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君は行く先を知らない

(C)JP Film Production, 2021

イラン

君は行く先を知らない

 

Hit the Road

監督:パナー・パナヒ
出演:モハマド・ハッサン・マージュニ、パンテア・パナヒハほか
日本公開:2023年

2023.6.28

俳句・短歌のような世界観―イラン社会の葛藤をごった煮にした御伽噺

イランとトルコの国境近く。車で旅をしている4人家族と1匹の犬。大はしゃぎする幼い弟を尻目に、兄、父と母は口には出せない何かを心に抱えている。

湖の半分以上が干上がってしまっているウルミエ湖の周縁を走る車中で煮えきらない互いの思いを吐露しながら、「曖昧な目的地」へ向けて旅は進んでいく・・・

本コラムで以前にイラン映画『白い風船』『ある女優の不在』『人生タクシー』をご紹介しましたが、本作はそれら3作を監督したジャファル・パナヒ氏の息子さんの初長編作品です。ファンタジー感と皮肉が同居する本作から、最近僕が感じ続けてきたあるモヤモヤを連想しました。それは、「現代社会では比喩表現が通じにくい」ということです。

僕の比喩表現が熟練していないのもあるかもしれませんが、比喩的な映像表現を行政・企業のPRや企画に取り入れると「もうすこし直接的な表現を」ということになり、結局かなり説明的な表現に着地するということをしばしば経験してきました。

一方で場所を変えて、対話やファシリテーションについて人に教える際、「古池や蛙飛びこむ水の音」という俳句は蛙のことを話しているわけではない(その情景全体について話している)、という点から「意見の引き出し方」や「話の流れの作り方」を論じると「なるほどそう考えたことはなかった」と発見してもらえることも多く経験してきました。効率性・生産性を重視すると、対話・意見交換だけでなく普段抱く感情までもが表層的になりがちだということです。

本作では、俳句ないしは短歌のような表現が連続します。景観・地形的特色まで、画面全体をひっくるめて「映っていることを語っているわけではない」という表現が続きます。

父のジャファル・パナヒ監督をはじめとしたイランの名監督たちの影響もあるでしょうし、イランの検閲の影響もあるでしょうけれども、パナー・パナヒ監督固有のオフビートなテンポとファンタジー感で比喩表現が展開していきます。特に、「霧」の表現に注目いただきたいです。

ふつうに考えると変なシーンが多く、クラシック音楽もイランの歌謡曲も混然となっている本作は、「映っているのとは違うことを言っている」という前提に立つと物語が積乱雲のようにモクモクとふくらんでいく瞬間が訪れるのではと思います。

冒頭に言及されるウルミエ湖が半分干上がっていること、主人公たちが進む方向をずっと抜けた先にはアナトリア(小アジア)が広がっていることなども想像しながら、俳句・短歌のような世界観にぜひ浸ってみてください。

『君は行く先を知らない』は8/25(金)より新宿武蔵野館・ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次上映。そのほか詳細は公式HPをご確認ください。

ペルシャからアナトリアへ

古来より様々な民族や王朝が行き交い、民族の興亡が盛んだったペルシャ西部とアナトリア東部。この地に残る史跡、ウルミエ湖・ヴァン湖・アララト山といった自然を訪ねます。

白い牛のバラッド

イラン

白い牛のバラッド

 

Ghasideyeh gave sefid

監督:マリヤム・モガッダム、 ベタシュ・サナイハ
出演:マリヤム・モガッダム、アリレザ・サニファルほか
日本公開:2022年

2023.6.21

ご法度破りから知る、イラン・イスラム共和国の社会構造

テヘラン郊外の牛乳工場に勤めるシングルマザー・ミナ。夫・ババクは殺人罪で逮捕され、1年ほど前に死刑に処された。

深い喪失感を抱え続ける彼女は喪服を着続け、聴覚障害で口のきけない7歳の娘・ビタを心の拠りどころにしている。

ある日、裁判所に呼び出されたミナは、夫の事件の真犯人が他にいたことを知らされる。理不尽な現実を受け入れられず、謝罪を求めて繰り返し裁判所に足を運ぶミナだったが、夫に死刑を宣告した担当判事に会うことさえかなわない。

