バラナシ② ガンガーのガート群 / 仏教聖地サールナート

■「ガンジス川で沐浴をすれば、全ての罪が洗い流される」

ヒンドゥー教徒が一度は巡礼を願うガンジス川。特に早朝、朝日に清められた沐浴はさらに効果があると考えられ、多くの巡礼者が早朝の沐浴へ出かけます。旅行者に対しては早朝のガンジス川を巡るボートが用意されており、朝のガンジス川の雰囲気をゆったりと感じながらガートを見学することができます。

 

早朝のボートツアー
夜明け前、ガンジス川をボートにて遊覧
Ganga
ガンジス川対岸より朝日が昇ります
Ghat
早朝のガート

「ガート」は川辺や湖畔などに作られた広場を指し、多くの場合は水位の高低に関わらず利用できるように階段状・テラス状になっています。単純に水辺の作業場を指すこともありますが、特に沐浴の場・またバラナシでは火葬場として利用されています。

 

バラナシには84のガートが並び、その中央に毎晩プジャの行われるダシャーシュワメード・ガートが位置しています。全てのガートはガートは川の流れの西側に位置しており、朝日を浴びながら沐浴をする人々の姿をあちこちで見ることができます。寄進や運営の母体によってさまざまなガートがあり、インド国内外からの巡礼者が訪れています。

 

朝のガート
朝のガート インド全国から集まったヒンドゥー教の巡礼者でいつも大変な賑わい

バラナシで火葬場として利用されているガートはマニカルニカー・ガート、ハリシュチャンドラ・ガートの二つ。火葬のための薪が大量に積み上げられたガートでは、ドームと呼ばれるカーストの専門職能集団が火葬場を運営し、作業にあたっています。バラナシで死を迎え、遺灰をガンジス川に流せば輪廻から解放されるという信仰に基づき多くの人がバラナシでの火葬を望み、死を迎えるためにバラナシを訪れる信者もいます。一般の信者は火葬されますが、子供と出家者はそのまま川へ流されます。

 

聖なる水であるガンジスの水は腐ることがないと言われ、バラナシ土産として水を持って帰る巡礼者の姿も多く見えます。容器としてペットボトルやポリタンクが土産屋に並んでいる風景はバラナシならではのものです。

 

 

■初天法輪の地:サールナート

ダメーク・ストゥーパ
ダメーク・ストゥーパ

ヒンドゥー教の聖地としてのイメージが強いバラナシですが、バラナシ郊外のサールナートは釈尊が悟りを得た後に初めて説法を行った場所「初転法輪の地」として仏教の聖地となっており、ここにも多くの巡礼者が訪れています。

5人の仲間と共に苦行に励んでいた釈尊は苦行という修行の限界を理解し、一人仲間の下を離れてナイランジャラー川での沐浴を行い、近くの村の娘スジャータから乳粥を施されます。その釈尊の姿を見た5人の仲間たち苦行を諦めた釈尊は堕落してしまったと軽蔑しブッダガヤを離れますが、釈尊はブッダガヤの菩提樹の下、「悟りを開くまでここから動かない」と」覚悟を決めて瞑想に入り、遂に悟りを開き、仏陀(目覚めた者)と呼ばれることとなりました。真理を悟ったあと、なぜ彼が布教や説法への道へ向かおうとしたのかという問題は仏教最大の謎とも言われています。ヒンドゥー教的な解釈では最高神のひとつブラフマーが説法でその教えを広めるよう仏陀に勧めたという話が一般に知られていますが…。

 

Mulgandha Kuti Vihar
サールナート内にあるムールガンダ・クティ・テンプルの内壁には、日本人画家・野生司香雪氏作の「仏陀の生涯」が描かれています

仏陀は説法のために共に苦行に励んだ5人の仲間を追い、サールナートにて説法を行います。はじめは理解を示さなかった仲間たちも説法の中で仏陀の教えに導かれ、後に阿羅漢(悟りを得た者)として仏教を広めていく仲間となります。

 

Sarnath
サールナート 鹿公園

 

サールナートは鹿野苑とも呼ばれ、以降の仏教美術の中ではこのサールナートでの初天法輪のモチーフは鹿や法輪をシンボルとして各地に描かれていきます。また紀元前3世紀にはアショカ王がストゥーパを建設し、紀元後6世紀のグプタ朝期に現在の形に増築されました。現在のサールナートは遺跡公園として整備され、併設の博物館に出土品が展示されています。

 

Sarnath
博物館内に安置されている仏陀像(左)と、アショーカ王石柱の頂上に置かれていた四方を向いたライオン像(右)
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バラナシ ①ガンガー神話とプジャ

ナマステ!!

