ウダイプル② 市内観光へ! 古都ウダイプルと奥地に佇む圧倒的存在感のジャイナ教寺院

西遊インディアです。
引き続き、ウダイプルを紹介する記事・第二弾です。

前回:ウダイプル① 美しき湖と白亜の宮殿タージレイクパレス

 

ウダイプル市内の見どころは集中しており、かなり効率的に巡ることができます。今回はウダイプル市内の代表的な訪問地と、郊外に建つインド建築最高峰ともいわれるジャイナ教寺院について、ご紹介いたします。

 

▮シティパレス(City Palace)

街の創設者である、マハーラーナー・ウダイ・シン2世によって建設が始められた、ピチョラ―湖の湖畔に建つ白亜の宮殿です。増改築が繰り返され、今の姿になるまでに約400年かかったといわれています。パレスの本殿は博物館となって一般公開されておりますが、南側は、今も王族の居住区となっています(また、一部はホテルとして改装されております)。

 

シティパレス外観。あまりに壮大でカメラに収まりません
シティパレス内の美しいステンドグラスのお部屋

内部にはマハーラーナーがかつて使用していた輿やゆりかご、武器や全世界から集められた装飾品など、たくさんの宝物が展示されています。当時、マハーラーナーの体重と同じ重さの金が民衆に与えられていたという逸話からも、藩として非常に豊かであり、豪華な暮らしぶりであったことが想像できます。

テラスからは湖と街の美しい眺めを見晴らすことができます。非常に気持ちの良い場所ですので、お天気が良ければぜひ行ってください。

 

旧市街が広く見渡せます

 

▮ロークカラマンダル博物館 (Bhartiya Lok Kala Museum)

ラージャスターンの伝統芸能の1つ、操り人形劇の博物館です。ラージャスターンだけでなくインド全土の人形・化面・楽器などが集められた素朴な展示物を見学したあとは、実際に人形劇のショーを楽しむことができます。 ショーの最後には人形の動かし方を種明かししてくれることも。この人形劇は、お祭りや人通りの多い街角などラージャスターン各地で見られます。

 

 

▮サヘリーヨーン・キ・バーリー  侍女たちの庭園(Sahelyon Ki Bari)

緑が眩しいたくさんの樹々と、色とりどりの花が植えられた、噴水のある公園です。1710年に時の王様・マハーラーナ―・サングラーム・シンが侍女たちのために建てました。こちらも、噴水の建築にあたり高度な水利システムが用いられております。緑と水が大変豊かなこの公園には、今も昔も癒しと涼を求めてたくさんの人が集まっています。

 

ブーゲンビリアと噴水の広場。天気もよく、ピクニックに来ている地元のファミリーの方でいっぱいでした
大理石製の象のモニュメント
ウダイプルの伝統的な衣装を着た女性(お土産物屋の店員さんですが…)

 

▮ジャグディーシュ寺院(Jagdish Temple)

1651年創建のウダイプル最大のヒンドゥー寺院です。ヴィシュヌ神を祀る寺院で、本堂の前にはヴィシュヌ神の乗り物であるガルーダ像が置かれております。他、お堂の周りには、四方それぞれガネーシャ、スーリヤ(太陽神)、シャクティ(シヴァの神妃)、シヴァが祀られています。寺院の外壁は細かな彫刻がびっしりと施されており、とても見ごたえのある装飾です。

 

ジャグディーシュ寺院 正門
本堂
彫刻がびっしりと施された本堂の外壁

 

▮ラナクプルのアーディナータ寺院 (Adinatha temple at Ranakpur)
ウダイプル市内から北西90㎞程行った場所にラナクプルという村があり、その村からさらに奥へと進んだ場所に建つ巨大なジャイナ教の寺院が、アーディナータ寺院です。アーディナータというジャイナ教の一番目の預言者を祀っています。15世紀創建です。

 

ジャグディーシュ寺院外観 こちらも壮大過ぎてカメラに収まらない
ジャイナ教寺院の場合、細長い旗が掲げられています(ヒンドゥー教寺院の場合は三角の旗です)

寺院内部はほとんどが白大理石でできています。固い大理石への彫刻は至難の業ですが、一度施した彫刻はその後一切朽ち果てることはありません。寺院内には緻密で美しい彫刻が至る所に施されています。

 

見事な大理石の装飾

また内部には444 本の見事な装飾の柱が並んでおり、一本として同じ装飾の柱はなく、全て異なる彫刻が施されています。

(インドの建築について多数の著書がある神谷武夫氏は、「ジャイナ教の建築」という本のなかで、このアーディナータ寺院を「インド建築の最高傑作だ!」と述べています)。

 

全ての柱にびっしりと彫刻が!

