レー空港に名を冠するクショク・バクラ・リンポチェ

ジュレー!西遊インディアです。
ラダックを旅する人ならほぼ必ず利用するレーの空港。正式名称は「クショク・バクラ・リンポチェ空港」といいます。はじめて知ったときから、そのちょっと長くて不思議な響きが耳に残っていました。
 
今回は、ラダック旅における空の玄関口、レー空港の正式名称となっている高僧クショク・バクラ・リンポチェについてとりあげてみます。
 
■もくじ
1.空の玄関口 レー空港
2.クショク・バクラ・リンポチェとは?
3.ラダックにおける存在と空港名となった経緯
4.ゆかりの場所

1. 空の玄関口 レー空港

デリーから飛行機で約1時間。ラダック連邦直轄領のほぼ中央、中心都市レーの標高約3,256mに位置するレー空港(Kushok Bakula Rimpochee Airport, Leh)。
インドで最も標高の高い空港で民間機も発着しますが、1961年に軍用滑走路として開設されたインド空軍の軍用飛行場でもあります。

スピトゥク僧院から遠望したレー空港の滑走路

ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に囲まれた山間部にあるため、離着陸のアプローチが困難な空港のひとつ。そのかわり、それと同時に山岳風景が美しい場所です。
 
インドの軍事施設は撮影禁止のため建物を近くから撮った写真はありませんが、従来の平家づくりの建物に加えて拡張工事が進んでおり、ゆくゆくはもう少し大きくなりそうです。
 
空港の周辺には小高い岩山の上に建つスピトゥク僧院があり、飛行場からも遠望することができます。
空港の名前は、そのスピトゥク僧院の座主をつとめたクショク・バクラ・リンポチェ19世にちなんで付けられました。スピトゥク僧院の座主は、代々バクラ・リンポチェがつとめています。

スピトゥク僧院

2.クショク・バクラ・リンポチェとは?

仏陀の16人の阿羅漢(十六羅漢)のうちの1人で、9番目の阿羅漢である、バクラ(諾距羅・なくら)の転生とされる高僧です。(仏教では輪廻転生が信じられています。)
ちなみに阿羅漢とは、悟りに達した高僧のこと。十六羅漢とは、お釈迦様が亡くなる(涅槃に入る)ときに、後を託された16人の高僧たちのことです。慶友と賓頭盧(または、迦葉と軍徒鉢歎)を加えて十八羅漢とする場合もあります。
バクラ・リンポチェは、マングースを抱いている姿で描かれることが多いです。

パドゥム僧院(ザンスカール)の壁に描かれたバクラ・リンポチェ

現在は、ヌブラ渓谷のキャガール村で2005年に生まれた20世が、ダライラマ14世によって認定されています。現在は南インドで修行されているのだそう。
 
先代のバクラ・リンポチェ19世は、高僧としての宗教的な奉仕で知られているだけでなく、インド独立後のラダックで最も尊敬される宗教的・政治的な指導者で、いわゆる土地の名士のような存在でもありました。

3.ラダックにおける存在と空港名となった経緯

先日逝去されたマンモハン・シン元首相も「現代ラダックの設計者」と称したという、バクラ・リンポチェ19世。常に人々の分裂が起こらないように努め、ラダックの人々のアイデンティティが保たれることを望んでいたと、多くの人々が言葉を残しています。
なぜ、そのように人々から尊敬を集め、インド政府からも篤い信頼を受けるようになったのでしょうか。その経緯をインド独立の時代背景とともにたどってみます。
 

スピトゥク僧院に置かれていたバクラ・リンポチェ19世の写真

1918年に、ラダックのマト村で王族に生まれたバクラ・リンポチェ19世。ダライ・ラマ13世によって転生者であると認められました。1949年、31歳のときに当時の首相ジャワハルラール・ネルーに説得されて公職につくまで、政治とは無縁でした。

のどかなマト村

英領インド時代、かつてジャンムー・カシミール州は一つの藩王国でしたが、第二次世界大戦後の1947年にインド・パキスタンが独立する際に、どちらの国へ帰属するかを決められることになりました。
住民の多くはイスラム教徒でしたが、藩王自身はヒンドゥー教徒であったこともあり、独立を希望。それが認められずなかなか状況が定まらないところ、1947年からパキスタン側の部族民が、ゆさぶりをかけてジャンムー・カシミール州を襲撃。
部族が州都のシュリーナガルまで迫ってきたため、危機に瀕した藩王はインドに援軍を頼みました。そこで当時のネルー首相は、暫定的にでもカシミールがインドに帰属すると表明するのであれば、インド領としてインド軍を派遣すると答えます。
やむなくして、藩王はインドへの帰属を決めました。これが第一次印パ戦争の発端であり、今日までつづいているカシミール問題のはじまりです。
 
ちなみに、帰属問題を残したまま分離・独立を迎えた藩王国は、カシミールと、ハイデラバード(テランガーナ州)、ジュナーガル(グジャラート州)の3つでした。ハイデラバードは武力でインドに迫られた藩王がインドへの帰属に応じ、ジュナーガルはイスラム教徒だった藩王がパキスタンに逃避して、インドに統合されることになりました。
 
その後、1949年7月にネルー首相がラダック(旧ジャンムー・カシミール州)を訪問。ラダックが宗教上の理由で分裂しないよう、高僧であるバクラ・リンポチェに、地域の人々のために活動してほしいと指導者として抜擢します。
そうしてバクラ・リンポチェは、ラダックにおける政治活動はもちろん、学校を設立し、伝統的な価値観とともに教育を受け入れるよう近代教育を奨励。
またラダックだけでなく、全国で福祉や少数民族の権利について多くの問題に取り組み、指定カーストや指定部族、少数民族などマイノリティの人々の意見を擁護しました。
そのような熱意ある行動は、ラダックの人々がこれまでの暮らしや文化、仏教への信仰を維持する上でも重要でした。インド独立初期におけるラダックとインドとの関係をうまく保ち、ラダック人の民族的アイデンティティが失われることなのないよう、地域を守ることにつながったのです。
 
