グジャラートの魅力【5】 絞り染めと伝統を受け継ぐ経緯絣パトラ織り

グジャラートのテキスタイルを巡るうえで、外せないのがパトラ織。今回はナショナルアワードも受賞したムハンマドさんの絞り染めと今や数家族のみが受け継いでいるパトラ織をご紹介します。

 

■絞り染め

 

インドで絞りの産地はグジャラートとラジャスタンがあげられますが、グジャラートでは絞り染めのことを「バンダニ」と呼びます。

ムスリムのコミュニティで作られるバンダニは吉祥の意味があり、婚礼用のヴェールや祭礼、結婚式に参列するときの晴れ着として、特に女性に好まれてきました。また、アメリカ在住の日本人アーティストであるワダ・ヨシコさんが絞り染めの技法を用いたアート作品を1983年に出版した「Shibori」という本で紹介し、「シボリ」が世界中で有名になりました。また国際絞りシンポジウムも開かれ、第2回はグジャラート州のアーメダーバードで開催されました。

これをきっかけにカッチの人々も「シボリ」という言葉を使うようになりましたが、カッチの人は今までの伝統的な布をくくって染めるものは「バンダニ」、針を使って波縫いをきゅっと縮めて染める方法を「シボリ」と呼んでいるようです。

 

小さな絞りの作業はまさに職人技!!

括ったら染めの作業です。

 

 

糸が括られた状態

この状態から、この様に引っ張ると「ブチブチッ」という音とともに糸が取れていきます。

 

広げるとこんな感じ↓

 

 

■パトラ織

 

パトラ織の産地、パタンで今もパトラを織り続けている僅かな家族の中でも、最も有名なサルヴィ氏。博物館も併設しています。

パトラ織の起源は諸説ありますが一説には、12世紀、パタンを治めていたソランキ王朝の王様の招へいで、ジャルナ(現ムンバイより東へいったところ)からパトラ織をする700家族がパタンに移動し、ここにパトラ織りが定着したと言われています。サルヴィ家もそのうちの1家族だったそうです。インドでは、その後も宮廷や富裕層の間でサリーとしてパトラが織られ、特に結婚式用として使われました。また、海を渡り、各地の織物に影響を与えました。特に東南アジアや、日本でも江戸時代に織られ、今でも九州の「久留米絣」がこの技法を持ちます。パトラは「経緯絣(たてよこがすり・ダブルイカット)」で織られます。予め、経糸、緯糸それぞれの部分部分を糸でくくり、色で染めます。これを何回も繰り返し、複数の色で染めるこの作業は長い時間がかかり、この作業だけで、全体の7割近くを占めます。

 

その後、織り機で、経緯の柄を併せながら織っていきます。少し織ると、鉄のピンを使って柄をしっかり合わせる作業をします。

細かい作業のため、1日に約15㎝程度しか織れないそうです。このため、長さ6mのサリーを1枚織るためには5~6か月もかかります。経糸、緯糸どちらもそれぞれ染めるのがダブルイカット、経糸もしくは緯糸のどちらかのみを染めるのがシングルイカットと呼ばれています。

 

絞り染め、ダブルイカット、どちらも素晴らしい職人技。

 

作業を見ているだけでもあっという間に時が過ぎていきます。パトラ織の工房は博物館も兼ねており、ランチも食べられるので、グジャラートを旅行される際には是非お立ち寄りください。

 

次回はアジアライオンに出会える、国立公園をご紹介します。

 

※この記事は2012年6月のものを修正・加筆して再アップしたものです。

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グジャラートの魅力【4】 テキスタイルの聖地ブジに息づく手工芸

グジャラートの最西端、ブジの町には本当に多くの手仕事が存在します。

〈人々が祈りを託したミラー刺繍〉

高価な一部富裕層のための手工芸に対して、一般的な家庭で作られていた手工芸もあります。その代表が、細かく割った鏡を布に縫いつけていく「ミラー刺繍」や木製の判子 を布に押して染める型染め更紗「アジュラク」などです。

家庭で発展した刺繍には、人々の生活の知恵や祈りの気持ちが詰まっています。

 

 