天井

仏教と同時代に成立したというジャイナ教ですが、5つの戒律(不殺生、虚偽の禁止、盗みの禁止、性的行為の禁止、不所有)を持ち、不所有の考えから、商業で大成功している商人たちの寄進によって見事な寺院がたくさん建てられています。

 

こんな小さな村のさらに奥にこのような立派な建造物があるとは…驚きです。アーディナータ寺院は、アクセスは非常に悪い場所にありますが、訪問にはちょっとした秘境感も味わえます。見ごたえ十分、必見の建造物です!

 

巡礼に来ていたジャイナ教徒のおじいちゃん

その他、郊外にはチットールガル城という、2013年に「ラージャスターンの丘陵城塞群」の一つとして世界遺産に登録された城塞も残っています。

 

次回は、このチットールガル城についてご紹介します。

ウダイプル③ かつての難攻不落の城・世界遺産チットールガルフォートへ!

 

Text :Hashimoto

 

 

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ウダイプル① 美しき湖と白亜の宮殿タージレイクパレス

ナマステ!!西遊インディアの橋本です。
今回は、ラージャスターン州の街・ウダイプルをご紹介します。

 

青く美しいピチョラー湖と周囲の乾いた山々、湖に浮かぶ豪華な宮殿。他のラージャスターン州の街とはちょっと異なる雰囲気のウダイプル。最後までムガル帝国に対して独立を守り通した誇り高き古都でもあります。

 

ウダイプルは市内の観光に加え、郊外にもかなり見ごたえのある城塞跡等あり、1泊2日でかなり楽しめます。
また、インド有数のホテルである「レイクパレス」があり、こちらのホテルでの宿泊を目的に訪れる方も少なくありません。

 

夕刻のレイクパレス (www.tajhotels.com/taj-lake-palace-udaipur/より)

 

ウダイプルは、ラージャスターン州の南側に位置しています。デリーから飛行機で約1時間30分のフライト、その後空港から車で約30分でウダイプル市内に到着します。街の中心にはピチョラー湖が広がり、その周辺には王宮・シティパレスや、寺院、ホテル等白い建物が並びその景観の美しさから「ホワイト・シティ」と称されています(雰囲気が似ていることから「東洋のヴェネチア」とも言われています)。

 

街の中心にあるピチョラ―湖は、16世紀に造られた人造湖です。ムガル帝国の攻撃を受けてチットールガルを追われたウダイ・シン2世が、現在のウダイプルの地に移住。ウダイ・シン2世の名から「ウダイプル」と名付け街を築き、水の確保のために川をせき止め湖を造りました。非常に高性能な水利システムがとられており、ピチョラ―湖の横にファテ・サーガル湖もつなげて築くことで、隣の湖と相互に水量を調節できるようになっています。

 

ピチョラ―湖遠景。湖の周りほとんどは山に囲まれおり落ち着いた雰囲気
シティ・パレス
ピチョラ―湖・湖畔に並ぶ建物は白色で統一されています

 

▮レイクパレスに宿泊
ウダイプルは、ピチョラ―湖に浮かぶ白亜の宮殿です。もともとは、1746年にマハーラーナの離宮として建てられました。その後1963年にウダイプル初の高級ホテルとして改装されました。1983年に公開された「007 オクトパシー」の舞台にもなった有名な宮殿ホテルです。

 

真っ白!なレイクパレス

レイクパレス行のボート乗り場は、湖畔のシティパレスの近くにありますが、ここからボートに乗ることができるのはホテル宿泊者のみ! 赤い絨毯が敷かれた発着所でボートを待つ間、特別感を味わえるとともに期待が高まります!

