アジャンタとエローラ インド2大石窟寺院群を行く! ⑤

ナマステ! 西遊インディアです。

エローラ石窟寺院群について、前回は第1~12窟の仏教窟を紹介しました。

今回はエローラの目玉!カイラーサナータ寺院をはじめとするヒンドゥー教窟、ジャイナ教窟についてご紹介します。

 

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エローラ 第16窟 カイラーサナータ寺院 正面出口

やはりエローラといえば第16窟のカイラーサナータ寺院。こちらの見学にじっくり時間を割きたい方が多いと思います。

 

エローラ石窟寺院群は第13~29窟がヒンドゥー教窟です。開窟年代は、6~9世紀で、インドで仏教の勢いが減退していくなか、代わってヒンドゥー教が勢力を増してきた頃です。

ヒンドゥー教窟は全部で17窟ありますが、仏教窟と違って特徴的なのが全てがチャイティヤ窟(僧院)であることです。仏教窟のように、僧房は併設されておりません。

 

それではエローラの最大の見どころ・第16窟のご紹介です。カイラサナータはヒンドゥー教の破壊の神であるシヴァの寺院であり、シヴァの住まいとして考えられているカイラス山の姿を現しています。間口46m・奥行80m・高さ34mの巨大な寺院は全て岩体を掘り下げて作られており、世界最大の石彫建築です。その完成には1世紀以上の歳月が費やされたと考えられています。当時のインド人の寿命が30~35歳であったことを踏まえると、何世代にも渡る一大事業であったことが分かります。巨大な寺院そのものの迫力に加え、随所に施された神々の彫刻はまさに圧巻です。

 

 

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エローラ 第16窟 カイラーサナータ寺院 横から眺める
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エローラ 第16窟 ラクシュミー像
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エローラ 第16窟 ドゥルガー神

門を入るとまず正面にヴィシュヌの妻ラクシュミー。2頭の像が左右から水をかける「ガジャーラクシュミー」という吉祥をあらわす姿です。右手にはシヴァの妻パールヴァティの化身で力の象徴であるドゥルガー、左手にはシヴァの息子ガネーシャの彫像が私たちを迎え入れます。ちなみにガネーシャは物事の始まりを司る神でもあり、多くの寺院で門番として入り口に描かれています。現代でもお店やホテルの入り口にガネーシャ像を置いている場面を見たことのある方もいるのではないでしょうか。

 

ガネーシャ像
16窟 ガネーシャ像

寺院の外壁、またそれを取り囲む回廊にも様々な神話や、「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」のインド二大叙事詩のシーンが丁寧に彫刻されています。寺院本体に施された彫像は本来は彩色されていたものもあり、一部にその基層となる漆喰が残されてるのも見ることができます。

 

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エローラ 16窟 細かく施された浮彫はマハーバーラタのシーンを表す
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16窟 ラーマーヤナの浮彫り
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16窟 本殿外部
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16窟 本殿を支える象たち

 

寺院内部、手前にはシヴァの乗り物である牡牛・ナンディーのための寺院(ナンディー堂)があります。そしてその奥に位置するのが本殿です。
本尊には、本尊であるシヴァリンガが安置されています。リンガは男性の象徴であり、同様に女性の象徴であるヨーニの上に置かれ、お香や乳、香油などが捧げられています。現在では観光地として世界的に人気のある寺院ですが、ここでは多くの敬虔な巡礼者たちが祈りを捧げています。

 

本殿のシヴァリンガ
16窟 本尊のシヴァリンガ

カイラーサナータ寺院の内部見学が終わりましたら、寺院横の小道より坂を上がり、カイラーサナータ寺院が見下ろせるポイントまで移動することをおすすめします(※雨期は、通行不可となっていますのでご注意ください。また、2019年冬現在、後ろまで回り込むルートは閉鎖されています)。
上から見下ろすと、カイラーサナータ寺院のその大きさを改めて実感するとともに、掘り出した石の途方もない量に言葉を失います。

 

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16窟を上から見下ろす
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16窟 僧院の天井にも美しい浮彫が施されています

 

