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不思議の国のシドニ

(C)2023 10:15! PRODUCTIONS / LUPA FILM / BOX PRODUCTIONS / FILM IN EVOLUTION / FOURIER FILMS / MIKINO / LES FILMS DU CAMELIA

フランス

不思議の国のシドニ

 

Sidonie au Japon

監督: エリーズ・ジラール
出演: イザベル・ユペール、伊原剛志、アウグスト・ディール ほか
日本公開:2024年

2024.11.20

京都・奈良、そして直島へ―「光」を求める再生の旅

フランスの女性作家シドニは、自身のデビュー小説『影』が日本で再販されることになり、出版社に招かれて訪日することに。見知らぬ土地への不安を感じながらも日本に到着した彼女は、寡黙な編集者・溝口健三に出迎えられる。

シドニは記者会見で、自分が家族を亡くし天涯孤独であること、喪失の闇から救い出してくれた夫のおかげで『影』を執筆できたことなどを語る。溝口に案内され、日本の読者と対話しながら各地を巡るシドニの前に、亡き夫アントワーヌの幽霊が姿を現す。

旅の季節は春。今は紅葉でさぞかし人でにぎわっているはずの京都・奈良、そして直島をフランスの名女優イザベル・ユペールが旅していきます。京都・奈良は日本人でも時の流れの深遠さを感じますし、直島はまだ行ったことはないですが、島の暮らしやアートに触れて心洗われる体験ができると多くの知り合いに聞いてきました。内容もさることながら「いい旅をしているなぁ」と、ただただボーッと眺めていられる映画です。

そんな本作のテーマは「光」であるように僕には思えました。序盤から中盤にかけて亡き夫アントワーヌが描かれるとき、違和感があるくらいに強く光(照明)があたって、まだ生きているシドニとのコントラストが描かれます。

シドニと健三は伝統建築も含めてたくさんの場所を巡っていきますが、たとえば東大寺の場面でいかにも日本の伝統建築らしい自然光の差し込み方や外と中の曖昧さが、シドニたちの心理状態と呼応するシーンはとても印象的です。

そしてアートで有名な直島に訪れますが、今度は段々とシドニの心の中に光がさしてきて、色々な意味で明るくなってきます。対象的に「影」として描かれるのは健三になりますが、服の色などもかなり計算されているかと思うのですあ、主人公たちの「光の受け渡し」が特に中盤から終盤にかけて描かれています。

あとは、秋に春の映画を観るのもまたいいなと思いました。『不思議の国のシドニ』は12/13(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国劇場にて公開中。そのほか詳細は公式ホームページをご確認ください。

ヒューマン・ポジション

(C)Vesterhavet 2022

ノルウェー

ヒューマン・ポジション

 

監督:アンダース・エンブレム
出演:アマリエ・イプセン・ジェンセン、マリア・アグマロほか
日本公開:2024年

2024.8.7

道具に使われやすい世の中で、道具から生気を得る―北欧のある夏の回復録

ノルウェーの港町・オーレスンで新聞社に勤める若き女性・アスタは、地元のホッケーチームやアールヌーボー建築を保存するための小さなデモ、クルーズ船の景気など、地元に関するニュースを取材して記事にしている。

プライベートではデザインチェアや音楽に興味があるガールフレンドのライヴと料理を作ったり、古い映画を観たり、 ボードゲー ムをしたりして穏やかな時間を過ごしている。

そんなある日アスタは、ノルウェーに10年間住み働いていた難民が強制送還されたという記事を目にする。その事件を調べていくについれてアスタは不思議と、病気だった自分が回復の道をたしかに歩んでいることを自覚していく・・・

スマートフォンやその中のアプリケーション、そしてAIなど、現代社会では道具(ツール)であるはずのものに逆に人間が振り回されてしまうことが少なくありません。

自分で決定していると思っていても、道具に決められてしまっている。「自分らしさ」を突き詰めても、敷かれたレールの上を歩いている感覚が拭えない。そんな現代的病理がノルウェーという北の果ての国に過ごす人々にも蔓延していることが、お腹に手術痕がある回復途上の主人公の様子から感じ取れます。

