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コンパートメントNo.6

© 2021 – AAMU FILM COMPANY, ACHTUNG PANDA!, AMRION PRODUCTION, CTB FILM PRODUCTION

ロシア・フィンランド

コンパートメントNo.6

 

Hytti Nro 6

監督:ユホ・クオスマネン
出演:セイディ・ハーラ、ユーリー・ボリソフほか
日本公開:2023年

2023.1.25

目的地への道中、目的地にいるとき、思い出 どれが一番「旅らしい」時間か?

1990年代のモスクワ。フィンランドからの留学生ラウラは恋人と一緒に世界最北端駅ムルマンスクのペトログリフ(岩面彫刻)を見に行く予定だったが、恋人に突然断られ1人で出発することに。

© 2021 – Sami_Kuokkanen, AAMU FILM COMPANY (以降写真同様)[/caption]

寝台列車の6号客室に乗り合わせたのはロシア人の炭鉱労働者リョーハで、ラウラは彼の粗野な言動や失礼な態度にうんざりする。

しかし長い旅を続ける中で、2人は互いの不器用な優しさや魅力に気づき始める・・・

読者の皆さんは、海外の寝台列車に乗った経験はあるでしょうか? 僕はもともと電車が好きということもありますし、西遊旅行の添乗業務もありましたので、そこそこ乗車経験があるほうかもしれません。

思い出せる限りで、上海〜ウルムチ間(往路はちょっとずつ、復路は一気に約2日半)、西寧〜ラサ間、インド各地(バラナシ〜アグラや西インド等)、ギリシャのテサロニケからトルコのイスタンブール、ルーマニアのブラショヴ〜ハンガリーのブダペスト間(のはずがハンガリーのストライキで国境で降ろされる)、ブダペスト〜ポーランドのクラクフ間などです。

僕も本作の登場人物たちと同じように、通じているかどうか定かではないけれども同乗者と会話したり、互いの言葉を教えあったりしました。そういった一切合切の時間は、記憶の中にコンパートメントのようなものがあるとするならば、旅した区画ごとの「記憶コンパートメント」が連なった列車みたいなものが脳内に存在するように思えます。

90年代という時代設定の本作で、主人公はビデオテープが記録媒体のカメラを構えています。撮影している映像の宛て先には、自分も含まれているのでしょう。本作を見終わった後、自分が以前住んでいた住居を久しぶりに訪ねて、もう入れない場所を外から眺めているような心地になりました。

話が変わるようですが、先日偶然なタイミングで「セルフィー」という言葉の語源をしらべたときに、SNSに写真をアップすることが前提となった定義の言葉であることを知りました。つまり、本作で描かれている時代を含む「セルフィー」登場以前は、自分の写真や映像を撮っても、他者にそれが渡る機会が比較的少なかったということです。

そうした時代背景のもとストーリが進んでいくため、主人公がかつて過ごした時間への「戻れなさ」をいつか振り返るのだろうということ(フレーム外・作品で描かれるストーリー以降の時間)が、特に中盤以降から顕著に感じられるようになります。

鉄道で行ける最北端の地への旅気分が味わえる『コンパートメントNo.6』は、2023年2月10日(金)、新宿シネマカリテほか全国順次公開。その他詳細は公式ホームページをご確認ください。

LAMB ラム

(C)2021 GO TO SHEEP, BLACK SPARK FILM &TV, MADANTS, FILM I VAST, CHIMNEY, RABBIT HOLE ALICJA GRAWON-JAKSIK, HELGI JOHANNSSON

アイスランド

LAMB ラム

 

監督:バルディミール・ヨハンソン
出演:ノオミ・ラパス、ヒナミル・スナイル・グブズナソンイほか
日本公開:2022年

2023.1.18

羊人間を育てる羊飼いと人間生活の本質―アイスランド発の哲学的スリラー

アイスランドの山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァルとマリアは、羊の出産に立ち会う。すると、羊ではない「何か」が産まれてきた。

子どもを亡くしていた2人は、その「何か」に「アダ」と名付け育てることにする。アダとの幸せな生活の奥底で、2人の運命は大きくうごめいていく。

前回は「遠い」国としてマリの『禁じられた歌声』をご紹介しましたが、アイスランドも色々な意味で遠い国です(ちなみに「日本から遠い国」で検索したところ一番距離的に遠いのはウルグアイとのことでした)。遠いですし、氷河・オーロラ・間欠泉・動物など、様々な環境の違いがあり、常識の尺度も違います。たとえば、本作の大半は真夜中になっても日が沈まない白夜の設定で展開されますが、さほど説明無く物語が進むので白夜だと気付いた瞬間にハッとします。

