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プラハ!

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チェコ

プラハ!

 

Rebelové

監督:フィリプ・レンチ
出演:ズザナ・ノリソヴァー、ヤン・レーヴァイほか
日本公開:2006年

2017.2.15

「プラハの春」から生まれた足並みが踊り出す、青春ミュージカル映画

1968 年、チェコスロバキアのある田舎町。人気者の女子高生三人組・テレザ、ブギナ、ユルチャは素敵な恋愛に憧れていますが、クラスメートの男子たちは全く相手になりません。ある日彼女たちは、アメリカ亡命を夢見て軍から脱走してきた若い兵士三人組・シモン、ボブ、エイモンと出会い、恋に落ちていきます。

『プラハ!』はチェコスロバキアにとって大きな過渡期となった「プラハの春」のひと時を、歌と踊りをまじえて描いた作品です。1968年初頭、チェコスロバキア共産党が独自の民主化路線「人間の顔をした社会主義」を推進し、ミニスカートなど西欧の文化が流行し、自由化の波が起きました(映画ではそうした当時の様子が存分に再現されています)。しかし、同年8月にソ連・ブレジネフ政権が軍事弾圧に踏み切り、「プラハの春」の流れは断ち切られてしまいました。

ミュージカル映画の名作『シェルブールの雨傘』の根底にアルジェリア戦争への思いがこめられていたように、ハッピーな雰囲気で始まるこの映画も物語が進むにつれて当時の時代背景が見え隠れしてきます。

喜びと悲しみの関わりについて、夏目漱石も著作の中で引用した『ひばりに寄せて』という有名な詩では、このように詠われています。

「前をみては、後えを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠るとぞ知れ」

女子高生たちは「心からの笑いにも、苦しみが含まれている」とは夢にも思っていませんが、思えば、映画というのはただ楽しいだけでは物語が成立しません。ハッピーエンドになるにしても、通常そこに辿りつくまでには登場人物たちの葛藤が描かれます。

逆に、このコラムでも紹介させて頂いたギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の作品のように、ひたすら悲しい映画というのは存在します。発展途上国の映画や苦境にある国の映画にパワーがあるように、映画というのは悲しさ・苦しさ・怒り・孤独などを大きな原動力にしているのでしょう。『プラハ!』はチェコを旅するだけではなかなか見えない、人々の心の奥底や国の記憶の中の暗い部分を、明るいストーリーの中で見せてくれます。

中欧の美しい街並みが見たい方、ミュージカル映画がお好きな方におすすめの作品です。

ククーシュカ

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フィンランド

ククーシュカ ラップランドの妖精

 

The Cuckoo

監督: アレクサンドル・ロゴシュキン
出演: アンニ=クリスティーナ・ユーソ、ヴィッレ・ハーパサロ、ヴィクトル・ブィチコフほか
日本公開:2006年

2017.2.8

戦争の狂気を癒やす、フィンランド最北の地の民・サーミ人の精神

サンタクロース村があることで知られているフィンランド最北の地・ラップランド。第二次世界対戦中、この地でもロシア軍・ドイツ軍・フィンランド軍による衝突が起きていました。

フィンランド軍の狙撃兵ヴェイッコは、戦争への非協力的態度が原因でSS(ナチスの親衛隊)のバッジが付いた軍服を着せられた状態で、岩に鎖でつながれて置き去りにされてしまいます。時を同じくしてロシア軍大尉イワンは、部下の密告によって秘密警察の取り調べに向かう道すがら、味方による誤爆を受けます。ヴェイッコとイワンはなんとか生き延び、付近に暮らすサーミ人の女性・アンニの家に留まることになります。こうして、互いに言葉が通じない三人の共同生活が始まります。