たとえば、ラバリ族のミラー刺繍を裏返してみると、裏にはほとんど糸が通っていないことがわかります。これは、貴重な糸を無駄にしないための生活の知恵です。

また、女性たちは糸や布の端切れも決して捨てず、大切に保管しています。それらの端切れを利用して房飾りを使ったり、パッチワークにして布団を作ったりするのです。いくつもの小さな鏡がキラキラと光るミラー刺繍は、他人からの妬みや嫉みの視線を退ける「邪視避け」の役割があると言われ、婚礼衣装や子どもの衣服にも使われています。

 

 

ブジを訪れた際は是非、バザールにも足を運んでみてください。

野菜や果物を扱う一般的なお店だけでなく、ミラー刺繍に使う大小さまざまなサイズのミラーやカラフルな刺繍糸、様々なデザインのリボンまで、本当にたくさんの手芸用品を目にすることが出来ます。

 

 

〈伝統技術の復興〜アジュラクの復活〜〉

これらの美しい手工芸は、今までに何度か絶滅の危機に瀕したことがあります。グジャラート州は年間降水量が極端に少なく、今まで地震や飢饉など多くの自然災害に見舞われてきました。生活に困った人々は刺繍や染め物などの作品を二束三文で売って生活の足しにするようになり、多くの貴重な作品が失われてしまいました。18世紀に英国でおこった産業革命後、安易な機会織りの製品が入ってくるようになり、手間暇のかかる手織り、手染めをやめる人もでてきました。グジャラートの手工芸品は質・量ともに衰退の一途を辿っていったのです。

アジュラクはグジャラート州からパキスタンのシンド州にかけて制作されている型染め更紗です。アジュラク製作で有名な村のひとつ・ダマルカ村は、今も昔ながらの天然染料を使っています。

 

しかし、実はこの天然染料による染色の技術は1970年代に一度完全に廃れてしまいました。このアジュラク復活のきっかけになったのが、グジャラート州手工芸開発公社のバシン氏と更紗職人モハマド氏の出会いでした。偶然モハマド氏の作品を見たバシン氏は、貴重な技術が失われていくことに危機を感じ、デザインの描き方や都市向けの商品開発を教えました。一方、ムハマド氏はすでに行われなくなっていた天然染料による染色方法を再開しました。藍、茜、ターメリックなどで染めた素朴な色合いのアジュラクは海外の消費者に歓迎され、現在では世界中から染色関係の研究者が訪れるまでになっています。

 

※この記事は2012年6月のものを修正・加筆して再アップしたものです。

 

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グジャラートの魅力【3】 テキスタイルの聖地 ブジ、バンニエリア

手工芸がお好きな方にもグジャラートはお勧めの場所です。

特に、西部のブジには様々な工房があり、今も技術が受け継がれています。

〈富の象徴として発展した手工芸〉

グジャラート州は南をアラビア海に接し、いにしえから西アジアとの交易の重要な拠点となってきました。藩王や貴族、そして貿易で富を蓄えた商人たちは、自分の権力を誇示するために多くの職人を雇い、金に糸目をつけずに豪華な手工芸品を作らせました。このようなパトロンたちの金銭的支援のもとで発達した手工芸のひとつが「モチ刺繍」です。 モチ刺繍とはシルクやサテンの生地にアリと呼ばれる鈎針と絹糸で細かなチェーンステッチを施すもので、イスラム美術から影響をうけた幾何学模様や花、果物などがデザインされています。

 

 

「ローガンペイント」と呼ばれるオイルペインティングもまた、パトロンの支援の元、発展した手書き更紗の一種です。赤、青、緑などに染めたヒマ油を手のひらの上で混ぜ、ガム状になったものを針の先端につけて、布の上に下書きなしで描いていきます。

 

 

モチーフは「生命の木」や「花」「ペイズリー」など。半分描いたあとで布を二つに折ることでイン クが移り、シンメトリーのデザインが完成します。この技術はシリアを起源とし、イラン、アフガニスタン、パキスタンをへてインドに伝わったと言われています。

 

 

