チャンディーガル建築さんぽ 
【番外編】ピエール・ジャンヌレ

チャンディーガル建築博物館に展示されているジャンヌレの椅子

ナマステ!西遊インディアです。

今回は、チャンディーガル建築さんぽの番外編。ル・コルビュジエとともにチャンディーガル都市計画を成功させた立役者の一人である、建築家ピエール・ジャンヌレについての記事です。
 
近年、日本のインテリア業界でも「プロジェクト・チャンディーガル」の家具シリーズが人気を博し、注目を集めるピエール・ジャンヌレ。
都市計画の際につくられた家具が展示されている建築博物館と、実際にジャンヌレが暮らした邸宅を改装したジャンヌレ博物館もあわせてご紹介します。
 
■もくじ
1. コルビュジエの影を貫いた天才 ピエール・ジャンヌレ
2. チャンディーガル建築博物館
3. ピエール・ジャンヌレ博物館

1.コルビュジエの影を貫いた天才 ピエール・ジャンヌレ

ピエール・ジャンヌレCasa le roche, CC BY-SA 3.0,Wikimedia Commons

1896年、スイスのジュネーヴに生まれたピエール・ジャンヌレ Pierre Jeanneret(1896年3月22日-1967年12月4日)。ル・コルビュジエの従兄弟にあたります。
ジュネーヴの美術学校で建築を学んだのち、パリに移住し、1922年にエドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)とアトリエ事務所を設立。コルビュジエの重要なパートナーとして、建築実務を担当しました。
その信頼関係の強さは、コルビュジエがチャンディーガルの都市計画を引き受ける際に、ジャンヌレを現地監督とすることを条件にするほど。それほどジャンヌレはコルビュジエにとって重要な存在でした。
ちなみにチャンディーガルの都市の中でジャンヌレが製作した代表的な建造物は、パンジャブ大学のガンディー・バワン、セクター17のバスターミナル、マウントビューホテルなどがあります。
スクナ湖でボートに乗るコルビュジエとジャンヌレ AmitojSingh1, CC BY-SA 4.0, Wikimedia commons

ジャンヌレと家具
ジャンヌレは建築だけでなく、家具の設計も行いました。コルビュジエと共同することもあれば、独立して制作したものもあります。
なかでも、ここ10年ほどで脚光を浴びているのが、ジャンヌレがチャンディーガル都市計画のプロジェクトと一緒にデザインした、椅子をはじめとした家具。
大学や裁判所など、都市計画で造られた建物に設置するために製作されたのもで、現在も裁判所内にはジャンヌレのデザインした椅子が置かれています。
建築博物館に展示されるジャンヌレの椅子

当時は、まだ工業化が進んでいなかったインド。数千脚以上も製作する必要があったため、チャンディーガルを含め、各地で現地製作チームの職人たちがジャンヌレ(ジャンヌレがリーダーを務めた製作チーム)の作成した図面から、手作業で家具を作ることになりました。
 
現地のさまざまな工房の職人が製作できるよう、図面と大まかなアドバイスだけで実現可能なデザインを考案。留め具を使わないシンプルな技術が用いられ、素材には、昔からよく流通していて入手が簡単だったチーク、サトウキビなど地元の素材が利用されました。
チャンディーガル建築博物館に展示されている、ジャンヌレデザインのデスクと椅子

これらの家具は販売用ではなく、プロジェクトで建造する官公庁などに置くためのものだったこともあり、必ずしも図面通りである必要はなく、それぞれ現場の状況判断でアレンジしても構わなかったそうです。そのため同じ図面を元にしていても、様々なバリエーションが存在します。
こうした経緯で、元来あるインドの伝統的な手工芸とジャンヌレのデザインが掛け合わされたことによって、現代においても愛されるモダンな作品が生まれました。
 
しかし、1990年代には、老朽化のためスクラップとして投げ売りされたり、廃棄されていたこともありました。現在では信じられないような状況です。
そこに目をつけたのがパリのギャラリー。収集を始め、展示会等を開いたことにより影響力のあるクリエイターの目にとまり、世界中から注目を集めることになりました。
2015年にはインドの工房が復刻版製作プロジェクトをはじめ、その優れたデザイン性が広く知られることに。今ではオークションで高値で取引されたり、日本でもジャンヌレの家具を集めた展覧会が開かれるほどの人気があります。
チャンディーガル・プロジェクトのメンバー写真(中央がコルビュジエ、左隣のその隣、白いスーツがジャンヌレ/チャンディーガル建築博物館)