しかし、道具も捨てたものではありません。万年筆のように、道具というのは使う内に「癖(痕跡)」がつき、だんだんとそこから「馴染み」が生まれてきます。

家という空間に道具的性質が見出され、「ただの箱」ではなくなったとき、住人はそこから癒やしや生気を受け取ることができるようになる。日本でも人気の高い北欧家具の力も借りながら、アスタが一歩一歩回復の道を歩んでいく様子を、家の中でも屋外でも変わらぬ調子でカメラは静かに見守ります。

本作では、あまりあちこちをカメラは旅しません。限られた行動範囲の中で、ほんの少しカメラの置き場所や人物の立ち位置・仕草・表情を変えるだけで、町や家や空間の見え方がこんなにもガラッと変わるのかという形で「映画的旅」を演出してくれます。

ノルウェー・オーレスンを必ず旅してみたくなる『ヒューマン・ポジション』は、9月14日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次上映。その他詳細は公式HPでご確認ください。

0ライン―赤道の上で

イラン・シンガポール・日本

0ライン―赤道の上で

 

On the Zero Line

監督:神保慶政、メールダッド・ガファルザデー
出演:ミズモトカナコ、メフディ・アーマディほか
日本公開:2024年

2024.5.29

ケニア・緯度0度の地で共鳴し合う、ふたりの心の空白

イランで検閲官をしながら詩人として生きるアーマド。

子どもを流産で失い、不妊が原因で離婚した日本のカフェ店主・ナナ。

全く異なる人生を送っている2人は、同じような空しさを抱えながら生きている。

アーマドはトルコ・イスタンブールを経て、ナナはシンガポールを経て、それぞれの理由で赤道が走る国・ケニアに向かう。

そして、2人が赤道で偶然出会うとき、魔法のような出来事が起こり始める。

ついにこの時が、やってきました!
といいますのも、本作は僕が監督した作品です(笑)

イランの監督と互いにストーリーを知らせないまま共同制作を進めた実験的手法の作品で、本当に編集開始まで相手の主人公(アーマド)が誰でどんな理由で赤道に気たのかを知りませんでした。イランの監督ともケニア現地で初対面でした。

シュルレアリスムの「優美な死骸」という手法をベースにしていて、イラン映画人からのオファーを僕が受けました。自分の作品ではありますが、2018年に撮影して2021年には完成していたので、だいぶ客観的にレビューできます。

この作品はとてもピュアな作品です。僕たち監督自身がピュアだと言いたいわけではなく(多少のピュアさはあるかと思いますが。。。)、人と人が互いのことを何も知らず初対面で向かい合い、限られたひとつの作品を作り上げようとする場合、真摯に向かい合い協力するか、無関心で自己中心的に互いにやりたいことをやるかのどちからしか選択肢はないからです。

当然我々は前者を選んだので、今作品がこうして存在します。制作前は「On the Zero Line」というタイトルしか手がかりがありませんでした。0は物語の中では赤道を、そしてスタート・再生を意味します。

通常の映画ではあり得ないような切り口で、人間という存在がいつ何時も「終わりと始まり」を繰り返し経験していることを、アーマドとナナの旅を通して感じて頂ける作品になっているかと思います。

本作『0ライン―赤道の上で』は僕の全作品特集上映『生活の中の映画』の一作として、6/28(金)よりシモキタ – エキマエ – シネマ『K2』ほか全国順次上映されます。上映期間中はだいたい下北沢にいますので、気軽にお声がけください。詳しくは公式HPやSNSをご覧ください。

ペルシャ歴史紀行

メソポタミア文明最高のジグラット“チョガザンビル”、ゾロアスター教の聖地ヤズドも訪問。

teheran_bazaar

テヘラン

イランの北西部に位置する同国の首都。エルブルース山脈の麓に広がるこの街は、全人口の10%に当たる人々が生活する大都市です。近代的な建物やモスク、道路に溢れかえる車の数、バザールなどの人々の活気など満ち溢れたエネルギーを肌で感じることが出来る街です。

