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ソング・オブ・ラホール

1d66d5e3adddd1bc(C) 2015 Ravi Films, LLC

パキスタン

ソング・オブ・ラホール

 

Song of Lahore

監督:シャルミーン・ウベード=チナーイ、アンディ・ショーケン
出演:サッチャル・ジャズ・アンサンブル、ウィントン・マルサリスほか
日本公開:2016年

2016.7.20

パキスタン伝統音楽×ジャズ!
NYとラホールの間に音楽が架ける橋

「文化と文化の接触」という言葉を聞いた時、皆さんはどういった場所や事柄を連想されるでしょうか。私が真っ先に思い浮かべるのは、パキスタンのラホール美術館で見たガンダーラ仏の展示です。特に弥勒菩薩立像の筋骨隆々とした姿はギリシャ彫刻の影響をはっきりと確認することができ、かつて本当にアレクサンダー大王がパキスタンの地まで来たのだと実感させるものでした。

物語はそのラホールから始まり、かつては芸術の都と呼ばれていたラホールの音楽文化が1970年代後半にパキスタンのイスラーム化政策がはじまったことにより衰退したことが説明されます。ラホールのサッチャル・スタジオのメンバーたちは廃れてしまった伝統音楽を復活させるべく、youtubeで自分たちの音楽を世界に向けて発信します。

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シタール・タブラなどインド音楽でもおなじみの楽器を用いてユニークな解釈で演奏されたジャズのスタンダードナンバーは多くの人の心を打ち、アメリカの超一流トランペッターであるウィントン・マルサリスの耳にもその響きは届きました。

サッチャル・ジャズ・アンサンブルの面々がウィントン・マルサリスの招待によりニューヨークに旅立っていく過程や、素晴らしい演奏技術が見ごたえ抜群なのはもちろんですが、本作にはもうひとつ重要な意味合いがあります。それは、彼らが世の中が持つパキスタンのネガティブなイメージを刷新させたいと切に願っていることです。

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私もパスポートにパキスタンビザが押されているだけでヨーロッパやアメリカでの怪しまれて入国審査で理由を事細かに質問されるということがありました。「パキスタン人はテロリストじゃないとわかってもらいたい」とメンバーたちは劇中でつぶやきますが、きっと彼らが生み出す音楽は人々の心に直接歩み寄って一番よい形でそのことを伝えてくれるでしょう。

世界の遠く離れた場所どうしの民話が時に全く同じような話であることがあるように、国境や文化を隔てていても人間は同じ人間なのだということ、そして同時に「違い」が世界を成り立たせているのだということをサッチャル・ジャズの音色は見つめなおさせてくれます。

8月13日(土)よりユーロスペース、8月27日(土)より角川シネマ有楽町にて公開。

その他詳細は公式サイト公式フェイスブック、公式ツイッター(@songoflahore_jp) からご確認ください。

秋の大パキスタン紀行

北部パキスタンが「黄金」に輝く季節限定企画 南部に点在する世界遺産を巡り、桃源郷・フンザへ。

春の大パキスタン紀行

パキスタンを大縦断!5つの世界遺産を巡りながら桃源郷フンザへ。

シンド・パンジャーブ紀行

カラチからイスラマバードまで陸路で走破し、パキスタンの遺跡をじっくり巡る

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ラホール

パンジャーブ州の州都にしてパキスタン第2の都市。パキスタンの文化・芸術の中心地で、 インドとの国境へも車で約1時間。両国の「雪解け」を感じる町でもあります。

極北の怪異(極北のナヌーク)

極北のナヌーク

カナダ

極北の怪異(極北のナヌーク)

 

Nanook of the North

監督:ロバート・フラハティ
出演:ナヌーク、ナイラ、 アレイ
日本公開:1922年

2016.7.13

約100年前に極北の地で撮影された、
世界初のドキュメンタリー映画

サイレント映画をお気に入り映画として挙げる映画監督は多くいますが、その中でも『極北のナヌーク』はフィンランドの名匠アキ・カウリスマキ監督など、ユニークな監督が好む作品です。監督はドキュメンタリーの父と言われるロバート・フラハティです。

