(C)Insceal 2022
コット、はじまりの夏
監督:コルム・バレード
出演:キャサリン・クリンチほか
日本公開:2024年
1980年代初頭・アイルランド―“静かな女の子”の心を動かす「ささやかさ」
1981年、アイルランドの田舎町。大家族の中でひとり静かに暮らす寡黙な少女コットは、夏休みの間、母親が出産するまでの時間をウォーターフォードという農村にいる親戚夫婦のもとで過ごすことになる。
夫婦はコットを優しく迎え入れ、一緒に食事をしたり、子牛の世話をしたりと、何気ない日常を重ねていく。
コットはそんな日々を送っていくうちに、今までに経験したことのなかった、暮らしの中のささやかな喜びを知っていく。
本作は二児(上が女の子で7歳半、下は男の子で3歳になったばかりです)の子育てをしている僕にとっては、色々と反省の念を抱いてしまう作品でした。
英題は”Quiet Girl”、「静かな女の子」という意味です。すこし変わり者で何を考えているのかよくわからない子、と解釈することもできるかと思います。しかしもちろん、子どもは大人が思いもよらぬ様々なことを頭の中で考えているものです。
主人公のコットは(おそらくそういう設定だと思うのですが)カソリック的な厳格な規律と、政治経済的に苦境に立たされていた1980年代初頭のアイルランドを象徴するような家庭で育っています。
現代のように大人も子どももスマートフォンに夢中で時間に追われているような慌ただしさはないのですが、ひと言でいうと、ギスギスしています。田舎のお父さんには、厳格な家庭のはずなのに「親のしつけがなっていないな」と指摘されてしまう始末です。
物語の中盤に、郵便受けに向かってコットが並木道を走るシーンがあります。スローモーションになるのですが、「ああやっぱり子どものこういう何気ない時間こそ大切にしなければいけないな」と、日々の自分の行動を省みました。
そのとき僕が思い出したのは、我が家でゴミ捨てに行くときのことです。福岡市はごみ捨てが夜なのですが、たかだか往復2, 3分なのでサッと行ってしまったほうが効率はもちろん良いです。
しかし上の子は特にコロナ禍であまり自由に外に出られなかったこともあり、だいたい「一緒に行く(でも抱っこで)」と言いました。ゴミ袋と娘を抱えて、月を見たり傘をさしたりしながら、暑さ・寒さについて話しながらゴミ捨てに行きました。
息子は息子で、「ストライダー(ランニングバイク)に乗る」好機とゴミ捨てをみなしていて、僕はいつも小走りで付いていきます。雨の日は「今日は雨だから」と数分かけて説得して、さらにまた数分かけてお気に入りのレインコートを着せて、ゴミ捨てに行きます。
こういうことを面倒に思ってしまうこともしばしばですが、そういう思いも含めて、自分の日々の葛藤や行いがなんだか報われるような気持ちにさせてくれるピュアな作品でした。
『コット、はじまりの夏』は1/26(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、渋谷ホワイトシネクイント他にて全国順次公開。その他詳細は公式HPよりご確認ください。