 

西遊インディアの岡田です。インドと言えばヒンドゥー教、ヒンドゥー教と言えばガンジス川、ガンジス川と言えばバラナシ。本日はヒンドゥー教の一大聖地:バラナシの街をご紹介します。

 

ガンガー(ガンジス川)とガート群
ガンガー(ガンジス川)とガート群

日本人にとっても知名度が高く、いつかはバラナシに行ってみたい、という方も多いのではないでしょうか。今回は「バラナシ前編:ガンガー神話とプジャ」としてご紹介します。「ガンガー」はヒンドゥー語での名称、後に英語ではガンジス川と表現されていきます。

バラナシの都市としての歴史は非常に古く、紀元前6世紀頃にはカーシー王国が都をバラナシに置き、ガンジス川中流域の経済・文化的な中心地として発展していました。紀元後5世紀頃のグプタ朝の下では政治的な安定のもとヒンドゥー教・仏教ともに大きく文化的に発展し、その中でバラナシはシヴァ信仰の中心地としての地位を確立していきます。ヒンドゥー教の隆盛に従い以降多くの寺院やガートが整備されていきますが、11世紀以降のイスラム王朝の侵略の結果寺院は徹底的に破壊されてしまいます。

 

しかし16世紀以降、ムガル帝国の凋落期には南部のマラーター同盟による寄進などにより寺院の再建が進み、現代のバラナシのガート群の姿が形作られていきました。現在でも聖地として、インド国内外から多くの巡礼者が訪れます。

 

18世紀前半にバラナシを統治したバルクント・シンの居城:ラームナガル城
18世紀前半にバラナシを統治したバルクント・シンの居城:ラームナガル城

 

■プジャ(礼拝)へ

インド全国から巡礼者が集まるバラナシでは、ガート群の丁度中央にあるダシャーシュワメード・ガートにて毎日プジャ(又はアルティ)と呼ばれる礼拝儀式を行っており、ヒンドゥー教徒以外でも参加することができます。夕刻、ガートにたどり着くと階段にはびっしりと巡礼者が詰めかけて座っており、会場は静かな熱気に満ちています。

 

プジャの会場:ダシャーシュワメード・ガート
プジャの会場:ダシャーシュワメード・ガート

この礼拝ではまず「ガンガーの降下」の神話で知られる聖者バギーラタへの礼拝が捧げられます。バギーラタは祖先の霊を浄化するために天上の聖なる河であったガンジス川を地上へ流そうと苦行に励んだ聖者。苦行の結果、川の女神ガンガーにその願いを認められますが、もしガンガーがそのまま地上へ流れてしまえばその衝撃で世界が壊れてしまい、その衝撃を受け止められるのはシヴァ神のみであると告げられます。

 

シヴァはこれを了承し、自らの髪でガンガーの流れを受け止めることを承諾しました。ついに地上へガンガーが流れるかと思いきや、その衝撃でシヴァに自らの強さを見せつけようと目論んでいたガンガーはその野望をシヴァに見破られ、怒ったシヴァはその髪にガンガーを封じ込めてしまいます。

 

これに困ったバギーラタはさらに苦行を重ね、シヴァの心を開いてようやくガンガーは地上へ流れることとなりました。そのため、今でもシヴァ神の肖像では彼の髪の間からガンガーが流れ出ています。この神話に由来し、プジャではバギーラタ、ガンガー、そして最後にシヴァ神への礼拝が行われます。

 

プジャの儀式
プジャの儀式

プジャの儀式はガートの先端部、川辺の部分で行われます。参加者はガートの階段部に座りますが、川の上のボートから参加している人もいます。団体の観光客の場合はガートに面したテラスから椅子に座って儀式を見ることのできる有料席を利用できる場合もあります。

 

プジャはまず7人の僧の礼拝席にヒンドゥー教のシンボルであるサフラン色のマリーゴールドの花びらを撒くことから始まります。準備が整うと両面太鼓や手押しオルガン、鐘による演奏に合わせて礼拝の祝詞が歌われ、バギーラタ、ガンガー、シヴァの順に3神に対してランプ、香炉、燭台を掲げ、礼拝をおこないます。