映画の発明者・リュミエール兄弟がパリで初めて映画上映をした1895年から20年ほど経過した1910年代後半に、アメリカ人・フラハティはカナダのバフィン地方・北ウンガヴァ地方へカメラを持ち出す決意をしました。

エスキモーのナヌーク一家の日々の暮らしをカメラは追っていきます。移動の様子(小さいカヌーに一体何人が乗っているか、ぜひ注目してください)、セイウチやアザラシをしとめる様子、交易所で毛皮を売る様子、雪や氷でかまくらのような住居・イグルーを一時間足らずで作る様子など、博物館の展示が現実となったようなリアルな映像が展開されます。

実はこの映画は、フラハティがプリント・上映機器まで持参して自分のやりたいことをナヌーク一家に説明して信頼関係を築き、演出をし、映画のために原始的な暮らしを再現する演技をしてもらったという作品です。この映画が撮られた時にはエスキモーたちは既に原始的な狩猟生活ではなく銃を使ったり、西欧文化に大きく影響を受けた生活をしていたということです。(ナヌークたちがレコードプレイヤーをいじる場面も劇中に描かれています。)

こうした演出は、今ならやらせと言われてしまうかもしれません。しかし、彼らの身体に刻み込まれた生活習慣は決して嘘ではなく、とらえようによっては監督の演出が彼らの風習を復活させたともいえます。何より、映像記録に残されていなかった彼らの生活ぶりを、現代の私たちは他にどのような方法で目撃できたでしょうか。

ナヌーク一家が厳しい環境下でも幸せそうに暮らす姿から、監督とナヌーク一家が築いた信頼関係、監督が映像にこめた問いかけが時代を越えて伝わってきます。

人間性の源を見つめなおすことができ、かつエンターテイメント性の高い、約100年前の映画とは思えない映画です。極北へのロマンを是非この作品で膨らませてみてください。

母たちの村

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セネガル・ブルキナファソ

母たちの村

 

Moolaade

監督:ウスマン・センベーヌ
出演:ファトゥマタ・クリバリほか
日本公開:2006年

2016.7.6

人間の尊厳とは何か?セネガルの日常から世界に投げかける問題提起

「アフリカ映画の父」と評されるセネガル人映画監督センベーヌ・ウスマン(1923年生まれ、2007年に死去)の引退作『母たちの村』はアフリカにおけるFGM(女性器切除)の慣習をテーマにした作品です。主演のファトゥマタ・クリバリは実際に女性器切除を受けているそうで、劇中でも女性器切除をしたために2回流産をし、娘の出産の時に帝王切開をしなければならなかったという設定で主人公・コレを演じています。原題のMoolaadeとは「保護を求める人々を守らないとバチが当たる」という風習で、自分の娘に女性器切除をさせなかった主人公・コレに4人の少女たちが保護を求めに来たことから物語が始まります。

物語は非常にシンプルで、伝統・慣習を守ろうとする父権的な権威に固執する男性たちと、自由を求める女性たちの対立を描いています。監督はFGMを批判する立場に明確にたっていますが、争いに焦点をあてるというよりもセネガルの日常をあくまで朗らかに描くことに徹し、その流れの中で価値観の対立を描いていきます。終始アフリカののどかな雰囲気を感じ取ることができ、そのリズムからはみ出すことなくFGMを廃するべきだという姿勢を示すことで、シリアスなテーマをとっつきやすく表現しています。宗教上の理由と言いがかりをつけてFGMを続けようとしている男性たちの人間性をも尊重していて、撮影当時80歳を超えていた監督の人生の分厚さが感じとれます。名匠ウスマン・センベーヌがこの映画で目指したところは、アフリカの一つの慣習から「人間の尊厳」という普遍的な事柄へと物語を昇華させることだったのでしょう。

2004年のカンヌ映画祭・ある視点部門でグランプリを獲得した本作はFGMについて予備知識がなくても全く問題なく鑑賞でき、またセネガルのカラフルな世界を堪能できるオススメの一本です。