第16窟・カイラーサナータ寺院は、その大きさ、内部の造りの精巧さ、浮彫彫刻の美しさ等、全てのポイントにおいて現代では再現不可能な、まさに偉業と呼べるにふさわしいものではないでしょうか。

 

最後に、ジャイナ教石窟群の紹介です。
エコバスに乗って5分程移動すると、ジャイナ教の寺院が見えてきます。ジャイナ教寺院群は一番北側にあり、ヒンドゥー教窟とは約1キロ程離れています。開屈は9世紀頃で、当時この地を治めていた王がジャイナ教を保護していたため、ジャイナ教の寺院も造られることになりました。

 

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ジャイナ教石窟群 遠景

 

インド全国的にジャイナ教寺院は僅かしかなく、エローラの寺院は貴重な資料となっています。ジャイナ教と聞くと不殺・不所持をはじめ簡素な生活を思い浮かべますが、そのイメージを一変させるような精緻できらびやかな内部装飾には驚かされます。それまでの仏教、ヒンドゥー教窟と比べて最も装飾が細かく美しい石窟です。

 

ジャイナ教ではその24代にわたる修行者の像が信仰の対象となっています。ヒンドゥー教の神々と比べ動きが少なく、直立したままの聖者像が多いです。また、ジャイナ教の教えである「無所有」を象徴する裸体で表現されています。

 

 

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エローラ 第32窟 正面入り口
第32窟のジャイナ教寺院
エローラ 第32窟 ジャイナ教寺院
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第32窟 柱の透かし彫りがなんとも豪華な印象

 

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第32窟 獅子に乗る女神像

 

 

アジャンタとエローラの石窟寺院を数回に渡って紹介してきました。アジャンタとエローラは、インドの宝です! ぜひ訪問して、実物をご覧になっていただきたいと思います。

 

このシリーズの冒頭で書きました通り、アジャンタ、エローラ有するデカン高原にはこのような素晴らしい石窟がまだまだありますので、またの機会に紹介したいと思います。

 

 

 

 

Text  by    Hashimoto,  Okada
Photo  by Saiyu Travel

 

 

 

 

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アジャンタとエローラ インド2大石窟寺院群を行く! ④

ナマステ!!
インドの宝、アジャンタ・エローラを紹介するシリーズ、その④です。

過去のご紹介記事はこちら!
アジャンタ・エローラ①
アジャンタ・エローラ②
アジャンタ・エローラ③

 

■エローラ石窟

カイラサナータ寺院
エローラ石窟 第16窟 カイラサナータ寺院

 

オーランガバードから30Kmほど離れたところにある小さな村のひとつエローラ村。ここに世界的に有名な石窟寺院群が残っており、エローラ石窟といわれています。
エローラには、全部で34の石窟があり、6世紀から10世紀の間に造られました。仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の3つの宗教の寺院や僧院・僧坊などから構成されています。

 

1~12窟    :仏教寺院。石窟寺院群の南端
13~29窟 :ヒンドゥー教寺院。中央に位置する
30~34窟 :ジャイナ教寺院。北端

 

30~34窟のみ少し離れた場所に位置しておりますが、基本的には全ての石窟は近接している上に作られた時期も重なっています。当時インドではお互いの宗教に対して非常に寛容であったことが分かります。

 

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エローラ石窟 第1-6窟 遠景

まずは、仏教窟からご紹介します。仏教窟は全部で12窟あり、第10窟以外は全て僧院(ヴィハーラ)窟です。

 

石窟群の最南端に位置する第1窟は、僧院というよりは穀物や食料を貯蔵していた場所と考えられています。

 

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エローラ 第1窟 仏教窟 入口
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エローラ 第2窟 仏教窟 入口

第2窟も僧院址です。内部の回廊には多くの仏像が並んでおり、柱の装飾も細かく施されています。

第3-4窟は未完成です。エローラ石窟寺院の仏教パートは7-8世紀ごろの、インドでの仏教が衰退へと向かっている時期の開窟であったこともあり、未完成であったり作業途中である部分も多いです。

 

