春江水暖~しゅんこうすいだん
監督: グー・シャオガン
出演: チエン・ヨウファー、ワン・フォンジュエンほか
日本公開:2021年
山水画で名高い景勝地・富陽―絵巻物のような中国若手監督の世界観
伝統的な景観の保全と再開発がしのぎを削るように並行して進む中国・杭州市 富陽地区。ある大家族が、年老いた母の誕生日を祝うため集まる。しかし、祝宴の最中に母は脳卒中で倒れてしまう。
命は取り留めたものの認知症が進み、介護が必要になってしまった母。飲食店を営む長男。漁師の次男。ダウン症の息子を男手ひとつで育てる三男。気ままな独身生活を楽しむ四男・・・
それぞれの人生がゆるやかに交錯していく。
この映画のロケ地となっている富陽は、元代の著名な画家・黄公望(1269-1354)の水墨画『富春山居図』が描かれた地です。1988年生まれのグー・シャオガン監督は富陽で生まれ育ち、この地のリズムや風土を熟知していることが映像から見て取れる内容となっています。
しばしば使われる長回しショットの雰囲気もあいまって、舞台はまぎれもなく現代中国ではありながらも、絵巻物の世界に入り込んだような感覚を本作は味わせてくれます。カラー作品ではありますが、「水墨画のような」という喩え方が本作にふさわしいと思います。
絵画には必ずキャンバスがあり、どこからどこまで描けるかが決まっていて、当たり前ではありますがキャンバスの枠外に何かを描くことはできません。
映画にも縦横比で形成された枠(フレーム)がありますが、その枠はカメラの移動によって変容したり、音編集などによって枠の外側の物事や空間をグッと引き寄せることができます。
縦横比で形成された映画のフレーム内をパン生地のようなものとして考えると、映画のオリジナリティというのはその生地をどれだけ捏ねて、どういう形にして、どういう焼き方にするかというひとつひとつの選択の総体のようなものです。
『春江水暖』はかなり柔らかく、ふんわりとしていて、でも後味は烏龍茶のように力強く残る。烏龍茶蒸しパン、といった感じでしょうか・・・・・・
なにはともあれ、映画にはそのような固有のキャンバスの形があるのかもしれないと鑑賞中に考えました。
旅で色々な場所を訪れて、キャンバス・額縁・額縁の外の空間にはハッとさせられたことが、私は何度もあります。フェルメールの絵画や『モナ・リザ』を観たときは、「こんなに小さかったのか」と驚きました。
モネの『睡蓮』やレンブラントの『夜警』のダイナミックさには、圧倒させられ体の動きが止まったのをよく覚えています(きっと絵の世界に連れて行かれたのだと思います)。
マドリッドのソフィア王妃芸術センターでダリの『窓辺の少女』を鑑賞したときは、不思議な遠近感を持つ絵そのものも印象的でしたが、額縁の外の壁の白さと、周囲の作品との余白のとり方が鮮烈に記憶に残っています。
同じくソフィア王妃芸術センターでピカソの『ゲルニカ』をみていた時は、横にいた幼児が急に大泣きしはじめて、ピカソの意思が時空を飛び越えて額の外へ飛び出してきたかのような感覚を味わいました。
しかし不思議なことに、水墨画や山水画に関しては中国で鑑賞した瞬間の記憶が私にはあまりありません(たしかに鑑賞したはずなのですが・・・)。本作の中にも霧がかった景色や、ぼんやりとした景色が折にふれて映し出されますが、山水画というのは『ゲルニカ』とは全く違う形で、まるで昇華するようにキャンバスから展示空間に飛び出していき、鑑賞者の意識を連れ去っていこうとするのかもしれません。
オーソドックスな映画が四角いキャンバスにしっかり塗られた絵をじっと鑑賞するようなものだとしたら、本作は山水画のように、絵の中にこめられた意思がキャンバスから段々蒸発して昇華されていく様を目で追うようなテイストの作品だと思います。
フレーム内の景観への没入感は、ぜひダイナミックなスクリーンで体感していただきたいところです。コロナ禍で海外に行くことが叶わない今、まさに本作は「海外に行った気持ちになる映画」といえるでしょう。
『春江水暖~しゅんこうすいだん』は2021年2月よりBunkamura ル・シネマほか全国公開中。そのほか詳細は公式ホームページをご確認ください。