そこに、夫にお金を借りていたという中年男性・レザが訪ねてくる。妙に親切なレザに警戒心をさほど頂くこともなく、ミナは心を開き、しだいに関係は親密になっていく・・・

イランの厳格な法制度を背景にした本作では、イラン社会における、いわゆる「ご法度」が描かれています。法制度に対する問いかけの映画とはいえ、こんなご法度破りなシーンが描かれている作品を国内で公開できたのだろうかと思ったら、やはり上映禁止措置がされていました。

いくつか「ご法度」な描写やセリフはあるのですが、一番はスカーフ取る(厳密にいうと、スカーフを取ろうとしながら移動して取れる瞬間にフレームアウトする)というシーンです。イランでは満9歳以上の女性が、ヘジャブと呼ばれる頭髪を隠すためのスカーフと、身体のラインを隠すためのコートの着用が法律上義務付けられています(7歳の娘・ビタその義務がまだ無いのは、下の抜粋写真でも表現されています)。

その他さまざまな法律・慣習の上を、登場人物が綱渡りするように本作のは進んでいくのですが、「決まり」がどう個人(特に女性)の人生を「決めてしまう」あるいは「決めつけてしまう」かということがストーリーの核になっています。

ミナの夫は「決まり」により死刑になってしまい、親切心で来訪した男性・レザがよからぬ理由でミナの自宅を訪問したのだろうという「決めつけ」によってトラブルが生じ、その「決めつけ」は元をたどればイラン社会の「決まり」によって生じている。じゃあその「決まり」というのは何によって成り立っているのか? というように、螺旋階段を行き来するような気分になる点が、見どころの作品です。

ちなみにタイトルに入っている「白い牛」に関しては、映画冒頭にも引用される、コーランの一節に由来しています。モーセが民に「神は牛を犠牲せよと命じた」と言うと民は「我々を嘲るのですか」と返したというものです。これがどんな比喩表現なのかがぜひ鑑賞しながらあれこれ想像してみてください。地下鉄等、大都会・テヘランの日々の様子も映っている本作は「イランに行ってみたい!」となるというより「イランというのは一体どんな国なんだろう」と、一風違った角度から興味を持たせてくれる一作です。

ペルシャ歴史紀行

メソポタミア文明最高のジグラット“チョガザンビル”、ゾロアスター教の聖地ヤズドも訪問。

teheran_bazaar

テヘラン

イランの北西部に位置する同国の首都。エルブルース山脈の麓に広がるこの街は、全人口の10%に当たる人々が生活する大都市です。近代的な建物やモスク、道路に溢れかえる車の数、バザールなどの人々の活気など満ち溢れたエネルギーを肌で感じることが出来る街です。

裸足になって

(C)THE INK CONNECTION – HIGH SEA – CIRTA FILMS – SCOPE PICTURES FRANCE 2 CINÉMA – LES PRODUCTIONS DUCH’TIHI – SAME PLAYER, SOLAR ENTERTAINMENT

アルジェリア

裸足になって

 

Houria

監督:ムニア・メドゥール
出演:リナ・クードリ、ラシダ・ブラクニほか
日本公開:2023年

2023.6.14

逆境を踊りで跳ね除ける―現代アルジェリア女性の生き方

内戦の傷跡が残る北アフリカのイスラム国家アルジェリア。バレエダンサーを夢見る少女フーリアは、男に階段から突き落とされて大ケガを負い、踊ることも声を出すこともできなくなってしまう。

失意の底にいた彼女がリハビリ施設で出会ったのは、それぞれ心に傷を抱えるろう者の女性たちだった。フーリアは彼女たちにダンスを教えることで、生きる情熱を取り戻していく。

以前本コラムでもご紹介した『パピチャ 未来へのランウェイ』の監督が、主演女優はそのままに、舞台は90年代から現代に移し替えて女性の生き方を描いているのが本作『裸足になって』です。原題は主人公の名前そのままHouria(フーリア)で、アラビア語で「自由」や「天使」を意味するそうです。

アルジェリアの具体的にどこが舞台になっているのかは言及されませんが、海辺の景観や物語の特性上、おそらく首都のアルジェではないかと予想されます。

本作を観て「歴史は身体に影響する」ということを感じました。監督の前作の舞台設定だった90年代アルジェリア紛争期「暗黒の時代」や、それよりもっと前の出来事がフーリアひいては女性たちの身体に影響を及ぼしているということが、映画の言語で語られていきます。