バクラ・リンポチェは、自分が指導者であるとは主張していませんでしたが、チベット難民がインドに初めて到着したときの支援活動によって、チベットの人々からも高僧として、また人権活動家としても非常に尊敬されたそうです。
ちなみに、バクラ・リンポチェは駐モンゴル・インド大使も務めており、仏教徒の多い二国間の関係を強化することにも貢献されました。
 
ダライ・ラマ14世にとっての親しい友人でもあり、仏法の献身的な擁護者であったバクラ・リンポチェ。2003年11月4日に、デリーで生涯を終えました。
 

1957年1月21日カルカッタを訪問中のダライ・ラマ14世とバクラ・リンポチェ19世(ダライ・ラマ14世の右) – Public Domain, Wikimedia Commons

このような経緯で、現在のラダックの礎を築くキーパーソンとなったバクラ・リンポチェ19世。教育と社会の改革、宗教と文化の保護に力を注ぎ、ラダックの発展と近代インドに残した貢献を称えるため、バクラ・リンポチェが亡くなった後の2005年に、レー空港はリンポチェの名を冠する名称に変更されました。
 
ラダックと世界をつなぎ伝統に根ざして進歩するという、バクラ・リンポチェ19世のビジョンを象徴するようなレーの空港。バクラ・リンポチェの生涯の功績と、ラダックの人々のために行動してきた熱意を思い起こさせるものとして存在しています。

4.ゆかりの場所

バクラ・リンポチェ19世の写真はラダックの僧院のお堂などで目にすることができますが、バクラ・リンポチェにとくにゆかりのある場所をいくつかピックアップしてご紹介します。
 
■スピトゥク僧院 Spitok Gompa
一説には、11世紀にグゲ王国の王によって建立されたといわれています。15世紀前半、当時の王がゲルク派の開祖ツォンカパからの使者を受け入れ、スピトゥク僧院はラダック初のゲルク派の僧院となりました。その後、お堂の修復・拡張が行われ、立体的で複雑な構造になっています。
11世紀につくられたという部分で唯一残っているのが、最上階にあるゴンカンです。ここにはパルデンラモ(吉祥天女)がご本尊として祀られており、仏教徒のみならずヒンドゥー教徒も訪れるといいます。
この僧院の座主は、先にお伝えしたとおりバクラ・リンポチェで、お堂に19世と20世の写真が飾られていました。
そしてこの僧院の特徴は何といっても、空港が一望できる絶好の場所にあることです。

スピトゥク僧院からの眺め

お堂に飾られていたバクラ・リンポチェ19世の絵と20世の写真

■シャンカール僧院 Sankar Gompa
20世紀初頭、バクラ・リンポチェ19世によって創建されたゲルク派の僧院。
本堂には、ドゥカル(白傘蓋仏母)の像が安置されています。「傘蓋」とは高貴な人たちのみが使う日傘で、暑さを遮ることから悪魔を遮る意味となりました。顔・手・脚がそれぞれ千あり、一つ一つの手には目があります。白い傘で災難をよけ、左手に持つ輪玉で煩悩を打ち砕きます。
白傘蓋仏母像は見られる機会が少ないのですが、レー近郊だとシャンカール僧院、レー王宮、ザンスカールではランドゥン僧院、リンシェ僧院でお目にかかることができました。

シャンカール僧院のドゥカル像

■ザンラ旧王宮 Zangla Palace
ラダックのさらに奥、ザンスカールの地に残る旧ザンラ王宮。18世バクラ・リンポチェは、ザンラ王宮で生まれました。
18世バクラ・リンポチェのストゥーパ(仏塔)は、旧王宮のすぐそばにあります。
18世バクラ・リンポチェが亡くなった後、宮殿の前で火葬され、後にストゥーパが建てられました。そのストゥーパの状態が劣化した後、村全体にバクラ・リンポチェの祝福が届くよう、丘の上にあるこの場所に移されたのだそうです。

ザンスカールのザンラ旧王宮に立つバクラ・リンポチェのストゥーパ(左)

小高い岩山の上に残るザンラ旧王宮

■その他
ザンスカールのパドゥム僧院、トンデ僧院のドゥカンにも、バクラ・リンポチェの壁画が描かれています。

パドゥム僧院からの眺め

パドゥム僧院(ザンスカール)の壁に描かれたバクラ・リンポチェ

トンデ僧院

トンデ僧院のお堂の内部。19世バクラ・リンポチェの写真が

ラダックの玄関口である、レー空港に名を冠するクショク・バクラ・リンポチェ。
僧院を見学した際に、祭壇に飾られているバクラ・リンポチェの写真や、マングースを抱いている高僧の壁画に出会ったら、現在もラダックがラダックらしくある歴史的背景に想いを馳せてみると、より理解が深まるかもしれません。
 
※僧院や空港の情報は、2024年7月訪問時のものです。
 
参考:『インド,ラダックにおける仏教ナショナリズムの始まり』名古屋学院大学/宮坂清(2014年)、INDIA TODAY、インド首相官邸Webサイト、日本総研RIM 環太平洋ビジネス情報 1998年7月No.42『南アジア緊張の火種・カシミール問題を考える』、新纂浄土宗大辞典など
 