題名の「ククーシュカ」という言葉はロシア語でカッコーを意味しますが、同時に狙撃兵という意味もあります。カッコーは他の鳥の巣に卵を産み育てさせる「托卵」という習性で知られていますが、ロシア人のアレクサンドル・ロゴシュキン監督はこの自然界の不思議な事柄を、異なる言語を話す三人の奇妙な共同生活の描写に応用しています。たとえば、物語序盤でヴェイッコが岩山に自分をつなぐ固い鎖をはずそうと解決策をひたすら模索するシーンがありますが、この苦しいはずのシーンはさながら鳥の巣立ちを描いているようで、どこか前向きな雰囲気が漂っています。

このシーンは映画全体に対してなかなかの長さを占めますが、見ていて全く飽きがきません。「探す」という極めて単純な行為は、しばしば映画に力強い効力を与えます。いくつか思い浮かぶ映画がありますが、イラン映画の名作『鍵』は4歳の男の子がひたすら鍵を探します。スタンリー・キューブリック監督の代表作『シャイニング』では迷路が重要な役割を果たします。できれば旅先で迷子になりたくないですが、探したり迷ったりするということは旅という特別な時間の流れにおいてとても重要なことなのだと、この映画を見ながら私は感じました。

もうひとつこの映画で重要なポイントは「言葉が通じない」という点です。あらすじから予想できる程度に説明はとどめておきますが、フィンランド人がナチスのバッジをつけていることは当然誤解を生みます。誤解が解けていく流れの中では、トナカイの血におまじないをかけるなど、原初的な生活を保つサーミ人の行動が重要な役割を果たします。

『ククーシュカ』はこうした巧みなシナリオに加えて、フィンランド北部の初秋の空気やサーミ人のトナカイ飼育方法・魚捕りの仕掛けなど、ラップランドの風土を体感できるオススメ作品です。

ジプシー・キャラバン

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インド・マケドニア・ルーマニア・スペイン

ジプシー・キャラバン

 

When the Road Bends: Tales of a Gypsy Caravan

監督: ジャスミン・デラル
出演: タラフ・ドゥ・ハイドゥークス、エスマ、アントニオ・エル・ピパ・フラメンコ・アンサンブル、ファンファーラ・チョクルリーア、マハラジャほか
日本公開:2008年

2017.2.1

千年にわたる旅路の中で紡ぎ出された、魂を揺さぶるジプシー音楽

インド北西部・ラジャスタンに起源を持つ移動民族・ロマ。約1000年前、彼らは西に向けて放浪の旅に出ました(旅に出た理由は諸説あり、定かではありません)。時に厳しい迫害や差別を受けながら、ロマはスペイン・アンダルシア地方までたどり着きました。道中に散り散りになったロマたちは、各地で独自の音楽を奏で、それを継承してきました。彼らの音楽は総称してジプシー音楽と呼ばれます。

この映画は、4カ国・5つのバンドが6週間かけて北米をツアーした「ジプシー・キャラバン」に密着し、さらにそれぞれの故郷を映し出していくドキュメンタリー映画です。

女装ダンサーが目にも留まらぬ速さの回転をみせるインドの「マハラジャ」。マケドニアの美空ひばりこと「エスマ・レジェポヴァ」。世界的なジプシー音楽ブームの火付け役であるルーマニアの「タラフ・ドゥ・ハイドゥークス」と、ジプシー・ブラスの代表格「ファンファーレ・チョカリーア」。ストイックさを突き詰めたスペインのアントニオ・エル・ピパ・フラメンコ・アンサンブル。

総勢35人のメンバーたちは、アメリカ各地を移動して寝食をともにする中で、音楽談義やお互いの故郷のことを話し合います。そしてそれぞれの違ったスタイルの中に、同じルーツを見出していきます。

私はタラフ・ドゥ・ハイドゥークスのコンサートを数回見に行ったことがありますが、毎回ステージ上での演奏後にコンサートホールのロビーで投げ銭を集めながらパフォーマンスを続けていました。彼らがお金を集めるのには理由があります。映画でも彼らの村の様子が映し出されますが、彼らの出身地・クレジャニ村の人々の生計はタラフ・ドゥ・ハイドゥークスの稼ぎで成り立っているのです。マケドニアのエスマ・レジェポヴァは約50人を養子として育ててきました。そうした演奏の場を離れた彼らの様子は、音楽の響きをより深みのあるものにしてくれます。