2.建築博物館 Chandigarh Architecture Museum

実際にジャンヌレの家具が見られる場所を訪れてみました。
まずは、チャンディーガル都市計画の軌跡を中心に展示する建築博物館。
博物館や美術館があつまるセクター10の、政府博物館・美術館(The Government Museum & Art Gallery)と同じ敷地内にあります。

チャンディーガル建築博物館の入口

入館料10ルピー、カメラ持ち込み代は10ルピー。
キャピトルコンプレックスの立法議会棟などと同様、貴重品以外のバッグは入口の棚に預けます。

中には、チャンディーガル都市計画の設計図や模型、当時の写真に加え、ジャンヌレの椅子の様々なバリエーションも展示されていました。

座り心地を体感してみたい気もしますが、貴重な展示物なので座るのは禁止です。

3.ピエール・ジャンヌレ博物館 Pierre Jeanneret Museum

次に、ピエール・ジャンヌレの暮らした邸宅をミュージアムとして開放しているピエール・ジャンヌレ博物館(Maison Jeanneret)。
こちらはキャピトルコンプレックス近くのセクター5、都市計画でつくられた人工湖のスクナ湖のそばの住宅地にあります。

メゾン・ジャンヌレ(ピエール・ジャンヌレ博物館)

入館料20ルピー、カメラ持ち込み代は30ルピー。
建物に入る前にレセプションで手続きをして、中を見学します。

内部には写真や手紙の展示、そしてめったに見ることのできないジャンヌレ私物の木製家具などを通して、ジャンヌレがインドで過ごした時間と創作のプロセスを垣間見ることができます。

椅子のミニチュア展示も

3階建てのうち、2階までは博物館、3階は宿泊施設として改装され、なんと予約をすれば実際に宿泊することもできます。


インドを去る1965年まで、ジャンヌレは実際にこの邸宅で暮らしていました。

裏庭から見た建物。目のような形をした窓は外からみるとこんな感じです

ジャンヌレは都市計画が始まってからチャンディーガルに移り住み、コルビュジエがプロジェクトを去った後も、この地に留まり約14年間暮らしました。そこでチャンディーガルのチーフ・アーキテクトとして、またインドの近代建築の発展に寄与したのち、1965年に病気のためインドを離れ、1967年に死去。
ジャンヌレの遺言により、遺灰は遺族によってスクナ湖に散骨されたそうです。
 
天才でありながらもコルビュジエの影に徹したジャンヌレですが、今なおその功績を称えて保存される建築物や彼の軌跡から、チャンディーガルに対する思い入れと繋がりの深さが伝わってきます。
市民の憩いの場になっているのどかなスクナ湖

 
※入館料などの情報は2024年2月訪問時のものです。ご訪問の際は最新情報をご確認ください。
 
参考:チャンディーガル州政府公式サイト、建築博物館及びジャンヌレ博物館展示物
 
Photo & Text: Kondo

カテゴリ:■インド北部 , インドの世界遺産 , インドの街紹介 , チャンディーガル , ハリヤーナー州 , パンジャーブ州
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チャンディーガル建築さんぽ② 世界遺産キャピトル・コンプレックス(後編)

影の塔と奥に見える立法議会棟

ナマステ!西遊インディアです。
今回はチャンディーガル建築さんぽその2。コルビュジエが設計した行政機関やモニュメントが集まる、世界遺産「キャピトルコン・プレックス」紹介の後編です。街の歴史、高等裁判所、オープンハンド・モニュメントにつづき、キャピトル・コンプレックスと、市街地で見られるゆかりの建築物をご紹介します。

 
■もくじ
1. キャピトル・コンプレックス(後編)
– 影の塔
– 行政庁舎
– 立法議会棟
2. 他にも!コルビュジエの都市計画ゆかりのスポット

1. キャピトル・コンプレックス Capitol Complex (後編)

影の塔 La Tour des Ombres
高等裁判所の対面に位置する「影の塔」。ル・コルビュジエは、太陽の動きが人間の生活に及ぼす影響を重要視していました。それが顕著に見てとれるのが「影の塔」で、太陽の動きと、太陽の光がどのように影を落とすかを入念に研究した上で設計されています。