本作はホラーとしてカテゴライズされることもありますが、僕の解釈では、人間の深淵を描いている(がゆえに若干怖い)作品で、哲学的スリラーと表現することもできるかと思います。なので「ホラーはちょっと・・・」という方も、ぜひ避けずにご覧になってみてください。

「秘境」と呼ばれる中でもその度合が高い場所に行くと、自分がそこにいるという事実自体に、不思議を抱くことがあるのではないかと思います。僕は、添乗中ではあるものの、度々その感覚に浸ったことがあります。

羊を無意識・潜在意識の象徴として小説の初期作に登場させたのは村上春樹ですが、『ノルウェイの森』の終盤で、色々なドラマを経た主人公が「どこにいるの?」と問われて「僕は今どこにいるのだ?」となる感じとでもいいましょうか。

『LAMB ラム』を観ていると「どういうことなんだこれは??」というシーンが続きます。主人公の女性の名前がマリアであったり羊飼いという職業が暗示する通り、キリスト教の比喩も多く含まれています。

夜が長い冬にも、白夜までは日本はもちろんいきませんが日照時間が長い夏にも楽しめる秀作『LAMB ラム』は、鑑賞中から鑑賞後にいたるまで「揺さぶられる感覚」がとても楽しく秘境旅行的でオススメの一作です。

アイスランド大周遊

レイキャヴィークから専用バスでアイスランドを周遊。アイスランド南部では、グトルフォスの滝や間欠泉ゲイシール・ストロックルなどの見どころに加え、氷河から崩れ落ちた氷塊が浮かぶヨークルサルロン氷河湖のクルーズや、氷河が迫りくるフィヤトルスアゥロン氷河湖へご案内します。ツアーでは、アイスランド北部の観光も充実しており、約2300年前の大噴火によってできたミーヴァトン湖周辺を観光。溶岩でできた奇岩が集中するディムボルギル、神々の滝と称されるゴザフォスの滝、デティフォスの滝などのみどころをしっかりと見学します。

禁じられた歌声

(C)2014 Les Films du Worso (C)Dune Vision

マリ

禁じられた歌声

 

Timbkutu

監督:アブデラマン・シサコ
出演:イブラヒム・アメド・アカ・ピノ、トゥルゥ・キキほか
日本公開:2015年

2023.1.4

マリ共和国・トンブクトゥで、2012年何があったのか?―「遠く」に思いを馳せる

ティンブクトゥ近郊の街で暮らす音楽好きの男性キダーンは、妻・サティマ、娘・トーヤ、12歳の羊飼い・イッサンと共に幸せな毎日を送っていた。ところがある日、イスラム過激派が街を占拠し、住人たちは音楽もタバコもサッカーも禁じられてしまう。

住人の中にはささやかな抵抗をする者もいたが、キダーン一家は混乱を避けてトンブクトゥに避難する。しかし、ある漁師がキダーンの牛を殺したのをきっかけに、彼らの運命は思いがけない方向へと転がっていく。

あけましておめでとうございます。2023年は「遠く」に気兼ねなく行ける年になりそうだと予感しています。実際僕自身も、この3年パッタリ流れがなくなっていた海外出張の波が、昨秋の釜山・今月のシンガポールときています。僕は今福岡に住んでいますが、海外から来た旅行客の方を見かけることも日々増えてきました。

「遠く」というと思い浮かべるのが、僕にとってはマリ共和国なので、今回はマリを舞台にしたフランス・モーリタニア合作の本作をご紹介できればと思います。

詳しく文化や歴史を知っているわけではないのですが、西遊旅行での勤務経験や写真・ドキュメンタリーで得た知識から、マリ(特にトンブクトゥ)にはぜひいつか訪れたいと思い続けています。マリのティナリウェンというトアレグ族のバンドが好きなこともあるかと思います。僕が西遊旅行に勤務していた2011年時点ではマリのツアーは催行されていましたが、2012年のマリ北部紛争が勃発したのを契機に、段々とマリは訪れにくい、色々な意味で「遠い」国になっていったように思えます。