夢のアフリカ大西洋岸ルート
カサブランカ~ダカールを走る

カサブランカから大西洋岸を走り抜けダカールまで、移り変わる景色、民族、文化、アフリカが凝縮された縦断ルートの旅へ。かつてのダカールラリーのコースをも含む、ロマンあふれる縦断ルート。

ラサへの歩き方~祈りの2400km

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チベット

ラサへの歩き方~祈りの2400km

 

岡仁波斉   Paths of the Soul

監督:チャン・ヤン
出演:チベット巡礼の旅をする11人の村人たち
配給:ムヴィオラ
日本公開:2016年

2016.6.29

聖なる大地・チベットを包む、
巡礼者たちの小さな祈り

舞台はチベット自治区。東チベット・マルカム県プラ村の人々が1200km離れた聖地・ラサ、そしてさらに1200km先のカイラース山への巡礼の旅に出ます。 それぞれの思いを胸に巡礼に臨む11人は、両手・両膝・額を地面に投げ出して祈る五体投地を何百万回と繰り返しながら、まさに体をすり減らして進んでいきます。

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五体投地は実際にしばらくやってみるといかに体力を使うかがわかりますが、小学校低学年ぐらいの少女も含む一行は基本的に標高3000m越えの環境で五体投地をひたすら繰り返して、途中4500mを越える峠をも越えて聖地を目指します。

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この作品の驚くべき点は、実際の村人たち本人が自分たち自身を演じているフィクションであるという点です。出演者たちの敬虔さや、荘厳なチベットの風景といった実質的要素が手伝って、物語はフィクションとドキュメンタリーの境目を足音なく行き来し、観客に手を差し伸べてくれます。

カメラは幾度となく誰が誰だか判別できないくらい遠くからのアングルで、風景に同化させるようなとらえ方で登場人物たちを映します。命の生き死にが人間から近いところで行われている描写も随時はさまりますが、物語は「チベット」という場所を越え、鏡が光を反射するように私たち自身の生活を省みさせてくれます。

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一般的な感覚からすると、時は過去から未来へと一方向に進み、人生は何かを積み重ねていくもののように感じます。社会生活の中で私たちは何かを身につけたり、経験したり、増やしたりすることに価値を感じがちです。旅の途中で巡礼者たちが祈りながら道端に小石を積み上げる様子が度々映しだされますが、私はその度に彼らの中の何かが削ぎ落とされていくような印象を受け、「減らす」ということの美徳を感じました。積む動きをとらえたシーンで減らす美徳を感じるというのも不思議な話ですが、登場人物たちのちょっとした行為の節々から、彼らが持つ美しい感覚を感じ取ることができます。

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私自身ラサには数回訪れ、道路脇で五体投地している人やポタラ宮やジョカン(大昭寺)で熱心に祈りを捧げる人を目にして、彼らがそこに至るまでの果てしない旅路を想像していました。この映画は、私がその時知りたかったことに対する一つの答えを見せてくれました。

チベットに興味がある方から、日々の複雑な悩みを単純にみつめなおしてみたい方にオススメです。

7/23(土)よりシアター・イメージフォーラムにて公開。その他全国順次上映。

詳細は公式サイトからご確認ください。

青蔵鉄道で行く チベットの旅

世界最高所を走る青蔵鉄道に乗車し、聖なる都・ラサを目指します。西寧からゴルムドを経由し徐々に標高を上げて青海省・チベット自治区の境にある唐古拉峠(5,072m)を越えると、車窓には7,000m峰のニェンチンタングラ山脈や草原が広がります。列車の旅は、景観をお楽しみいただくだけではなく、ラサへ向かう前の高度順応としても最適です。

聖地カイラス山巡礼とグゲ王国

カイラス山までは世界最高峰チョモランマなどのヒマラヤ山麓を展望しながら向かいます。カイラス山では52kmの巡礼路を徒歩にて一周します。

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ラサ

チベット自治区の区都。チベットの政治的・宗教的中心地。 7世紀にチベットを統一した吐蕃王国のソンツェンガンポ王により、チベット(当時は吐蕃王国)の都として定められました。