Photo & Text: Kondo
 


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ラダックのブッダ・プルニマ Buddha Purnima

ジュレ―!西遊インディアです。

2023年5月5日は、仏陀の誕生・悟り・涅槃を祝う「ブッダ・プルニマ」の日でした。
西遊旅行の今年のGWのラダックツアーで、ちょうどお祭りの日にレーを訪れることができました。

■ブッダ・プルニマ Buddha Purnima
仏教の伝わる各地で「ウェーサーカ祭」として祝われる日。
日本では「花まつり」「灌仏会」にあたります。
仏陀の人生の中で重要な誕生・悟り・涅槃の3つがこの同じ日に起こったとされ、ラダックではチベット暦の4月(ウェーサーカ月 Visakha)の満月の日に当たるので、毎年日付が異なります。
ヒンドゥー教では、仏陀はヴィシュヌ神の9番目の化身(アヴァターラ)と考えられており、この日はヒンドゥー教徒と仏教徒の両方に祝われます。インド全国共通の祝日(Gazetted holidays)ですが、とくにラダックではダライ・ラマの誕生日に次ぐ重要な祝日です。

  • ヴィシュヌ神の10の化身。中央下段がブッダ
  • ヴィシュヌの化身としてつくられたブッダ像
ヴィシュヌ神の10の化身。中央下段がブッダ
ヴィシュヌ神の10の化身。中央下段がブッダ

ヴィシュヌの化身としてつくられたブッダ像
ヴィシュヌの化身としてつくられたブッダ像

 
「プルニマ」とはサンスクリット語で満月のこと。「ブッダ・ジャヤンティ(Jayanti = 誕生日)」ともよばれますが、ザンスカール出身の現地ガイドさんによると、「プルニマ」の方がより敬意をこめた呼称なのだそうです。ちなみに、今年は釈迦の誕生から2567年目に当たります。
 
例年レーでは、ラダックにおける仏教組織(ラダック・ブッディスト・アソシエーション)が主催し、ピース・マーチの行進と、ポロ・グラウンドでの見世物が行われます。
ピース・マーチの練り歩きは、市街中心部にあるレー・ジョカンを出発して、シャンティ・ストゥーパ、ナムギャル・ツェモの順で回り、ポロ・グラウンドをゴールとして行われます。
 
まずは市民たちが行進するピース・マーチ。シャンティ・ストゥーパから降りてくる行進の列です。


僧侶たちの列の後には、誕生日を迎えたお釈迦様がトラックに乗って移動してきます。

経典を持った人々の列が通り過ぎるとき、頭を下げると手に持つ経典を軽く叩くように頭に乗せて行ってくれました。

ピース・マーチを見た後に向かったシャンティ・ストゥーパでは、ブッダ・プルニマならではのイベントで、仏陀の人形に水をかけてきれいにし、自分の心身を清めようというブースがありました。
日本の灌仏会でもお釈迦様の像に甘茶をかける慣習があり、遠く離れたインドの地でも、共通点を感じます。

シャンティ・ストゥーパ

日本の灌仏会で見る仏像よりちょっとかわいらしい仏陀人形。
でも、日本の灌仏会と同じく「天上天下唯我独尊」の誕生仏のポーズです!
 
道中、行列に配っているハルワやサモサ、ジュースをいただきながら、広場へ向かいました。

いただいたハルワ。カシューナッツが入っていて、甘くておいしいです

レーの町の広場、ポロ・グラウンドでの見世物を見学しました。広場の真ん中に作られた壇上で、市民やお坊さんが踊りを披露していました。
ナムギャル・ツェモから見たポロ場

たくさんの見物客でにぎわっています!

仮面(チャム)を付けて踊る様子


日本の縁日やお祭りのように賑やかでした!
 
明るい雰囲気に包まれた、ブッダ・プルニマ祭のラダックの様子でした。
これからはお祭りの多い季節。ラダックは本格的な旅行シーズンを迎えます。
 
 
■おまけ
ピース・パレードで見学した色々な山車


 
Text: Kondo
Photo: Saiyu Travel

 


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インドのお祭り コルゾックグストール

ナマステ!西遊インディアです。

以前、デリーから陸路で行くレーの時に途中で立ち寄ったコルゾック僧院。

標高4,500mに位置するこの僧院でも、年に一度お祭りが開催されます。

グストールとは・・・

「グ」とは9や19、29の「9」の付く日を表し、「ストール」とは「トルマ=麦粉やツァンパ、バターなどで作った立体的なお供え物」のことです。「9の付く日にトルマを壊すお祭り」となり、コルゾック僧院では毎年チベット暦の7月29日にあたる日に合わせてこのお祭りが開かれます。

天空のチベット ラダック第8弾:祭り・チベット仏教の用語とマナー・お土産など

 

2日間にわたって行われるグストール祭のハイライトは2日目

(初日はディックとよばれる予行練習が行われます)

 

まずは動物達のお清めの儀からスタート

飼われている動物を開放し、新しい人生を与えてやる儀式。

ここで解放された動物は寿命を全うでき、食べられることはないそうです。

 

続いてタンカのご開帳

 

チャムが始まる前にはハトゥクと呼ばれる道化が会場整備に一役買います。

祭りをひらくには、昔も今も莫大な費用がいります。スポンサーだけでは賄えないので、寄付やお布施を集める役割も担います。

 

13黒帽の舞やチティパティの舞など、他のお祭りと共通しているチャムもありますが、午後には皆まとめて登場します。

 

会場の中央に置かれた悪の象徴“ベレ”(悪いことをすべて吸収してくれます)は、チャムの最後、大黒天により八つ裂きにされていきます。

最後はこんな姿に。

これは、トルマと一緒に焼かれるそうです。

 