影の塔 La Tour des Ombres

「影の塔」には壁がなく、コンクリートのパネルを組んだ風通しの良いつくり。太陽光の入らない北側は開放されていて、他の3面はブリーズ・ソレイユ(日光を遮断する建築機能)で覆われています。驚くのは、これだけ隙間があるのに、構造物の中は太陽光が遮られて暑さが和らぐこと。影の塔は、一年、一日を通して、すべての角度から太陽光を遮れるよう考えられたブリーズ・ソレイユの実験的な建築物でした。コルビュジエの没後に完成したものですが、建築デザインによって太陽光を制御するコルビュジエの理論が詰め込まれたモニュメントです。
影の塔 内観

 
ちなみに、前回の記事でご紹介した高等裁判所から影の塔へ向かう途中にも、2つのモニュメントがあります。
ひとつは、陰の塔の近くにある「幾何学の丘」(The Geometric Hill)。建設廃材で作ったという小さな丘の上部は芝生で覆われていて、基部の斜面には24時間の太陽の動きを描いた抽象的なレリーフがあります。人間の活動を支配する、と考えられた光と闇のバランスを図に模したもので、Path of the Sun(太陽の道)ともよばれます。アート作品のひとつとして、また大通りから議事堂を遮る視覚的な障壁としての役割もあるそうです。

幾何学の丘 The Geometric Hill

もうひとつは、殉教者記念碑(Martyr’s Memorial)
国会議事堂のすぐ右手にあるモニュメントで、この記念碑は、インドの自由闘争に命を捧げたすべての人々を称えたもの。傾斜したコンクリートの壁と、分割統治中に命を落とした人々の犠牲と殉教を描いた彫刻群によって形成されています。記念碑は正方形の囲いから構成され、スロープを登ると囲いの中には、横たわる男性、蛇、ライオンの像があります。スロープの壁とコンクリートの囲いには、インドの宇宙観のシンボルである車輪「ダラムチャクラ」と、幸福・吉祥の印としてよく使われる卐「スワスティカ」(太陽の動きと人間の一生、そしてそれらが人間に与える影響を表しているとも)が描かれています。

殉教者記念碑

行政庁舎 Secretariat
1953~1959年にかけて建設された行政庁舎。事務局棟の役割をもち、市内にある他のモニュメントの中で最も高く、大きい建造物です。8階建てのコンクリート・スラブ(コンクリート製の板)でできており、中央にある彫刻が施された2階建ての柱廊(吹き抜けの廊下)が特徴的。閣僚の執務室があるのもこの建物です。日によっては、内部と屋上庭園を見学できることもあり、屋上からはセクター1の景色を望むことができます。

行政庁舎

 
立法議会棟 Vidhan Sabha
ミニ見学ツアーでは最後の見学場所にあたる立法議会議事堂。南東端、高等裁判所に面して建ち、まずはじめに目がいくのは、なんといっても屋根から突き出るような円柱型のクーポラ(ドーム状の円屋根)でしょう。
その左にはハリヤナ立法府を収容するピラミッド型の塔、そして牛の角を模したというユニークな雨樋、それを支える柱廊は、たとえ建築の知識がなくても印象に残るユニークな形状です。
立法議会棟 正面外観

柱廊の壁面にあるドアには、コルビュジエ自身が描いたキュビズムの壁画があります。コルビュジエはネルー首相に、新しいインドと近代的なビジョンを表現するためにどんなシンボルを描くか相談しましたが、ネルー首相はコルビュジエに自ら考案するよう託したそうです。

コルビュジエがデザインした扉

鮮やかに彩られた扉は上下半分ずつ分かれており、上半分には、人間と宇宙との関係(夏至、月食、春分など)が描かれ、下半分には動物や自然の姿が描かれています。砂漠は、地球本来の秩序を、緑はエデンの園を表しているのだそう。川、木、雄牛、亀、蛇なども描かれ、扉の中央にある「知恵の樹」には果実が実っています。
コルビュジエのサイン