シアター・プノンペン

7b09bc5633d53445©2014 HANUMAN CO., LTD

HanumanFilms-Logo (2) パンドラ配給

カンボジア

シアター・プノンペン

 

The Last Reel

監督:ソト・クォーリーカー
出演:マー・リネット、ディ・サーベット、ソク・ソトゥン、トゥン・ソーピー、ルオ・モニーほか
日本公開:2016年

2016.6.29

映写機から放たれる未来への光
カンボジア人女性監督による決意の一作

映画の舞台は現代カンボジア。首都・プノンペンは、1970年代のクメール・ルージュ(ポル・ポト派)による恐怖政治の時代を経て、今ではグローバルなダンス音楽が街中に響くようになっています。一方、テレビでは大量虐殺を繰り広げたポル・ポト派の裁判がいまだに続く・・・そうした描写から映画は始まります。

主人公の女子大生・ソポンはふと入った映画館「シアター・プノンペン」で流れている作品に自分の母が出演していることを発見します。その作品『長い家路』はポル・ポト派による作品処分を切り抜けた貴重な作品で、母の美しい姿にソポンは魅了されますが、フィルムの最後の一巻が欠けていることを映写技師から聞きます。そして、ソポンは病床の母のために物語の結末を自分で完成させたいと思うようになります。

ソボンの熱意は徐々にまわりの人々の感情や人生を動かしていきますが、その原動力となっているのはカンボジアの過去をみつめる監督自身の眼差しの強さに他なりません。自国の目を背けたくなるような歴史をしっかりとみつめ、一体何が起きたのか、これからの世代に何を伝えられるのかということを必死で模索しているエネルギーが映画から伝わってきます。

私自身、クメール・ルージュによる惨劇を世界史の授業で学ぶ知識以外で実感した出来事があります。Dengue Feverという2000年代アメリカのカンボジアン・サイケデリック音楽バンドがきっかけで知った人気女性歌手パン・ロン(劇中でもうっすらと似たような曲が流れています)がポル・ポト時代に粛清されたと知ったことです。パン・ロンの曲を聞くと50・60年代当時のにぎやかな雰囲気がそのまま私の耳に響いてきましたが、何の罪もない彼女の身にあった悲劇を知った時、まるで曲が何か重要なものを置き去りにした状態で鳴っているように聞こえました。ソボンもきっと未完の映画から何か抜け落ちたイメージを受け取って、それを必死で埋めようとしているのだと終始共感しながら鑑賞しました。

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監督のソト・クォーリーカーはこれから東京国際映画祭製作のオムニバス映画への参加も決まっている注目の新人女性監督です。映画の冒頭から「おそらくこの作品は女性が撮ったのだな」とわかる独特の瑞々しいタッチで物語が描かれます。期待の女性監督の情熱を体感したい方、カンボジアの今と過去を見つめてみたい方にオススメの作品です。

7月2日(土)より岩波ホールにて公開
以後、全国順次公開予定。

その他詳細は公式サイトからご確認ください。

ハノイからプノンペンへ陸路で繋ぐ
アジアハイウェイ1号線を行く

2015年1月に開通した橋を利用しベトナムからカンボジアへ。7つの世界遺産も訪問。

大クメール周遊

クメール王朝の歴史を紐解くゆとりある遺跡探訪の旅。シェムリアップに5連泊・こだわりのホテルに滞在。

プノンペン

カンボジアの首都。フランス植民地時代の美しい建物が残り、「東洋のパリ」とも称される。カンボジア国王の居住地・カンボジア王宮には、今も国王一家が暮らす。

独裁者と小さな孫

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ジョージア

独裁者と小さな孫

 