チャムが終わるとハシャンの登場です。

ハシャンは日本では七福神の布袋和尚にあたるそうです。もともと中国唐の時代の禅僧であり仏教寺院に多額の金銭的な貢献をしたという伝説的な人物です。

お祭りでは人々にお布施や喜捨の大切なころを教える役目をしているそうです。ハシャンは子供を大変かわいがった人として知られ、後にハトクという子供のお面をつけた子供の僧が必ず従います。

 

先日ご紹介したツェチュとの違いがこちら

「トルマ」の破壊です。

グストールでは、最後にトルマを一定方向に向かって破壊する儀式もつきものなのですが、壊す方向はお祭り終了後に占いで決められます。

 

これは特に時間が決まっていませんので、本堂内で法要が行われていましたが、私が見学した時は2時間以上待ってようやく決まった方向へと運ばれていきました。村の端の方まで持っていき焼かれるそうです。

夏はラダックのお祭りシーズン。

大事な儀式でもありますが、地元の方たちにとっては年に一度のお楽しみでもあります。この日の為によそ行きの服を身にまとった地元の方たちとの交流もお楽しみください。

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ラダック最大のお祭り ヘミス僧院のツェチュ②

前回はツェチュの午前の部をご紹介しました。

ここからは午後の部です ↓↓

 

(4)12守護尊の舞

各僧院に描かれている守護尊の舞です。マハカーラ(大黒)やヤマ、パルデン・ラモなど。

 

(5)The four Goma

赤、白、黄、緑と4色の門番たち。幸福や豊かさの為に動く神のような存在です。フック(白)で邪気を捕まえ、ロープ(黄)でそれらを縛り付けます。鉄鎖(赤)で固定し、ベル(緑)で惑わせて逃げられなくするといったように持ち物それぞれに意味があります。

(6)チティパティの舞

チティパティ(屍陀林王)と呼ばれる骸骨の仮面です。「墓場の主」という意味を持つこの仮面は、かつては苦行僧だったそうで、祭りの時に悪霊を退散させる重要な役割を担うとされています。

 

チティパティの衣装、2015年頃にリニューアルされた模様です。

2013年時にはこんな感じでした↓

 

(7)パドマサンバヴァの忿怒の舞

平和と幸福に反する悪の心を解き放ち、浄土へと導きます。

手には剣や短剣を持っています。

 

(8)ダーキニーの舞

守護尊の一つヘールカの妃であるダーキニーの舞。赤、白、黄、赤、青色の5体のチャムです。祭り会場の中央にある、邪気を吸収させたトルマを破壊していきます。

 

(9)勇士の舞

 

大体16時前にはチャムは終了します。

お祭りの間は本堂は僧侶の方たちの控室のようになるので見学は出来ません。

内部をゆっくり見学したい方は、お祭りの後、又は別日に行くのがお勧めです。

 

ラダックのお祭りは、大切な宗教行事。地元の方たちにとっても、年に一度のお楽しみです。

マナーを守って気持ちよく見学しましょう。

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ラダック最大のお祭り ヘミス僧院のツェチュ①

夏になるとラダックではお祭りシーズン到来!

ツェチュ、グストール、カブギャットなど、由来に応じでお祭りの呼び名も様々です。

ヘミス僧院は17世紀の創建以来ラダック王家の援助の下で大きな力を持ってきたこともあり、ラダックでもっとも裕福なゴンパのひとつ。もちろんお祭も盛大で、国内外から観光客も多くやってきます。そんなヘミス僧院のツェチュについてご紹介します。

ツェチュとは・・・

チベット文化圏の寺院での祭りのことですが、本来は「(月の)十日」を意味します。

これは、紀元後八百年前後にチベット仏教をヒマラヤ一帯に流布した、ニンマ派の祖師グル・リンポチェ(パドマサンバヴァ)にちなんでいます。彼の生涯には十二の重大な出来事が起きたといわれ、各月の十日に、その月に該当する出来事の法要を行います。

また、「月の十日にツェチュ祭のあるところには必ず戻ってくる」という言葉を残したとも言われています。ツェチュ祭とは、グル・リンポチェを再び目の前に拝み、法要を行う、一年のうちでも大切な日です。

ヘミスツェチュはチベット歴の5月10~11日(太陽暦の6~7月)に行われます。発表される2日間のスケジュールのうち、盛り上がるのは僧侶によるチャムが行われる初日です。

(3日間開催とある場合、1日目は僧侶たちのリハーサル、2日目がチャムの日です)

 

そして、大事なイベントの一つが大タンカの御開帳。

毎年行われるのですが、12年に一度、申年にはグル・リンポチェの特別なタンカの御開帳があります。前回は2016年でしたが、この年は例年以上の人出になります。

 

■例年御開帳されるタンカ↓

 

■12年に一度ご開帳されるタンカ (2016年撮影) ↓

 

チャムは10時頃からスタート

解説等は無いのですが、プログラムは毎年同じ感じです。10時ごろ、流れに沿ってチャムもスタートします。

 

(1)13黒帽の舞

13名の僧侶によって舞われるもの。広場全体を清める意味を持ちます。口元のマスクは悪霊を吸い込まない為。彼ら黒帽の僧侶たちはシャナクと呼ばれ、ダオ(仏教における悪の象徴を表す人形)にまつわる儀式など、チャムの中でも重要な役割を果たします。

 

 

(2)祝福の儀

16名の銅製のマスクをつけた踊り手たちの舞。

会場に来ている人たちに、祭りの開始を告げ、邪気をとりはらいます。

 