タラフ・ドゥ・ハイドゥークスの大ファンであるというジョニー・デップのコメントも収録されている本作は、5グループの音楽を聞き比べることでロマたちの長い旅路が頭のなかにイメージできる、ジプシー音楽入門として最適な一本です。

ふたりのベロニカ

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ポーランド

ふたりのベロニカ

 

La double vie de Veronique

監督:クシシュトフ・キェシロフスキ
出演:イレーヌ・ジャコブ、フィリップ・ボルテールほか
日本公開:1992年

2017.1.25

冷戦時代のポーランドとフランスで、時代の渦を越える第六感の交流

時代は1980年代。ポーランドに住むベロニカは、コンサート歌手としてのデビューを決め、恋人と幸せな日々送っています。時々突発的に胸が痛みことだけが気がかりでした。ある日、ベロニカは広場で「連帯」(独立自主管理労働組合)のデモ隊と機動隊の衝突を掻い潜るようにして歩いている最中、フランス人の観光客が乗るバスの中に自分とそっくりの女性を見つけます。彼女はベロニカに気づかないまま去っていきますが、ベロニカはいつももう一人の自分がいるような不思議な感覚がしていたことをふと思い出し、考えを巡らせます。

バックパッカーのような気ままな旅に限らず、スケジュールに沿って旅行をしていても、旅には偶然の出会いや出来事がつきものです。旅行中に撮った写真を見返して「この人たちは今どこにいて、何をしているのだろうか・・・」と思いを巡らせたことがある方は多いのではないでしょうか。その逆もまた然りで、旅で出会った人たちの側も、私たちのことを思い出す瞬間がきっとあることでしょう。

久しぶりに連絡したら、ちょうど相手も連絡しようと思っていた・・・など、人が人を想うことというのは、時に何とも説明がつかない不思議な感覚を私たちにもたらします。私の映画をいつも欠かさず見に来てくれる大事なお客さんの一人に、ネパールでたまたま同じバスに乗り合わせた人(日本人)がいます。普段は全く連絡をとりませんが、新作のお知らせをする度に「そろそろ連絡が来ると思っていた」と言われ、いつも興味深い感想を私に伝えてくれます。映画館でその人に会うたびに不思議なめぐり合わせを感じますが、この映画はそうした偶然や運命といったものの流れを、冷戦という大きな時代背景とともに描いています。

この映画の最も印象的かつ重要な出会いの場面は、ベロニカが自分の生き写しのような女性に遭遇するクラクフの広場で撮影されました。本国では1991年に映画が公開されたので、撮影は1989年の冷戦終結から間もない頃に行われたのでしょう。実際、私はこの場所をアウシュビッツ訪問とクレズマー音楽(ユダヤ音楽)を聞くのを目的に、2008年に訪れたことがあります。その時見た風景は映画の中のものとはだいぶ違っていました。東欧諸国の中で共産主義時代の名残を一番感じたのはルーマニアでしたが、クラクフは駅のそばにカルフールなどがあり英語も通じる場所が多い近代的な雰囲気の街でした。

冷戦終結前後のクラクフの光景が見たい方、誰か会いたいと思っている人がいる方におすすめの映画です。

中欧地下世界
神秘の鍾乳洞群とヴィエリチカ岩塩坑

東スロバキアからタトラ山地を抜けポーランド、そしてプラハへ。

DSCF7596織物会館

クラクフ

ヨーロッパ中部と黒海、ヨーロッパ南部とバルト海を結ぶ中世の貿易路上にあり、商業の中心地として発展した古都。

マレーナ

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シチリア

マレーナ

 

