オリーブの林をぬけて
監督: アッバス・キアロスタミ
出演: ホセイン・レザイほか
日本公開:1994年
「映画のようなこと」を求めて、フィクションとリアルの間を旅する
1990年、大地震がイラン北部を襲った。石工の青年・ホセインはひょんなきっかけから、都心からやって来た映画クルーの撮影に、俳優として参加することとなる。
カメラがまわっていないときに、地震で家族を亡くしたタヘレという女性にホセインはプロポーズをする。貧しく読み書きができないホセインからの求婚を、タヘレの家族は反対する。しかし、そうした状況下でタヘレは映画の中でホセインと共演しなければならず、戸惑う。撮影クルーも徐々に異変に気づいていき、映画の枠を越えて2人に関与していく・・・
この2-3年の間、コロナ禍によって「映画のようなこと」が次々と起こっていき、映画を生業にしている身にしても「現実のほうが映画っぽい」と感じるような光景にしばしば遭遇してきました。ですが、ようやく元通りに国内外を旅できる兆しが見えてきて、旅という「非日常」を日常生活が受け止められるバランス感覚が社会の中に戻ってきているように思えます。
そんな今だからこそ観たくなる(観ていただきたい)作品が、本コラムで度々ご紹介しているアッバス・キアロスタミ監督作品です。本作は2019年にご紹介した『そして人生はつづく』とセットのような作品なのですが、片方だけ観ても、(2本観る場合であっても)どちらを先に観ても楽しめるセット作品です。
フランスでもリメイクがなされた邦画『カメラを止めるな』のように「映画を撮る映画」というのは、映画史において恒常的にあり続けていますが、『オリーブの林をぬけて』に関しては、「映画が撮られているのか撮られていないのか、わからなくなってくる映画」と言えるかと思います。
上記のあらすじにも紹介したように、主要登場人物の2人は「映画内映画」で演じているときに話すことと、「映画外」で話すことがゴチャゴチャになってきます。
さらに映画鑑賞者(私たち)にとって良い意味でややこしいのは、2人を演じているのは地元で暮らしを営むアマチュア俳優であるという点です。そのため、彼らが演じているのか演じていないのかがわからなくなってきます。
また、「映画内映画のカメラ」はまわっていないけれども、「映画のカメラ」はまわっているというシーンのとき話されていることが、筋書きに書かれたまぎれもない「映画」なのか、自然の流れの中で立ち起こってきた「映画のようなこと」なのかわからなくなってきます。
と、書いている私自身もなかなかこんがらがってくるような構造をしている本作ですが、結果的に観客がこのような映画を観てこそ受け取れるのは「自分の今見聞きしている世界は映画のようだ」と思える感覚です。旅という非日常をよりビビッドにとらえることが可能になる「映画のようなことセンサー」を、ぜひキアロスタミ監督作品から感覚に取り入れてみてください。