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エローラ 第5窟 僧院址

7世紀に開窟された第5窟は、奥行き53.28m、幅36.63mと非常に広く、エローラでも最大の室内面積をもつ僧院です。巨大な柱には、かつては美しい装飾画が施されていたといいます。この僧院址は、かつては講堂、僧侶たちの食事場所、そして宗教的な儀式の際に使われていました。

 

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エローラ 第7-8窟 仏教窟

 

第10窟は仏教のチャイティヤ(礼拝堂)建築の最高峰とも呼ばれ、ストゥーパを覆うように配置された仏像や細かい内部装飾が特徴です。2階建てですが吹き抜けの様になっています。造りは外観だけではなく音響効果も考えられており、祈りの声が深く響き渡る様に設計されています。

ガイドと一緒に訪問した際はガイドにお経の一説を詠むようリクエストしてみてください。声の響き方にきっと驚かれると思います!

 

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エローラ 第10窟 仏教窟
第10窟のストゥーパと仏陀
エローラ石窟 第10窟 本尊は、ストゥーパに仏陀が取り込まれているかたち
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エローラ 第10窟 入口正面 バルコニーから中の仏塔を見おろすことができます
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エローラ 第11窟 仏教窟

第11窟は僧院址で、なんと3階建てです。1~2階は僧房、3階は講堂として作られています。石窟の開削は上部から始まるため、通常の建築とは逆方向に、上から下へ向かって作業が進んでいきます。講堂と僧院という性格の違いはあるものの、開窟資金や資源の豊富だった初期に作業が行われた上階は精密に作られ、下の階へ行くにつれて装飾が減りシンプルな造りになっており、その変遷は見ていて面白いです。

第12窟も第11窟と同じ3階建ての造りの僧院址です。こちらは、全体的に非常にシンプルな造りとなっています。

 

 

エローラ石窟寺院群ですが、その入り口のほとんどが西側を向いています。そのため、エローラ訪問は日差しが内部まで差し込む午後の訪問がおすすめです(エローラ石窟はアジャンタとは異なり内部に照明は設置されていません)。ただ、酷暑期の訪問だと午後2-3時頃は一番暑い時間帯…。観光中の体力を考えて午前中の涼しい時間帯の訪問でもいいかもしれません。

 

 

次回の記事ではエローラの目玉・ヒンドゥー教窟をご紹介します!

 

 

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アジャンタとエローラ インド2大石窟寺院群を行く! ③

ナマステ! 西遊インディアの橋本です。
アジャンタとエローラを紹介する第3弾です。

過去のご紹介記事はこちら!
アジャンタ・エローラ①
アジャンタ・エローラ②

 

アジャンタ石窟ご紹介の続きの前に、アジャンタ、エローラ訪問に適した時期についてご案内します。

アジャンタ、エローラが位置するオーランガバード周辺は、近隣のムンバイとほぼ同じ具合で、3~5月は酷暑、6~9月後半頃までは雨期、その後9月後半から2月頃までが乾期となります。ムンバイは沿岸部にあるため、内陸のデカン高原にあるオーランガバードは、ムンバイよりも雨量が少なく乾燥しています。

 

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8月のエローラ石窟
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4月のアジャンタ 年間で一番暑い時期。草木の色も雨季後とは全く異なります

アジャンタ、エローラはともに1年中観光はできますが、4~5月は45度近くの酷暑のなかの観光となり、遺跡の見学中は相当の体力を奪われます。時期を選べるのであれば、9月後半~11月くらいがベストです。乾期に入りほとんど雨の影響を受けませんし、暑さも落ち着く時期です。また、遺跡の雰囲気も結構違います。上の写真を見比べていただいて分かる通り、雨期以降すぐはフレッシュな緑色が美しい時期です。

 

ちなみに、各石窟内に入る時は入り口で靴を脱いで入ります。石窟内は意外ときれいで足が汚れることはありません。素足で中へ入ると、ひんやりとした岩の感触も感じることができおすすめです。石窟内は、色々なものが混じった、独特のにおいがこもっています。石窟の奥に進めば進むほど、この石窟群の造成に費やされた途方もない時間と労力を想像し、残された壁画の美しさだけではない、この遺跡の凄さを改めて実感します。

