あり、教育・精神・家族論ありの『くじらびと』は、9/3(金)より新宿ピカデリー他にて全国公開中。詳細は公式ホームページをご確認ください。

コロンバス

f463c62b9b66b0bd(C)2016 BY JIN AND CASEY LLC ALL RIGHTS RESERVED

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コロンバス

 

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監督:コゴナダ
出演:ジョン・チョウ、ヘイリー・ルー・リチャードソンほか
日本公開:2020年

2021.9.1

人の心身に寄り添う建築がある アメリカの地方都市・コロンバスでの邂逅

講演ツアー中に倒れた高名な建築学者の父を見舞うため、モダニズム建築の街として知られるアメリカ・インディアナ州のコロンバスを訪れたジンは、父親との確執から建築に対しても複雑な思いを抱いており、コロンバスに留まることに乗り気ではない。一方、地元の図書館で働く建築好きのケイシーは、薬物依存症である母親の看病のためコロンバスに留まり続けている。ふとしたことから出会った2人が建築をめぐって語り合う中で、次第にひかれあっていく。

建築は映画ととても親和性があります。私は福岡で建築ファウンデーションというNPOに入っているのですが、実際、映画監督や脚本家になろうと思っていたという建築家の方や、映画好きの建築家の方は多いです。

建築というのは、ただ地面に建って居住や利便性のために使われるのではなく、人の記憶や土地の風土と密接に関わってストーリーを紡ぐ生き物のような存在です。本作では、登場人物たちがコロンバスの町のあちらこちらを訪れる中で、建築が人に寄り添うようなシーンが物語の随所にあらわれます。「建築が人の体に効いている」というのが私は一番適切な表現だと思うのですが、建築が醸し出す空間が、人の感情作用に強く影響しているということです。

数万年前、人類は洞穴で暮らしていました。そこには、「洞穴絵画」(または「洞窟壁画」)と呼ばれる、旧石器時代の人の営みや動物を描いた天然のフレスコ画がいつしか描かれるようになりました。私はこの洞穴絵画が描かれた洞穴が「最初の建築」だと常々思っています(「最初のアート」は洞穴絵画のもっと前に記録に残らない形であったはずです)。

もちろん、もうすこし後になれば、ストーンヘンジやピラミッドなど今でも観覧可能なシンボリックでダイナミックな建築があります。しかしもっと前の太古の人類は、特に寒さや飢えをしのげるわけでもないのに、なぜ洞穴に絵を描いたのでしょうか? おそらく、狩猟等のサバイバルや自然との対峙の日々で疲れた心身に、絵を描いたり見たりすることは良く効いたのでしょう。そうした絵をいまだに私たちは、遺跡の一部として自分自身の目で確認でき、絵は彼らの記憶を現代人の心に甦らせてくれます。

本作の舞台となっているコロンバスのモダン建築は、旧石器時代の洞穴絵画のように主人公2人の喪失・不安を受け止め、内省のための時間や再生に向かわせるパワーを与えています。建築が「3人目の主人公」ともいえる珍しい作品で、空間・時間の見え方を変えてみてはいかがでしょうか。

緑の牢獄

5ad11c5d133af43d(C)2021 Moolin Films, Ltd. & Moolin Production, Co., Ltd.

日本(西表島)

緑の牢獄

 

Green Jail

監督:黄インイク
日本公開:2021年

2021.8.25

沖縄・西表島、熱帯林の奥深くに門を構える「記憶の牢獄」

沖縄県西表島に暮らす、90歳の橋間良子。彼女は植民地時代の台湾から養父とともにこの島に来て、人生の大半を島で過ごした。

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良子の養父は労働者の斡旋や管理をしていた炭鉱の親方で、彼女は今も炭鉱に後ろめたさを感じていた。

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炭鉱の暗い過去、島を出て音信不通となった子どもたち・・・
忘れることのできない数々の記憶が彼女の脳裏をよぎる。

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彼女はなぜ一人で島に残り続けるのか? 記録映像や歴史アーカイブ、再現ドラマなどが盛り込まれ、台湾から西表島に渡った一人の人間の過去と現在が描かれていく・・・