恋の秋

© 1997 Les Films du losange

フランス

恋の秋

 

Conte d’automne

監督: エリック・ロメール
出演: マリー・リヴィエール、ベアトリス・ロマンほか
日本公開:1998年

2024.5.1

ワイン畑で人生談義―エリック・ロメール監督が描くロワールのテロワール

舞台は南仏のローヌ渓谷。小さな農園でワイン作りに勤しむ陽気な女性・マガリと、本屋を営むイザベルは親友同士で共に40代。

夫を亡くして以来独身のままでいるマガリを心配するイザベルは、マガリになりすまして彼女の再婚相手を探し始める・・・・・・

近年、デジタル・リマスターされた名作映画が多く公開となっています。2010年に亡くなったエリック・ロメール監督の作品も、ここ数年でリマスター化が進んでいます。日本の作家でも、『ドライブ・マイ・カー』でカンヌ映画祭やアカデミー賞をとった濱口竜介監督や同世代の深田晃司監督は、共にロメールの演出に強い影響を受けています。

すごく大雑把にまとめると本作(および他のロメール作品)は、「登場人物たちがまとまりないことをうだうだと喋っている映画」です。いわゆるラブ・ストーリーを見慣れている方にとっては、何も起こらなさすぎて面食らう作品かもしれません。「ここからどうなるのだろう?」という類のドキドキ感はほとんどありません。

むしろ主人公のマガリは、ずっとウジウジしていて「純粋な友情なんてない」とか「結婚はしたいけどでも条件がないわけじゃないしねぇ、まあ難しいよね」と、どちらかというと悲観的。そしてとても自己中心的に描かれます。だからこそ、愛情の萌芽がほんの一瞬感じられたときに、とても顕著に観客はそれを目撃することができます。

「幸せがときめく瞬間」という公開当初のポスターに記載してあるコピーはまさにその通りで、ダイナミックさよりもそういう微細な心を描いているのです。

なぜそういう演出なのかというもうひとつの狙いは、ローヌ渓谷という場所の性質そのもの(ワインでいうところのテロワール)を監督が描きたいということもあったのではと思います。季節の移り変わりの中で、うつろう心。フランスの田舎を散歩しながら、人生談義をしているかのような気分になる作品です。

南仏・プロヴァンスの田舎道を歩く
リュベロン地方とローヌ渓谷の美しい村を訪ねて

オリーブの木立やブドウ園の広がる渓谷、色鮮やかに咲く野花、自然の景観に溶け込んだ美しい村にゆったり流れる時間。誰もが一度は憧れる陽光降り注ぐプロヴァンスの豊かな大地を巡ります。ゴッホが晩年を過ごし、作品にも描いたアルピーユ山脈、断崖に張り付く美しい村の点在するリュベロンの渓谷、ローヌ渓谷にブドウ畑の広がるダンテル・ド・モンミライユ山麓、プロヴァンス最高峰モン・ヴァントゥ、歩いて巡るプロヴァンスの魅力を余すことなく堪能いただきます。

ゴッドランド GODLAND

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デンマーク・アイスランド

ゴッドランド GODLAND

 

監督:フリーヌル・パルマソン
出演:エリオット・クロセット、イングバール・E・シーグルズほか
日本公開:2024年

2024.3.13

人生・地球全部盛り、静かなカオスーデンマーク牧師のアイスランド旅

デンマークの若き牧師ルーカスは、植民地アイスランドの辺境の村に教会を建てるため布教の旅に出る。

アイスランドの浜辺から馬に乗って遥か遠い目的地を目指すが、その道程は想像を絶する厳しさだった。デンマークを嫌うガイドの老人ラグナルと対立する中、思わぬアクシデントに見舞われたルーカスは狂気の淵へと追い込まれ、瀕死の状態でようやく村にたどり着く。