Malena

監督: ジュゼッペ・トルナトーレ
出演: モニカ・ベルッチ、ジュゼッペ・スルファーロほか
日本公開:2001年

2017.1.18

シチリアの青い空には目もくれない、
少年のひたむきな恋心

舞台はイタリア・シチリア島。第二次大戦勃発直後の1940年から物語が始まります。12歳の少年・レナートは町で一番美しい女・マレーナに一目惚れをして、彼女のすることなすことを目撃しようと追いかけ続けます。やがて、敗戦とともにマレーナの夫は戦死したことがわかり、父親も空爆で命を落とします。生きていく術をなくし落ちぶれていくマレーナを、レナートはただ見守ることしかできず・・・

シチリアで撮られた映画といえばこの作品の監督であるジュゼッペ・トルナトーレの代表作『ニュー・シネマ・パラダイス』や、『ゴッド・ファーザー』シリーズが有名ですが、この『マレーナ』もそれらの作品と全く違った切り口でシチリアの情景の美しさを映し出しています。

物語の舞台になっているのはシチリア島南東にあるシラクサの街ですが、1940年代の設定がそのままの街並みで撮られたそうです。実際私が2007年に訪れた際も、映画のような街並みだという感想を持ちました。石畳の光沢や感触、シチリアの気候と陽気な人々の醸し出す雰囲気、建築の荘厳さはいまだに脳裏に焼き付いています。

この映画の特徴的な点は、レナート少年の妄想混じりの視点で物語が進んでいくことです。レナートはシチリアの青い空や私が感動したような街並みには目もくれず、一心不乱にマレーナを追い続けます。逆説的ですが、レナートがそうした光景を見なければ見ないほど、物語の波風が立つという構造にストーリーが緻密に計算されています。

歴史と同じく映画にも”if”はありませんが、もし例えばこの映画が同じヨーロッパでもパリで撮られていたとしたら、思春期の少年の繊細な感情は描ききれなかったでしょう。ポスターの絵になっているような、シチリアのすっきりとした空と海・照りつける日差しが少年の入り組んだ心情を描くのに必要不可欠だということは、この地で育ったトルナトーレ監督が確信していたのでしょう。

シチリアの少年の青春を覗いてみたい方、『ニュー・シネマ・パラダイス』『ゴッド・ファーザー』とは違うシチリアが見てみたい方におすすめの一本です。

ハッピーエンドの選び方

poster2(C)2014 PIE FILMS/2-TEAM PRODUCTIONS/PALLAS FILM/TWENTY TWENTY VISION.

イスラエル

ハッピーエンドの選び方

 

The Farewell Party

監督: シャロン・マイモン、タル・グラニット
出演: ゼーブ・リバシュ、レバーナ・フィンケルシュタインほか
日本公開:2015年

2017.1.11

三宗教の聖地・エルサレムで、人のあるべき最期に思いを巡らす老人たちの物語

舞台はイスラエル・エルサレムのある老人ホーム。発明好きな老人ヨヘスケルは、共に老人ホームで暮らしている妻・レバーナの親友からの頼みを聞き、自らスイッチを押して苦しまずに最期を迎える装置を発明します。図らずもヨヘスケルのもとには装置を求める依頼が殺到してしまいますが、時を同じくしてレバーナに認知症の兆候が出てきます…

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地が隣接するエルサレムは、それぞれの宗教を信じる人々に限らず、歴史的ロマンゆえに一度は訪れてみたいと憧れる人が多い場所のひとつです。聖地・エルサレムの老人ホームという多くの人にとって未知の世界を見せてくれるだけでも興味深い内容ですが、そこに暮らすイスラエル人たちの人生観・死生観が、重々しくなく時に笑いすらこみ上げるユーモラスなタッチで描かれています。

思えば、観光というのは何かしら「死」について思いを巡らすことが普段より多くなるひと時ではないでしょうか。当然ですが、歴史上の人物は皆全て死んでいて、どんな顔・声・性格だったのだろうと思いを巡らすこともあるでしょう。タージ・マハルやピラミッドのように、墓に訪れる機会も多くあります。遺跡・建築・彫刻・絵画などを目の前にした際、作った人が亡くっていることのほうが多いですし、壮大な遺跡では数々の無名の労働者たちを想像してしまう時もあるでしょう。また、葬列や葬儀に遭遇することもあります。