 

それでは、石窟の続きのご紹介です。
第11窟です。

 

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アジャンタ 第11窟 天井の壁画

第11窟は後期に造られたヴィハーラ(僧院)窟です。この11窟の前後は、前期窟が並んでおります。最初に建てられた前期窟は、いずれも正面の渓谷を見渡せるよい位置に造られていますが、この11窟は10窟と12窟の間に無理やり造られており少しいびつな形です。見どころは、素晴らしい天井の装飾画です。

 

続いて第17窟。こちらもアジャンタ第1窟同様、素晴らしい壁画が多数残る石窟です。まずは17窟に残る、2つの大猿本生(ジャータカ)。

 

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大猿本生

 

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アジャンタ 第17窟 大猿本生
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アジャンタ 第17窟 上写真の右側アップ。背後から近寄る農夫と(左)、殴られ倒れてしまった大猿(右)

猿は、崖下に落ちてしまった農夫を見つけ背負って這い上がり、助けます。しかし、農夫はその猿を殺して食べようと背後から忍び寄り石で殴り倒してしまいます。その後農夫は地獄に落ちます。
(ここでは大猿=釈迦を表します)。

 

※17窟には、もうひとつの大猿本生があります。川辺のマンゴーを取って食べているときに国王軍に見つかってしまった猿群でしたが、猿王は自らの身体を橋の一部とし、仲間たちを先に逃がした、という内容のものです。

 

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シンハラ物語

 

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アジャンタ 第17窟 羅刹女を退治に行くシンハラ王の軍隊

人を食らう「羅刹女」がいる島に漂着してしまった商人・シンハラは、仲間とともに島からなんとか脱出することに成功しました。しかしその後羅刹女は美女となってシンハラの国に乗り込み、城内の人間を食い殺してしまいます。シンハラは民衆に請われ王となり、軍を率いて羅刹女を追い払っただけでなく、羅刹女たちを教化するのでした。

 

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また、第17窟は内部だけでなく、外側の装飾画も見事です。
こちらは、入り口の装飾。扉の上には過去七仏が並んでいます。また、向かって左側の外壁には、六道輪廻の図が残っています。今やインド北部・ヒマラヤを越えたラダックエリアとその周辺でしかほとんど見ることができない六道輪廻の図がここアジャンタで見ることができるとは…! 感激です。

 

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アジャンタ 第17窟 入口の装飾
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アジャンタ 第17窟 六道輪廻

第19窟です。後期のチャイティヤ(僧院)窟で、中央には仏塔と仏像を合体させた本尊と、両側には丹念に施された彫刻が残っています。また、石窟内部自体が馬蹄形となっています。

 

仏塔(ストゥーパ)とは、お釈迦様が荼毘に付された後、残された灰や遺骨(仏舎利)を納めた塚が起源です。 仏教が各地へ広まると、ストゥーパが建てられ、お釈迦様のシンボルとして祀られるようになりました。
仏塔は3部分から構成されています。①基壇(下の写真では、仏像が組み込まれています)、②丸い部分の卵塔、③一番上に乗っている平頭です。もともとは②の部分のみでしたが、尊いものとして基壇と傘が施されるようになりました。

 

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アジャンタ 第19窟  内部

アジャンタ石窟寺院の見学の最後は、第26窟です(第27窟は未完成、28-30窟は位置的に訪問不可)。後期のチャイティヤ窟で、内部にはインドで最大級の大きさである涅槃仏(全長7.3m)が横たわっています。涅槃仏の周りや列柱に施されている彫刻も素晴らしく、見ごたえのある石窟です。

 

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アジャンタ 第26窟 正面入り口
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アジャンタ 第26窟 作成途中の仏像(右)

 

第26窟は概ね出来上がっているものの、完成はしておりません。上の写真の左部分のように、製作途中で放棄されてしまっている部分もあります。未完部分をみると、まずは大枠でかたどりされ、その後彫り進める、という石窟内での作業の進め方が分かります。

 

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アジャンタ 第26窟 インド最大級の涅槃仏
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アジャンタ 第26窟 涅槃仏 正面から