アイスランドを舞台にした映画というのは(アイスランド映画のすべてを知っているわけではないですがそれなりの数は観てきたうえで)、静かな映画、静かで風変わりな映画が多い印象があります。

本作も例に漏れず静かな映画で、自然、歌、馬・羊・犬などの動物といった牧歌的な要素が物語の主軸になっています。

しかし、本作は「激情」とでもいえるようなカオス、火山が爆発するような爆発性、そこから誘発されるような狂気が織り交ぜられている点です。

静かな荒涼とした大自然の中で、景観と反比例するように主人公・ルーカスの狂気はグツグツと沸き立っていきます。

ただ、本作は主人公が絶望に落ちていくような暗い映画ではなく、人生の悲哀や無常さを見つめているからこそ、慎ましい幸福も映し出している作品です。

ポスターに記載されているタイトルのフォントや赤い霞に着目していただくと、どんな映画か想像が膨らむのではないかと思います。『ゴッドランド GODLAND』は3月30日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次上映。その他詳細は公式HPでご確認ください。

アイスランド大周遊

レイキャヴィークから専用バスでアイスランドを周遊。アイスランド南部では、グトルフォスの滝や間欠泉ゲイシール・ストロックルなどの見どころに加え、氷河から崩れ落ちた氷塊が浮かぶヨークルサルロン氷河湖のクルーズや、氷河が迫りくるフィヤトルスアゥロン氷河湖へご案内します。ツアーでは、アイスランド北部の観光も充実しており、約2300年前の大噴火によってできたミーヴァトン湖周辺を観光。溶岩でできた奇岩が集中するディムボルギル、神々の滝と称されるゴザフォスの滝、デティフォスの滝などのみどころをしっかりと見学します。

瞳をとじて

(C)2023 La Mirada del Adios A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.

スペイン

瞳をとじて

 

Cerrar los ojos

監督:ビクトル・エリセ
出演:マノロ・ソロ、ホセ・コロナドほか
日本公開:2024年

2024.2.7

スペインを南へ北へ、過去から未来へ―内面世界への旅

映画監督ミゲルがメガホンをとる映画「別れのまなざし」の撮影中に、主演俳優フリオ・アレナスが突然の失踪を遂げた。

それから22年が過ぎたある日、ミゲルのもとに、かつての人気俳優失踪事件の謎を追うテレビ番組から出演依頼が舞い込む。


取材への協力を決めたミゲルは、親友でもあったフリオと過ごした青春時代や自らの半生を追想していく。

名匠スタンリー・キューブリックの映画で『アイズ・ワイド・シャット』という作品がありました。文脈によって翻訳は微妙に変わるかと思うのですが、「しっかりと目を閉じる」ですとか「目の前のことを受け入れない」といった感じに訳出できる、矛盾した含みを持った言葉です。

本作の題名とポスターを見た時に、題名とは矛盾するのですが「これは『見る』ことに関する映画だな」と予想しました。

予想は当たっていたと、鑑賞後に感じました。監督のビクトル・エリセは「スペインの映画監督といえば」といったとき真っ先に名前があがるぐらい有名ですが寡作な監督して知られています。

今までのほとんどの作品は幻想的な作品でしたが、本作はスペインの首都・マドリッドやテレビ番組など、とても現実的な設定ではじまっていきます。

でもやはりそこはビクトル・エリセ監督で、だんだんと記憶や幻想の世界に、あくまで序盤の現実的な世界に立脚したうえで入り込んでいきます。ロケーションも、南部のアンダルシアや北部のアストゥリアスなど、周縁部に移行していきます。

僕が特に印象的に感じたのは、映画の中で何度か繰り返される顔のクローズアップです。なんてことはない、よくあるアングルなのですが、役者さんは(目を開きまばたきを時折しながら)とても深い響きを以てセリフを話します。なんだかその言葉というのは「目を閉じて自分の内面を見つめて発されている」感じがすごくしました。