The President

監督:モフセン・マフマルバフ
出演:ミシャ・ゴミアシュビリ、ダチ・オルウェラシュビリほか
日本公開:2015年

2016.6.15

現代国際社会への示唆に満ちた
生々しいフィクション

今からそう昔でも未来でもないある日、地球上のどこかにあってもおかしくないないある独裁国家で突如クーデターが起きます。キューバのカストロ議長のように軍服を着こなす独裁者は孫(おそらく6歳ぐらいの少年)と宮殿を逃げ出し、民家に身を隠したり変装したりしながら逃走します。独裁者はその旅路の最中、自分の行った統治の結果を見ることになります。はたして独裁者、そしてその孫は何を思いどのような運命が彼らを待っているのでしょうか…

監督はイランの巨匠モフセン・マフマルバフ。イラク戦争・アラブの春・シリア騒乱などの国際問題を連想させつつも明らかに架空の世界と分かるタッチで進んでいく物語から、世界的巨匠の実力を伺い知れます。主人公たちが住居を追われてあてもなくさまようというストーリーは、監督自身も自由な表現を求めてイランを出てロンドン・パリを拠点に映画を作っているという事実も反映されているように思えます。

冒頭で独裁者が孫を楽しませるために街全体の電気をつけたり消したりしますが、撮影地はジョージアの首都・トビリシです。行ったことがなければまずどこだかはすぐにはわからないような、不思議な雰囲気を醸し出しています。日本人にはまだまだなじみのないジョージアの光景に、映画開始直後から引き込まれることでしょう。 コーカサス地方で撮影された映画を見てみたい方、映画の持つフィクションの力を体感したい方にオススメの映画です。

 

コーカサス3ヶ国周遊

広大な自然に流れる民族往来の歴史を、コンパクトな日程で訪ねます。
複雑な歴史を歩んできた3ヶ国の見どころを凝縮。美しい高原の湖セヴァン湖やコーカサス山麓に広がる大自然もお楽しみいただきます。

民族の十字路 大コーカサス紀行

シルクロードの交差点コーカサス地方へ。見どころの多いジョージアには計8泊滞在。独特の建築や文化が残る上スヴァネティ地方や、トルコ国境に近いヴァルジアの洞窟都市も訪問。

Tbilisi

トビリシ

クラ川に面したジョージア(グルジア)の首都。ペルシャ系、トルコ系、モンゴル系と様々な民族の侵略を受けて来た歴史を持ちます。市内を一望できる丘の上にはジョージア正教のメテヒ教会が建ち、旧市街の中にも数多くの教会やシナゴーグが建っています。

ラッチョ・ドローム

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インド・トルコ・エジプト・フランス・スペイン

ラッチョ・ドローム

 

Latcho Drom

監督:トニー・ガトリフ
出演:タラフ・ドゥ・ハイ・ドゥークス、チャボロ・シュミットほか
日本公開:2001年

2016.6.8

流浪の民たちの道筋を辿る旅へ思わず出たくなる、至幸の映像詩

自身がロマ(北インドのロマニ系に由来するジプシー)のルーツを持つアルジェリア生まれのトニー・ガトリフ監督は『ガッジョ・ディーロ』『トランシルヴァニア』など他にも多くのロマに関する映画を撮っていますが、その中でも特に代表作と言われているのが本作『ラッチョ・ドローム』です。題名はロマ語で「良い旅を」という意味で、映画はロマが元々住んでいたと言われるインド北西部のラジャスタンからスタートし、スロヴァキア、トルコ、ハンガリー、エジプト、南フランスなどを経て最終的にスペイン・アンダルシア地方にたどり着きます。各地で奏でられる音楽をひたすら映し出すというドキュメンタリーに近いタッチで描かれていますが、本作がドキュメンタリーと必ずしも言い切れないのは、その土地土地の日常の様子や街の音、そして音楽に聞き入る人々が醸しだす熱気が力強い物語を紡いでいる点にあります。特にジョニー・デップが「世界一好きなバンド」と公言しているルーマニアのタラフ・ドゥ・ハイドゥークスが地元のクレジャニ村で老若男女を巻き込んで演奏する風景や、ジプシー・スウィングの大御所チャボロ・シュミットが南フランスのサント・マリードゥ・ラ・メールの祭りの中で演奏する映像は圧巻です。私自身、この映画の影響でルーマニア・ハンガリー・ポーランド・南フランス・トルコなどを旅しました。

