(C)JP Film Production, 2021
熊は、いない
監督:ジャファル・パナヒ
出演:ジャファル・パナヒ、ナセル・ハシェミ、バヒド・モバセリほか
日本公開:2023年
「張子の熊」はどこにいる?―架空と現実をあべこべにさせるイラン映画の世界観
ジャファル・パナヒ監督は、トルコで偽造パスポートを使って国外逃亡しようとしている若い男女を主人公にした映画を撮影するため、イランの国境近くの小さな村からリモートで助監督レザに指示を出す。
そんな中、イランの滞在先の村では古い掟のせいで愛し合うことが許されない恋人たちをめぐるトラブルが大事件へと発展し、パナヒ監督も巻き込まれていく。
架空のカップルと本当のカップル、2組の物語が不思議な形で絡み合い、イラン・トルコ、そしてさらにはヨーロッパの社会問題までを、限られたロケーションから浮き彫りにしていく。
イランの監督たちは「一体どうやってこの話を思いついたのだろう」「一体どうやってこの人たちに撮影交渉をしたのだろう」と、観る人に思わせるような映画を撮る名人たちが集結しています。それには映画をめぐる検閲・法律が関係しています。
専門家ではないのでトルコとイランの政治体制や、イスラーム法に関する詳述はここではしませんが、本作の冒頭で「ビールを飲む(EFESという銘柄)」というシーンがあります。これだけで「ああ、ここはイランではないな」とわかります。逆に、パナヒ監督が滞在するイランの村で出されるのは、「これは◯◯に効く」というエピソード付きの伝統的な飲食物です。
一方、パナヒ監督の滞在先のホテルは土壁で、典型的な「中東」というイメージに反しない、土埃舞うゴツゴツした岩がならぶ道を車が行きます。
こうした対比で幕を開ける本作ですが、イラン側(本当のカップル側)では「映らないもの・こと」(例えばタイトルにも入っている「熊」など)が多く、段々とそれがトルコ側(架空のカップル側)に伝染していくような構成になっています。
検閲・政治的理由でたどり着いた表現ですが、これは図らずも(あるいは図っているのかもしれません)、「映っていることが全て(映っていないことは読み取れない)」というファスト消費状態のメディア・コンテンツのあり方に対する強烈なアンチテーゼになっていると感じました。
また、映画監督はコミュニケーションが大事なのですが、イランの村で多くのアマチュアキャストに演出する上で、きっと監督は「映らないこと」まで詳しく説明したのだと思います。村のしきたりについて、村人たちが大揉めに揉める迫真の演技が収録されています。
パナヒ監督の不思議で魔法のような旅に同行して、「じゃあ自分はどう考え、どう行動を起こすか」と考えさせてくれる、普遍的な一作です。
『熊は、いない』は9/15(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次上映。そのほか詳細は公式HPをご確認ください。