おそらく31年ぶりの長編作でビクトル・エリセが世界中の観客に訴えかけかったのは、そういった「内面への旅」が、いかに現代社会において尊いものであるかということと僕は感じ取りました。『瞳をとじて』は2024年2月9日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて全国順次上映。詳細は公式HPをご確認ください。

バスクの巡礼路を歩く

フレンチバスクからのピレネー越えを経て、サンセバスチャンからゲルニカへ歩くコースです。サンティアゴ巡礼「北の道」の内、風光明媚なバスク地方に通る道に焦点を当てて楽しみます。ビスケー湾の真珠と称されるコンチャ海岸からスタートし、進行方向左手に山、右手に海を臨みながら歩くと漁師町・ゲタリアや美しい砂浜を持つデバなど美しき小さな町々が現れます。

コット、はじまりの夏

(C)Insceal 2022

アイルランド

コット、はじまりの夏

 

監督:コルム・バレード
出演:キャサリン・クリンチほか
日本公開:2024年

2024.1.17

1980年代初頭・アイルランド―“静かな女の子”の心を動かす「ささやかさ」

1981年、アイルランドの田舎町。大家族の中でひとり静かに暮らす寡黙な少女コットは、夏休みの間、母親が出産するまでの時間をウォーターフォードという農村にいる親戚夫婦のもとで過ごすことになる。

夫婦はコットを優しく迎え入れ、一緒に食事をしたり、子牛の世話をしたりと、何気ない日常を重ねていく。

コットはそんな日々を送っていくうちに、今までに経験したことのなかった、暮らしの中のささやかな喜びを知っていく。

本作は二児(上が女の子で7歳半、下は男の子で3歳になったばかりです)の子育てをしている僕にとっては、色々と反省の念を抱いてしまう作品でした。

英題は”Quiet Girl”、「静かな女の子」という意味です。すこし変わり者で何を考えているのかよくわからない子、と解釈することもできるかと思います。しかしもちろん、子どもは大人が思いもよらぬ様々なことを頭の中で考えているものです。

主人公のコットは(おそらくそういう設定だと思うのですが)カソリック的な厳格な規律と、政治経済的に苦境に立たされていた1980年代初頭のアイルランドを象徴するような家庭で育っています。

現代のように大人も子どももスマートフォンに夢中で時間に追われているような慌ただしさはないのですが、ひと言でいうと、ギスギスしています。田舎のお父さんには、厳格な家庭のはずなのに「親のしつけがなっていないな」と指摘されてしまう始末です。

物語の中盤に、郵便受けに向かってコットが並木道を走るシーンがあります。スローモーションになるのですが、「ああやっぱり子どものこういう何気ない時間こそ大切にしなければいけないな」と、日々の自分の行動を省みました。

そのとき僕が思い出したのは、我が家でゴミ捨てに行くときのことです。福岡市はごみ捨てが夜なのですが、たかだか往復2, 3分なのでサッと行ってしまったほうが効率はもちろん良いです。

しかし上の子は特にコロナ禍であまり自由に外に出られなかったこともあり、だいたい「一緒に行く(でも抱っこで)」と言いました。ゴミ袋と娘を抱えて、月を見たり傘をさしたりしながら、暑さ・寒さについて話しながらゴミ捨てに行きました。

息子は息子で、「ストライダー(ランニングバイク)に乗る」好機とゴミ捨てをみなしていて、僕はいつも小走りで付いていきます。雨の日は「今日は雨だから」と数分かけて説得して、さらにまた数分かけてお気に入りのレインコートを着せて、ゴミ捨てに行きます。

こういうことを面倒に思ってしまうこともしばしばですが、そういう思いも含めて、自分の日々の葛藤や行いがなんだか報われるような気持ちにさせてくれるピュアな作品でした。

『コット、はじまりの夏』は1/26(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、渋谷ホワイトシネクイント他にて全国順次公開。その他詳細は公式HPよりご確認ください。

