ナマステ! 西遊インディアです。
今回は、仏教4大聖地のひとつ・仏陀生誕の地ルンビニーを詳しくご紹介します。
(ルンビニーについては、前回少しこちらの記事でも触れました→ 【仏陀の道】入滅の地クシナガル)
ルンビニーまでのアクセスですが、インドから陸路国境を越えて行くこともできますし、ネパールの首都・カトマンズから車両や国内線にて移動も可能です。
(※2022年4月現在、陸路国境は観光客には開いておりませんのでご注意ください)。
■ルンビニー
仏教の開祖釈尊の生誕の地で、父浄飯(じょうぼん)王のカピラバストゥ(迦毘羅城(かぴらじょう))と母摩耶(まや)夫人の郷里デーバダハ(天臂(てんぴ)城)の中間にあった園林の名をルンビニといいます。
摩耶夫人は、出産のための里帰りの途中、この園の無憂樹(むうじゅ)の枝につかまって、釈尊を右わきから出産したといわれています。
お釈迦様・ガウタマ・シッダールタ(ゴータマ・シッダッタ)は釈迦族の王であるスッドーダナ王(淨飯王)と后であるマヤ夫人(摩耶夫人・マヤデヴィ)の長男として生まれました。シッダールタ王子が出家するまで過ごした釈迦族の都がカピラヴァストゥです。
カピラヴァストゥがどこなのか、についてはネパール説(ティラウラコット)とインド説(ピプラハワ)の争いがあり、インド説は「聖なる仏舎利、釈迦族の仏舎利」と書かれた壺がピプラハワのストゥーパから発見されたことを根拠としています。しかし、発掘調査の進んだ現在では釈迦族の都はネパールのティラウラコットで、インドのピプラハワはカピラヴァストゥがコーサラ国に滅ぼされた後、生き残った釈迦族が移り住んだ場所である、という説が有力となっているようです。
ルンビニ園
マヤ・デヴィ寺院。ここは釈尊が誕生した場所といわれる場所に建てられた寺院です。建物の中には、1996年に発掘された、釈尊がこの地で誕生したことを記すマーカーストーンや、マヤ夫人の像、紀元前 3~7世紀ごろのものと考えられるレンガ造りの礎石が安置されています。
寺院の傍らには、紀元前 249 年にマウリヤ王朝のアショカ王がこの地を訪れた際に建てたと言われる高さ 6m の石柱があり、アショカ王が即位 20 年の年にこの地を訪れ石柱を立てたこと、釈尊の生誕地であるこの村は免税され 8 分の1のみの納税で許されることなどが刻まれています。
またプスカリニ池は、マヤ夫人が出産の前に沐浴し、釈尊の産湯にも使われたといわれる池です。池のほとりには大きな菩提樹があり、巡礼者が瞑想をしたり、説法をしたりと思い思いに過ごしています。
ティラウラコット
ルンビニの西 27 キロ、周りはのどかな麦畑が広がっている森の中にあります。後に釈尊となるシャカ族の王子ゴーダマ・シッダールタが、29 歳で出家するまで何不自由なく過ごしていた、カピラヴァストゥ城跡であると考えられています。
この遺跡は 1967 年から日本の立正大学によって発掘・城砦跡だと確認され、現在はネパールの人々により管理されています。まだまだ発掘途中ですが、礎をレンガで補修しきれいに整備されています。
ここには西門、釈尊が愛馬カンタカに乗りこの地を出発したといわれる東門、城壁お堀跡、かつての宮殿跡、井戸、貯水槽が発見されています。この場所で一番見応えがあるのは遺跡の奥にある東門です。
『ある時、釈尊が東門から外出した際、やせ衰えてふらふらと歩いている老人を見かけた。またある日、南門から外出した際、病人を見かけた。また西門から外出した際、葬儀の列に遭遇した。この出来事から釈尊は「老い」、「病」、「死の悲しみ」を知り、深く思い悩んだ。ところがある日、北門から外出した際、道を求めて托鉢に励む修行者の姿に接し心を打たれ、釈尊は出家を覚悟した』という有名な「四門出遊」という説話が残っている場所です。
お釈迦様の生誕の地だからでしょうか、ルンビニ―はとても静かで穏やかな空気が漂っています。宿等で自転車が借りれますので、自転車での散策もなかなかお勧めです!
Text: Hashimoto
Photo: Saiyu Travel
カテゴリ:■インド東部・極東部 , ビハール州 , 仏陀の道(ビハール州、ネパール)
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