(3)パドマ・サンバヴァ八変化

グル・リンポチェは8つの化身の姿を持っていたと言われています。いろいろな姿がありますが、その中でもブータンの聖地・タクツァン僧院はグル・リンポチェがグル・ツェンゲの一つ「グル・ドルジドロ」という姿で虎に乗ってやって来たという伝説が残っています。

祭りでは、お坊さん達に連れられて八変化相が次から次へと登場しますが、パドマサンバヴァは金色の傘が掲げられ人一倍大きな仮面として表現されているので、一目で判別をつけることができます。用意されたイスに座っているパドマサンバヴァの前で、八変化相が次々と舞いを披露していきます。

 

 

通常、ここまでが午前の部。

次回は午後から行われるチャムをご紹介します。

 

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インドヒマラヤ冒険行③ デリーから陸路で行くラダック

ついに、レーに到着です。

ラチュルン・ラ(5060m)を越えてまっすぐラダックの中心レーへと向かうこともできますが、さらに寄り道をしてチャンタン高原の湖ツォ・モリリを目指します。

 

ラチュルン・ラ

湖手前にはツォ・カルという塩湖があります。ここで採れていた塩は、スピティにあるキッバル村等での物々交換の材料になっていた品です。

 

ツォ・カル

まずはチャンタン高原について、ご紹介します。

 

■チャンタン高原

チベット北西部からラダック南東に広がる広大なチャンタン高原。1962年のインド・中国紛争の後、チャンタン高原の西の一部がインドに属することになりました。平均標高が4,500mの高原には湖が点在し、古くからチャンパと呼ばれるチベット遊牧民が暮らしてきました。

チャンタン高原の人々の生活の糧は大切な家畜と、その家畜が食む草。家畜はヤク、羊、そしてパシュミナヤギです。冬はマイナス30℃以下になる厳しい環境では草が生える期間も短く、このわずかな草を食い尽くさないよう、チャンパの人々は年に8~10回キャラバンを組んで移動します。

 

早朝、遊牧民のテントを訪れると、乳しぼりをしている様や、バター、ヨーグルトなどを作っているところが見学できます。

乳しぼりの後、子ヤギたちがミルクを飲まないように胸に薬草を塗られて、日中はエサを求めてさらに山の方へと移動するヤギたち。夕方になると戻ってきます。

 

そんなチャンタン高原の西の端、標高4,500mの土地に美しい半塩湖「ツォ・モリリ」が広がります。 湖畔の小さな村「コルゾック村」の中心にはチベット仏教のコルゾック僧院が建ち、周辺の人々の信仰の拠り所となっています。

 

コルゾック僧院※グストール祭の様子

朝、ツォ・モリリを出発。ここからレーまでは約8時間。

ポロコンカ・ラを通り、塩湖ツォ・カルの辺りまで来ると国道に合流。

荒涼とした渓谷の中をぐんぐん進み世界で2番目に高いタグラン・ラ(5327m)を越えて、一気に町へと入ります。

 

タグラン・ラ

レーのバザールの様子です。

飛行機で移動すれば1時間程で到着する町ですが、荒涼とした景色を眺めながら陸路で移動するのも、飛行機では味わえない雰囲気満載の楽しい旅なのでオススメです。

 

この他、デリーからマナリへと移動。ロータンパスを越えてキーロンからレーに移動するルートもありますので、また別の記事でご紹介したいと思います。

 

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インドヒマラヤ冒険行② デリーから陸路で行くラダック

前回はデリーからタボへと移動しました。

タボの観光で外せないのが『ヒマラヤのアジャンタ』と言われるタボゴンパ。

残念ながら内部の写真撮影は禁止です。

 

■タボゴンパ

996年にリンチェンサンポによって築かれた壮大なゴンパ。「ヒマラヤのアジャンタ」と形容されるそのタボ僧院を中心としてタボの街が広がっています。西チベット・グゲ王国から当時の仏教の中心地であったカシミールに派遣されたリンチェンサンポは、グゲ王国に帰国する時に絵師や工芸師など、多くの技術者を連れて帰りました。リンチェンサンポの指揮の下、その彼らによって建てられたゴンパ。入口を入ると目の前に土の固まりが飛び込んできますが、一歩お堂の中に入ってみると、そこには当時の最先端であったカシミール様式の仏教芸術が、素晴らしい保存状態で残されています。特に惹きつけらるのは大日堂のご本尊、四方向に向かって静かな微笑をたたえる大日如来と、そのご本尊を取り巻くように造られた数多くの尊格の像は必見です。

 

ダライ・ラマ14世は1996年にこの僧院を訪れ、カーラチャクラ大灌頂を行いました。その後、ダライ・ラマ14世はご自身のダライ・ラマとしての最後の瞬間を、この僧院のこのお堂で迎えたいとおっしゃられたといわれています。

リンチェン・サンポは2 度目にカシミールへ赴いたとき 32 人の建築家、画工、仏師を連れて帰国し、翻訳のみならず西チベット、ラダック、スピティの各地に108の寺院を建造したといわれていますが。このような建築様式、壁画の画風はカシミール様式・リンチェン ・サンポ様式と言われます。現在このカシミール様式の仏教芸術が残されているのは、 ラダックのアルチ 、 グゲ(チベット)トリン 、そしてこの スピティのタボの3か所です。

 

近くには歩いて行ける高台があり、そこからタボ・ゴンパを臨むことができます。

 

タボから北西に移動し、スピティ谷の中心地・カザへ。この辺りにはスピティ最古の歴史を持つキ・ゴンパがあります。

まずはスピティ川の合流ポイント

 