アイルランド周遊

首都ダブリンから南北アイルランドをバスで周遊。雄大な景観と共に、人々の心に息づくケルト文化、今でも神聖な空気が漂う初期キリスト教会跡、中世の趣を今に伝える古城群にいたるまで南北アイルランドの自然、歴史、文化に深く迫る旅です。

レオノールの脳内ヒプナゴジア(半覚醒)

フィリピン

レオノールの脳内ヒプナゴジア(半覚醒)

 

監督:マルティカ・ラミレス・エスコバル
出演:シェイラ・フランシスコ
日本公開:2024年

2024.1.10

人ひとりの頭に宿る「歴史」―奇想天外なフィリピン映画

かつてフィリピン映画界で活躍した女性監督レオノール・レイエスは、引退して72歳になり、借金や息子との関係悪化に悩む日々を送っていた。

ある日、新聞で脚本コンクールの記事を目にした彼女は、未完だったアクション映画の脚本に取り組むことに。そんな矢先、レオノールは落ちてきたテレビに頭をぶつけてヒプナゴジアに陥り、脚本の世界に入り込んでしまう。

息子は必死に母を現実の世界へ引き戻そうとするが……。

面白い映画や奇想天外な映画を観たとき、純粋にストーリーを楽しむこととは別に「これを作った人の頭の中はどうなっているんだろうか?」と不思議に思ったことはないでしょうか。僕はスタンリー・キューブリック監督作『2001年宇宙の旅』を観た時にそう思いました。

実際、僕も脚本を書くことがありますが、現実と作り話の混同が起こることが時折あります。書き手はもちろん、現実で経験したことから多かれ少なかれ影響を受けるので、実際あったこと(もしくは少し脚色したこと)を書いたりします。

逆に、脚本に書いたことが実際に起きてしまう、脚本を知らない他者が「書いたセリフ」が実際に口にされる現場に遭遇してしまう。そんなことがしばしば起こります。そうすると書き手としては「あれ、今どっちだっけ?」という混乱に陥ります。これは本作のテーマになっている夢現な「半覚醒」の状態に似ています。

アカデミー賞で受賞をした『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介監督も、脚本執筆の際に「登場人物に会いに行ってインタビューする」という、ある種の儀式的プロセスを脚本執筆の際に踏むという記事を読んだことがあります。これはつまり、登場人物の声の「響き」を想像するということではないかと思います。

本コラムのテーマ「旅」に立ち返ってみると、旅の印象でより長く覚えているのは響き、香り、触感だったりするかもしれないと本作を観て思いました。

もちろんハイライト的な観光スポットを「見たこと」、それを写真や動画で「撮ること」などによって残る印象もあります。しかし僕がご一緒させてもらった西遊旅行の旅でいうと、ブータンやインドのチベット文化圏によく行かせてもらっていましたので、高度の高い平原の荒涼とした感じの音、星空をみているときの大地の音、バターランプの香り、僧院の床の感触や足音などなど・・・そんな物事のほうがよく思い出すことができます。

おそらく監督(30代前半の女性監督)の個人的な「響き」の記憶もかなり入っているのでしょう、フィリピンの数十年分の大衆文化を旅する気分も味わえる『レオノールの脳内ヒプナゴジア(半覚醒)』。2024年1月13日(金)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次上映。詳細は公式HPをご確認ください。

枯れ葉

フィンランド

枯れ葉

 

Kuolleet lehdet

監督:アキ・カウリスマキ
出演:アルマ・ポウスティ、ユッシ・バタネンほか
日本公開:2023年

2024.1.3

秋のヘルシンキに咲く、小市民たちのドラマ

フィンランドの首都ヘルシンキ。理不尽な理由で失業したアンサと、工事現場で働く酒好きのホラッパはカラオケバーで出会い、互いの名前も知らないままひかれ合う。映画を観たり、食事をしたりしながら仲を深める二人だが・・・

日本に一番近いヨーロッパ、日本人に一番気質が近いヨーロッパ人などと紹介されることが多いフィンランドですが、小津安二郎監督の大ファンを長らく公言しているアキ・カウリスマキ監督のこの作品を観れば、なんとなくそれも納得できます。カウリスマキ監督の作品は、「シグネイチャー(署名)」とも言えるいくつかの特徴があります。