本作は2012年にマリ北部・アゲルホクで実際に起きた、イスラム過激派による若い事実婚カップルへの投石公開処刑事件に触発されて、2014年に制作された映画です。イスラームの戒律やイスラーム法が、現代社会の慣習や土着文化と衝突するというのが本作のあらすじで、そう言っていいのかわかりませんが、映画のストーリーテリングでは(特にイスラーム圏の映画では)「よくある」設定です。

本作が単に「よくある映画」にとどまっていなく、フランスでは100万人を動員したのは、特異なドキュメント性があるためです。フィクションの物語ではあるのですが(特に多少なりともマリの情勢に関する知識があるならば)、一体どうやって撮影が成立したのだろうと思うようなシーンの連続です。

言語・風貌的に明らかに「地元」の人々によって、明らかにセットではない「現地」で、明らかにごく最近あったけれども「遠く」の手が届かない彼方にあるかのような出来事が、演技によって再現されていきます。特に、フランス映画的なユーモアが散りばめられた、軽やかな笑いに満ちたシーンが冒頭にあるのはなんとも皮肉です。

2023年は「遠く」にいけるようになると共に、隔たり・衝突といった「遠さ」が少しでも緩和・解決されていくように願いながら本作をご覧いただければ、決して明るくはない本作を楽しみながらご覧いただけると思います。2023年もワールド映画の情報をコツコツお届けできればと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

「黄金の都」トンブクトゥ

砂漠の民の宿営地として誕生し、やがてマリ帝国の時代には「黄金の都」と呼ばれるまでに繁栄したトンブクトゥ。サハラ砂漠の西部で採掘された岩塩は、何十日もかけてトンブクトゥに運び込まれ、ニジェール川を遡りセネガルで金と交換されました。そしてその金はキャラバンによってトンブクトゥへ運ばれたのです。 18世紀、ヨーロッパの探検隊はこの「黄金の都」を目指して旅に出ました。 現在のトンブクトゥは、砂漠の侵食によって街は急速に衰退し、現在も街は砂に埋もれつつあります。日干し煉瓦の住居や独特の形をした泥のモスクに、多くの探検家が探し求めた幻の黄金都市の栄華の跡を訪ねることができます。また、ラクダに乗ってトンブクトゥ郊外の遊牧民トアレグ族の村も訪問し、厳しいサハラの環境に暮らす砂漠の民の生活を垣間見ることもできます。

コペンハーゲンに山を

(C)2020 Good Company Pictures

デンマーク

コペンハーゲンに山を

 

Making a mountain

監督:ライケ・セリン・フォクダル、キャスパー・アストラップ・シュローダー
出演:ビャルケ・インゲルスほか
日本公開:2023年

2022.12.28

北欧の世界観から生まれた、ゴミ焼却場×スキーというイノベーション

2011年、デンマークの首都コペンハーゲンにあるゴミ処理施設建て替えのコンペ結果発表会が行われた。満場一致で選ばれたのは、同国のスター建築家ビャルケ・インゲルス率いるBIG(ビャルケ・インゲルス・グループ)建築事務所。

彼らのアイデアは、ゴミ焼却発電所の屋根に人工の山を作ってスキー場を設置し、街の新たなランドマークにするという奇想天外なものだった。

しかし完成までの道のりは苦難の連続で、予算問題をはじめ課題や疑問が次々と積み重なっていく。そして2019年10月、コペンハーゲンに標高85メートルの新しい山「コペンヒル」が誕生。

年間3万世帯分の電力と7万2000世帯分の暖房用温水を供給する最新鋭のゴミ焼却発電所でありながら、屋上にはスキー場のほかレストランなども併設する夢のような施設に生まれ変わった。

西遊旅行ではグリーンランドのツアーの最初にデンマークの首都コペンハーゲンに宿泊するので、コペンヒルをおそらく見られる機会もあるのではないかと思います(調べたところ空港から車で10分ほどようです)。

グリーンランド(デンマーク領)とデンマークの国土は北海・フェロー諸島・アイスランドなども飛び越していかなければいけないので相当な距離がありますが、デンマークという国がそのような地理条件にあるということは、コペンヒルという建築に大きく影響しているように思えます。