キ・ゴンパ

ゴンパからも絶景。特に7~8月にかけては小麦畑の緑がきれいです。

 

更に西へと移動し、クンザン・ラ(峠)を越えてラホール谷の中心地キーロンへ。

 

余裕があればキーロンから少し南下して3980mのロータンパスへフラワーウォッチングに出かけることも可能です。

 

西チベットの交易路として栄えていたキーロンでは、バザールの散策も楽しめます。この先、設備の整った宿は少ないエリアです。キーロンで宿泊し、翌日から更に北上、ついにジャンムー・カシミール州へと入ります。

 

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インドヒマラヤ冒険行① デリーから陸路で行くラダック

インド国内の観光客はもとより、外国人にも大変人気のエリア・ラダック。

ラダックの中心地レーへ行くには、デリーから毎日国内線の運航があり、1時間程で着いてしまうので意外とアクセスは容易です。

では、デリーから陸路で行くとどうでしょうか。

 

実はこの、デリーから陸路でラダックまで行くルートは、道中絶景の連続! そしてデリーのヒンドゥー教の濃厚な世界から、だんだんとチベット仏教世界へと人々の信仰や、また文化慣習も変わっていく様も体験できる、本当に魅力的なルートなのです。

 

ルートはいくつかありますが、少し時間をかけながらレーまで行ってみましょう。

 

【世界遺産 カルカ・シムラ鉄道に乗車】

早朝、薄暗いデリーの町を抜けて駅へと向かいます。まずは、ニューデリーからカルカまで約6時間の列車の旅。チェアカーと呼ばれる座席タイプのシートで中々快適です。

デリーで荷物を運んでもらう際は料金交渉もお忘れなく!

 

 

カルカ到着後、トイ・トレインのホームへと移動します。

カルカからシムラまでは約5時間。少しずつ標高をあげる列車はゆっくりゆっくり進みます。

※カルカ・シムラ鉄道

インド北部・ハリヤナ州のカルカから、避暑地として知られるシムラ(ヒマーチャル・プラデーシュ州の州都)までを結ぶ登山鉄道。イギリス統治時代の1903年、夏の首都だったシムラの交通の便のために開設されました。区間は総延長 96 km 、両端の駅の標高差は 1,420 m(カルカは 656mシムラは 2,076 m)。途中には険しい地形を反映して103ヶ所のトンネルと864ヶ所の橋があります。軌間は 762 mm のナロー・ゲージ(狭軌)で、いわゆる「トイ・トレイン」。2008年、世界遺産として「インドの山岳鉄道群」を拡大する形で登録されました。

 

 

夕方、列車は避暑地シムラ駅に到着。明るいうちに到着すればバザールの散策も可能です。

カラフルなシムラの街並み↓

 

シムラで1泊し、翌日はカルパまでの移動です。

シムラから北東にサトレジ川へ進んでいき、キナール地方へと入ります。この辺りから緑のフェルトをつけた独特の帽子(キナウル帽)をかぶった方々が増えてきます。

 

14の地区に分かれているヒマーチャル・プラデーシュ州ですが、シムラ、キナール、ラホール・スピティの3つの地区、谷を越えてラダックのあるジャンムー・カシミール州へと北上します。

レコンピオの町を過ぎカルパに向けてグネグネと坂を上がります。

天気が良ければシバ神が冬場にこの地にやってきて、瞑想したという伝説のあるキナール・カイラスを展望できます。

 

翌日、さらに北上してタボまでの移動です。標高もグッと上がります。

サトレジ川とスピティ川の合流ポイントを過ぎたあたりから、道は細くなります。ここからスピティ谷へと入ります。

 

3つの谷を抜けていくルートには、道中、大翻訳官リンチェン・サンポ創建、又は由来のある寺院(ゴンパ)が複数あります。

そのうちの一つ、標高3,600M程のナコゴンパへと立ち寄ります。

 

この日はタボでの宿泊。

デリーから陸路で移動する場合、時間をかけ徐々に高度を上げていくのも高山病対策の一つです。

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天空のチベット ラダック第8弾:祭り・チベット仏教の用語とマナー・お土産など

ジュレー! 西遊インディアです。

散策や観光の際には、その土地のマナーや専門用語に触れておくと、より訪問を楽しめます。また、ラダックだからこそ手に入るお勧めのお土産なども紹介しますので、出発前にぜひご一読ください。

 

■お祭りを楽しむ

折角行くなら僧院で行われるお祭りに日付を合わせるのもひとつです。各僧院、一年に一度お祭りを催します。すべての仏教関連の年中行事はチベット暦に合わせて行いますので、各地の僧院の祭りは毎年日程が変わります。お祭りを見に行く場合は開催日の確認をお忘れなく。

 

ラダックで行われるお祭りについて、一部ご紹介します。

 

▮ヘミス僧院のツェチュ祭

規模の大きさから全チベット文化圏から巡礼者が訪れるツェチュ祭は、ヘミス僧院で3日間にわたって行われるラダック最大の祭りです。開祖であるグル・リンポチェを再び目の前に拝み、法要を行う、一年のうちでも大切な日です。掛仏・タンカの開帳や数十の僧侶が仮面を被り舞う仮面舞踊チャムなど、魅力と迫力満点です。

 

ツェチュ祭の様子

 