横たわる涅槃仏は、少し微笑んでいるようにも見えます。この写真では分かりにくいですが、釈尊の台座には、その死を悲しむ弟子や在家の姿が彫られています。また上部分には、天人が舞っています。

 

 

 

アジアの古代仏教美術の源流ともいわれているアジャンタ石窟寺院。何度訪問しても飽きません。じっくりと時間をかけて訪問して欲しいと思います。

 

エローラは次の記事でご紹介します!
アジャンタ・エローラ④

 

 

 

Text by Hashimoto

 

 

 

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アジャンタとエローラ インド2大石窟寺院群を行く! ①

ナマステ!西遊インディアです。

今回はインド観光のハイライト! インドの宝! 絶対お勧めのアジャンタ、エローラの2大石窟寺院をご紹介します。

 

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エローラ 第16窟カイラーサナータ寺院

インドの石窟寺院ですが、現在では大小合わせおよそ1,200の寺院が確認されています。そして、その多くはアジャンタやエローラが位置するデカン高原周辺に存在しています。理由は石窟に適した岩体の存在です。

 

加工しやすく安定している玄武岩質の岩体が多く分布するため、この地域に多くの石窟寺院が残されています。また玄武岩は、加工もしやすいですが大変硬く、木材等に比べて保存が長期に渡って可能なこともポイントです。現存している石窟寺院は、前1世紀頃から後9世紀頃にかけて開鑿されたものですが、石窟全体がそのまま残っているばかりか、一部はその美しく施された彫刻も細部まで残っています。

 

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エローラ 第32窟 ジャイナ教石窟群 柱に残る美しい装飾
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エローラ 16窟 カイラーサナータ寺院  寺院外壁にびっしりと描かれている「ラーマーヤナ」の場面を表した彫刻

今回ご紹介するアジャンタ、エローラ両遺跡の観光の拠点となるのはオーランガバードという街です。マハーラーシュトラ州内にあり、州都ムンバイから約350㎞、内陸側に移動した位置にあります。車両移動で約7-8時間かかりますが、ムンバイからは国内線も運行されており、フライトだと約1時間です。なお、国内線はデリー、ハイデラバードからも運行があります。

そのオーランガバードからエローラ石窟までは約30km、アジャンタ石窟までは100km程度です。街には観光用のホテルも多くあり、秋~冬の観光ハイシーズンには多くの観光客が滞在し混みあっています。

 

アジャンタ、エローラのご紹介の前に、オーランガバードの街と見どころを軽くご紹介。

オーランガバードの街の名前は、ムガル帝国第6代皇帝のアウラングゼーブ帝が滞在したことに由来しています。

街の見どころですが、まずは、ミニ・タージマハルとも呼ばれるビービーカ・マクバラ廟。「ビービー(Bibi)」というのはヒンディー語で”wife” や”Laday”、「マクバラ(Maqbara)」はお墓を指します。つまりこの地に滞在したオーラングゼーブ帝の妻・ディラルース・バーヌー・ベーガムのために建てられた廟です。

 

ビービーカマクバラ
ビービーカマクバラ

一見、アグラにのタージマハルにも似たビービー・カ・マクバラ―ですが、タージマハル程の財源がなかったため、使用している大理石の量はかなり制限されています。

墓廟の前には庭園が広がっており、地元のファミリーの憩いの場所ともなっています。

 

他にも、街の北側にあるのがオーランガバード石窟群。5~7世紀に仏教徒の手によって造られた石窟群で、全部で13窟あります。菩薩像や女神像の彫刻は、エローラに先行する仏教美術の貴重な作例として知られています。

 

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オーランガバード石窟群 第7窟の入り口

 

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オーランガバード石窟 第7窟

またオーランガバードでは、ヒムロー織りと呼ばれる金糸を織り込んだ美しい織物も全国的に有名です。工場件展示即売所が街にいくつかありますので、お時間に余裕のある方は立ち寄ってみてください。

 

■アジャンタ石窟

オーランガバードから100㎞、車両で2時間半程行きますと、アジャンタ石窟見学者用の駐車場に到着します。そこから、専用のシャトルバスに乗り換え、石窟入口まで移動します。
入口には、遺跡のチケットカウンター、トイレ、軽食屋等が並んでいますので、ここで最終準備を整え、遺跡へと出発です!