 

赤い絨毯の敷かれた船着き場

宿泊者専用のボートに乗っている間、ボートのスタッフがホテル周辺の説明をしてくれます。ホテルの船着場に到着すると、大きな日傘を持ったドアマンと真っ赤なサリーを着たホテルのスタッフが出迎えてくれます。ホテル入口では屋上から赤いバラの花びらが舞い降りてきました。

パレス内部は、さすがマハラジャの宮殿を改装したホテルだけあって、造りが大変豪華で、中庭も湖の上とは思えない程の美しさでした。

 

ホテルでは、ホテル主催のプログラムが用意されており、時間が合えば参加できます。夕方、湖を巡るサンセットクルーズなどおすすめです! ロイヤルファミリーが住んでいるというシティ・パレス、ジョグマンディル宮殿やその他宮殿ホテルを眺めながら優雅なひとときを過ごすことができます。

 

美しい中庭
Palace Room Lake View
Grand Royal Suite (www.tajhotels.com/taj-lake-palace-udaipur/より)
Luxury Room Lake View (www.tajhotels.com/taj-lake-palace-udaipur/より)

全てのサービスは文句なしで、お食事もインド料理だけでなく、コンチネンタル料理もお楽しみいただけます。今回宿泊したお部屋は窓からシティ・パレスを眺望できました。特に夜のライトアップされたシティ・パレスはとても美しかったです。

 

都市の喧騒を離れ、優雅にのんびりとマハラジャ気分を味わいたい方、レイクパレスでのご宿泊はいかがでしょうか。大変お勧めです。

 

パレスでの食事一例(www.tajhotels.com/taj-lake-palace-udaipur/より)

 

ウダイプル訪問は年中おすすめできますが、乾期の終わりごろ(4-5月頃)に訪れる場合、ピチョラ―湖の水が結構干上がってしまっていることがあるので、要事前確認です。また、5~9月末頃は、観光オフシーズンのため、通常料金よりかなりお安くご宿泊いただけます!!

 

 

 

ウダイプルその②に続きます。
②市内観光へ! 古都ウダイプルと奥地に佇む圧倒的存在感のジャイナ教寺院

 

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アクセス抜群の「野鳥の楽園」:ケオラディオ国立公園②

ナマステ!西遊インディアです。

前回はデリーからアクセスバッチリの国立公園・ケオラディオの概要についてご案内いたしました。
ケオラディオ国立公園①

 

今回は、実際にケオラディオで観察した内容をもとに、出会える動物たちについてご紹介いたします!

 

■ケオラディオ国立公園でみられる鳥・野生動物

375種を超える鳥類、また34種の哺乳類が確認されているケオラディオ国立公園では、メイン道路からだけでも様々な動物の観察を楽しむことができます。

 

▮インドクジャク

 

インドクジャク

 

インドの森のサファリでは一般的に見ることができます。ヒンドゥー教ではシヴァ神の息子:スカンダが乗る動物とされており、インドの国鳥にもなっています。インド、スリランカ、ネパール、パキスタンなどに広く分布。クジャクというと美しい羽根のイメージがありますが、これは成熟した繁殖期のオスにのみ見られるものです。腰の上部から生えており、「上尾筒(じょうびとう)」と呼ばれます。メスへの求愛の際、また他のオスに対しても自分の存在をアピールするために広げられることがあります。

 

▮ヘビウ

 

羽を乾かすヘビウ

 

木の枝の上で羽を乾かしています。首が長く、泳ぎが得意な鵜で、水面から首だけを出して泳ぐ様子が蛇のように見えるためこの名がついています。英語ではSnakebird、またはダーツの矢に例えてDarterと呼ばれます。水中を泳ぐ姿、また濡れた羽を広げて陽にかざし、羽を乾かしている様子もよく見ることができます。

 

▮ワカケホンセイインコ

 

インド、スリランカに広く分布しており、低地から標高2000m以下の森林、サバンナ、湿地、市街地などに生息しています。成熟した雄は首に首輪のように毛が黒色になるのが得量です。ペットとしても人気のあるインコですが、海外へ持ち出されてペットとされたものが逃げ出して野生化しており、日本でも野生化したワカケホンセイインコが繁殖を広げ、在来種のニッチを奪っていることが問題となっています。インド各地でよく目にすることができる鳥の一つです。

 

 

▮インドコキンメフクロウの雛

 

 インドコキンメフクロウの雛

 

木の洞で休んでいます。ジャストフィットしている様子が可愛いですね。インドコキンメフクロウは南アジアから東南アジアにかけて広く分布する小型のフクロウ。開けた草地や農地、村のそばでも見ることができ、木や岩にできた穴などに巣をつくります。夜行性のため、昼のサファリでは休んでいる姿を見ることが多いですが、昼間に活動している姿を見ることができることもあります。ヒンドゥー教では、フクロウはブラフマー神の妻、ラクシュミーが乗る動物ともされています。インドコキンメフクロウの学名は ”Athene brama” (ラテン語)ですが、この ”brama”はヒンドゥー教のブラフマー神に由来して名付けられたものです。

 

▮オスのチータル(アクシズシカ)

 