映画の言語というのは例えば、ダンサーの主人公が足を怪我して声も失う、鳥カゴの中の鳥はカゴという不自由はあるけれども自由に動いて止まり木の上にも立てる、警察(権力サイド)の女性職員は饒舌・食欲旺盛で男性と張り合って仕事をしているなど、それらすべての連関のことです。物語序盤では比較的型にはまったクラシックダンスをしている主人公は、終盤でより現代的なダンスを志向していきます。

もう1つさりげないながらもビジュアル的に強いのは、逆光の演出です。レンズフレアという、カメラ本体内で出る光の反射も、かなり強調されています。

レンズフレアはミュージックビデオなどスタイリッシュで「撮っている」ということが自明(フィクションではない)な場面でよく使われますが、本作における逆光演出全般は「逆境」にいる主人公を象徴する意味合いがあるように思えました。

物語の後半、フーリアの身体からリハビリ施設の女性たちに有り余るエネルギーが伝播していくように、身体に宿った思いは伝播するという特性もあります。フーリアが暮らす町自体はかなり限定的にしか映らないのですが、アルジェリアに行くとふとした時にフーリアのような女性の生き方から勇気・元気をもらうような瞬間もあるのではと、不思議と旅情が湧く一作です。

『裸足になって』は7月21日(金)より新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー。詳細は公式HPでご確認ください。

アルジェリア探訪

ティムガッドも訪問 望郷のアルジェに計3泊と世界遺産ムザブの谷。

青いカフタンの仕立て屋

(C) LES FILMS DU NOUVEAU MONDE – ALI N’ PRODUCTIONS – VELVET FILMS – SNOWGLOBE

モロッコ

青いカフタンの仕立て屋

 

THE BLUE CAFTAN

監督:マリヤム・トゥザニ
出演:ルブナ・アザバル、サーレフ・バクリ、アイユーブ・ミシウィ ほか
日本公開:2023年

2023.6.7

ペトロールブルーは熱い色―ベテラン仕立て屋夫婦の人生と、モロッコのジェンダー

モロッコ、海沿いの町、サレ。旧市街(メディナ)の路地裏で、25年連れ添った夫婦・ミナとハリムは小さな仕立て屋を営んでいる。

家業を継いだハリムは女性を美しく包むカフタン作りの伝統を守り続けてきた。夫の技術と人柄に惚れ込むミナは、完璧を求めるあまり作業が遅れがちなハリムを急かしつつ、完成を心待ちにする女性たちとのやりとりを楽しんでいた。

ある日、2人はユーセフと名乗る若い男を助手として雇い入れる。より紐作りも刺繍も慣れた手つきでこなし、古い手刺繍を愛でる審美眼もある。

ハリムはユーセフを気に入り、豪奢なカフタン制作に参加させることにした。しかし、その順調さにミナは嫉妬を抱く・・・

本コラムで以前ご紹介した『モロッコ、彼女たちの朝』の監督の最新作。前作ではマラケシュの町にあるパン屋さんを軸に、場所はほとんど動かないまま物語が展開されていました。本作についてもそのスタイルは踏襲されています(ちなみに主演の女優さんも続投しています)。

仕立て屋からほとんど動かずに、現代モロッコの伝統文化と近代化の相克、ジェンダー、LGBTQ当事者たちの葛藤が描れています。

物語が進むにしいたがって、ミナは乳がんで死期が近く、ハリムは同性愛者であることをひた隠しにしていることが明らかになってきます。

まったく作風は違うのですが、『アデル、ブルーは熱い色』という2013年のフランス映画(監督はチュニジア出身)を思い出しました。『アデル〜』はクローズアップ・手持ちカメラを多用してレズビアンの若者2人の出会いと別れを描いた作品なのに対し、本作は静かで滑らかなカメラワークを基調として中年夫婦を描いています。

両作がまず似ている点は、青という色がテーマなことです。本作ではただの青ではなくて「緑と青の中間」のような色であるブルー(ペトロールブルー)がシンボルカラーになっています。抑えつけられている感情や、ジェンダーマイノリティの立場など、作中の様々なエッセンスを象徴しているように思えました。

また、食事シーンが官能的であることも似ています。『アデル〜』は若さや恋心の表現を食事シーンが助長していましたが、本作ではミナが体調を崩した時、青の補色であるオレンジ色のタンジェリン(マンダリンオレンジ)をミナが口にしたり、タジンやルフィサなどの伝統食がストーリーにしっかり紐づいているなど、ただの「食事シーン」ではない綿密な計算された演出がなされていると感じました。