ビャルケ・インゲルスは本作の冒頭で、「土地が平坦であること」はどういうことかについて語ります。有機的な建築は単体として箱のようにボンッと置かれるわけではなく、外部環境をいくらか吸収・咀嚼し呼吸もする存在であることが理想的です。そして、その周辺世界のランドスケープ(景観)の見え方を変えてくれることを意図すると同時に、建築自体が発信主体となってランドスケープやその土地に住む人々に対して逆に影響を与えることも期待されています。

コペンヒルはまさにそのように、ランドスケープや人々の心と建築との間に相互交流が起こる有機性を持ち合わせているということが、約10年にわたる映像アーカイブとインタビューによって明らかになっていきます。

特に僕が気付いて面白かったのは、映画の中ではあまり詳細に説明がないのですが、ゴミが焼却炉にすべり落ちていく様子と、人がスキーで斜面を滑る様子が相似した形で表現されていたことです。それは、人間がゴミのような存在だという意味ではなく、観光客・来訪者にスキーを滑りながら(観客は滑った気持ちになりながら)環境問題に関する価値転換を図ってほしいという思いがこもっているということです。

おそらく十中八九「スキーヤー」たちは、「自分たちはゴミ焼却場の上を滑っている」という不思議な気持ちを抱いて斜面を下っていきます。その過程で、仮に自分の心が平坦めな大地だったとしたら、ボコボコっと山ができていく。その山に登ってみて景色を眺めてハッとするひとときというのが、価値転換の瞬間ということなのだと思います。

老朽化した巨大ゴミ処理施設が観光名所へと生まれ変わるまでを追った『コペンハーゲンに山を』は、1月14日(土)よりシアター・イメージフォーラム他全国順次ロードショー、その他詳細は公式ホームページをご確認ください。

二重のまち 交代地のうたを編む

(C)KOMORI Haruka + SEO Natsumi

日本(陸前高田)

二重のまち 交代地のうたを編む

 

監督:小森はるか 瀬尾夏美
出演:古田春花、米川幸リオン、坂井遥香、三浦碧至ほか
日本公開:2021年

2022.12.14

震災後の他者の記憶中を旅する―陸前高田の過去・現在・未来

2018年、岩手県陸前高田市に4人の若き男女たちがワークショップに訪れる。東日本大震災から空間的にも時間的にも遠く離れた場所からやって来た彼らは、土地の風景の中に身を置き、人々の声に耳を傾けて対話を重ね、監督のうちの一人である画家・作家の瀬尾夏美がつづった物語「二重のまち」を地域の人々の前で朗読する。

嵩(かさ)上げ工事が今も進行していて「今の土」と「昔の土」行き来できる場で、4人は自らの言葉と身体を通して、過去・現在・未来を自分でも気付かないうちに越境していく。

東日本大震災が起きてから、まもなく干支がひとまわりしようとしています。「奇跡の一本松」で有名な陸前高田でのツーリズムはだいぶ前にもちろん再始動していますが、2011年の震災と津波がこの町に与えた爪痕はいまだに様々な形で残っています。

震災後のボランティアをきっかけに活動をはじめた監督たちがこのドキュメンタリーで焦点をあてるのは、目に見える爪痕よりも、「記憶」の中の淀みや潮流です。

インタビュー形式のシーンなどもあるにはあるのですが、通常のドキュメンタリー映画では見せ場となるような劇的だったりエモーショナルだったりする場面は、その場に居合わせたワークショップ参加者たちの記憶をヒヤリングするような形で表現されます。つまり、若干文章にすると複雑なのですが、「他者の記憶を聞いた人が、聞いた記憶について記憶していること」を観客は受け取るということです。

決して饒舌とはいえない4人が、各々の言い回しや仕草で脳内をぐるりと練り歩きながら、見聞きしたことをカメラに話す様子は、静的なものの遠くまで旅をしたような気分になります。

すこし映画の内容から話題が離れますが、西遊旅行のお客様方同士がツアーのふとした時間に「旅の記憶の交換」をしていたのを、僕はよく覚えています。「どこどこはすごい良かった、この季節がおすすめ、特に何日目に食べた何々は他の国では絶対味わえない、お土産はこれこれがオススメ」というような会話のことです。

いわゆる「口コミ」ということになるかもしれませんが、西遊旅行の場合は行き先がどこも独特なので、僕もいまだに自分の職歴について詳しめに記憶も含めて人に話すと相手の方が「エピソードを聞いているだけで旅した気分になりました」とよく言ってくれます。僕としてもこういう類の話は、何度話しても話し飽きることはなく、毎回楽しんで伝えます。