1947年にインドが英国から独立し、藩王制が解体されると、パトロンたちは財力を失い、多くのモチ刺繍やローガンペイントの職人たちも職を失いました。ローガンペイトはとても手間がかかること、高度な技術を要すること、またもともと高級品ではなく、最近では安い刺繍糸も手に入りやすいことから、後継者も少なく、現在、数家族の みがこの技術を後世に伝えています。

 

バンニエリアと呼ばれる地域には小さな工房が複数あります。

のんびりと村散策をしながら工房巡りをしていると、あっという間に時間が過ぎていきます。

ベル工房は成型から焼いて、音の調整をして完成するまで30分程で見学できます。

 

 

木工細工は、固めた色粉を木材にあて、木材を回転させることで熱を発生させ、色粉をとかし、塗り付けていきます。その後、木片を当ててなめらかにし、オイルを塗り、違う色を乗せていく作業を繰り返します。同じ工程で木製のボタンを作っている方もいますよ。

 

次回はアジュラク、絞り染めなどの手工芸をご紹介します。

 

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魅力満載 グジャラート【2】 世界遺産 ドーラビーラと大カッチ -Great Rann of Kutch-

数回に分けてグジャラートの魅力をご紹介しています。

前回はグジャラート州内にある3つの世界遺産をご紹介してきました。

4つの世界遺産のうち、一番新しく登録されたのが、こちらのドーラビーラ遺跡です。

 

■ドーラビーラ遺跡

2021年7月に世界遺産に登録されたばかりの遺跡です。

 

カッチ湿原に浮かぶカディール島にあるインダス文明の都市遺跡で、1967年に発見され、1989年から現在に至るまで発掘作業が続けられています。紀元前3000年には既に村は形成され、約1500年の間に渡って人々が住み続けました。 この地域は非常に乾燥しており、その対策として造られた用水路や貯水池の形成技術の高さが注目されています。

遥か5000年も前に、高度な技術を駆使した下水施設などが整い、当時の生活水準の高さをうかがうことができます。パキスタン南部のモヘンジョダロやハラッパといった都市が衰退した後も、グジャラート地方では交易が盛んに行われ、繁栄し続けました。グジャラートは重要な交易品・カーネリアン紅玉髄の産地であり、ビーズなどの加工品を遠くアラビア海まで輸出していたといいます。当時最先端の技術を誇った、古代の国際都市です。

 

アーメダバード南方に位置するロータル遺跡とセットでの見学がお勧めですが、2つの遺跡の場所は離れているので、一1日で両方周るのは難しいです。

 

■ロータル遺跡

史跡に興味がある方には是非ともセットで訪れていただきたいのが、ロータル遺跡。

1954年に発見されたインダス文明の都市遺跡です。「ロータル」とはグジャラーティ語で「死の塚」を意味し、「モヘンジョダロ」のシンド語と同じ意味です。街路が整然と配置され、排水システムが整い、几帳面に積まれたレンガの建造物等が見つかっています。

 

ロータル遺跡、ドック跡
井戸跡

 

■カッチ湿地

大カッチはグジャラート州からパキスタンのシンド州に及ぶ広大な塩性の湿地です。広大なカッチ大湿地とカッチ小湿地を合わせてカッチ湿地と呼んでいます。カッチは「亀」を意味するカチボという言葉からつけられた地名で、海抜15mの平坦な大地が広がるカッチ湿原は雨季には泥地が海水で覆われ、海水が引けて乾季になると、アラビア海から吹きつける強風などのため後に塩分が残ります。

 

カッチの塩原は冬になると乾燥し、一面の白い大地と化します。その光景がインド人ツーリストの間で大変な人気となり、テント村も出現するようになりました。「ホワイト・ラン」を見渡すビュー・ポイント、塩の平原をお楽しみいただけます。

 

 

小カッチ湿原 Little Rann of Kutch

野生動物保護区ここでは国際保護動物のアジアノロバが見ることができます。非常に臆病な動物なので、近付くと等間隔を保ちながら逃げていきます。 他にもフラミンゴの営巣地があり渡り鳥も観察されます。 この周辺にはラバリ族やアヒール族、バハルワード族などグジャラートらしい村の光景、放牧の景色を見ることができます。