ちなみにロケ地のサレという町は、西遊旅行のツアーでも訪れる大西洋沿いの町・ラバトの近郊にある小さな町だということです。ラバトには行ったことがあるのですが、海辺のキレイなシーンが終盤にあり「この町にも行ってみたかった」と思いました。

未だ見ぬモロッコをみせてくれる『青いカフタンの仕立て屋』は6月16日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町・新宿武蔵野館ほか全国公開。その他詳細は公式HPをご確認ください。

サハラ砂漠と青の町シャウエン モロッコ周遊の旅

シャウエンやマラケシュでは旧市街の中、フェズでは全客室から世界遺産の旧市街ビューを、メルズーガでは砂漠を眺めるだけでなく、サハラの中で宿泊。観光だけでなく滞在にも趣向を凝らした西遊旅行ならではの旅をお楽しみください。

ぼくたちの哲学教室

(C)Soilsiú Films, Aisling Productions, Clin d’oeil films, Zadig Productions,MMXXI

北アイルランド

ぼくたちの哲学教室

 

監督:ナーサ・ニ・キアナン デクラン・マッグラ
出演:ケビン・マカリービーケビン・マカリービー、ホーリークロス男子小学校の生徒たち
日本公開:2023年

2023.4.19

北アイルランドの苦難が生んだ、子ども・大人関係なく「一緒に悩める」場

北アイルランド紛争によりプロテスタントとカトリックの対立が繰り返されてきたベルファストの街には、現在も「平和の壁」と呼ばれる分離壁が存在する。

労働者階級の住宅街に闘争の傷跡が残るアードイン地区のホーリークロス男子小学校では「哲学」が主要科目となっており、「どんな意見にも価値がある」と話すケビン・マカリービー校長の教えのもと、子どもたちは異なる立場の意見に耳を傾けながら自らの思考を整理し、言葉にしていく。

宗教的、政治的対立の記憶と分断が残るこの街で、哲学的思考と対話による問題解決を探るケビン校長の挑戦を追う。

本コラム「旅と映画」にはまだまだ取り上げていない国がたくさんありますが、今回は初の北アイルランド関連作品です。僕自身は学生時にイギリスで学んでいたとき「こんな機会でもなければ行かないだろう」と思いアイルランドまでは行ったのですが、アイリッシュ音楽の関連地を巡るだけにとどまりました。

厳密に言うと、頑張れば行けたのですが、当時は世界史・現代史を重点的に学んでいて「IRA」というイメージが強く北アイルランドにあったため、最後の一歩が出なかったのをよく覚えています。

その僕の感覚は、あながち間違いではなかったのだと本作を観て思いました。いわゆる「北アイルランド問題」は2020年代(ちょうどコロナ禍になる前後にロケがされ、一部コロナ対応の描写もあります)においても依然として問題・課題を市民や子どもたちに突きつけています。

宗教対立についてどう思うか等、かなり抽象的かつ難解な問いを小学生たちがわからないながらも語る姿はとても堂々としています。

自分たちの言葉でしっかりと語っていますし、主人公の一人と言える校長先生やベテランの先生が「問題行為」に対処をしている光景を間近でカメラにおさめていることから、撮影クルーの学校・被写体に対するコミュニケーションや、本作の撮影を受け入れている学校・保護者たち・子どもたちの寛容さを感じます。

「日本人の子どもたち・大人たちははこんな風に振る舞えるだろうか」という感想も多く出てきそうな本作ですが、校長先生のような「哲学的問い」を投げかける人物がコミュニティに誰かしらいれば、胸の奥に秘めている思いが発露され、皆が共進化していくのではないだろうかと感じました。そうした波及効果とでも呼ぶべき「思いの伝播」が本作にはとらえられています。

こども家庭庁も発足し、「子どもの意見表明・意見形成権」等をはじめとした「子どもの権利」に対する理解促進がおこなわれていくはずの2023年にぴったりな『ぼくたちの哲学教室』は5/27(土)よりユーロスペースほか全国順次公開。その他詳細は公式HPよりご確認ください。

アイルランド周遊

首都ダブリンから南北アイルランドをバスで周遊。雄大な景観と共に、人々の心に息づくケルト文化、今でも神聖な空気が漂う初期キリスト教会跡、中世の趣を今に伝える古城群にいたるまで南北アイルランドの自然、歴史、文化に深く迫る旅です。

落葉

ジョージア

落葉

 