この映画を見て私は昨秋にベトナム・ホイアンで遭遇した葬列のことを思い出しました。朝9時ぐらいににぎやかなブラスバンドの音が遠くから聞こえたので、友人に何かイベントか結婚式でもあるのかと聞きました。結婚式かと私が聞いたのは、ブラスバンドの響きがインドでしばしば遭遇した結婚披露の行列に似て聞こえたからです。その友人は”No, somebody died.”(いや、誰か死んだんだよ)と明るく答えて、私は友人の陽気さにつられて笑いが出てしまいました。そして、「ベトナムの葬儀はにぎやかだと聞いたことはあったけど、これがそうなのか・・・」と、矛盾しているように聞こえる別れの音色に不思議な気持ちでしばらく聞き入りました。

この作品にも「次は我が身」と死が目前に迫っていることを自覚しながらも、それを笑い飛ばすようなエナジーを持った登場人物たちが出てきます。エルサレムに興味がある方だけでなく、老いの中に輝く瑞々しさに触れたい方にもオススメの作品です。

草原の実験

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ロシア・カザフスタン

草原の実験

 

Ispytanie

監督: アレクサンドル・コット
出演: エレーナ・アン、ダニーラ・ラッソマーヒンほか
日本公開:2015年

2017.1.4

カザフスタンで繰り返し行われた核実験に着想を得た、神の眼差しを持つ映画

大草原に建つある小さな家。そこでは少女とその父親が慎ましく暮らしていて、幼馴染の少年は少女に想いを寄せています。しかし、何事もない平和な日常に突如暗い影が差してきます。

終始セリフなしで、1シーン1シーンが映像と音のバトンを受け渡していくようなこの映画は、絵画のように緻密に構成されたシーンが連なっていきます。

たとえば、広野をトラックが等距離に並んで隊列を組み走行していくのを、少女が双眼鏡で覗いているという短いシーンがあります。そうした光景をご覧になった経験がある方もいらっしゃるかもしれませんが、トラックは軍用トラックで、時には何十台ものトラックがどこかへ向けて走っていく姿を見る機会があります。私はインドやパキスタンに添乗業務で行った時にこうした光景に遭遇し、早く目的地に着きたいのに足止めを食ったということが度々ありましたが、トラックの行く先では一体何が行われているのだろうと見るたびに疑問に思っていました。短いシーンですが、トラックがロボットのように冷たく砂ぼこりをたてて走っていく様子は、美しいシーンの間でとても印象的に機能しています。

この映画のストーリーの背景には、カザフスタンで過去に何度となく行われた核実験という事実がありますが、こうした映画ならではの表現が重なり合って、静かな映画にも関わらず力強いメッセージが発されています。

また、映画のメッセージとは別のところで私が思い出したのは、旅をしている最中の沈黙についてです。特に、一人旅をしていると、一日も話さない日というのが少なからずあります。沈黙と会話の間を行き来するのが一人旅の本質であるといっても過言ではないかもしれませんが、そうした旅の最中にはいつの間にか体に残っていた痕や手相など、普段目がいかないことに唐突に考えが及ぶものです。思考を持っているのは人間だけではなく人間の創作物である映画にもいえることで、この映画はまるで神が孤独に旅をしていて世界の出来事に心を動かされているような瞬間があります。特徴的なのは急に何かに気づくような、神さながらの冷徹な視点の中にもなにか意志を感じる瞬間です。美しさを見守ると同時に愚かさをも傍観しているその視線から、愚かさは人間自身が考えて改めるしかないという強いメッセージを私は感じました。

絵画のようなシーンを眺めてみたい方、頭のスイッチをいつもと切り替えてみたい方にオススメの映画です。

100人の子供たちが列車を待っている

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チリ

100人の子供たちが列車を待っている

 