まずは、小市民な主人公だけれどもスポットライトがあたって舞台の上に立っているかのような照明。

渋くて盛り上がりを演出する意図では全く無い、哀愁漂うバンド演奏シーン。

静かに淡々と無表情に、でもちゃんと進んでいくドラマ。

主人公たちがふと見せる優しさ。

世の中の厳しさ。

ユニークな脇役。

まだまだありますが本作が特にユニークなのは、こうした淡々としたドラマの背後で、地理的な近接性もあり、ロシア・ウクライナ紛争のニュースが飛び込んでくることです。

それに対し登場人物たちは何をするわけでもありませんし、何かをしようと立ち上がるわけでもありません。カフェでコーヒーを頼むのをためらうようなアンサは、いくらかの絶望も伴いつつ、あくまでも目の前の現実をひとつひとつ受け止めていきます。

しかし考えてみると、元旦に起こった能登半島地震にしても、イスラエル・ガザ戦争にしても、ロシア・ウクライナ戦争にしても、募金等の支援を除けば「何もすることができないで状況を見つめる」ということぐらいしかできないのが小市民としては当たり前です。

「何もしていない」からといって「何も思っていない」わけではない。いつでも小市民の味方のカウリスマキ監督は、そんな勇気づけをこのタイミングで観客に持ち寄ってくれているように感じました。

一見淡々とした演出から、人間心理の深遠さを映し出す熟練した演出が魅力の『枯れ葉』は、2023年末より全国上映中。詳細は公式HPをご確認ください。

秋のフィンランドをめぐる旅

フィンランドの秋は自然の色が変わりゆく季節で、フィンランド人が『ruska(ルスカ)』と呼ぶ紅葉の季節です。9月のラップランドは、ルスカの季節で緑から黄色に色づく森をお楽しみいただけます。ヘルシンキの2つの国立公園は、きのこなどいわゆる「隠花植物」の宝庫です。お昼は焚火を囲みフィンランド式バーベキューも楽しみます。

フジヤマコットントン

(C)nondelaico/mizuguchiya film

山梨

フジヤマコットントン

 

監督:青柳拓
出演:山梨県「みらいファーム」の人々
日本公開:2024年

2023.12.20

富士山のような眼差しで、障害者施設を優しく見つめるドキュメンタリー

山梨県中巨摩郡、富士山が見守る甲府盆地の中心部にある障害福祉サービス事業所「みらいファーム」。

静かで自然豊かな環境の中で、さまざまな障害を持つ人たちが思い思いの時間を過ごしている。

カメラは彼らが仕事に取り組む姿、花の世話をする姿、絵を描く姿、布を織る姿を見つめて「ありのまま」をとらえていく。

映画監督や映画製作者というのは、いわゆる「役得」で、普通は入れてもらえないような場所に入れさせてもらったり、機会がないとなかなか訪れない場所に招かれたりします。

もちろんそういう場所のことも「秘境」と呼ぶのは若干齟齬がありますが、「なかなか行か(行け)ない場所に行く」のが秘境旅行のエッセンスのひとつであることが確かなので、いくらかの共通項もあるはずです。僕が思うにそれは、「そのまんま」「ありのまま」で楽しめたり本質を享受させてもらえるということです。

そして、このドキュメンタリーで映し出される光景や映画のテンポは、まさにそういう感じです。「コットントン」という題名の響きにも、それは表れているように思います。

このドキュメンタリーの舞台になっている「みらいファーム」は、監督のお母さんの職場で、監督自身も幼い頃から親しんでいたといいます。人生まるごとな感じと、母と子の世代をまたいだ時間と、場のありのままとが掛けあわさって、「現在を旅する」タイムトラベルに観客を連れて行ってくれます。

重い描写や悲しい雰囲気は一切ない『フジヤマコットントン』は、2024年2月10日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次上映。詳細は公式HPをご確認ください。