アクシズジカ

 

インドの森サファリで一般的に見られるシカの仲間。インドではチータル (chital) と呼ばれ、「斑点のある」という意味があります。インド、バングラデシュ、ネパール、ブータン、スリランカに生息しています。 体の白い斑点が特徴的で、角は毎年落ちて生え変わります。その際、古い角を食べる行動が見られますが、これはカルシウムを接種のためだと考えられています。また、オス同士の争いに角が使われます。アクシスジカの群れとハヌマンラングールの群れは一緒にいることが多く、樹上のサルが落とした実をアクシスジカが下で食べている等、仲の良い様子が度々観察されています。ベンガルタイガーやアジアライオンを見ると「アラームコール」を発します。

 

▮インドトキコウ

 

 

 

ケオラディオ国立公園は、アジア最大の営巣地です。

 

▮サンバー

 

 

水のなかを移動しています。サンバーは漢字で書くと「水鹿(すいろく)」です。

 

▮ニルガイ

 

 

インドの森に生息する、最大のシカ科の動物。頸がウマに似ていることから、「ウマシカ」などとも呼ばれることもあります。体毛は短く、オスとメスで色が異なります。オスは暗い灰色(青っぽいことからBlue Bull=青い牛ともよばれます。ニルガイの名前もニルが青、ガイが牛を意味します)、メスは灰褐色です。

 

 

ケオラディオ国立公園で観察できる野鳥、野生動物を紹介しましたが、これらはまだまだ一部です。他にもたくさんの野鳥たちが公園内では観察できます。

 

また、公園内には所々に湖があり、湖面に映る森の影、そして朝もやの中の日の出など、美しく幻想的な風景が広がっています。本当に、首都圏にあるとは思えない程、穏やかな時間が過ぎています。

 

ぜひアグラ、ジャイプルの観光とセットで訪問してください。もしくはデリーからの週末旅行としても大変お勧めです! インドの森の魅力・美しさを楽しんでいただけるはずです!

 

 

 

カテゴリ:■インド北部 , インドで野鳥観察 , バーラトプル , ラージャスターン州
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アクセス抜群の「野鳥の楽園」:ケオラディオ国立公園①

ナマステ! 西遊インディアです。

 

インドの観光と聞くとタージ・マハルのような歴史的建造物や、バラナシのような聖地の観光を思い浮かべる、という方も多いかと思います。しかし、インドはその広い国土の中で100以上の国立公園を設定しており、サファリツアーの目的地としても世界的に非常に高い人気がある国です。

国内の全ての国立公園の面積を合わせると、なんと国土の1%以上が国立公園に指定されているほど。国立公園の設置はもちろん野生動物の保護が第一の目的ですが、現在では各地の国立公園が巨大な観光資源としての役割を果たしています。

 

今回は、デリーからのアクセスが大変よく、週末に気軽にバードウォッチングをお楽しみいただける国立公園・ケオラディオ国立公園についてご紹介します。

 

ケオラディオ国立公園ではこんなに可愛らしいインドコキンメフクロウの子どもたちと出会えるかも!

 

■ケオラディオ国立公園の概要

 

ケオラディオ国立公園付近の航空写真(Google mapより)

 

ケオラディオ国立公園は、ラジャスタン州バーラトプルの街の中に位置しており、タージ・マハルがあることで有名なアグラの街から約58㎞西に移動した場所にあります。アグラ、ジャイプル、そして首都デリーという通称”ゴールデントライアングル”の3都市からも比較的アクセスが良く、多くのバードウォッチャーが訪れる「野鳥の楽園」として知られています。周辺都市の観光にプラスして、手軽にインドの自然を楽しむことができるのが大きな魅力となっています。

 

ケオラディオ国立公園の面積は他の有名な国立公園と比較すると非常に狭く、僅か29平方キロメートルほどです。もともと付近を流れるヤムナー川の氾濫原だった公園の敷地はくぼ地になっており、美しい湖沼地帯が広がっています。ラムサール条約にも登録されている湿地帯は、375種を超える野鳥が飛来することで知られています。

 

ケオラディオ国立公園内の湿地帯
ケオラディオ国立公園内の湿地帯。バードウォッチャーでなくても自然を楽しめる美しい公園として多くの人が訪れます
ラダックから飛来するリュウキュウガモ(Lesser Whistling-Duck)

 