コンクリートを20世紀の溶けた岩(溶岩)と表現したコルビュジエ。コンクリートの柱の側面には、コルビュジエの理論を象徴する「モデュロール・マン」(人体の寸法に黄金比やフィボナッチ数列を当てはめたル・コルビュジエ独自の尺度)も。コルビュジエがスケッチした図案を木片に彫刻し、型枠にコンクリートを流し込んだもの。
「モデュロール・マン」のレリーフ

柱廊にも様々な建築技巧があり、見ていて楽しいです

立法議会棟の左側から回り込み、内部の見学へ。左側面の角度から建物を見ると、雨樋がくるんと反り返ったような牛の角を模しているのがわかります。
左側から見た立法議会棟

サイドの採光も工夫がなされています

建物内部の見学は、カメラやスマホ、バッグなどの持ち込みは禁止されているため、お財布やパスポート以外はすべて受付に預けていきます。
写真でお伝えできないのが残念ですが、内部は、無機質な外観からは想像できない自由なつくりで、コルビュジエらしいスロープと柱で構成された抜けのある造り。それぞれの部屋が集まった一つの村のようにも思え、建物の固定観念を覆されるような空間です。
なかでも特筆すべきなのは議場。ホールに円形のフォルムが採用されており、厚さ15cmの双曲面シェルでつくられています。ドームのような天井にあしらわれた雲をイメージしたモニュメントはコットンとメタルで作られており、パンジャーブでとれた素材を使っているそうです。
 
▼内観(下記、チャンディーガル観光局のFacebook投稿より)

▼議場の内観

立法議会棟を見学したら、ミニツアーは終了。所要時間は1時間半ほどでした。

2. 他にも!コルビュジエの都市計画ゆかりのスポット

街全体がデザインされているため、セクター1だけでなく街なかのお散歩中にも、コルビュジエやチャンディーガル都市計画ゆかりの場所に出会えます。
 
■都市計画でつくられた人工湖「スクナ湖」
ル・コルビジェの従兄弟であり、右腕でもあったピエール・ジャンヌレ。都市の建設から成長を見守り続け、チャンディーガルの街を愛したジャンヌレ本人の遺言により、彼の遺灰はこのスクナ湖に散骨されました。

スクナ湖。市民の憩いの場

■セクター17

セクター17の広場

ショッピングモールや映画館のあるセクター17の広場。コルビュジエが行ったのはレイアウトのみとされていますが、広場の中心には噴水のモニュメントがあり、チャンディーガルの都市プロジェクトに深く関わった建築家の一人であるM.N.シャルマによって設計されたものです。
「新たな夜明け」の象徴ともいわれる、雄鶏のモニュメント

 
同じくセクター17にある映画館、ニーラム・シネマ(Neelam Cinema)は、チャンディーガルに最初に建てられた3つの劇場のうちのひとつ。ル・コルビュジエと従兄弟のピエール・ジャンヌレの指導のもと、建築家アディティヤ・プラカシュが設計したものです。
ニーラム・シネマ

▼レトロな劇場の内観(チャンディーガル観光局のFacebook投稿より)

ほかにも、ピエール・ジャンヌレが蓮の形をイメージして建築した講堂「ガンディー・バワン」など、ゆかりの地が各所で見られます。
 
コルビュジエが設計した行政機関やモニュメントが集まる世界遺産「キャピトルコン・プレックス」と街の歴史、ゆかりの見どころのご紹介でした。

その3以降では、博物館と建築に焦点をあてて、ル・コルビュジェ・センター、政府博物館・美術館、建築博物館、そして昨今、世界中のオークションで椅子などの家具が取引され人気を博している、ピエール・ジャンヌレのミュージアムについてご紹介します!

 
※ミニツアーの内容は2024年2月訪問時の情報です。ご訪問の際は最新の情報をご確認ください。
 
参考:チャンディーガル州政府公式サイト、チャンディーガル観光局公式Facebook
 
Photo & Text: Kondo

カテゴリ:■インド北部 , インドの世界遺産 , インドの街紹介 , チャンディーガル , ハリヤーナー州 , パンジャーブ州
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インドの新幹線 Vande Bharat Expressに乗ってみた!