Cien Ninos Esperando un Tren

監督: イグナシオ・アグエロ
出演: 映画教室の子どもたち、アリシア・ヴェガ
日本公開:1990年

2016.12.28

チリ独裁政権時代の終わりに生まれた、
小さく眩しい笑顔のプリズム

121年前の今日、1895年12月28日にフランス・パリで「映画の父」リュミエール兄弟が初めて映画の上映をしました。今年最後の「旅と映画」は、リュミエール兄弟の映画にちなんだチリのドキュメンタリーをご紹介します。

チリの首都・サンティアゴ郊外にあるロ・エルミーダに生まれた貧しい子どもたちのために、女性教師アリシア・ヴェガが半年の映画ワークショップを開始します。映画を映画館で見たことない子どもたちは、映画の歴史や、1枚だと動かない絵が残像現象によって動いているように見えることを教えてもらい目を輝かせます。

旅をすると、時には経済的に豊かではない場所に訪れることもあります。貧しいにも関わらず、娯楽が無いにも関わらず、子どもたちがキラキラした笑顔をしている・・・そんな光景を旅先でご覧になったことがある方は少なくないはずです。

子どもたちは、映画タイトルに含まれている「列車」にまつわるある一本の映画を見ます。リュミエール兄弟が121年前の今日上映した映画のうちの一本である『列車の到着』です。ただ列車が到着するだけの映像ですが、列車を待つ人々・列車から降りる人々・出会い・別れ・出発など、様々なイメージを思い浮かべることができます。

『100人の子供たちが列車を待っている』は1989年に製作され、1990年にピノチェト独裁政権が終焉を迎える直前でしたが、21歳以下鑑賞禁止となりました。子どもたちは何を待っているのか・・・それは当時の政治状況にも関連しているようにも思えます。この映画に登場する子どもたちは貧しく、ノートを買うためにゴミ捨て場からダンボールを集ている子どもなどが出てきます。そうした彼らが無邪気に映画のイメージと戯れる様子は、自由・幸せ・喜びを求めることを観客に連想させてしまうと、政府の人々は危惧したのではないでしょうか。

2016年最後の映画・2017年最初の映画に、お子さんと一緒に見るのにピッタリ(55分という見やすい長さです)の作品です。

ギャベ

イラン

ギャベ

 

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監督: モフセン・マフマルバフ
出演: シャガイエグ・ジョタトほか
日本公開:2000年

2016.12.21

ペルシャ絨毯を広げて、不思議の世界へ
ある少女の切ない恋物語

イランのどこかにあるきれいな小川に、老夫婦が絨毯を洗いにやってきます。絨毯を広げると、その絨毯と入れ替わるように若い女性・ギャベが現われます。老婆が身の上を聞くと、ギャベは自分の恋物語を話し始めます・・・

ギャベとは、シラーズなどの都市があるイラン南西部の遊牧民によって織り続けられきた絨毯の呼称で、羊・ヤギ・らくだの毛などで織られています。色は遊牧民が暮らす土地の草木によって染められ、劇中でも「ドサッ」という音とともに開かれますが、非常に丈夫で分厚い絨毯です。

ギャベの特徴は、芸術的なモチーフとその色彩にあるといいます。監督のモフセン・マフマルバフも、美しい自然や日常からにじみ出た感情を、織り手が思うがままに織っていった数々の絵柄に心を打たれたといいます。遠くに見える景色や水などから色を手で掴み取るような実験的なカットが劇中にありますが、ギャベの伝統に対する監督の愛情と敬意が、映画全体から感じられます。

私は、イランではありませんが、インドの中でも特に染物・織物・刺繍で有名なグジャラート州に行ったことがあります。私は普段自分ではなかなかそういった製品は買わないのですが、旅を通じて織物や刺繍を生業としている人々が住む村や、人間国宝の刺繍職人の方に会うことができました。彼らの仕事に取り組む姿は私に人間が昔から行ってきた営みを連想させ、なぜか石器時代に洞窟壁画を描く人を見ているような気分になったことをよく覚えています。