 

合計で1時間ほど続くプジャの最中では、会場の参加者が僧侶に合わせて祝詞をあげたり、拍手をしたりという場面もあります。会場が一体となって礼拝に向かう光景はまさに聖地のイメージそのものであり、まさに旅のハイライトにふさわしいような荘厳さを感じさせます。

 

 

 

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ジャイプル ブロックプリント編

インドの三大観光都市デリー・アグラ・ジャイプルはゴールデントライアングルと呼ばれ、インドで人気の周遊コースです。この3都市には世界遺産も7か所もあり、各都市間を車両でも移動できるため、短期間で効率よく観光ができるルートとして、世界中からたくさんの観光客が訪れます。

 

ジャイプル郊外・サンガネール村の工房にて

 

そのうちジャイプルは、ブロックプリント(木版染め)をはじめとするファブリック製品、ブルーポッタリー(陶器)、宝石(ジャイプールはインドで一番宝石が安く手に入る街です)などの手工芸品が有名で、お買い物目的で訪れる人も少なくありません。今回は、ジャイプルとその周辺の街にたくさんの工房がある、ブロックプリントの魅力についてご紹介いたします。

 

≪デリーからジャイプルへのアクセス≫
車:片道5時間
飛行機:片道1時間
特急列車:片道4時間半

 

 

■ブロックプリントとは

インドの伝統的な染色技術で、木版捺染とも呼ばれます。シンプルな技法で、手のひらサイズの木片に模様の彫り、インクを塗ってスタンプのように布を染めます。この技法の起源は中国で、世界最古の印刷物である、「金剛般若経(Diamond Sutra)868年」は中国で出土されています。しかし、綿の貿易はインドからイラクのあたりでゴータマ・ブッダが生きた時代から行われていたため、この技法で布を染める伝統については紀元前から存在していたと言われています。そして、15世紀に大航海時代が訪れると同時に、インドネシア、タイ、ヨーロッパ、そして日本など世界中に広まりました。

 

 

■ジャイプル/ジャイプル近郊 のブロックプリント産地

 

・バグルー村
ジャイプールから30キロほど離れた村で、天然の染料を使った草木染め・泥防染の産地として有名です。3つの家族から始まった染色業は、400年ほどの歴史を誇り、今では250世帯が染色業を営んでいます。

 

・サンガネール村
テキスタイルの一大産地として知られる、ジャイプル郊外の村。ジャイプルの中心地からは車で約1時間のアクセスです。茜の花柄のデザインが、サンガネールのプリントとして有名です。

 

 

■ブロックプリントの製作工程

①チャパイを彫る

木版工房で、チャパイと呼ばれる木版が作られます。堅く、伸縮率が低く、水に強い種類の木材である、チークやローズウッドという木を使い、たがねを木の棒で叩きながら手際よく彫っていきます。

 

チャパイ

デザインによっては、1つのブロックを彫るのにプロでも10日以上かかることもあるとのことです。

 

 

②コットンに捺染をする

プリント工房にて、チーパーと呼ばれる職人が布にブロックを押して捺染していきます。柄や色が複数あるデザインの場合は、乾かした後に上から別の木版を重ねてプリントしていきます。利用する染料は、一般的な化学染料を用いたものと、天然由来の染料を用いたものがあり、天然の染料を利用したバグルー村の生地は「バグループリント」と呼ばれます。天然由来の染料は、藍やターメリックといった草木が原料です。

 

 

③生地を洗い、乾かす

プリントが完成すると、次の工程は洗い場での水洗いです。色落ちしない程度まで洗ったら、太陽の下に干して乾かします。地面の上に広げ、太陽の日に当てて生地を乾かすことで、染料がしっかりと布に安定するそうです。

 

 

ジャイプルへは、デリーから週末に日帰りもしくは1泊旅行で気軽にご旅行いただけます。通常の観光内容を変更して、ブロックプリント工房訪問やショッピングを楽しむ等のアレンジも承ります。

 

<▼西遊インディアの現地ツアー>

■デリーから行くジャイプール日帰り観光:日本語ガイド同行
■デリーから行くジャイプール1泊2日:日本語ガイド同行

 

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