記憶というのは自分の頭の中にあるようですが、他者がいて初めてその記憶が「ある」ことになるのだなとしみじみ思います。70分強と短くて見やすいのですが、遠く深く旅をした気分になれる作品です。

みちのく潮風トレイル 三陸縦断・海のアルプス編

みちのく潮風トレイルは、三陸の太平洋沿岸に位置し、1,000km超にも及ぶ日本最長のロングトレイルです。中でも「海のアルプス」とも称される北岩手の区間では、風光明媚なリアス海岸や急峻な断崖沿いのアップダウンが要所で現れ、太平洋とリアス式海岸が織り成す壮大な景色や、三陸ジオパークのみどころを眺めながらのロングトレイルウォークをお楽しみいただけます。岩手県・陸前高田市の「奇跡の一本松」は地元語り部の方の案内で見学します。

柳川

日本(柳川)

柳川

 

漫⾧的告白

監督:チャン・リュル
出演:ニー・ニー、チャン・ルーイー、シン・バイチンほか
日本公開:2022年

2022.12.7

柳川の運河を行くような、思い出と記憶の旅

北京に住む中年男性・ドンは自分が不治の病に侵されていることを知り、長年疎遠になっていた兄・チュンを柳川への旅へと誘う。柳川は北京語で「リウチュアン」と読み、それは2人が青春時代に愛した女性「柳川(リウ・チュアン)」の名前と同じだった。

20年前、チュンの恋人だったチュアンは誰にも理由を告げぬまま突然姿を消し、現在は柳川で暮らしているという情報を頼りに、兄弟は柳川を訪れる。チュアンと再会を果たすと、過去・現在・未来が交錯したような不思議な時間が、緩やかに流れる柳川の運河の傍らで流れ始める・・・

「東洋のベニス」とよばれる地が国内外に何箇所かありますが、その一つが福岡県でも佐賀・熊本寄りにある柳川です。町中に運河が走っている場所がそのように呼ばれやすいようで、日本では他に倉敷、アジアではバングラデシュのダッカやインドのシュリーナガルなどが「東洋のベニス」の異名を持っています。柳川は運河の川下りや、雛飾り、うなぎなどが有名で、海苔で有名な有明海にも近いです。運河は当然出てきますし、雛飾りもしっかり出てくるのですが、オノ・ヨーコさんの実家があるという通なポイントもストーリーに活かされています。

中国出身の朝鮮族三世で韓国在住のチャン・リュル監督は、場所の名前そのままな映画シリーズを撮り続けてきました。今回の日本公開で同時上映される『福岡』『群山』や、『慶州』などです。

僭越ながら、チャン・リュル監督が「場」を眺める視点は、自分にとても似ているなと新作を見る度に思います。一言で言うならば「詩的な認識」ということになるかと思います。

たとえば詩的なアプローチだと、「運河」という場所があった場合に、ただ運河として見るわけでなく、「流れる」「ゆるやか」「一時として同じではない」「小舟」「船頭さんの声」「舟のきしみ」など、言葉によって場所が細分化していきます。そして、その場所に一見関係がないような物事や人(もしくは逆に如実に深く関係している物事や人)を受け止める器のようなものをつくっていきます。その「発見」のプロセスの積み重ねが、「詩的な映画作り」になっていきます。

そのため、「何でこの人がここに?」とか「何でここでそういうことが?」という出来事が本作では多く、現実的でリアルなシーンというのは少ないです。そのあたかも夢のようなひとときが本作の魅力です。ちなみに余談ですが、予告編は僕が編集させていただきました。

『柳川』は12/30(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次上映(福岡ではKBCシネマにて12/16より先行上映)。そのほか詳細は公式HPをご確認ください。

九州テキスタイル紀行
~奄美・鍋島・久留米の手仕事を訪ねて~

佐賀・福岡・鹿児島を訪問。佐賀県では、300年の歴史がある「鍋島緞通」、木版摺りと型染めを組み合わせた和更紗「木版摺更紗」、200年の歴史のある「佐賀錦」を見学。福岡県では、日本三大絣の一つ「久留米絣」、そして鹿児島では奄美大島へ渡り「本場奄美大島紬」を見学します。

バリー・リンドン

©1975/Renewed ©2003 Warner Bros.Entertainment Inc.