▮ラマユル僧院のカブギャット祭

カブギャット祭は、チベットカレンダーで8のつく第四の月に行われます。広場ではタンカが掲げられ、ドゥンという大きなチベットホルンの音に合わせて、チャム(仮面舞踊)が行われます。
チャムでは、シャワ(鹿)やマヘ(スイギュウ)、ヤマ(雄牛)、そしてメインの大黒天とその化身たちが登場し、手に持った武器や法具で仏法の敵と戦います。
また後半には、ダオ(ツァンパで作られた人形)を黒帽の僧侶たちが刀や弓などで破壊します。ダオには人々の良くないものや感情が込められており、これを破壊することでそれらを取り除きます。最後に、トルマ(バターとツァンパで作ったお供え物)を燃やし、閉会となります。カブギャット祭りには、周辺各地で修行をしている行者や、ダー・ハヌーからの巡礼者もたくさん押し寄せ、会場はかなりの熱気に包まれます。

 

お祭りの後半・ダオの破壊の場面

 

▮グストール祭

ザンスカールのカルーシャ僧院や、ツォ・モリリ湖畔のコルゾック僧院などで催されています。「グ」とは9や19、29の「9」の付く日を表し、「ストール」とは「トルマ=麦粉やツァンパ、バターなどで作った立体的なお供え物」のことです。「9の付く日にトルマを壊すお祭り」となり、例えばコルゾック僧院では毎年チベット暦の7月29日にあたる日に合わせてこのお祭りが開かれます。
このグストール祭で行われる儀式や踊りには、「善(釈迦の教え)」が「悪(悪魔や悪い心)」に打ち勝つという意味が込められていると共に、釈迦の教えを分かりやすく民衆に伝えるという目的も併せ持ちます。 仮面舞踊で僧侶が被る仮面は神や女神、護法神などを表わしていて、人々にとってはこれらの踊りを見るだけで徳を積む事ができるのです。

 

グストール祭の様子

 

 

■チベット仏教の用語を知る

 

▮マンダラ

仏様の悟りの境地を視覚的・象徴的に表した図像です。サンスクリット語で「円・輪及び中心との関係」という意味で、円は完全なものと考えられています。
マンダラに関してはこちらにも紹介しておりますので、ぜひご覧ください。
ラダック第4弾: チベット仏教の世界とマンダラ

 

壁画の曼荼羅(ツァツァプリ僧院)

 

▮マニ車・マニ石

筒の中に経典を入れたもの。1回転させると1回お経を読んだことになります。マニ車の大きさは様々で、人より大きい巨大なものから、巡礼者が手に持ってくるくる回せる小さなものまであります。

 

僧院の入り口に置かれていることが多い大きなマニ車
僧院内のマニ車

 

▮チャム

お祭り(法要)のときに僧侶が舞う仮面舞踊のことです。この舞踊を観ることで、仏教の教えや教訓が分かりやすく理解できるよう、物語になっていることが多いです。

 

チャム(ピヤン僧院のドゥップ祭)
僧院の中庭を広く使って行われます (ピヤン僧院のドゥップ祭)

 

▮タンカ

掛け軸に描かれた仏画のことです。チベット仏教のお祭りでは、僧院に保存された巨大なタンカの御開帳がメインイベントとなります。

 

ピヤン僧院のタンカ

 

▮チョルテン

仏塔のこと、ストゥーパともいいます。その土地の神や高僧を祀るために建てられます。巨大なチョルテンは、内部を時計回りに頂上まで上がることができます。

 

チョルテン

 

▮タルチョ

家の屋根や僧院、山頂など風の吹く場所に結び付けられている5色の旗のことです。青が空、白が風、赤が火、緑が水、黄色が大地を表します。マントラ(真言)が印字され、風に乗って仏法が広く行き渡るように、との思いが込められています。

 

風になびくタルチョ

 

▮マントラ

尊格(神様)ごとに決まっている祈りの言葉、真言のことです。 一番有名なものは観音菩薩のマントラで、「オム・マニ・ペメ・フム(Om・Mani・Padme・Hum)」です。ラダック滞在中、必ずと言っていいほど耳にする言葉です。

 

マントラか彫られた石

■僧院巡りのマナー

どの宗教にもあるように、チベット仏教の参拝にもいくつかルールがあります。仏教徒にとっても、観光客にとっても気持ちよく参拝をするために守りたいルールを紹介します。

 

  • ゴンパ(僧院)の周囲や堂内では時計回りで歩く(コルラ)
  • 勤行中の僧侶の邪魔をしない
  • ゴンパの中では靴を脱ぎ、脱帽する
  • 静粛にする
  • 訪問の際は肌の露出を避ける
  • ゴンパ内・敷地内で飲食や喫煙をしない
  • ゴンパ内の物に手を触れない

 

 

チベット仏教では、お祈りをしながら、時計回りに回ることは「コルラ」と言われ、チベット文化圏でも参拝の際には時計回りが基本です。寺院の周りを歩くとき、マニ車を回すときなどもすべて時計回りに回すというのは覚えておきたいマナーです。

 

■ラダックのお土産

夏の間、レーの中心地は土産屋をはじめ、食料品店や日用雑貨屋、ホテル、ツアー会社、本屋などが道の両サイドにずらっと並び、人通りも多く活気に満ちています。

 

レーの街かど
春頃は、生のアンズの露店が並びます
野菜の露店も多いです

レーに到着しましたら、高度順応もかねてぜひレーの街へお散歩へ繰り出しましょう。大小様々なお店があり、見るだけでも楽しいですし、何か掘り出し物が見つかるかもしれません!

 

 

最後に、ラダック地方に訪れたら購入したいお土産4選をご紹介!