また、湿地帯の中に森林や草原といった陸地(ドライゾーン)がモザイク状に広がっており、このような場所ではサンバーやアクシズシカ、ニルガイなどの陸生の野生動物も観察することができます。園内には各所に遊歩道が設置されている他、メインの道路ではサイクルリキシャーを利用できるため、このメイン道路をサイクルリキシャーでのんびりと巡るお手軽なルートも人気です。

 

メイン道路を走るサイクルリキシャー
メイン道路を走るサイクルリキシャー

 

■ケオラディオ国立公園の歴史

先にも書きました通り、この場所はもともとはヤムナー水系の氾濫原の天然のくぼ地でした。18世紀半ばに当時のマハラジャにより堤防が築かれて湖が誕生し、そこに多くの水鳥が集まる様になっていきます。

ケオラディオは野鳥の飛来地として知られるようになっていきますが、1850年代から1965年までは現地のマハラジャ、そして入植してきたイギリス人の狩猟地として利用されていました。最盛期には一日に2000羽以上の鴨が狩猟された時もあったと伝えられています。その後1971年には鳥類保護区になり、1982年からは国立公園として整備が進められています。

 

公園は以前はバーラトプル鳥類保護区と呼ばれていましたが、現在は敷地内にあるシヴァ寺院の名にちなみ、ケオラディオ国立公園と呼ばれています。その後1981年にラムサール条約の登録湿地となり、1985年にはインドでは3つ目の自然遺産として、世界遺産に登録されています。

 

2004~2007年には干ばつ、そして付近住民の合意を得られず公園への水の供給が制限されたことにより生態系が激変する事態となりましたが、現在は水門によって人為的に給水量が調節され、公園内の環境は回復しています。公園は高さ2mの外壁で完全に覆われており、公園内での水牛の放牧を禁止するなど、野鳥の保護のための様々な対策が取られています。

 

早朝、ケオラディオ国立公園内の湖をボートで遊覧

 

ケオラディオには中央アジアや中国、シベリアから多くの野鳥が越冬にやってきます。アヒル、ガチョウ、ペリカン、サギなどをはじめ、オオワシやカタシロワシなどの絶滅危惧種も越冬地として利用しており、世界的にも重要な飛来地の一つとして1981年にラムサール条約にも登録されています。

 

 

間近での観察のチャンスも
間近での観察のチャンスも

サファリのシーズンは雨季の終わった10月から2月まで。早朝または夕方が観察に適しています。公園内はサイクルリキシャーで回ることができ、4WDやバスで移動する一般的なサファリとは異なり、静かな湖沼地帯の雰囲気を味わいながら野鳥を観察することができます。もちろん野鳥専門のガイドに案内をしてもらうことも可能ですが、サイクルリキシャーの運転手も簡単な英語を使って野鳥を教えてくれる方が多いようです。

 

サイクルリキシャーでケオラディオ国立公園を探索
サイクルリキシャーでケオラディオ国立公園を探索

 

来訪者の中には巨大な望遠レンズを何本も抱えて本格的に撮影をする方も多いです。公園はメインの道路の他に小さなトレイルがいくつも整備されており、時間をかけてゆっくりと回ることもできます。北インドの主要な観光地だけを巡るツアーではケオラディオ国立公園を訪れないツアーも多いのですが、賑やかな街や有名観光地とは対照的に、ゆっくりとインドの自然を楽しめるお勧めのスポットです。

 

次回の記事では、ケオラディオ国立公園で観察できる野鳥や動物について、ご紹介します。

 

「野鳥の楽園」:ケオラディオ国立公園②

 

 

Text by Okada

 

 

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インドの地理②ヒンドゥスタン平原とモンスーン(季節風)

前回の「インドの地理①」ではインド亜大陸についてご紹介しました。今回はインドの地理に関係するもの②として、ヒンドゥスタン平原とインドを代表する河川、そしてモンスーンについて、ご紹介します。

■ヒンドゥスタン平原

ヒンドゥスタン平原はパキスタンのインダス川、バングラデシュに注ぐブラフマプトラ川、そしてインドのガンジス川という3つの大河によって形成された平野部を指し、地図上で見ると「へ」の字状に広がっているエリアです。

 

インド地理図
インド地理図

 

現代の主な都市では、上流部ではヨガの聖地として知られるリシケシュデリー・アグラ・ジャイプルのいわゆる「ゴールデン・トライアングル」、下流域ではヒンドゥー教の聖地バラナシ、仏陀が悟りを得たブッダガヤをはじめとする仏教聖地などがこの平野に含まれます。インドの観光地としては最も人気の高いエリアです。

 