Photo by Harshul12345 – Vande Bharat Express on track around Mumbai.(2023) / CC BY 4.0

ナマステ!西遊インディアです。
今回は、インド版新幹線「Vande Bharat Express」(ヴァンディ・バーラト・エクスプレス)の乗車体験を記事にまとめてみました。

インドの新幹線 Vande Bharat Express

インド国鉄が運営する高速鉄道。モディ首相が就任した2014年から掲げる製造業振興の取り組み「Make in India」の一環として、2019年2月15日に、デリー~バラナシの区間で運転開始されました。

運用路線は2024年2月現在で41路線。今後も30路線近くの新設が計画されており、とくに、ムンバイとアーメダバードを結ぶ総延長508kmの路線は、日本の新幹線方式と同じ専用線方式(在来旅客鉄道と軌道を完全に分離するもの)で建設中です(2024年2月現在)。

海外で日本の新幹線方式が採用されるのは、2007年に開業した台湾(台灣高鐵)につづき、インドが2か国目。
デリーを走るメトロの建設にも、計画段階から日本が資金・技術面で支援しており、インドのインフラ整備には日本が大きく関わっています。

なかでもVande Bharat Expressはハード面だけでなく、サービス面でも日本の新幹線方式を取り入れているとのこと。「7分間の奇跡」として知られる日本の新幹線の清掃体制に着想を得た「14分間の奇跡」という取り組みで、ターミナル駅でスタッフが連携し、スピーディーかつ効率よく車内清掃を行っているそうです。

チャンディーガル~デリー区間に乗ってみました

今回乗車したチャンディーガル~デリーの区間は、4番目に運行開始されたNo. 22447 / 22448 New Delhi – Amb Andaura(ヒマーチャルプラデシュ)路線の一部。約270kmの距離を3時間ほどで走ります。休暇でチャンディーガル観光に行ってきたので、デリーへ戻る交通手段としてVande Bharat Expressを利用してみました。
※ちなみにインドでは、カメラによる駅や空港の撮影は防衛上の理由で原則禁止されています。インド鉄道省の規定(鉄道省Webサイト)では、旅行者が思い出にスマホで撮る程度であれば本来許可をとる必要はないとしていますが、現場の係員には問答無用で注意されたりトラブルになる可能性もあります。そのため、世界遺産など観光地化された鉄道以外の撮影は控えた方が無難です。文中の写真も係員さんに許可をもらい、一般の観光客として見られる場所だけをスマホで撮ったものです。
 
1.チケット
チケットは事前にインド国鉄(IRCTC)のWebサイトで予約購入します。
日時、区間、座席クラス、食事などのオプションを選択し、決済するとEチケットがメールで届くので、乗車当日はそれをプリントアウトするかスマホにPDFを保存して持参します。
座席は椅子席タイプのEC、CCの2種類。今回はせっかくなので、ちょっと良い席のECクラスに乗車してみました。ECクラスは、日本でいうところのグリーン車といった感じでしょうか。座席の写真は、後述の車内設備の部分に載せていますのでそちらをご覧ください。
 
2.乗車
現在、チャンディーガルの鉄道駅は再開発中。大きな駅でなくても、焦らず自分の列車がくるプラットホームがどこなのか確認できるよう、余裕をもって出発時刻の30分前には到着しておくと安心です。

チャンディーガル鉄道駅の西側入口

入ってすぐ左手に電光掲示板とエスカレーターがあります。電光掲示板に、列車番号、列車が駅に到着する見込み時刻、プラットホーム番号が表示されるので、確認してエスカレーターで上の階へ。プラットホームへの連絡橋に出るので、そこから自分の列車が来るホームへと降ります。
今回は、エスカレーターを上がってすぐ右のプラットホームNo.1。階段を降りてホームに行きます。構内ではホーム番号のアナウンスも流れていますが、基本はヒンディー語なので、聞き取りはなかなか難易度が高め…!なので、エスカレーターを上がる前に電光掲示板をチェックしていくのが確実です。
 
プラットホームの上部に設置されている小さな電光掲示板に、列車番号とコーチ番号が表示されるので、自分のコーチ番号の場所で列車を待ちます。今回は中央がCCクラス、階段を降りて右奥がECクラスのE1、E2コーチでした。
駅のホーム。天井についている赤い電光掲示板にコーチ番号が表示されます

チャンディーガル駅

今回の路線は、チャンディーガル駅 15:32発 – ニューデリー駅 18:25着。列車は15:30頃に到着しました。インドの鉄道は大幅に遅れることもあるなかで、ほぼ定刻どおりの到着にちょっぴり感動です!

