© BAFIS and Tremora 2017
聖なる泉の少女
監督:ザザ・ハルヴァシ
出演:マリスカ・ディアサミゼ、アレコ・アバシゼほか
日本公開:2019年
ジョージアにも存在する「八百万の神」を司る、美しい少女が抱える迷いとは?
舞台はジョージアの南西部、トルコと国境を接するアチャラ地方の山深い小さな村。村には人々の心身の傷を癒してきた聖なる泉があり、先祖代々、泉を守り、水による治療を司ってきた家族がいた。儀礼を行う父親は老い、3人の息子はジョージア正教(キリスト教)の神父、イスラム教の聖職者、無神論の科学教師になり、父の後を継ぐことはなかった。そして父親は一家の使命を、娘のツィナメ(ナーメ)に託そうとしていた。
その宿命に、ナーメは思い悩む。彼女は村を訪れた青年に淡い恋心を抱き、他の娘のように自由に生きることを憧れる。一方で川の上流に水力発電所が建設され、少しずつ山の水に影響を及ぼしていた・・・
科学が発達する前、世界はだいたい5つか4つの要素のバランスによって成り立っていると考えられていました。旅の醍醐味は、こうした「元素」が強く感じられることにあります。普段はあまり気にとめない雲の形をぼんやりと眺め、ビルに遮られていない爽やかな風をあび、祭事の火や人のあたたかみに触れ、一時として同じでない水の流れに気付き、見知らぬ地の土を踏みしめる・・・
空、風、火、水、地。本作はこの5元素を描くことに並々ならぬ力が注がれています。しかし、それは自然の美しさに対する賛美ではなく、消費主義・資本主義社会の矛盾を指摘するためです。
旧約聖書 創世記第1章第2節「神の霊は水面を動いていた」という引用からはじまるものの、きっとジョージアには日本で言う「八百万の神」というような考え方が根付いているのだろうと私は鑑賞しながら思いました。それゆえに、「神が姿を消しつつある世界」に対するジョージアからの警鐘ともいえる本作の物語は、不思議なことに、日本人の心にこそ響きやすいものとなっています。
『聖なる泉の少女』は、8/24(土)より岩波ホールにてロードショーほか、全国順次公開。詳細は公式ホームページをご覧ください。