監督:オタール・イオセリアーニ
出演:ラマーズ・ギオルゴビアーニ、マリナ・カルツィワーゼ
日本公開:1966年

2023.2.22

道端の落葉を愛でる感性を持つ人生と、持たない人生―文化醸成は茨の道―

ワイン醸造所の新人技師・ニコは真面目で職人たちからの信頼も厚いが、出世主義の同僚は職人たちを見下していた。ニコは研究室で働く女性・マリナに想いを寄せている。

ある日、醸造所の上司は共産党幹部が定めたノルマを達成するため、未成熟の樽の開封を決める。ニコはこれに異議を唱え抵抗するが・・・

あらすじを一見すると恋愛ドラマにも見えかねない本作は、「文化とは何か」という「メタ(高次)」なメッセージを含んだ、普遍性のある物語です。作り手が「メタ」な作品に仕立て上げようとしている証拠は、時折現れる極端なトラックアップ(カメラが被写体に近づく)の動きや、ヒロインのマリナがカメラに向かってウィンクする(フランスのニューウェーブ映画へのオマージュ)からも感じられます。

その他の前提として、以前にもこの「旅と映画」でご紹介しましたが、ジョージアの最も重要な伝統産業のひとつがワイン製造であるということがあります。サペラヴィというタンニンを多く含んだブドウ品種や、陶器のボトルが特徴的です。

そしてもう一点お伝えしておきたいのは、醸造の世界史を振り返ると、「産業の圧力」に製造側が屈してしまった場合、産業自体が廃れてしまうという現象が起こったことがあるということです。たとえば、リンゴ発泡酒(英語:サイダー/仏語:シードル)の歴史を振り返ると、ローマ帝国時代からサイダーの伝統があって「水代わり」にサイダーが飲まれていたような地域もあるほど文化が根付いていたイギリスであっても、産業革命で生産・出荷を優先したばかりに悪質なサイダーが出回ったり、金属パイプが要因の中毒症状によって評判が下がり、一気に伝統が廃れてビールに取って代わられるという出来事がありました(ちなみになぜこんなに詳しいかというと、今サイダーのドキュメンタリー映画を企画開発しているからです)

本記事はまだ作品をご覧になっていない方を主な対象にしているので、物語の結末の詳述は避けますが、「本作のタイトルがなぜ『落葉』なのか」という点は、ぜひご覧いただいた後に考えていただくと楽しいと思います。

僕が思うヒントを、お伝えしておきます。
まず一つは「落ちている葉っぱの叙情にあなたは目が留まるか、そして目を留めた時にちゃんと立ち止まれるか」という作家の問いかけがタイトルにはこめられている思います。

もう一つのキーワードは「循環」です。「よい文化醸成には、気づきの循環が必要だ」ということは、戦後にスターリン独裁以来揺れに揺れてきた当時の旧ソ連体制下の国家に住む作家として、声を大にして言いたかったことなのだと想像しました。

ストーリー本筋の外側に巧みに、ワインの味わいのような深みあるメッセージを形作っている『落葉』を含む「オタール・イオセリアーニ映画祭〜ジョージア、そしてパリ〜」は2/17(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開。その他詳細は公式HPよりご確認ください。

花のジョージアを歩く
秀峰カズベキの麓からヨーロッパ最後の秘境スヴァネティ地方へ

ヨーロッパで最も標高の高い常住村として知られるウシュグリ村(2,200m)と世界遺産の上スヴァネティ地方、北部ジョージア屈指の美しい山岳景観を誇るカズベキ村を訪れるこだわりのハイキング企画。独自の文化、伝統の生活を続ける人々、静かなトレイルはまさにヨーロッパ最後の秘境の名にふさわしい場所です。

そして光ありき

セネガル

そして光ありき

 

監督:オタール・イオセリアーニ
出演:ディオラ族の人々
日本公開:2023年

2023.2.15

セネガル・ディオラ族の村に、透明のカメラを置いたような映画

セネガルの森に住むディオラ族は、男たちが川で洗濯をし、女たち(基本的に上裸)は弓矢で鹿を狩って暮らしている。

祈祷師、狩人など様々な人々の生業や何気ない日常の光景。そしてディオラ族の暮らしを今まさに侵食しようとしている、森林伐採の様子。それら両方をカメラは静かに見つめる・・・