母なる大河・ガンジスとバラナシのガート群
ブッダガヤのマハーボディ寺院
ブッダガヤのマハーボディ寺院
ビハール州での収穫の様子。ガンジス川が悠々と流れるこのエリアは、大変肥沃な土地のため農作業が盛んです

 

ガンジス川はヒマラヤ山中のガンゴードリー氷河がその水源とされ、上流部ではリシケシュやハリドワール、中流域でカーンプルの街を通り、バラナシの約120㎞上流側のアラーハーバードでヤムナー川と合流します。その後バラナシ、パトナーを通り、下流域はバングラデシュに入って、最終的にベンガル湾へと注ぎ、河口部で巨大なデルタ地帯を形成しています。

 

ガンジス川の源流となるガンゴトリ氷河の末端:ゴウムク
ガンジス川の源流となるガンゴトリ氷河の末端:ゴウムク
ガンゴトリ氷河末端部から仰ぎ見るメルー山(6660m)
ガンゴトリ氷河末端部から仰ぎ見るメルー山(6660m)

 

ヤムナー川はガンジス川の源流であるガンゴードリー氷河から西に約70㎞の地点に水源をもち、ガンジス川に並行するように流れたのちに合流します。ガンジス川―ヤムナー川の流域は二河地帯と呼ばれ、豊富な水源と肥沃な大地を基盤として、有史以来多くの国々が興亡を繰り返してきた地域です。

 

アグラ城よりヤムナー川を挟んで見るタージ・マハル
アグラ城よりヤムナー川を挟んで見るタージ・マハル

ブラフマプトラ川は、中国・チベット自治区の南部からインド北東部、バングラデシュを流れる大河川です。全長約 2900kmで、ヒマラヤ山脈北のカンティセ 山脈を源を発し、インドのアッサム州、そこからバングラデシュとの国境で南に向きを変え、ダッカ西方 60kmでガンジス川下流のパドマ川と合流、その後ベンガル湾に注ぎます。

 

ブラフマプトラ川でのクルーズ

 

 

■モンスーン(季節風)とは

インドの1年の季節は主に暑期/雨季/乾季に分けられます。4~5月は時に気温が45度まで上がるような猛暑が続き、6月からは徐々に湿度が上がって9月末までモンスーンの時期、つまり雨季となります。

観光のベストシーズンは9月末~3月までの乾季で、この期間は気温・湿度ともに下がり過ごしやすい気候が続きます。1~2月頃は冬の時期となりますが、厳寒期に南下してくる大陸性の寒気は急峻なヒマラヤ山脈に遮られるため冬の寒さは平野部では厳しくありません。

 

このような気候の変遷には、モンスーン(季節風)の働きが大きく影響しています。では、そのモンスーンとはいったいどのようなものでしょうか。

モンスーンとは、もともとアラビア語起源の単語です。ある地域で特定の季節に吹く決まった方向の風を指しており、世界各地にその土地の季節風が存在します。インドの場合、アフリカの東側の海洋からアラビア海とインド洋で水分を蓄えながら“暖かい湿った空気“へと成長し、6月頃に南東からインドへ上陸して大量の雨を降らせます。「モンスーン」のみで、雨季を指すこともあります。

 

インドのモンスーン期、大量の雨が降り注ぎ道路が川のようないなってしまうこともしばしば… (写真:The straits times.com )
雨期、激しい降雨により泥にはなった道路にはまる車両… (写真:CNN.com)

 

また、乾季となる9月末以降は逆に大陸側(北側)から“冷たく乾いた空気”の大陸性モンスーンがやってきます。しかしこの寒気は上述したようにヒマラヤ山脈に遮られ、あまり平野部の人々には影響はありません。そのためインドの冬は穏やかで雨の少ない観光のベストシーズンとなっています。

 

インドにおけるモンスーンは莫大な降雨で河川の氾濫を起こす災厄でありながら、同時に水資源と肥沃な氾濫原をもたらす恵みあるものでもあります。現代ヒンドゥー教の主神のひとつシヴァの原型はアーリヤ人のヴェーダ信仰にあるモンスーンをつかさどる魔人ルドラと考えられていることからもわかるように、古代よりモンスーンは人々の暮らしに直結するものでした。現代でも河川の氾濫による被害もあれば、水資源に乏しい地域では雨季の降雨量が少ないと乾季に深刻な水不足に見舞われるなど、生活を大きく左右する存在です。

 