 

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石窟入口までは、石段が続きます

ワーグラー川の流れに沿って30の石窟が並ぶアジャンタ石窟群。これらは全てが仏教窟です。開かれた時代は下記2期間に分かれます。

①紀元前2世紀~紀元後1世紀
②紀元後5世紀後半~7世紀初頭頃まで

 

前者が初期仏教(上座部仏教)の時代、後者が大乗仏教の隆盛期にあたります。

 

アジャンタ石窟群
アジャンタ石窟群

アジャンタ石窟を特徴づけるのは何といっても内部に描かれた見事な壁画の数々です。壁画は多くが大乗仏教期に描かれたもので、主に仏伝、ジャータカ(本生)と呼ばれる仏陀の前世譚、また宮廷の様子などが彩り豊かな顔料で描かれています。この壁画群は日本の飛鳥時代の美術に影響を与えたと考えられており、法隆寺金色堂の壁画にもその影響を見て取れると言われてます。

 

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アジャンタ 第1窟 蓮華手菩薩

中でもアジャンタを象徴する壁画が第1窟の蓮華手菩薩。インド古代仏教美術の最高傑作とも謳われ、右手に蓮華の花を持っています。

⾝体を⾸、胴、腿の3つに曲げた「トリバンガ(三曲法)」という手法を使って描かれ、白い肌と目を伏せた表情が印象的です。蓮は泥中に根を張りながら水上に美しい花を咲かせることから煩悩に溢れた俗世に対しての清浄な心や悟りの象徴として考えられ、仏教美術の中に頻繁に登場します。仏教、またヒンドゥー教の中でも同様に用いられる象徴的な花です。

 

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アジャンタ 第1窟 蓮華手菩薩

これと対を成すのが右手に描かれた金剛手菩薩。こちらは蓮華手菩薩とは対照的に褐色の肌で描かれ、力強い印象です。金剛杵(ヴァジュラ)という仏具、または金剛(ダイアモンド)を持つとされる菩薩像です。

 

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アジャンタ 第1窟 金剛手菩薩
金剛手菩薩
アジャンタ 第1窟 金剛手菩薩

※近年では、こちらの両菩薩は、菩薩ではなく「守問神」とする説も有力とされています。

 

上記両菩薩(守門神)の奥には本尊の仏陀像が転法輪印(説法印)を結び、座しています。転法輪印は、教えを説いて迷いを粉砕することを表す印です。また、第1窟の天井と壁は様々なお花、果物、植物等の装飾で彩られており、柱には美しい浮彫が施されています。まさに豪華な宮殿のような雰囲気です。

 

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アジャンタ 第1窟 本尊の仏陀像
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アジャンタ 第1窟 壁画
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アジャンタ 第1窟 外国からの使節団が描かれている天井画

 

石窟寺院群は、実際に僧侶たちが雨季の間に生活し修業の場となった僧院(ヴィハーラ)と、礼拝の為に用いられた礼拝堂(チャイティヤ)の2種によって構成されています。

 

アジャンタの場合、礼拝堂は5つのみ、残りは全て僧院です。

前期(紀元前2世紀~紀元後1世紀) に造られた礼拝堂は、中央にストゥーパ(仏塔)が建つのみで装飾は特になくシンプルなものでした。初期仏教では仏陀を直接的に彫刻、絵画等で表すことは憚られており、まだ仏陀をかたちとして表現する、ということが無かったためです。

 

逆に後期(紀元後5世紀後半~7世紀初頭頃)開窟分は、仏陀の姿が仏像として実際に表されるようになった1世紀以降のことですので、仏陀の姿が絵画や彫刻で表現されています。また紀元後5世紀ごろは、インド仏教美術が花咲いた時期でした。当時中央インドを支配していたヴァータータカ帝国はあつく仏教を信仰していたこともあり、当時の最新の技術や流行を取り入れ、美しい彫刻や絵の装飾もふんだんに施し豪華な石窟の造営に力を入れたのでした。

 

後期の礼拝堂:19窟
アジャンタ 第19窟 後期の礼拝堂

ちなみに、当時の僧侶は普段は諸国を遊行し雨季の間は僧院で修業を積む生活が基本でしたが、僧院に定住する者も多かったようです。
アジャンタでは実際に彼らが生活した僧院の部屋にも入ることができます。

 

 

 

アジャンタ・エローラの記事、まだまだ続きます!