本作はジョージアの映画監督オタール・イオセリアーニ監督特集の目玉作品の一つで、1989年製作ながらも日本初公開となります。それだけではなく、ロケ地がセネガルということで、色々な意味で稀少な鑑賞機会の作品です(今まで「旅と映画」でご紹介したセネガル関連の映画といえば女性器切除の慣習を描いた『母たちの村』のみです)。

西遊旅行のツアーの行き先というのは、「現地の人が話している言語がわからない」という場合がほとんどではないかと思います。もちろん、アジア諸語・ヨーロッパ諸語が通じる場所というのはありますし、セネガル旅行の場合は多少フランス語が通じる場面もあるかと思うのですが、「民族」と呼ばれる人たちと話すときには通訳が必要です。

本作はマシンガントーク以上のスピードでディオラ族のディオラ語(?)が展開していくのですが、ほとんど字幕が付いていません。日本語字幕が付いていないのではなく、元々監督の意向でごく一部しか字幕が付いていない(時々サイレント映画のような形で黒画面に会話が出てきます)のです。「バナナ食べる?」という言葉に字幕が付くのですが、正直なところ「バナナ」も聞こえませんでした。

でも、それが楽しいと思いましたし、「西遊旅行っぽい映画だ」と思いました。通常であれば「流れ」を追いかけてしまう会話は、本作ではザワザワガヤガヤという「音」として感じます。日本人の観客の99.9%は、彼らの表情、動き、声の抑揚、景観なども含んだ「画」から、人々の思いや慣習・儀礼の意味などを探らざるを得ないでしょう。しかし多くの観客は、音や画の「全体感」の中に浸り、村の土の上に足が着いているような感覚になるはずです。

「ワニの背中に乗って移動」などの暮らしの業(わざ)、ダンスや音楽コミュニケーションなどの躍動感、夕日を村人皆で眺めるという美しい慣習、「え!?」と思わず声をあげてしまう怪しげな祭祀、息を吹くと強風が起きるなどのマジカルな出来事と、言葉がわからなくても飽きない仕掛けも満載です。

それにしても、映画制作者としては
・一体どんな企画書を書いたのか
・どんな人が出資したのか
・村人にはどうやって交渉したのか
・なんで村人の演技はあんなにナチュラルなのか
・ワニに乗るなど、タイミング命なシーン(全部成功)なシーンが多すぎる
・村人の前で、木をあんなに切ってしまって大丈夫だったのか
など、気になる点が多すぎる作品でした。今回公開されて本当に良かったと思いますし、イチオシの作品です。

『そして光ありき』を含む「オタール・イオセリアーニ映画祭〜ジョージア、そしてパリ〜」は2/17(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開。その他詳細は公式HPよりご確認ください。

セネガルからガンビアへ

セネガルから陸路で国境を越え、隣国ガンビアへ。アラブ文化、奴隷貿易の歴史、ガンビア川沿いの漁村などこの地域ならではの文化にふれます。また、ガンビア川沿いの村に滞在し、美しく豊かな自然のもとで暮らす素朴な村の風景を見つめます。。

ユンヒへ

(C)2019 FILM RUN and LITTLE BIG PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.

韓国・日本(北海道)

ユンヒへ

監督:イム・デヒョン
出演:キム・ヒエ、中村優子ほか
日本公開年:2022年

2023.2.1

「あり得ないこと」はどういう時に起こるのか?―雪の小樽と結晶のような思い出

韓国の地方都市で高校生の娘と暮らすシングルマザーのユンヒの元に、小樽で暮らす友人ジュンから1通の手紙が届く。20年以上も連絡を絶っていたユンヒとジュンには、互いの家族にも明かしていない秘密があった。

手紙を盗み見てしまったユンヒの娘セボムは、そこに自分の知らない母の姿を見つけ、ジュンに会うことを決意。ユンヒはセボムに強引に誘われ、小樽へと旅立つ。

「近頃寒いので寒い映画を」と思ったときに、昨年劇場公開された本作のことがパッと思い浮かびました(「寒いから暑い国の映画を観よう」「寒いから夏の映画を観よう」というパターンもあるかと思いますので、かなり気まぐれです)。

本作は制作の経緯が面白いのでご紹介できればと思います。僕と同じく1986年生まれの男性の監督が、中年女性が主人公の脚本を書き進めていたところ、岩井俊二監督の『Love Letter』(1995年)の「聖地巡礼」の旅に友人から誘われます。そして小樽を訪れて、化学反応的に「ここで撮ろう!」と決めたのだといいます。