夏のモンスーンはインド亜大陸を抜けてさらに北東へ進みます。中国南部・南シナ海を経由して日本にまで及んだモンスーンが日本近海で中国内陸からの揚子江気団とぶつかって沖縄から九州南部にかけての地域で停滞前線が生まれ、これが梅雨前線と呼ばれ日本に梅雨の始まりをもたらしています。

 

Text by Okada

 

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インドの地理①「インド亜大陸」とは

インドは、329万㎢もの土地を有しており、世界第7位の大きさです。その国土の北側はヒマラヤをはじめとする山脈で区切られ、半島状に突き出た南側は海によって他の陸地から隔てられています。このような独立性の高い領域は、もともとは大陸移動によって形成されたものであり、その結果生まれたエリアを「インド亜大陸」と表現します。

 

およそ2億年前に最後の超大陸・パンゲアが分裂を始め、その際にアフリカ、マダガスカル、オーストラリア等と共に南側に位置していた古インド亜大陸は徐々に北上し、4500万年前ごろに古ユーラシア大陸に衝突しました。

その際に2つの大陸間の海の堆積物等が隆起して生まれたのがヒマラヤをはじめとする北部の山脈であり、そのためにエベレストなどヒマラヤの超高度地帯で海生生物の化石が発見されることはよく知られています。

 

インド半島を乗せたインド・オーストラリアプレートは現在も北上を続けており、ヒマラヤ山脈は今でも年間に2~3㎝程度ずつその標高を高くしています。

 

インド亜大陸地形図
インド亜大陸地形図。北の山脈群(黄)とチベット高原(茶)、その南にインダス川とガンジス川によって作られたへの字型の平野(青)、デカン高原(緑)が見て取れます。(出典:国土地理院/GSI Maps デジタル標高地形図)

 

「インド亜大陸」は「インド半島」とも呼ばれ、西側のパキスタンやアフガニスタン、東のネパール、バングラデシュ、ブータンなど周辺諸国も含みます。用語としてはもともと地理的な要素を示すものですが、このような特徴的な地理条件は結果として文化圏の形成にも寄与したため、この地域をある程度の共通性を持つ文化圏としても捕らえることができます。ただし、文化圏として呼称する際にはスリランカを含めて「南アジア」の語を用いるのが一般的です。

 

■「インド亜大陸」の範囲

大陸は海洋によってその境界線が引かれますが、インド亜大陸の境界線はどこになるのでしょうか。

 

ユーラシア大陸から南に向かって半島状に飛び出しているインドでは、まず南側は海洋が境界となります。西側はアラビア海、東はベンガル湾、南にはインド洋が広がっています。この3つの海を一度に見ることのできるインド半島南端のカニャークマリのコモリン岬は、インド国内でも人気のある観光地の一つです。

 

カンニャークマリにて、ベンガル湾から昇る朝日
カンニャークマリにて、ベンガル湾から昇る朝日

 

そして、インド亜大陸の北側の境界線はいくつかの山脈によって引かれています。これらの山脈は先に述べた大陸移動による大陸同士の衝突によって生まれたもので、世界最大の高山地帯となっています。

 

インド地理図
インド亜大陸の主な山脈と河川 (出典:辛島昇 編 『《新版世界各国史》7.南アジア史』山川出版社 2004)

 

西から順にみていくと、まずパキスタン側はスレイマン山脈が連なり、その麓にはさらに北西へ進むとアフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈、パキスタン・中国国境部のカラコルム山脈、中国・ネパール・ブータンと接するヒマラヤ山脈、ミャンマーとの国境となるアラカン山脈へと東へ続きます。

 

急峻な山脈は大規模な民族移動や外敵の侵入を防ぎ、インド亜大陸の独自色を高める要因となりました。数少ない交通路となったカイバル峠(パキスタン/アフガニスタン国境部)は交通の要所となり、アレクサンダー大王やムガル帝国の建国者・バーブルもこの峠からインドへ進軍しています。

 

ヒンドゥークシュ、カラコルム、ヒマラヤの3山脈が出合う地点(パキスタン)
ヒンドゥークシュ、カラコルム、ヒマラヤの3山脈が出合う地点(パキスタン)

 

■北インドと南インド、デカン高原

北側をこれらの山脈に囲まれたインドですが、インドの中央部にも山脈が連なっています。インド半島の中央部を東西に走るヴィンディヤ山脈は南北インドの境とされる場合もありますが、現在では南の西ガーツ・東ガーツ山脈とあわせてこれら3つの山脈で囲まれた範囲をデカン高原として捉え、その周縁海側の平野部を南インドと表現するのが一般的です。