イギリス・アイルランド

バリー・リンドン

 

Barry Lyndon

監督:スタンリー・キューブリック
出演:ライアン・オニール、マリサ・ベレンソンほか
日本公開:1976年

2022.11.9

数十世代経ても変わらない田園風景と、人生の栄枯盛衰

18世紀アイルランドのに生きる平民の若者バリー・リンドンは、貴族になるための唯一かつ全てと思われる方法を実行していく。野心に燃える若者の半生をもって栄枯盛衰の様相を、2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』『フルメタル・ジャケット』等で有名な巨匠スタンリー・キューブリックが描いた作品。

『ハリー・ポッター』『ピーターラビット』など、イギリスのコッツウォルズ・湖水地方をはじめとした田園風景を舞台にしたり活用したりした魅力的な作品は数多くあります。

しかし、心安らぐような田園風景を、本作ほど儚く無情な形でロケ地活用した例はないのではと思います。

西遊旅行のウォーキングツアーがあるコッツウォルズ地方の範囲内では、世界遺産のブレナム宮殿(コッツウォルズの東端の方)。近圏ではもう少し南のウィルトシャー州(ストーン・ヘンジで有名なソールズベリー)で多くのロケがされています。

僕はコッツウォルズに程近いバースという、町全体が世界遺産の場所に大学のとき留学していて、いわゆる「イギリスの田園風景」をよく見ていました。そして、本作を観たのは偶然にも留学する直前でした。

「これはジョージ三世の治世の時代に その世を生き争った者たちの物語である。美しい者も、醜い者も、富める者も、貧しい者も、今は皆等しくあの世だ」

大都会ロンドンからバースに向かう途中で、本作に出てくるこのような痛烈なメッセージと、フランツ・シューベルトの音楽を頭に思い浮かべていたのを今でもよく覚えています。当時20歳過ぎにしてはちょっと暗すぎるかもしれませんが、でも「諸行無常」の響きを時々でも思い出したほうが、その分今が輝くということもあると思います。

そんなことを最初に思い浮かべながら留学生活をはじめて、なぜかイギリスにいるのにインド哲学を勉強して、それもあって西遊旅行に入って、その経験もあって今国内外で映画を撮れていて・・・というような縁の連鎖が、時折この作品を見返す度に頭に思い浮かびます。

ちなみに僕はコッツウォルズのフットパスを歩いている最中に、野生のハリネズミ(イギリスではとても縁起が良いそうです)を見たことがあります。ぜひ現地に行かれた際には、特に夕方頃、足元をよく見ながら歩いてみてください。

イギリスの田舎道
コッツウォルズフットパスを歩く

コッツウォルズはイングランドでも屈指の美しさを誇る緑豊かな丘陵地帯で、白い羊たちが草を食む牧歌的な田園地帯、中世からの古い町並みや、かわいい村々が広がるとても美しい地域です。人々が自然とともにのどかな暮らしを営むコッツウォルズの村。その村々をつなぐフットパスを歩きながら、コッツウォルズの自然や文化などの魅力を感じることができるトレイルです。

サハラのカフェのマリカ

(C)143 rue du desert Hassen Ferhani Centrale Electrique -Allers Retours Films

アルジェリア

サハラのカフェのマリカ

 

143 rue du desert

監督:ハッセン・フェルハーニ
出演:マリカほか
日本公開:2022年

2022.8.24

サハラ砂漠を縦断する道路沿いのカフェ その一点からアルジェリアを眺める

アルジェリアのサハラ砂漠のど真ん中に、高齢の女主人マリカがひとりで切り盛りするカフェがある。

そこにはトラック運転手や旅人、ヨーロッパのバックパッカーなど、通りすがりの人たちが訪れる。時には即興の演奏会場になる。

マリカはそんな彼らと他愛のない会話を交わしながら、グローバル資本主義の脅威を感じつつも、カフェという場を日々を保ちつづけている。

人々はコーヒーを飲みながら、国について、人生について、家族についてなど、様々なことを初対面のマリカに打ち明ける。客の中には、マリカ自身の人生を案じる者も出てきて・・・

アルジェリアの映画を紹介するのは本作で2本目です(1本目は『パピチャ 未来へのランウェイ』という1990年代の内戦時代における女性たちを描いた作品でした)。本作は、マリカのカフェという一箇所のみから現代アルジェリアを切り取った作品です。