ジプシー音楽を知ってみたいという方、一気に魅力的な場所を多く見れるのでどこに旅行に行こうか考えていらっしゃる方におすすめの1本です。

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イスタンブール

ビザンツからオスマンまで、帝国の興亡を見つめてきた街。ボスポラス海峡を隔て、アジアとヨーロッパにまたがるトルコ最大の都市。首都はアンカラに遷都されましたが、現在でもトルコの文化、商業の中心です。

子供の情景

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アフガニスタン

子供の情景

 

بودا از شرم فرو ریخت‎,

監督:ハナ・マフマルバフ
出演:ニクバクト・ノルーズほか
日本公開:2009年

2016.6.1

若きイランの女性監督がどうしても伝えたかったアフガニスタンの姿

舞台はアフガニスタンのバーミヤン。アフガニスタンでロケが行われた映画はそもそもあまりないのではないかと思いますが、その中でも2001年にターリバーンによって仏像が爆破されたバーミヤンで撮影されたのはおそらくこの映画ぐらいでしょう。

6歳の少女・バクタイは学校に行きたいと言って家を飛び出し、小さな旅が始まります。なんとかノートを手に入れて学校に向かうものの、途中でターリバーンを真似て戦争ごっこをする少年たちに巻き込まれてしまいます。映画公開当時まだ10代だったハナ・マフマルバフ監督は、少女の視点で見た世界の端々の美しさを描くと同時に、アフガニスタンが抱えている社会問題の深刻さ・複雑さを表現しています。監督はどのように演出したのか定かではありませんが、邦題の示す通り製作陣は「子供の情景」に入り込むことに徹して、キャストの子ども・大人たちに自由に演技をさせたのでしょう。重いテーマを背負いながらも、登場人物たちのとても自然で作為がない立ち振舞が映画を見やすくしています。

劇中に多くの比喩が登場しますが、ターリバーンによって破壊された仏像があった空洞もひとつの大きな比喩でしょう。何が無くなったのか、そして空洞をこれからどのように埋めていくのか。そうした比喩が込められているように思えます。この作品の原題は『Buddha Collapsed out of Shame(ブッダは恥辱のあまり崩れ落ちた)』ですが、アフガン内戦も9.11も仏像の爆破も、子どもたちには何の責任もありません。バクタイの年齢が2001年に生まれたか生まれていないかぐらいの6歳であるというのも、偶然かもしれませんが題名に大きな関わりがあるように思えます。

子どもの純粋さに触れてみたいという方から、じっくりと国際情勢について考えてみたいという方、教育の機会が与えられていない国の子どもたちについて考えてみたいという方まで広くおすすめできる訴求力に溢れた映画です。

霧の中の風景

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ギリシャ

霧の中の風景

 

Τοπίο στην ομίχλη

監督:テオ・アンゲロプロス
出演:タニア・パライオログウ、ミカリス・ゼーナほか
日本公開:1990年

2016.5.25

生涯をバルカン半島の未来に捧げた
名匠による壮大なロードムービー

「旅」という行為の最も基本的な要素は一体何でしょうか。長回しカットを多用し、まるで神が天界から世界を見下ろしているかのような視点で映画を撮るギリシャの名匠テオ・アンゲロプロス監督は、12歳の少女と5歳の少年の旅を人生・政治・歴史など様々な事柄に対する問題提起に変身させていきます。姉弟はドイツにいる父に会いに行くと無一文でアテネ駅から電車に飛び乗り、長い旅路が始まります。時代設定は1970年代ですが、70年代でも現在でもギリシャを含むバルカン半島の政治事情は日本人にとってあまり馴染みのあるものではないでしょう。近年、バルカン諸国では経済危機に加えて難民の受け入れ問題を抱えていますが、こうした陸続きの国々の感覚は我々日本人にはなかなか掴みにくいものです。映画を通しての感覚的理解は、そうした諸問題と私たちの距離を近づけてくれるものの一つではないでしょうか。作品制作当時の時代背景を色濃く反映した悲しいストーリーではありますが、自分のルーツや安住の地を求めてひたすらさまよう本作のストーリーは、70年代のギリシャの抱えていた状況を理解するだけではなく現代グローバル社会における問題を考える上でも大切な要素を含んでおり、今でこそ人々の心に響く作品かもしれません。