到着したVande Bharat。かっこいいです!色合いもどこか日本の新幹線を思い出します

乗降口は各コーチの前後に一つずつ。席番号は車内の窓の上に書いてあります。頭上の荷物棚はあっという間に埋まるので、置きたい場合は頑張って早く乗りましょう!棚に置けなくてもECクラスは足元のスペースが広いので、機内持ち込みサイズのスーツケースくらいは問題なく置くことができます。

列車番号、コーチ番号、出発駅~行先が表示されます

窓の上にあるシート番号の表示
お水とフットレストもあります!

3.車内
ECクラスの座席配置は2席-2席、シートはベロアのような手触りのいい素材で、リクライニングできます。足元のスペースはゆったりしていて、通路も十分な幅があります。
CCクラスは3席-2席。進行方向に対して前向きと後ろ向きの席があり、足元と通路のスペースはECよりも少し狭め。シートの材質も違います。
ですが、両クラスともに空調完備・車内スタッフも配備されているので、荷物が多くなければ、CCクラスでも問題なく快適に過ごせそうです。

ECクラス

CCクラス

列車は駅に5~10分ほど停車した後、15:40頃に出発。
出発してから15分くらいすると、車両スタッフさんが席を巡回してチケットの確認にきます。名前を聞かれるだけの場合もありますが、念のためチケットをすぐに見せられるよう準備しておくと安心です。
 
その後しばらくすると車内食が配られました。食事は、チケットを予約する時にオプションで選択できます。メニューは時間帯や路線によって異なるようですが、今回はベジのメニューのみだったので、そちらを予約してみました。事前に予約をしていなくても、追加料金を払えば車内で購入できるようです。
ジュース、カチョリ、ナッツとスナック、チーズのサンドイッチ、お手拭きとサニタイザーも

チャイ用のお湯とカップは後から持ってきてくれます
プレートに敷かれた紙もVande Bharat仕様

トイレは各コーチとの連結部にあります。和式のようにしゃがむインド式と洋式があり、洋式には備え付けのトイレットペーパーがありました。
16:15頃、アンバラ・カント駅に停車。この路線では、終点のニューデリーまでに停車するのはこの1駅のみです。到着する少し前に、英語とヒンディー語でアナウンスが入ります。

洋式トイレ
アンバラ・カント駅

しばらく停車した後、駅を出発。この後はノンストップでひたすらデリーへと走ります。はじめは幹線道路沿いを走り、しばらくすると景色は郊外の住宅地に変わります。じょじょに田園地帯や、小さな寺院、ローカルなマーケットなどに移り代わり、車窓には素朴なインドの風景が映ります。

車内の温度は、空調が効きすぎて寒いということもなく快適でした。でも少し冷える感じはするので、カーディガンやパーカーなど羽織れるものを持参するのがおすすめです。
走行中の揺れは少なく、走行音も日本の新幹線とそこまで大きく変わらない印象です(楽しそうな家族のおしゃべり声が絶えないのは、日本と違ってインドらしいところです)。
 
4.終点のニューデリー駅に到着
列車は18:40頃、終点のニューデリー駅に到着。18:25着予定から約15分遅れですが、ほぼ定刻通りの到着です!乗車した2月の日没は18:30前だったので、到着する頃にはすっかり夜に。デリーに到着後、列車は折り返しで別の行先に変わりました。すぐに次の乗客が乗車してくるので、忘れ物のないよう速やかに列車を降ります。

ニューデリー駅

今回はじめてVande Bharatを利用してみて、その快適さとスケジュールの正確さには驚きでした!

日数が限られた旅行のなかで、比較的確実性が高い移動手段として、選択肢のひとつになると思います。
 
昔ながらの長距離寝台列車で移動する旅は情緒があって良いですが、発展いちじるしいインドの「今」を感じられるひとつの体験として、Vande Bharatを利用してみるのもおもしろいかもしれません。
 
Photo & Text: Kondo

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ヒマーチャル・プラデーシュ州の魅力③ カングラ鉄道

サチパスの紹介をした際に「英国人がヒマーチャルを「発見」したのは、シク教徒とグルカ族の戦争の後で、20世紀初頭には狭軌鉄道が建設され、一本はシムラ方面へ、もう一本は、カングラ渓谷を貫くように敷かれました。」書いていたのですが、シムラ方面の鉄道は山岳鉄道群として世界遺産に登録されたシムラ・カルカ鉄道です。