「西表島」と聞いて一般的に思い浮かべられるのは、おそらく自然・熱帯・イリオモテヤマネコといったようなイメージでしょう。私は八重山諸島(石垣島・竹富島・小浜島・黒島・新城島・西表島・由布島・鳩間島)には行ったことがないので、「一般」にかなり近いイメージを持っているのではないかと思います。

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西表島に住む人々が現在どのような暮らしをしているのについては、なかなか知る機会がありませんし、ましてや近代における台湾との関わりや炭鉱労働の歴史については、何かしらの巡り合わせがうまく働かないと、知るまでに至らないでしょう。

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本作を観ると、「自分の記憶」というのは自分の頭の中だけ存在するようなのですが、他者がいて初めて成立する(存在し得る)のだとわかります。

カメラがひたすら追う良子さんの頭の中にある記憶は、深く、暗い闇の底に沈んでいます。底の見えない井戸を何度も覗き込むように、物語は進んでいきます。

良子さんの言葉・過去の経験をインタビューや再現ドラマで引き出せば引き出すほど、良子さんの記憶と自分の距離が遠のき、「届かなさ」が増していくような心地がしました。これは、各シーンや再現ドラマの内容が伝わりにくいということではなく、良子さんの記憶が、あまりにも遠く奥底にあることが段々と浮き彫りになってくるということです。

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それに対して、良子さんから部屋を間借りをしているルイスさんという自分探し中のアメリカ人青年の言葉からは、彼がどんな人生を送ってきて、今何を考えているのかを、いくらかつかみ取ることができます。彼の記憶はまだ「届かない」というほどには奥底に沈んでいないからです。ルイスさんの存在によって、良子さんの記憶の「届かなさ」が、なおさら際立ちます。

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タイトルにある「牢獄」という言葉は、3つの意味があると私は思います。1つめは、炭鉱労働が盛んだった文明開化以降から第二次世界大戦にかけて、本当に牢獄(島から出られず 過酷な労働の日々を送る)のようだったという意味。

2つめは、日も入らないような地中深くにある独房のように、良子さんの心の奥底に記憶が沈んでしまっているという意味。

3つめは、「カギを開ける人」を暗示する意味合いです。撮影チームは、ありとあらゆるカギを使って、良子さんの「記憶の独房」の扉を開こうと試みています。しかし、どう頑張っても、扉は完全には開きません(ときどき思いもよらぬ瞬間に 半分ぐらい開くときもあります)。

データや情報にあふれた現代社会では、誰でも「記憶の牢獄」に閉じ込められてしまう可能性はあります。本作の雰囲気は若干重いのですが、私の心には観ているうちに「自分の記憶というのは大事に扱ってより良い形で残さなければいけないな」という前向きな気持ちが芽生えました(念のために補足しておきますと、本作は「西表島は牢獄のような島だ」というツラい内容の映画ではありませんので ご安心ください)。

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『緑の牢獄』は2021年4月より全国順次上映中。詳細は公式ホームページをご確認ください。

8島巡る!自然と民俗の八重山諸島大周遊 8日間

石垣島から黒島、新城島、波照間島、西表島、小浜島、竹富島、そして与那国島へ。8日間で八重山諸島8島を周遊し、離島に残る沖縄の原風景とともに、亜熱帯の自然と歴史・文化にふれます。。

テーラー 人生の仕立て屋

74c1661df18b217d(C)2020 Argonauts S.A. Elemag Pictures Made in Germany Iota Production ERT S.A.