『パピチャ 未来へのランウェイ』と同じく、本作はアルジェリアにおける女性の生き方を描く映画でもあると思います。このカフェが好きなんだと言われたり色々と未来につながる持ちかけや提案をされたりしても「私は特に何もできないし、ただこうして砂漠を眺られてればいいのさ」といった論調です。

そんなマリカの生活を、カメラはじっくり肯定も否定もせず見つめます。

魅力的な被写体に出会った瞬間、映画の作り手はどのように振る舞うものだろうかと本作を見て考えました。ハッセン・フェルハーニ監督は偶然僕と同じ1986年生まれのようですが、マリカのカフェに入った瞬間、マリカに出会った瞬間、どのような印象を持ったのだろうとあれこれ想像しました。というのも、本作のリズムとサウンドスケープ(音風景)は、その第一印象に決定付けられているように思えるからです。

初見の瞬間に電撃が走ったように、体が動かなくなる(つまり「この人を撮りたい」と思う)こともあるでしょう。最初は気付かず、段々と被写体としての魅力を発見していくこともあるでしょう。

基本的にはネコのの暮らしのようにのんびりゆったりとしたペースで物語は進んでいくのですが、マリカの店を包むサウンドスケープがとにかく印象的です(特に劇場ではそれが顕著でしょう)。砂漠の静寂の中にポツンと佇むカフェなのではなく、国道沿いで「ゴーーーーッ」と大ホールか大聖堂のような残響音によって全方位に引き伸ばされているかのようなカフェとして、マリカの根城はひたすら描かれています。

おそらくそれこそが、監督のマリカとカフェに対するファーストインプレッションだったのではないかと僕は予想しています。

『サハラのカフェのマリカ』は8/26(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次上映。そのほか詳細は公式HPをご確認ください。

アルジェリア探訪

ティムガッドも訪問 望郷のアルジェに計3泊と世界遺産ムザブの谷。

天国にちがいない

(C)2019 RECTANGLE PRODUCTIONS – PALLAS FILM – POSSIBLES MEDIA II – ZEYNO FILM – ZDF – TURKISH RADIO TELEVISION CORPORATION

イスラエル

天国にちがいない

 

It Must Be Heaven

監督:エリア・スレイマン
出演:エリア・スレイマンほか
日本公開:2021年

2022.7.26

イスラエル版『ミスター・ビーン』―ナザレ発 映画企画売り込み世界旅行

パレスチナにルーツがあるイスラエル・ナザレ在住のスレイマン監督は新作映画の企画を売り込むため、ナザレからパリ、ニューヨークへと旅に出る。

パリではおしゃれな人々やルーブル美術館、ビクトール広場、ノートルダム聖堂などの美しい街並みに見ほれ、ニューヨークでは映画学校やアラブ・フォーラムに登壇者として招かれる。

行く先々で故郷とは全く違う世界を目の当たりにするスレイマン監督は思いがけず故郷との類似点を発見し、それが自身の想像とまざりあい、摩訶不思議な世界観が展開されていく。

以前にご紹介した、イスラエル・パレスチナ間の問題を題材にした『テルアビブ・オン・ファイア』はなかなか変わったコメディ映画でしたが、本作もかなりユニークかつシュールなコメディです。

イスラエル版『ミスター・ビーン』とでもいいましょうか、主人公のエリア・スレイマン監督はほぼ一言も喋りません。そして、イエスが生まれ育ったことで有名な町・ナザレ、パリ、ニューヨークをじっと観察していきます。

なのですが、町で展開されていく出来事や、そもそも景観そのものがおかしくなってきます。たとえば、ルーブル美術館にしてもセーヌ川沿いにしても全く人の気配がなく、不自然なことこの上ありません。

観光客でにぎわっているはずのエリア・バスティーユにあるフランス銀行前では、なぜか戦車が通過します。

ニューヨークに渡れば、スマホを持つかのようなカジュアルさで自動小銃を手にした人々がスーパーマーケットで買い物をしていたり、タクシーから降りてきたりします。

こうした不可思議な描写を通して、観客はスクリーンに映っているのが「観察」なのではなく、監督の洞察の「投影」なのだと気付いていきます。

では、何に対して「天国にちがいない」と監督は思ったのか?
「天国」とは「この世」と比較すると、どのような場所なのか?
「この世」は何が問題でどうあるべきなのか?

