砂の女
監督:勅使河原宏
出演: 岡田英次、岸田今日子ほか
日本公開:1964年
静岡・浜岡砂丘の「脈動」と人間の欲
八月のある日、一人の男性教師が砂地に棲む昆虫を求めて砂丘地帯にやって来る。やがて夕暮れとなり、砂丘の集落のある家で一夜を過ごすことになる。蟻地獄のような穴の底には砂に蝕まれた家があり、そこには謎めかしい三十前後の女性が住んでいる。女によると、集落の人々は、砂という同一の敵によって固く団結していると聞かされる。空白感に耐えられずどうにかして逃げようとする男と、砂かきの世界に安住する女の、奇妙な共同生活がはじまる・・・
今年が没後20周年で特集上映も組まれている勅使河原宏の代表作『砂の女』(原作:安部公房)を今回はご紹介します。英題は”Woman in the Dunes”で、”dune”というのは砂丘を意味しますが、劇中ほとんどの場面は砂漠の中で展開されます。ロケ地は静岡県の浜岡砂丘。この場所は鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』のロケ地でもあり、もう15年ほど前になりますが実際に行ってみたことがあります。
JR東海の菊川駅からバスでたしか20分か30分だったかと思いますが、浜岡砂丘の入り口にたどり着くと、太平洋側最大級の砂丘である石碑があったのをよく覚えています。また、古くから飛砂に人々が悩まされた旨も書いてありましたが、僕が訪れた日も本当に飛砂がひどく、その頃は砂がカメラの天敵であるという知識もなかったため、ジャリジャリになったコンパクトデジタルカメラを掃除するのに苦労した思い出があります(その教訓をいかして、数年後訪れた中国の敦煌ではキッチリとした防備体制で臨むことができました)。
話が思い出話にそれてしまいましたが、本作を観ると、「砂漠」というものが日本人にとって、どのような存在なのかについて考えることができます。
僕は「砂漠の民」と言われるような人々はモロッコのサハラ砂漠でしか会ったことがありませんが、この世の中には、砂漠(砂)と日々共に暮らす人々がいます。一方、日本人のほとんどにとって砂漠は非日常でしょう。
風や光で刻々と姿が変化していき、粒子の細かさで人の足元をすくい、うねるような地形や風が作りだす波紋のフォルムで人の心を攪乱する砂漠。その中で、主人公は虚無感に襲われて、我を失っていきます。
非日常の象徴ともいえる砂漠を構成する(数える気にもなりませんが)何千億か何兆もの砂の粒子が、四方八方から自分をめがけて滑り落ちてくる・・・そんなふうになってしまうのは勘弁ですが、砂の一粒一粒に流れや連関を見出せば、逆にその砂漠は自分の城と化す。非日常の砂漠から、何か学びを日常の世界に持ち帰るならば、そういった「脈動」なのだろうと僕は本作を定期的に鑑賞する度に思います(しかし本作の主人公はどちらかというと、その満ち潮のような「脈動」を一度発見しかけるも、満ち潮によってグンと強まった引き潮にさらわれて、虚無に満ちた遠海にさらわれていくような運命を辿ってしまい、鑑賞し終わった後なんとも言えないどんよりとした気分になります・・・)