無力なゆえに呆然として目の前で起こる出来事をただ傍観することしかできない姉弟ですが、旅は無情にも次の場所へ次の場所へと二人を連れてまわり、「見る」ことこそが旅であるということを教えていきます。主人公たち自身の視線と、その旅を見守る映画の視線という二重の構造によって、「見る」ことそのものについて映画は問いを立てているようにも思えます。バルカン諸国に興味のある方や、現実と非現実の狭間を行くような不思議な気持ちに浸りたい方におすすめいたします。

古代マケドニアの遺産と南バルカンの自然界遺産

マケドニア、ギリシャ、ブルガリアの3ヶ国を巡り、各地で数々の歴史遺産を見学。かつてアジアまでの東方遠征を行い歴史に燦然とその名を残したマケドニア王・アレキサンドロス大王を輩出した現在のペラ(ギリシャ)や、その父王で強国マケドニアの礎を築いたフィリッポス2世の墳墓が発見されたヴェルギナなど、古代マケドニアで特に重要な史跡を訪ねます。

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テッサロニキ

ガレリウス帝の凱旋門、7世紀のフレスコ画も残るアギオス・ディミトリオス教会、考古学博物館等、見所あふれるギリシャ第2の都市。

火の山のマリア

火の山のマリア(C)LA CASA DE PRODUCCIÓN y TU VAS VOIR-2015

グアテマラ

火の山のマリア

 

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監督:ハイロ・ブスタマンテ
出演:マリア・メルセデス・コロイほか
日本公開:2016年

2016.5.13

母として、女性として・・・
心のなかのマグマが揺れ動く

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舞台は黒く重々しい雰囲気の火山が眼前にそびえる高地。家族と農業を営み先住民の文化を受け継ぎながら暮らす17歳の少女・マリアは、アメリカに憧れている青年・ペペとの間に子どもを授かります。そして、段々と社会の歪みにまきこまれていきます。目の前に大きな火山がある環境で育てば、おそらく誰しもが自然に対して畏怖心を抱くようになるでしょう。中でマグマが揺れ動いていても、外からその様子を察することは容易なことでありません。マリアとその家族はそうした場から生まれた伝説や精霊の存在を信じて生きています。しかし、社会が作り出す貧困と格差は容赦なく彼女たちの生活に覆いかぶさってきます。また、一見黒い火山に映えるように思える民族衣装の色・柄は彼女たちの誇りであると同時に、植民地時代に民族の判別のためにつくられた印であるという歴史的経緯を持っています。

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そうした時間・空間の多重構造が押し付けがましくない形で描かれており、火山の音に耳をすましているような静かな雰囲気に浸ることができます。グアテマラの長編映画として日本で初めて公開された本作は、生きる力強さを鑑賞者に国境を超えて与えてくれるでしょう。

グアテマラ・ホンジュラス マヤ文明と世界遺産の旅

密林に眠る古代マヤ遺跡と今も息づくインディヘナの伝統文化にふれる旅。ティカル、キリグア、コパンと3大マヤ遺跡を訪問。民族色豊かなチチカステナンゴにも1泊し、日曜市を見学。

中米最高峰タフムルコ(4,220m)登頂

劇中のパカヤ火山を訪れ、火山活動を見学。中米最高峰タフムルコ登頂と、第4の高峰サンタマリア火山から迫力の火山活動を見学。グアテマラの大自然を満喫し、温泉や郷土料理も楽しむ。

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火山

写真は、劇中に登場するパカヤ山から程ない距離にそびえるアグア山を望む街・アンティグア。1979年に「アンティグア歴史地区」としてユネスコの世界遺産にも登録。