これらの問いかけが本作のストーリーの核でもあり、劇中で主人公が売り込みをしている企画の核でもありますので、鑑賞時の楽しみにして頂ければと思います

個人的にはたっぷり映る(ややヘンテコな)日常のナザレの光景に「ああ、ナザレというのはこういう町並みなのか」というだけでも観た価値がありました。

ぜひ、テイストの違うコメディの『テルアビブ・オン・ファイア』と2本立てでお楽しみください。

パレスチナ西岸と聖地エルサレム滞在

パレスチナとイスラエルの今と昔に触れる―ベツレヘムに2連泊。パレスチナ自治政府事実上の首都ラマラ、「誘惑の山」があるエリコ、旧市街が世界遺産に登録されているヘブロンなど、パレスチナ自治区の代表都市も巡ります。

ナザレ

イエスは伝道を始められるまでの約30年間を、ナザレで両親と共に過ごしました。 またこの町は、イエスの母マリアが天使ガブリエルよりイエスの受胎を告げられた場所として知られています。 現在ここには、マリアの受胎告知を記念した教会(受胎告知教会)が建っています。アベ・マリアの頭文字「A」を模って作られた屋根が印象的な建物です。 受胎告知教会の礼拝堂の中には世界の国々から寄贈された様々な聖母子の絵があります。 その中には日本から贈られた「華の聖母子」(作:長谷川路可氏)も飾られています。

オリーブの林を抜けて

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イラン

オリーブの林をぬけて

 

Zir-e derakhtan-e zeytoon

監督: アッバス・キアロスタミ
出演: ホセイン・レザイほか
日本公開:1994年

2022.6.22

「映画のようなこと」を求めて、フィクションとリアルの間を旅する

1990年、大地震がイラン北部を襲った。石工の青年・ホセインはひょんなきっかけから、都心からやって来た映画クルーの撮影に、俳優として参加することとなる。

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カメラがまわっていないときに、地震で家族を亡くしたタヘレという女性にホセインはプロポーズをする。貧しく読み書きができないホセインからの求婚を、タヘレの家族は反対する。しかし、そうした状況下でタヘレは映画の中でホセインと共演しなければならず、戸惑う。撮影クルーも徐々に異変に気づいていき、映画の枠を越えて2人に関与していく・・・

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この2-3年の間、コロナ禍によって「映画のようなこと」が次々と起こっていき、映画を生業にしている身にしても「現実のほうが映画っぽい」と感じるような光景にしばしば遭遇してきました。ですが、ようやく元通りに国内外を旅できる兆しが見えてきて、旅という「非日常」を日常生活が受け止められるバランス感覚が社会の中に戻ってきているように思えます。

そんな今だからこそ観たくなる(観ていただきたい)作品が、本コラムで度々ご紹介しているアッバス・キアロスタミ監督作品です。本作は2019年にご紹介した『そして人生はつづく』とセットのような作品なのですが、片方だけ観ても、(2本観る場合であっても)どちらを先に観ても楽しめるセット作品です。

フランスでもリメイクがなされた邦画『カメラを止めるな』のように「映画を撮る映画」というのは、映画史において恒常的にあり続けていますが、『オリーブの林をぬけて』に関しては、「映画が撮られているのか撮られていないのか、わからなくなってくる映画」と言えるかと思います。

上記のあらすじにも紹介したように、主要登場人物の2人は「映画内映画」で演じているときに話すことと、「映画外」で話すことがゴチャゴチャになってきます。

さらに映画鑑賞者(私たち)にとって良い意味でややこしいのは、2人を演じているのは地元で暮らしを営むアマチュア俳優であるという点です。そのため、彼らが演じているのか演じていないのかがわからなくなってきます。

また、「映画内映画のカメラ」はまわっていないけれども、「映画のカメラ」はまわっているというシーンのとき話されていることが、筋書きに書かれたまぎれもない「映画」なのか、自然の流れの中で立ち起こってきた「映画のようなこと」なのかわからなくなってきます。

と、書いている私自身もなかなかこんがらがってくるような構造をしている本作ですが、結果的に観客がこのような映画を観てこそ受け取れるのは「自分の今見聞きしている世界は映画のようだ」と思える感覚です。旅という非日常をよりビビッドにとらえることが可能になる「映画のようなことセンサー」を、ぜひキアロスタミ監督作品から感覚に取り入れてみてください。