NEXT>>>アジャンタ・エローラ②

 

 

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インドの商業と娯楽の中心地:ムンバイ

ナマステ!

 

西遊インディアの岡田です。今回はインド最大の都市・ムンバイの歴史と主要な観光地をご紹介いたします。

古くは16世紀からポルトガル、そしてその後はイギリスの植民地として外へ開かれ、自由な空気の漂うコスモポリタンとして巨大都市へ成長してきたムンバイ。現在はインドのビジネスの中心地として、また西インドの観光の拠点としても国内外から多くの人々が訪れます。

 

2011年の国勢調査では、ムンバイ市の人口は約1,250万。隣接するムンバイ新市街として建設されたナビムンバイやムンバイの衛星都市として発展してきたターネーも含めると、都市圏人口は、約2,300万人となります。まさに、アジアを代表する巨大都市。ムンバイの街中は常に人が溢れており、活気が溢れ、並々ならぬパワーを感じることができます。

 

また、ムンバイはインド映画の中心地・ボリウッドとしても有名です。アメリカの映画産業の中心地・ハリウッドのインド版として、「Bombay」の頭文字「B」をとりボリウッドと呼ばれています。年間2000本近くの映画が撮影されているインド映画界を牽引する存在です。

 

現在は一大都市となっているムンバイですが、かつては小さな漁村でした。16世紀、当時のスルタンより7つの島々を獲得したポルトガルはこの地に要塞と教会を建て、ポルトガル語で「良い港」を意味するボンバイアと名付けました。後にポルトガルは1661年にポルトガル王女とイギリスの王子の婚姻の際に贈り物としてこの地をイギリスへと委譲。東のコルカタ・西のボンベイ(ボンバイアは英語名でボンベイと表された)を拠点にインド支配を着実に進めていったイギリスは、国内に張り巡らせた鉄道網で各地の産品をボンベイへ送って集め、スエズ運河を通してヨーロッパへ輸出していきました。これにより、イギリスはさらにインドでの支配力を増していきました。

 

1900年代に入り、インドの反イギリス支配の声が大きくなり始めた頃、ムンバイではインド独立運動が盛んに行われました。インド建国の父マハトマ・ガンディーも頻繁に訪れ「クイット・インディア(インドを立ち去れ)」運動が繰り広げられました。

インドの分離独立後は、ムンバイはグジャラートのエリア一帯も含むボンベイ州の州都となりましたが、後に言語の違いによりさらにムンバイ州がグジャラート州とマハーラーシュトラ州に分割され、マハーラーシュトラ州の州都となりました。州都の公式名称がボンベイからマラーティー語のムンバイと変更されたのは、1996年のことです。

ムンバイは植民地時代から、インド国内外の貿易拠点としてお金が集まり、そのお金を目指して人間が集まり、徐々に巨大都市へと発展していきました。現代でもその流れは止まらず、多くの人が地方から職を求めてムンバイへやってきています。

 

それでは、ムンバイの見どころを簡単にご紹介します。

 

■チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅

 

Mumbai
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅外観

インド貿易の要となった鉄道網ですが、そのアラビア海側の終着駅がヴィクトリア・ターミナス駅です。もともとは当時のヴィクトリア女王に因んでこの名がつけられましたが、現1988年に現:チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅に改称されました。ヴィクトリアン・ゴシック様式を基本としつつ、尖塔に代わってドーム屋根を使用し、各所にアーチを施す等インド的・オリエンタルな要素で装飾されているのが特徴です。イギリス植民地時代のインドの代表的な建築物の一つです。

