インドの商業と娯楽の中心地:ムンバイ

ナマステ!

 

西遊インディアの岡田です。今回はインド最大の都市・ムンバイの歴史と主要な観光地をご紹介いたします。

古くは16世紀からポルトガル、そしてその後はイギリスの植民地として外へ開かれ、自由な空気の漂うコスモポリタンとして巨大都市へ成長してきたムンバイ。現在はインドのビジネスの中心地として、また西インドの観光の拠点としても国内外から多くの人々が訪れます。

 

2011年の国勢調査では、ムンバイ市の人口は約1,250万。隣接するムンバイ新市街として建設されたナビムンバイやムンバイの衛星都市として発展してきたターネーも含めると、都市圏人口は、約2,300万人となります。まさに、アジアを代表する巨大都市。ムンバイの街中は常に人が溢れており、活気が溢れ、並々ならぬパワーを感じることができます。

 

また、ムンバイはインド映画の中心地・ボリウッドとしても有名です。アメリカの映画産業の中心地・ハリウッドのインド版として、「Bombay」の頭文字「B」をとりボリウッドと呼ばれています。年間2000本近くの映画が撮影されているインド映画界を牽引する存在です。

 

現在は一大都市となっているムンバイですが、かつては小さな漁村でした。16世紀、当時のスルタンより7つの島々を獲得したポルトガルはこの地に要塞と教会を建て、ポルトガル語で「良い港」を意味するボンバイアと名付けました。後にポルトガルは1661年にポルトガル王女とイギリスの王子の婚姻の際に贈り物としてこの地をイギリスへと委譲。東のコルカタ・西のボンベイ(ボンバイアは英語名でボンベイと表された)を拠点にインド支配を着実に進めていったイギリスは、国内に張り巡らせた鉄道網で各地の産品をボンベイへ送って集め、スエズ運河を通してヨーロッパへ輸出していきました。これにより、イギリスはさらにインドでの支配力を増していきました。

 

1900年代に入り、インドの反イギリス支配の声が大きくなり始めた頃、ムンバイではインド独立運動が盛んに行われました。インド建国の父マハトマ・ガンディーも頻繁に訪れ「クイット・インディア(インドを立ち去れ)」運動が繰り広げられました。

インドの分離独立後は、ムンバイはグジャラートのエリア一帯も含むボンベイ州の州都となりましたが、後に言語の違いによりさらにムンバイ州がグジャラート州とマハーラーシュトラ州に分割され、マハーラーシュトラ州の州都となりました。州都の公式名称がボンベイからマラーティー語のムンバイと変更されたのは、1996年のことです。

ムンバイは植民地時代から、インド国内外の貿易拠点としてお金が集まり、そのお金を目指して人間が集まり、徐々に巨大都市へと発展していきました。現代でもその流れは止まらず、多くの人が地方から職を求めてムンバイへやってきています。

 

それでは、ムンバイの見どころを簡単にご紹介します。

 

■チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅

 

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チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅外観

インド貿易の要となった鉄道網ですが、そのアラビア海側の終着駅がヴィクトリア・ターミナス駅です。もともとは当時のヴィクトリア女王に因んでこの名がつけられましたが、現1988年に現:チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅に改称されました。ヴィクトリアン・ゴシック様式を基本としつつ、尖塔に代わってドーム屋根を使用し、各所にアーチを施す等インド的・オリエンタルな要素で装飾されているのが特徴です。イギリス植民地時代のインドの代表的な建築物の一つです。

新名称として採用された「チャトラパティ・シバージー」は、ムガル帝国、そしてイギリスに抵抗してマラーター同盟を結成した17世紀の英雄:シヴァージーの名をとったもの。チャトラパティは王の称号を意味します。インド独立運動の際にも反英運動の一つの象徴として人気を持ち、勇敢な「戦うヒンドゥー教徒」として、各地にその像が建立されています。

1887年に完成した駅舎は現在でも利用され、インド国内でも最大級の乗降者数を誇っています。駅の目の前の交差点には写真撮影用のスペースが確保されており、駅舎を眺めることができます。

 

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駅のすぐ横に建つムンバイ市庁舎

■エレファンタ島石窟寺院

 

エレファンタ島の3面のシヴァ神像
エレファンタ島の3面のシヴァ神像

ムンバイの一大観光/巡礼の名所となるのがエレファンタ島の石窟寺院群です。6~8世紀に開窟されたこの石窟群にはもともと複数の石窟が開かれたものの、16世紀にポルトガル人によって発見された際に多くが破壊されてしまい、現在一般に公開されているのは第1窟のみとなっています。

 

エレファンタ島、第1窟の外観
エレファンタ島、第1窟の外観

 

エレファンタ島、第1窟の内部
エレファンタ島、第1窟の内部

第1窟はエレファンタ島最大の石窟寺院で、シヴァ神を祀るための寺院です。内部には中心部のシヴァリンガを囲むように回廊が設けられており、壁には様々なシヴァ神話のシーンが見事なレリーフで表されています。パールヴァティをはじめとするシヴァの親族、またヴィシュヌやブラフマーなど他の主神も登場しますが、やはりシヴァとパールヴァティが主役となるシヴァ派ヒンドゥー教の世界観を生で感じることができる場所です。

 

エレファンタ島 核心部のシヴァリンガ
エレファンタ島 核心部のシヴァリンガ

 

■インド門

エレファンタ島へのボートの発着地となるのがインド門です。かつて1911年にイギリス国王ジョージ5世夫妻の来印を記念して建立され、その後1924年に完成しています。玄武岩製、高さ26mのインド門は当時はイギリス帝国の権威と権力の象徴でしたが、現在ではムンバイ市のシンボルとなっています。

 

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インド門
インド門広場に面して建つタージ・マハル・ホテル
インド門広場に面して建つタージ・マハル・ホテル

 

海から見たタージマハルホテルとインド門。手前にはエレファンタ島行の船が見えています。
海から見たタージマハルホテルとインド門。手前にはエレファンタ島行の船

インドの伝統的な家庭では男性が外に出てお金を稼ぎ、女性が家庭内の仕事を行いますが、ムンバイでは女性の就労率が国内の他の都市と比べて比較的高く、現市長も女性のキショリ・ペドネカール氏が就任するなど女性の社会進出も進んでいます。一方で格差の拡大や人口の過集中など、他の大都市が抱える問題も同様に抱えており、スラム街を見下ろすように聳える高層ビル群は格差社会を象徴するような風景です。スラムの住人は主に漁業を生業とする人々でしたが、現在では職を求めてムンバイへ移住してきた出稼ぎの労働者等が、家賃の安いスラムでの生活を始めることが多いそうです。

 

また、映画の街ボリウッドとしても名高いムンバイは様々なインド映画のロケ地となっています。ムンバイに暮らす様々な境遇を生きる男女4人の姿を描いた映画「ムンバイ・ダイアリーズ」(2011年)では全てのロケがムンバイ市内で行われており、ムンバイの雰囲気、またインド人にとってのムンバイのイメージを存分に感じることができる一作です。またこちらはインド映画ではありませんが、ムンバイのスラム出身の少年を主人公とした「スラムドッグ$ミリオネア」(2008年)は、アカデミー賞はじめ数々の映画賞を受賞し日本でも大きな話題となりました。

 

インドの伝統と自由な思想が大都市の中で混ざり合うムンバイ。
世界遺産のより詳細なご案内や他の見どころについては、また別の記事でも紹介いたします。

 

 

 

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