 

1.あんず

あんずが特産品のラダックでは、あんず商品がたくさんあります。乾燥させてそのまま食べる乾燥あんず、種のバター、あんずジャム、オイルやクリームなどの美容商品も人気です。

 

路面で売られている乾燥あんず
アンズのジャムなど加工製品も人気です

 

2.カシミヤ、パシュミナ

カシミヤやパシュミナは、チャンタン高原でチベット系遊牧民がカシミヤ山羊を飼っていたことから始まったといわれています。このエリアのカシミヤやパシュミナは一般的なカシミヤ繊維よりも細いため、より柔らかく、暖かく、軽い、世界でもトップクラスの品質と言われます。

 

 

3.トルコ石

トルコ石は、古くからチベット圏で採掘され、珊瑚や琥珀と並び、欠かせない装飾品の一つです。ラダックにもその文化は受け継がれ、伝統的な女性の頭飾り「ペラック」にはトルコ石がふんだんに使われています。前頭部から背中まで伸びる1mほどの帯状布地(ウール製)に、大小多くのトルコ石を縫い付けたもので、嫁入りの際に代々母から娘へと受け継がれます。お土産屋でも、トルコ石をあしらった小物がたくさん売っています。

 

トルコ石のアクセサリー

 

 

4.仏具

仏教関連のお香や仏具もラダック地方でよく見かけるお土産です。レーのメインバザールでも、お土産用のマニ車のキーホルダーや、小さなタルチョがいたるところで売られています。

 

土産屋の仏具

 

せっかく訪問するならば、お祭りや観光マナーなど、しっかりと知識をつけてから訪問したいところです。ぜひ皆さんの旅の準備に役立てください。

 

 

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天空のチベット ラダック第7弾: 紺碧の湖パンゴン・ツォとヌブラ谷

ジュレー! 西遊インディアです。
前回は、下ラダックの見どころを紹介いたしました。
ラダック第6弾:下ラダックの観光

 

今回は、レーから少し足を延ばし、ラダック郊外にある2箇所の外せない見どころについてご紹介いたします!

 

■パンゴン・ツォ(Pangong Tso)

ラダックの東部からチベットにかけて横たわる、全長約130kmに及ぶ細長い湖がパンゴン・ツォ(湖)です。ラダック語で「パン」は「草」、「ゴン」は「塊」を意味します。標高4300mに位置し、1962年以前は全てインド領でしたが、現在は25%がインド領、75%が中国領になっています。インド側では塩湖と言われ、中国側は淡水です。冬はすべて凍り、軍隊のジープなどが湖の上を走ることができるのだそうです。湖に魚はいませんが、小さな虫や貝類が生息しています。

かつては、越冬地としてたくさんの鳥が来ていましたが、ここ数年の観光客増加により、環境が変化した為に鳥の数は激減してしまったそうです。

この美しい景色は、2009年公開のインド映画「きっとうまくいく(3idiots)」を始めとする、インド映画やミュージックビデオのロケ地としても有名です。

 

パンゴンツォは、その日の天候や時期によって少しずつ湖の色合いや見え方が変わります。雲や風のある・なしでも結構雰囲気が変わりますので、朝から晩まで湖を眺めていたい気持ちになります。

ちなみに湖の周辺には簡易宿泊施設もあり、パンゴンツォで1泊することも可能です!

 

パンゴン・ツォ付近には、人懐こいヒマラヤン・マーモットがいるエリアがあります。観光客が増え、食べ物を与えるため餌付けされ、その丸々と太った体と少し間の抜けたようなその顔が愛らしく人気です。

 

ヒマラヤン・マーモット
巣穴からちょうどこんにちは…

なお、パンゴン・ツォへの訪問には、入域許可書の事前取得が必要ですので、詳しくはお問い合わせください。

 

 

■ヌブラ渓谷(Nubla Vallery)

ラダックの北部、ヌブラ川とその支流に流域に広がる渓谷地帯がヌブラ渓谷。標高は3500mほどで、レーとほぼ同じです。川に挟まれて水が豊かなために緑に恵まれ、その名「ヌブラ」も「緑の園」を意味します。

レーからの陸路移動は片道4ー5時間程かかります。途中5000m級の峠カルドゥン・ラを越える必要があり、峠でのダイナミックな景色も魅力です。この峠は自動車道世界最高地点の標高で、正確な標高については諸説あり、5,359mという説が有力だとか。

 

カルドゥン・ラ
ヌブラ渓谷
バクトリアンキャメル

なんとヌブラ谷にはバクトリアンキャメル(フタコブラクダ)がいます。観光用に飼育されているラクダで、ラクダに乗って砂丘サファリができます(ちなみにラクダは、野生のものは今は中国とモンゴルにいるだけだそうです)。

 

 

デスキット僧院

ヌブラ谷の中心地・デスキット村の南東にある岩山の上に建つ大僧院です。ゲルク派の高僧チャンセム・シェラブ・サンボによって15世紀ごろに建立。ドゥカン(勤行堂)は比較的新しく、本尊は釈迦牟尼です。ゴンカン(護法堂)には恐ろしいほどの迫力ある守護尊・護法神の像がずらりと並び、見ごたえありです。また、僧院のとなりの丘の上には2010年に完成したという巨大なチャンバ(弥勒菩薩)像があります。

 

デスキット僧院遠望
腰掛けスタイルのチャンバ(弥勒菩薩)像

これまでラダックエリアの見どころを紹介してきましたが、まだまだラダックには見るべきものがたくさんあります! 荒涼たる茶褐色の大地、要塞を思わせる岩山に築かれた寺院、そしてラダックの人々も穏やかでフレンドリー。いつでも暖かく迎えてくれます。ラダックへのご旅行を何度もリピートする方が多いのも納得です。

 

 

次回は、ラダックエリアを訪問するにあたっての知っておくと役に立つ仏教用語や、お土産等ご紹介します。

 

 

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