「なぜ映画が必要なのか」という問いに対してもよく同様のことが言われますが、生きていくためには物のデザインや色彩よりも優先すべきことが多くあります。しかし、世代を越えて引き継がれてきた伝統というのは多くの人の心を豊かにしてくれるもので、グジャラートの刺繍は外から来た私にもその豊かさを分けてくれたのでしょう。

ギャベを織るのは遊牧民の女性のたしなみとされていて、母から娘へと受け継がれてきたそうです。少女の恋という映画によって語られる物語が、そうした伝統ある絨毯の色彩・モチーフと共鳴していく姿は必見です。

フィルムにおさめられたギャベの色鮮やかさを見たい方、イランのファンタジー映画を体験してみたい方にオススメの映画です。

キャラメル

149985_01(C)Les Films des Tournelles – Les Films de Beyrouth – Roissy Films – Arte France Cinema

レバノン

キャラメル

 

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監督:ナディーン・ラバキー
出演:ナディーン・ラバキー、ヤスミン・アル・マスリーほか
日本公開:2009年

2016.12.14

「中東のパリ」レバノン・ベイルート
色とりどりの憂鬱を持った女性たちの物語

レバノンの首都・ベイルートにあるエステサロンで、おいしそうなキャラメルがぐつぐつと煮られているシーンからストーリーが始まります。

エステサロンの経営者で妻子持ちの恋人がいるラヤール(監督のナディーン・ラバキーが演じています)、恋人との結婚を控えたニスリン、男性が苦手なリマ、女優志望の中年主婦ジャマル、老いた姉と住むローズ・・・20代の若者から年輩まで、恋愛から老いの悩みまで、幅広い年齢の女性たちそれぞれの憂鬱に焦点をあてながらも常にいくらかの希望を携えて物語は進んでいきます。

この映画を見て初めて知りましたが(むしろ特に男性にとっては、見るまで知らなくてあたり前かもしれませんが)、中東の国々ではキャラメルがムダ毛処理のために使われることがあるそうです。甘い砂糖をぐつぐつと煮てキャラメルをつくり、苦すぎるコーヒーを飲むように顔を歪めてそのキャラメルを使う・・・この小さくも意味深い文化のように、レバノン人女性たちのほろ苦くも美しい生き方が映し出されていきます。

この映画の特筆すべき点は、1975年から1990年まで続いたレバノン内戦のことや内戦中にベイルートが東西に分裂したことに一切言及していないことです。

「中東」という言葉や中東諸国の国名は、いまだなお多くの日本人に戦争やテロなどネガティブな事柄を連想させる言葉にとどまっています。世界には道を歩いていると撃たれたり拉致されてしまう場所も確かにあります。距離や関心の問題でそうでない地域にもそのイメージが波及して、偏見が生まれてしまうことは避けがたいかもしれません。

たしかにベイルートでもテロは過去にありました。この物語はそうした事実がさもないかのように進んでいきます。無視しているということではなく、カメラのレンズで焦点を絞るように、レバノンに暮らす女性たちの悩みや希望に焦点を合わせているのです。多くの映画がベイルートを危険な街として描いてきた中で、この作品はそれにつられず真摯に人間そのものを描ききり、キリスト教とイスラム教が共存してきた歴史や、コーヒー占い(コーヒーの沈殿物の模様で運勢を占います)など庶民の文化をさりげなくストーリーに散りばめています。

この映画を見れば明らかですが、ベイルートの街でも日本と同じように普通の人々が普通の日常を送っています。その事実を映画を以って世界中の人々に知らせることができるというのはとても素晴らしいことだと、映画という媒体そのものの良さ・大切さを感じることができる作品でもあります。

レバノンの首都の日常を見てみたい方、アラブ人女性の悩みに共感できるかどうか試してみたい方にオススメの一本です。

レバノン一周

レバノンが誇る5つの世界遺産 レバノン杉の森や数々の歴史遺産が残るレバノンを巡る8日間

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ベイルート

レバノンの首都で、経済・政治の中心地。住民はキリスト教徒、イスラム教徒が共存しており、文化的に多様な都市の一つともなっています。