今回は、もう一つのトイトレイン カングラ渓谷を走るカングラ鉄道のご紹介です。

 

■カングラ渓谷鉄道

ダージリンのトイトレインと同じように1926年~1929年にかけてイギリスによって敷かれた鉄道で、線路幅は76.2mmのナローゲージ。そのため機関車は小さくエンジン出力が弱いために勾配が緩やかな南方向への迂回ルートをとっていてその分、鉄道距離は長くなり、Joginder Nagar駅~Pathankotまで全長164kmを繋いでいます。ダージリン、ニルギリ、シムラなどインドの他の山岳列車が既に世界遺産に登録 されている一方でカングラ鉄道はまだ世界遺産に申請中。この列車は観光用ではなく普通のローカル線で、地元の人の生活の足になっています。

朝、人気のない駅で入線を待ちます。

列車が来ないと、切符売り場もオープンしません。

 

運行率は8割ほどらしい、この路線。

観光客は少ないですが、地元の人で席も混みあいます。

 

 

ダラムサラに程近いカングラ渓谷は、古くから仏教と深い関係があり、635年、三蔵法師がその旅行記の中で、かつてこの周辺に50もの仏教僧院があり、そこで2000人以上もの僧侶たちが修行していたことを記しています。しかし、その数世紀後、バラモン教の隆盛により仏教はこの谷間から消えます。1849年、イギリスはダラムサラを軍の駐屯地に決め、アッパーダラムサラはイギリス人たちの避暑地となりました。

アッサム、ダージリンと同様にお茶の生産も盛んに行われていたようです。

しかし、1905年に大地震に見舞われ、住民たちは麓のロウアーダラムサラの安全な場所に移動。そして、1947年、インドが独立するとダラムサラからイギリス人たちはいなくなったそうです。

雪山を眺めながら、のんびりと列車の旅が楽しめます。

 

11月撮影
11月撮影

11月頃よりは3月頃の方が雪山がはっきり見える印象です。

 

3月撮影
3月撮影

1905年の大地震が無ければ、この地もお茶の産地として栄え、この路線も世界遺産の仲間入りをしていたかもしれません。

個人的にはダージリン、ニルギリ、シムラのどの鉄道よりもこのカングラ鉄道乗車が楽しかったので、大好きなお勧めの路線です。

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インドヒマラヤ冒険行① デリーから陸路で行くラダック

インド国内の観光客はもとより、外国人にも大変人気のエリア・ラダック。

ラダックの中心地レーへ行くには、デリーから毎日国内線の運航があり、1時間程で着いてしまうので意外とアクセスは容易です。

では、デリーから陸路で行くとどうでしょうか。

 

実はこの、デリーから陸路でラダックまで行くルートは、道中絶景の連続! そしてデリーのヒンドゥー教の濃厚な世界から、だんだんとチベット仏教世界へと人々の信仰や、また文化慣習も変わっていく様も体験できる、本当に魅力的なルートなのです。

 

ルートはいくつかありますが、少し時間をかけながらレーまで行ってみましょう。

 

【世界遺産 カルカ・シムラ鉄道に乗車】

早朝、薄暗いデリーの町を抜けて駅へと向かいます。まずは、ニューデリーからカルカまで約6時間の列車の旅。チェアカーと呼ばれる座席タイプのシートで中々快適です。

デリーで荷物を運んでもらう際は料金交渉もお忘れなく!

 

 

カルカ到着後、トイ・トレインのホームへと移動します。

カルカからシムラまでは約5時間。少しずつ標高をあげる列車はゆっくりゆっくり進みます。

※カルカ・シムラ鉄道

インド北部・ハリヤナ州のカルカから、避暑地として知られるシムラ(ヒマーチャル・プラデーシュ州の州都)までを結ぶ登山鉄道。イギリス統治時代の1903年、夏の首都だったシムラの交通の便のために開設されました。区間は総延長 96 km 、両端の駅の標高差は 1,420 m(カルカは 656mシムラは 2,076 m)。途中には険しい地形を反映して103ヶ所のトンネルと864ヶ所の橋があります。軌間は 762 mm のナロー・ゲージ(狭軌)で、いわゆる「トイ・トレイン」。2008年、世界遺産として「インドの山岳鉄道群」を拡大する形で登録されました。

