萌の朱雀
監督:河瀬直美
出演: 尾野真千子、柴田浩太郎ほか
公開年:1997年
奈良・吉野の奥深き山々と、日本人の心
過疎化が進む奈良県吉野村、この山間の村にある田原家には、当主の孝三とその妻の泰代、母の幸子、そして孝三の姉が残していった栄介と、孝三と泰代の子・みちるの5人が暮らしている。村に鉄道を通す計画が持ち上がって15年になるが、トンネル工事に携わっていた孝三は、計画の中止を知らされすっかり気力を失っていた。
そんな孝三に代わって家計を支えるのは、町の旅館に勤める栄介である。ある日、少しでも家計の助けになればと、泰代が彼と同じ旅館に勤めることになった。ところが、元々体の弱い泰代は、体の調子を崩して倒れてしまう。泰代に秘かな想いを寄せていた栄介は彼女を心配するが、栄介を慕うみちるは母に嫉妬心を覚えた。そんなある日、突然孝三が姿を消し、警察から遺品である8ミリカメラが届けられる・・・
日本国内の景観がユニークな邦画紹介。『田園に死す』につづく2本目は、日本を代表する映画監督・河瀬直美の初期作品『萌の朱雀』です。
開始数分で「この映画はきっと良い映画」だ、と確信するような作品とたまに巡り合うことがありますが、『萌の朱雀』は多くの人にとってそんな作品だと思います。
35mmフィルムに焼き付いた日本家屋の質感、調理場に差し込む光、かまどから上る湯気、茶の間から見える吉野の山々、虫の声、坂道を登って学校から帰ってくる子どもたち。そういった「原風景」と呼ぶにふさわしいシーンが冒頭に連続するだけで物語が既に成り立っていて、あとは映画に流れる時間に引き込まれていきます。
この作品の世界観にひかれて、私は吉野とその界隈を何度かに分けて旅したことがあります。一度目は高野山、二度目は飛鳥、三度目は「日本一長い路線バス(奈良・近鉄大和八木駅から和歌山・JR新宮駅)」に乗って十津川村を訪れました。十津川村のそばには「呼ばれないと行けない」という言い伝えがある玉置神社があります。私は幸いにも行けましたが、急な雨やなぜかバスが止まってしまったなどということが時々あり、縁がないと行けないと現地の方も言っていました。玉置神社に行って何を思って何を見たのか、正直よく覚えていないのですが、「行った」という漠然とした経験がなんとなく心のどこかにずっと残っています。
場所にしても建築にしても、最近は全てが整えられすぎて味気なくなってしまいがちです。そうした中で「なんとなく」というような直感的なフィーリングをもたらしてくれる場は、価値を増してきているように思えます。尾野真千子のデビュー演技もみどころの『萌の朱雀』。なんとなく懐かしく感じる吉野の光景を、ぜひ体感してみてください。