新名称として採用された「チャトラパティ・シバージー」は、ムガル帝国、そしてイギリスに抵抗してマラーター同盟を結成した17世紀の英雄:シヴァージーの名をとったもの。チャトラパティは王の称号を意味します。インド独立運動の際にも反英運動の一つの象徴として人気を持ち、勇敢な「戦うヒンドゥー教徒」として、各地にその像が建立されています。

1887年に完成した駅舎は現在でも利用され、インド国内でも最大級の乗降者数を誇っています。駅の目の前の交差点には写真撮影用のスペースが確保されており、駅舎を眺めることができます。

 

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駅のすぐ横に建つムンバイ市庁舎

■エレファンタ島石窟寺院

 

エレファンタ島の3面のシヴァ神像
エレファンタ島の3面のシヴァ神像

ムンバイの一大観光/巡礼の名所となるのがエレファンタ島の石窟寺院群です。6~8世紀に開窟されたこの石窟群にはもともと複数の石窟が開かれたものの、16世紀にポルトガル人によって発見された際に多くが破壊されてしまい、現在一般に公開されているのは第1窟のみとなっています。

 

エレファンタ島、第1窟の外観
エレファンタ島、第1窟の外観

 

エレファンタ島、第1窟の内部
エレファンタ島、第1窟の内部

第1窟はエレファンタ島最大の石窟寺院で、シヴァ神を祀るための寺院です。内部には中心部のシヴァリンガを囲むように回廊が設けられており、壁には様々なシヴァ神話のシーンが見事なレリーフで表されています。パールヴァティをはじめとするシヴァの親族、またヴィシュヌやブラフマーなど他の主神も登場しますが、やはりシヴァとパールヴァティが主役となるシヴァ派ヒンドゥー教の世界観を生で感じることができる場所です。

 

エレファンタ島 核心部のシヴァリンガ
エレファンタ島 核心部のシヴァリンガ

 

■インド門

エレファンタ島へのボートの発着地となるのがインド門です。かつて1911年にイギリス国王ジョージ5世夫妻の来印を記念して建立され、その後1924年に完成しています。玄武岩製、高さ26mのインド門は当時はイギリス帝国の権威と権力の象徴でしたが、現在ではムンバイ市のシンボルとなっています。

 

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インド門
インド門広場に面して建つタージ・マハル・ホテル
インド門広場に面して建つタージ・マハル・ホテル

 

海から見たタージマハルホテルとインド門。手前にはエレファンタ島行の船が見えています。
海から見たタージマハルホテルとインド門。手前にはエレファンタ島行の船

インドの伝統的な家庭では男性が外に出てお金を稼ぎ、女性が家庭内の仕事を行いますが、ムンバイでは女性の就労率が国内の他の都市と比べて比較的高く、現市長も女性のキショリ・ペドネカール氏が就任するなど女性の社会進出も進んでいます。一方で格差の拡大や人口の過集中など、他の大都市が抱える問題も同様に抱えており、スラム街を見下ろすように聳える高層ビル群は格差社会を象徴するような風景です。スラムの住人は主に漁業を生業とする人々でしたが、現在では職を求めてムンバイへ移住してきた出稼ぎの労働者等が、家賃の安いスラムでの生活を始めることが多いそうです。

 

また、映画の街ボリウッドとしても名高いムンバイは様々なインド映画のロケ地となっています。ムンバイに暮らす様々な境遇を生きる男女4人の姿を描いた映画「ムンバイ・ダイアリーズ」(2011年)では全てのロケがムンバイ市内で行われており、ムンバイの雰囲気、またインド人にとってのムンバイのイメージを存分に感じることができる一作です。またこちらはインド映画ではありませんが、ムンバイのスラム出身の少年を主人公とした「スラムドッグ$ミリオネア」(2008年)は、アカデミー賞はじめ数々の映画賞を受賞し日本でも大きな話題となりました。

 

インドの伝統と自由な思想が大都市の中で混ざり合うムンバイ。
世界遺産のより詳細なご案内や他の見どころについては、また別の記事でも紹介いたします。

 

 

 

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