 

 

夕方、列車は避暑地シムラ駅に到着。明るいうちに到着すればバザールの散策も可能です。

カラフルなシムラの街並み↓

 

シムラで1泊し、翌日はカルパまでの移動です。

シムラから北東にサトレジ川へ進んでいき、キナール地方へと入ります。この辺りから緑のフェルトをつけた独特の帽子(キナウル帽)をかぶった方々が増えてきます。

 

14の地区に分かれているヒマーチャル・プラデーシュ州ですが、シムラ、キナール、ラホール・スピティの3つの地区、谷を越えてラダックのあるジャンムー・カシミール州へと北上します。

レコンピオの町を過ぎカルパに向けてグネグネと坂を上がります。

天気が良ければシバ神が冬場にこの地にやってきて、瞑想したという伝説のあるキナール・カイラスを展望できます。

 

翌日、さらに北上してタボまでの移動です。標高もグッと上がります。

サトレジ川とスピティ川の合流ポイントを過ぎたあたりから、道は細くなります。ここからスピティ谷へと入ります。

 

3つの谷を抜けていくルートには、道中、大翻訳官リンチェン・サンポ創建、又は由来のある寺院(ゴンパ)が複数あります。

そのうちの一つ、標高3,600M程のナコゴンパへと立ち寄ります。

 

この日はタボでの宿泊。

デリーから陸路で移動する場合、時間をかけ徐々に高度を上げていくのも高山病対策の一つです。

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インドの山岳鉄道の旅!南インドニルギリ鉄道

ナマステ! 西遊インディアです。
インドの鉄道というと、ダージリンのトイトレインが有名かもしれませんが
これは「インドの山岳鉄道群」として国内3か所の鉄道が登録されている複合世界遺産です。
残る2つは南インドにあるニルギリ鉄道、インド北部へと続くカルカ・シムラ鉄道です。

今日はそのうちの一つ南インドのニルギリ鉄道のご紹介です。

 

インド最古の山岳鉄道のひとつで、2005年にダージリン・ヒマラヤ鉄道とともに、世界遺産「インドの山岳鉄道群」に指定されています。
1845年に計画が持ち上がり最終的にはイギリスの手で敷設が行われ、1899年6月にマドラス鉄道会社の経営で一般向けのものとなったこの鉄道は麓のメットゥパラヤムとウダカマンダラム(ウーティ)を結んでおり、山岳部の駅は標高 2,203mにもなります。ウーティは「青い山」を意味するというニルギリ山地の一部は高原状になっていて、イギリス統治時代の19世紀半ばに避暑地として拓かれました。

ニルギリ鉄道の蒸気機関は正面が客車に連結されています。写真はクーヌ-ル駅着後、蒸気機関のみスイッチバックして車庫に入るときに撮影したものです。

 

朝、クーヌール駅で地元の方に混ざって、入線を待ちます。

 

ダージリン鉄道は、町中すれすれを走るのが魅力ですが、ニルギリ鉄道は何といっても茶畑を眺めながらの走行が魅力!!
景色がきれいなのはウーティからクーヌールの間、茶畑も広がりのどかな風景が広がります。

 

列車の最高時速は13㎞。

時折給水のために停車し、スイッチバックを繰り返しながら、高低差1,386mのニルギリの山を2時間50分かけて登ります。運行開始から100年以上変わらない、ゆったりとした列車の旅をお楽しみください。

そのまま乗車していくと列車は麓の町メットゥパラヤムに到着。下るにつれて茶畑は耕地まじりに変わっていきます。また窓を開けて走る列車、途中数々のトンネルも通りますので、乗車する際はスカーフなどあったほうがよいでしょう。

鉄道好きな方はもちろん、地元の人とも交流ができるプチ鉄道の旅です。

 

クーヌールでは、ホテルのお庭でティータイムや、紅茶工場の見学が可能です。

茶葉に癖がなく、すっきりとした味わいの為、フレイバーティーとして流通することの多いニルギリティー。あっさりとした紅茶がお好きな方にはおすすめです。是非、味わってみてください。

 

カテゴリ:■インド南部
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