(C)Makhmalbaf Film House
子どもたちはもう遊ばない
監督:モフセン・マフマルバフ
出演:エルサレムの人々
日本公開:2024年
イランの巨匠、スマホを片手にエルサレムの町をゆく
イランの巨匠モフセン・マフマルバフ監督は、映画のロケハン(下見)のため聖地・エルサレムの町を巡る。
長年続くイスラエルとパレスチナの紛争の解決の糸口を探るため、監督はユダヤ・アラブ双方や世代を問わず様々な人々に出会い、ペンでメモをとるかのようにスマートフォンでその様子を記録していく⋯
『ギャベ』『独裁者と小さな孫』など、過去にも本コラムで作品を紹介してきたモフセン・マフマルバフ監督の最新作はスマートフォンの作品です。
誰でも撮れそうでありながら、でも映画監督的洞察・直感・忍耐力がないと収録できないフッテージが、さながらエルサレムの街をグルグルとさまようかのような不思議な構成で編集されています。
僕も実は町の動態をスマホで記録することを仕事にしているのですが、スマホの良い点はまずサッと構えることができて、何気ない人の動作や言葉が収録できること。
そして、カメラを構えても被写体があまり緊張しないことです。たとえば、頬杖をつくように片手でスマホを持ってカメラをまわして、インタビュー対象者とはちゃんと目を合わせて話すことがスマホでは簡単にできます(マフマルバフ監督がそうしているかはわかりませんが、そんなようなカメラの構え方をしているかもしれないシーンがいくつかありました)
そしてフィクションとドキュメンタリーの間を行き来することを得意とするマフマルバフ監督は、アラブ・パレスチナ間の偏見を取り去るワークショップ(おそらくこれは現地の人の既存のワークショップ)の様子を、ドキュメンタリー部分のランダムな感じから一転して、テレビドラマでもあるかのようなアングルで収録します。
こうした撮影スタンスによって、「ああエルサレムではそういうことがあるのか」という他所(よそ)のことではなく「これがエルサレムの日常なのか」と、あたかも眼前の光景かのようにエルサレムでの日常的なやりとりが観客の前に立ち現れてくることでしょう。
そしてやはりさすがだなと思ったのは、『子どもたちはもう遊ばない』(原題『Here Children Do Not Play Together』)という部分に関しては、直接的にあまり描写がない点です。おそらく、目の前に見えるものというよりも、見えないもの・無くなってしまったものについて描こうと監督はしたのでしょう。
『子どもたちはもう遊ばない』は、12月28日(土)より「特集上映 ヴィジョン・オブ・マフマルバフ」の1本としてシアター・イメージフォーラムほか全国順次上映。その他詳細は公式HPでご確認ください。