配給:トレノバ
裁き
監督: チャイタニヤ・タームハネー
出演: ビーラー・サーティダル、ビベーク・ゴーンバルほか
日本公開:2017年
裁判所に渦巻く人間模様から浮かび上がる、インド社会の「分からなさ」
舞台はインドの大都会・ムンバイ。ある下水清掃人が死亡し、65歳の民謡歌手ナーラーヤン・カンブレが扇動的な歌で清掃人を自殺に駆り立てたという容疑で逮捕され、下級裁判所で裁判が始まります。そこには、人権を尊重する若手弁護士、古い法律を持ち出して刑を確定しようと急ぐ検察官、公正に裁こうとする裁判官、偽証する目撃者など、さまざまな人々が集い・・・
私は添乗業務でインドに何度も行かせて頂きましたが、インドは行けば行くほど分からなくなる国だと常々感じていました。「分からない」というのはネガティブな意味合いではなく、むしろポジティブな、ディープで魅力的というようなイメージです。
インドの人口・国土は日本の約9倍。宗教・言語・カースト・移民事情(近隣諸国、あるいは特にムンバイに関しては近隣の州からも)・食習慣などを知れば知るほど、インド社会の複雑さ・多様さに直面することになります。
映画は裁判の行く末と同等に、弁護士・検察官・裁判官の私生活を覗き見るような一歩引いた視線で映し出していきます。電車通勤か車通勤か、休日はどこに誰と出かけるか、どのようなレストランで食事をとるか、どのような音楽を聞くか、何を生きがいとしているのか、どのような家でどのような家族と暮らしているのか・・・登場人物たちの何気ない習慣や生活環境から階級・モラル・思想の違いを描いていきます。
本作の特筆すべき点は、計算されつくされた脚本とカメラアングルです。時に「なぜこんなシーンを入れたのだろう・・・」と思うようなシーンも挿入されます。
例えば、若手弁護士が日本にもあるようなオシャレなスーパーマーケットでワインなどを買って、車でジャズを聞きながら帰る場面。単体では不思議な存在のシーンで意図がつかみきれないまま次に進みますが、他の登場人物が全く違う生活を送っているシーンが始まった時にハッとさせられます。
裁判所のシーンでいえば、本筋であるカンブレの裁判と全く関係ない件の裁判で、原告が裁判所にふさわしくない服装だと裁判官に言われて証言を聞いてもらえないという描写があります。モラルの食い違いを表した場面ですが、特にそれがミステリーを解く伏線であるというわけではありません。
こうした細かいシーンの積み重ねは、「分からない」「理解し合えない」ということを前提にしていかないと、インド社会でのコミュニケーションは非常に難しいということを示唆しているように思えます。語りすぎない制作チームの語り口は、フレームの外側にある広大なインド社会に対する観客の想像力を最大限に広げてくれます。
インド文化の奥深さが凝縮された『裁き』。7月8日(土)よりユーロスペースにてロードショーほか全国順次公開。その他詳細は公式ホームページをご覧ください。