ギリシャ

テーラー 人生の仕立て屋

 

Tailor

監督: ソニア・リザ・ケンターマン
出演:ディミトリ・イメロス、タミラ・クリエヴァほか
日本公開:2021年

2021.8.4

アテネの仕立て屋が真逆の人生見出す、「ニュー・ノーマル」発見の旅

中年のスーツ職人・ニコスは、アテネで36年間高級スーツの仕立て屋を父と営んできた。しかし、ギリシャを覆う不況はニコスの店にも影響し、店は銀行に差し押さえられ、ショックでニコスの父は倒れてしまう。

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途方に暮れたニコスは、手作り屋台で、移動式の仕立て屋を始める。しかし、ストリートマーケットでは高級スーツや仕立ての技術はまったくお金にならない。

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そんなある日、道端を歩くニコスを、「ウェディングドレスの注文がある」という女性が呼び止める。紳士服一筋だったニコスは躊躇しつつも、オーダーを受けて人生の新たな一歩を踏み出す。

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私は2008年にギリシャに一度訪れたことがあります。ほぼ何も下調べずにアテネのエレフテリオス・ヴェニゼロス空港というギリシャ皇帝のような名前(20世紀初頭の政治家だそうです)の空港に降り立ち、古代ギリシャ帝国の繁栄のイメージから豪華絢爛な都市を勝手に想像しつつホテルに向かう道すがら、落書きだらけの地下鉄(本作劇中にも映っています)に乗りながら、脳内のアテネのイメージがものすごい速度で書き換えられていったことが強く記憶に残っています。

当然、ソクラテス・プラトン・アリストテレスらが生きた「黄金時代」は2000年以上前ですし、神話の世界が息づいているのはどちらかというとクレタ・サントリーニ・ミコノスなどの島なので、アテネとしても「そんな栄華や神話のイメージを持たれても困る」と思ったかもしれません。

いわゆる「ギリシャ危機」は2009年に起きましたが、私が訪れた2008年にも、ツーリストが感知できるぐらいはっきりとした兆候が既にありました。なんとなく「状況が悪い」という雰囲気が都市に蔓延していて、「失業者が増加していてこのままではマズい」ということを地元の人が話していました。

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『テーラー 人生の仕立て屋』の話に戻りますが、本作は「ギリシャ危機」が過去に起こったことが大前提にあります。おそらく、「経済危機の嵐が吹きに吹き荒れて、分厚い雨雲からようやく陽光が差し始めた頃」という設定なのだと思います。

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主人公のニコスは、ある種の「ニュー・ノーマル」(コロナ以前に制作された映画ですが、多くの映画と同様に本作もコロナ後に意図せざる意味合いを持つことになった作品の一つだと思います)を強いられます。それは、彼が生業にしてきた「高級スーツの仕立て」という仕事の価値が、経済危機によって根こそぎ吹き飛ばされてしまったためです。

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それでもなんとか生きようと奔走するニコスは、自分の業務領域外である「ウェディングドレスの仕立て」のオーダーを受けます。最初は「そんなのは自分の仕事ではない」と思いつつも、背に腹は代えられないと思い直し、ニコスは仕事を受けます。

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このシーンから、昨年有田焼の職人さんを取材して「頼まれ仕事」に関して話してもらったことを、私は思い出しました。そのとき聞いたのは「自分が本当にやりたかったものをつくってみると、首をかしげられる。しかし、思いもよらぬ頼まれ仕事を受けて模索しながらつくったとき、想像以上の好評を得る。自分というのは自分が一番知らなく、他者のなかにこそ自分という存在はあるのかもしれない」ということだったのですが、これはまさにニコスの「進化」を解説するのにピッタリの言葉だと思いながら、本作を鑑賞していました(ポスターのキャッチコピーにもある「人生は測れないから面白い」というのとほぼ同義だと思います)

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仕立て屋・ニコスの「再生の旅」を描いた『テーラー 人生の仕立て屋』は9/3(金)より新宿ピカデリー、角川シネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開。その他詳細は公式ホームページよりご確認ください。

ギリシャ古代遺跡探訪
ギリシャの9つの世界遺産を巡る

歴史遺産と複合遺産を合わせて、ギリシャに登録された9つの世界遺産を巡ります。古代ギリシャ、マケドニア王国などの栄華を物語る遺跡群のほか、天に近づくために切り立った奇岩上に建てられたメテオラの修道院群など、ギリシャに残る歴史遺産の数々を訪問します。