 

次回はグジャラートの最西端、大カッチからも近い手工芸の町ブジをご紹介します。

 

 

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魅力満載グジャラート【1】世界遺産 チャーンパーネール・パーヴァーガド遺跡公園とアーメダバード旧市街

現在4つの世界遺産をもつ西インドグジャラート州。

インド独立の父として知られるマハトマ・ガンディーの出身地、最近ではモディ首相の出身地としても有名ですが、手仕事、近代建築、食文化、階段井戸と沢山の魅力あふれる州でもあります。

 

これから数回に分けて、グジャラートの魅力あふれるスポットをご紹介していきます。

まずはグジャラート内にある世界遺産をご紹介。

 

■チャーンパーネール・パーヴァーガド遺跡公園

グジャラート州の中では一番早く2004年に世界遺産に登録されました。

銅器時代の遺跡に始まり8~14世紀の要塞、宮殿、宗教建築物、居住区域、農地、取水設備などが点在しています。公園内のパーヴァーガド丘の頂上に位置するカーリーカマタ寺院は重要な聖地とみなされており、いまも多くの巡礼者が訪れるスポットです。

遺産はムガル帝国支配以前の都市として、唯一完全な姿を保つことで知られています。

 

公園内 ジャーミーモスク
EK-MINAL KI MASJID

公園内にはヘリカルの階段井戸もありますよ。

 

ヘリカルの階段井戸

 

■女王の階段井戸 ラニ・キ・ヴァヴ

グジャラート州、ラジャスタン州には多くの芸術的な階段井戸が残っていますが、その中でも外せないのが、パリタナ郊外にあるラニ・キ・ヴァヴです。2014年に世界遺産に登録されました。

グジャラート最古の階段井戸で、その壁面は800を越えるヒンドゥーの神々の像で覆われています。特にヴィシュヌ神の化身のレリーフの美しさ、精巧さには素晴らしいものがあります。

詳しくは、こちらでもご紹介しています。

世界遺産 ラニ・キ・ヴァヴ – 女王の階段井戸

 

■アーメダバード旧市街

アーメダバードという地名は、1411年この場所を治めたグジャラートのスルターン、であったアーメド・シャー一1世により建設され、彼の名に因んで名付けられました。旧市街は2017年に世界遺産に登録されています。スワミ・ナラヤン寺院からジャマー・マスジッド、ポルと呼ばれる集合住宅を眺めながらシディ・サイヤド・モスクまでのんびり見学しながら2時間弱ほどで歩いて観光ができます。

歩くと2時間弱のコース。土日よりも平日の方が賑やかなので、ローカルな雰囲気を味わいたい方は是非平日に訪れてみてください。

 

《ジャマー・マスジッド(金曜モスク)》

1423年にアーメド・シャーによって建てられたアーメダバード最大のモスク。 15の異なる高さのドームを260本もの柱で支えています。ヒンドゥー教やジャイナ教の寺院の建材を使用しているため、柱には蓮や金剛杵の彫刻が残っています。

 

《シディ・サイヤド・モスク》

16世紀後半に創建された、モスクで旧市街を囲むかつての城壁の一部になっています。「生命の樹」と呼ばれる美しい透かし彫りの窓が有名です。

 

 

《ガンジー・アシュラム (サーバルマティー・アシュラム)》

ガンジー(本名:モーハンダース・カラムチャンド・ガンジー)は「マハトマ・ガンジー」という名で知られていますが、「マハトマ」とはインドの詩聖タゴールがガンジーに贈った称号で「偉大なる魂」を意味します。そのガンジーが活動の拠点とした場所です。 現在は彼が寝起きをした非常に質素な家に、実際に使った糸を紡ぐ車や台所が展示されており、また、併設されている小さな博物館には生前彼が受け取った手紙や写真、生涯の記録等が展示されています。 1930年3月12日に、カンベイ湾までの「塩の行進」のスタート地点となった場所です。

 

※少し離れているので、ここも見学するならリキシャを使って周遊するのがお勧めです。

 

次回は最近世界遺産に登録されたばかりのドーラビーラとカッチ湿原をご紹介します。

 

 

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