『Love Letter』公開時、監督は9歳かそこらだったかと思いますので、世代的には若干ストライク・ゾーンからずれていて、小樽という地を知るのに時間がかかったのが逆に功を奏したパターンではないかと思います。

冬の小樽という場所の性質も絡めて本作のエッセンスを一言でまとめるならば「映っている場所はいかにも寒そうだけれども、暖かい話」です。主人公・ユンヒは心の奥底に「ある思い」を長らく封じ込めながら生きてきた人物で、いつしかそれをギュッと抑え込んでいる手を離しても、カチコチに凍りついて動かない状態になり、「ある思い」が有る、ということも忘れてしまっていました。

「ある日手紙が来て・・・」というのは、一聴するとその重い「封印」を解くにはあまりにもベタであるように思えるかもしれません。しかし、やはり実際そういうことは起こり得るのだと、本作を観て思いました。僕の人生も、手紙パターンはないのですが、「ある日一通メールが来て・・・」という形で何度も揺り動かされてきました。

あり得ないくらい寒い中で、あり得ないくらい長い時間熟成された思いが、あり得ないような出会いの中で融解していく様というのは、とてもロマンチックでありながらリアリスティックでもあると思います。

寒い内に今すぐご覧になっても、暑い季節に熱い思いに触れる形でご覧になっても楽しめる作品です。

夏の北海道
色彩あふれる絶景アクティビティを楽しむ

富良野の大自然でのモーターパラグライダー、洞爺湖を見下ろす高台で乗馬、支笏湖でのカヌー体験。ニセコ積丹小樽海岸国定公園に位置する小樽の青の洞窟では、長い年月をかけて波風などで浸食を受けた大自然を海上より楽しむことができます。

冬の北海道
白銀の世界でアクティビティを楽しむ

富良野ではモーターパラグライダーで白銀の雪原を空から望み、美瑛では十勝連峰を、またニセコでは羊蹄山を望みながらのスノーシュー体験へご案内。その他、白銀世界での乗馬体験や雪に包まれた森の中で行うジップライン体験など、冬の北海道の自然を各所のアクティビティを楽しみながら体感していただけます。小樽での夜は、ライトアップされた小樽運河の散策をお楽しみください。

コンパートメントNo.6

© 2021 – AAMU FILM COMPANY, ACHTUNG PANDA!, AMRION PRODUCTION, CTB FILM PRODUCTION

ロシア・フィンランド

コンパートメントNo.6

 

Hytti Nro 6

監督:ユホ・クオスマネン
出演:セイディ・ハーラ、ユーリー・ボリソフほか
日本公開:2023年

2023.1.25

目的地への道中、目的地にいるとき、思い出 どれが一番「旅らしい」時間か?

1990年代のモスクワ。フィンランドからの留学生ラウラは恋人と一緒に世界最北端駅ムルマンスクのペトログリフ(岩面彫刻)を見に行く予定だったが、恋人に突然断られ1人で出発することに。

© 2021 – Sami_Kuokkanen, AAMU FILM COMPANY (以降写真同様)[/caption]

寝台列車の6号客室に乗り合わせたのはロシア人の炭鉱労働者リョーハで、ラウラは彼の粗野な言動や失礼な態度にうんざりする。

しかし長い旅を続ける中で、2人は互いの不器用な優しさや魅力に気づき始める・・・

読者の皆さんは、海外の寝台列車に乗った経験はあるでしょうか? 僕はもともと電車が好きということもありますし、西遊旅行の添乗業務もありましたので、そこそこ乗車経験があるほうかもしれません。

思い出せる限りで、上海〜ウルムチ間(往路はちょっとずつ、復路は一気に約2日半)、西寧〜ラサ間、インド各地(バラナシ〜アグラや西インド等)、ギリシャのテサロニケからトルコのイスタンブール、ルーマニアのブラショヴ〜ハンガリーのブダペスト間(のはずがハンガリーのストライキで国境で降ろされる)、ブダペスト〜ポーランドのクラクフ間などです。

僕も本作の登場人物たちと同じように、通じているかどうか定かではないけれども同乗者と会話したり、互いの言葉を教えあったりしました。そういった一切合切の時間は、記憶の中にコンパートメントのようなものがあるとするならば、旅した区画ごとの「記憶コンパートメント」が連なった列車みたいなものが脳内に存在するように思えます。

90年代という時代設定の本作で、主人公はビデオテープが記録媒体のカメラを構えています。撮影している映像の宛て先には、自分も含まれているのでしょう。本作を見終わった後、自分が以前住んでいた住居を久しぶりに訪ねて、もう入れない場所を外から眺めているような心地になりました。

話が変わるようですが、先日偶然なタイミングで「セルフィー」という言葉の語源をしらべたときに、SNSに写真をアップすることが前提となった定義の言葉であることを知りました。つまり、本作で描かれている時代を含む「セルフィー」登場以前は、自分の写真や映像を撮っても、他者にそれが渡る機会が比較的少なかったということです。

そうした時代背景のもとストーリが進んでいくため、主人公がかつて過ごした時間への「戻れなさ」をいつか振り返るのだろうということ(フレーム外・作品で描かれるストーリー以降の時間)が、特に中盤以降から顕著に感じられるようになります。

鉄道で行ける最北端の地への旅気分が味わえる『コンパートメントNo.6』は、2023年2月10日(金)、新宿シネマカリテほか全国順次公開。その他詳細は公式ホームページをご確認ください。

LAMB ラム

(C)2021 GO TO SHEEP, BLACK SPARK FILM &TV, MADANTS, FILM I VAST, CHIMNEY, RABBIT HOLE ALICJA GRAWON-JAKSIK, HELGI JOHANNSSON

アイスランド

LAMB ラム

 

監督:バルディミール・ヨハンソン
出演:ノオミ・ラパス、ヒナミル・スナイル・グブズナソンイほか
日本公開:2022年

2023.1.18

羊人間を育てる羊飼いと人間生活の本質―アイスランド発の哲学的スリラー

アイスランドの山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァルとマリアは、羊の出産に立ち会う。すると、羊ではない「何か」が産まれてきた。

子どもを亡くしていた2人は、その「何か」に「アダ」と名付け育てることにする。アダとの幸せな生活の奥底で、2人の運命は大きくうごめいていく。

前回は「遠い」国としてマリの『禁じられた歌声』をご紹介しましたが、アイスランドも色々な意味で遠い国です(ちなみに「日本から遠い国」で検索したところ一番距離的に遠いのはウルグアイとのことでした)。遠いですし、氷河・オーロラ・間欠泉・動物など、様々な環境の違いがあり、常識の尺度も違います。たとえば、本作の大半は真夜中になっても日が沈まない白夜の設定で展開されますが、さほど説明無く物語が進むので白夜だと気付いた瞬間にハッとします。

本作はホラーとしてカテゴライズされることもありますが、僕の解釈では、人間の深淵を描いている(がゆえに若干怖い)作品で、哲学的スリラーと表現することもできるかと思います。なので「ホラーはちょっと・・・」という方も、ぜひ避けずにご覧になってみてください。

「秘境」と呼ばれる中でもその度合が高い場所に行くと、自分がそこにいるという事実自体に、不思議を抱くことがあるのではないかと思います。僕は、添乗中ではあるものの、度々その感覚に浸ったことがあります。

羊を無意識・潜在意識の象徴として小説の初期作に登場させたのは村上春樹ですが、『ノルウェイの森』の終盤で、色々なドラマを経た主人公が「どこにいるの?」と問われて「僕は今どこにいるのだ?」となる感じとでもいいましょうか。

『LAMB ラム』を観ていると「どういうことなんだこれは??」というシーンが続きます。主人公の女性の名前がマリアであったり羊飼いという職業が暗示する通り、キリスト教の比喩も多く含まれています。

夜が長い冬にも、白夜までは日本はもちろんいきませんが日照時間が長い夏にも楽しめる秀作『LAMB ラム』は、鑑賞中から鑑賞後にいたるまで「揺さぶられる感覚」がとても楽しく秘境旅行的でオススメの一作です。

アイスランド大周遊

レイキャヴィークから専用バスでアイスランドを周遊。アイスランド南部では、グトルフォスの滝や間欠泉ゲイシール・ストロックルなどの見どころに加え、氷河から崩れ落ちた氷塊が浮かぶヨークルサルロン氷河湖のクルーズや、氷河が迫りくるフィヤトルスアゥロン氷河湖へご案内します。ツアーでは、アイスランド北部の観光も充実しており、約2300年前の大噴火によってできたミーヴァトン湖周辺を観光。溶岩でできた奇岩が集中するディムボルギル、神々の滝と称されるゴザフォスの滝、デティフォスの滝などのみどころをしっかりと見学します。