 

カンニャークマリ付近から見た西ガーツ山脈
カンニャークマリ付近から見た西ガーツ山脈
広がるデカン高原と西ガーツ山脈のテーブルマウンテン

 

西ガーツ山脈(別称:サーヤドリ山脈)はアラビア海に沿い、総延長1600kmにわたり南北に連なります。平均標高は1,000mで、最高峰のアナイムディ山は2,695mの標高を誇ります。対して東ガーツ山脈は4つの河川によって分断されており、標高も西ガーツ山脈と比較すると低い山脈です。デカン高原・南インドでは、西ガーツ山脈を分水嶺として西側は傾斜の強い河川が多く、対して東側は大河川と共に肥沃なデルタ地帯が形成されています。

 

 

■平野と文化圏

これらの山脈、そして山脈を水源とする河川はインドの歴史を形作る一つの条件となってきました。南北の山脈からの豊富な水資源を持つ北部の平野はヒンドゥスタン平野と呼ばれ、西から現パキスタンのインダス川、インド北部をほぼ横断するガンジス川、インド北東部からバングラデシュへ流れるブラフマプトラ川の流域を指します。

 

特にガンジス川流域は、紀元前1000年頃からアーリア人が進出し、(北)インドの歴史の表舞台となってきた地です。上流域はヤムナー川が並行する両河地帯、中・下流域では2河川が合流しています。この2地域は諸国興亡の時代が続き、統一を果たしたのはインド史上においてもマウリヤ朝、グプタ朝、ムガル帝国の3勢力のみでした。

 

ガンジス川の朝の風景
ガンジス川の朝の風景

 

また、その他の地域でも河川を基軸に諸王国が興亡しますが、西海岸・東海岸・北東部の勢力範囲を超えることはほぼなく、インド史の勢力図が山脈と河川とによって大きく規定されてきたことがよくわかります。

 

日本の約8.7倍の面積を持つインド。地理的な条件でも多様な側面を持ち、各地の歴史や文化を形作っています。各地で大きく気候も異なるため、一つの国であっても様々な環境、そしてそれに基づく文化を感じられるところがインドという国の魅力でもあると思います。地理に関する記事はこれからもいくつか投稿していきますので、ぜひこの先もご覧いただければ幸いです。

 

Text by Okada
 


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異色の世界遺産:カジュラホ寺院群②

ナマステ!西遊インディアです。
今回は、カジュラホの寺院群について西群、東群、南群とそれぞれエリア毎に詳しくご紹介します。

■カジュラホの寺院群①西群のヒンドゥー教寺院

カジュラホのメインとなるのはここ、西群の寺院群です。入場ゲートを通ってまず左手に見えるのはラクシュマナ寺院。チャンデーラ朝のヤショーヴァルマン王によって8世紀中ごろに建設されたもので、ヴィシュヌ神に捧げるものとされています。中央の本殿と左右の小祠堂から成り、南北の面のミトゥナ像、また基壇部分に一列の帯状に施された長大な彫刻群が際立っています。

 

ラクシュマナ寺院
ラクシュマナ寺院

 

ラクシュマナ寺院基壇部の彫刻
ラクシュマナ寺院基壇部の彫刻

ラクシュマナ寺院の向かいにはヴァラーハ寺院が建設されています。こちらはヴィシュヌ神の2つ目の化身とされるヴァラーハ(野猪)を祀ったもので、大きな野猪の彫像が安置されています。

 

ヴァラーハ(野猪)寺院
ヴァラーハ(野猪)寺院

 

カジュラホ最大の寺院は、西群エリアの最も奥にあるカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院。11世紀初頭、チャンデーラ朝の最盛期のヴィデヤダーラ王の治世で建設されたものです。奥行33m、幅18m、高さ35mの壮大な寺院はシヴァ神に捧げられたもので、シヴァ神が住むとされるカイラス山の姿を模して建設されています。このカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院だけでも870以上の彫像が施されており、そのうちの10%ほどをミトゥナ像が占めています。

 

カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院
カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院 近寄ると凄い迫力です
カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院南壁のミトゥナ像
カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院南壁のミトゥナ像

 

また、カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院と同じ基壇上に、ジャガダンビー寺院と小さなシヴァ祠堂も建設されています。こちらはカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院より古く、一代前のダンガ王によって建設されたもの。ダンガ王の時代には、同様に西群のチトラグプタ寺院ヴィシュワナータ寺院、そして東群のジャイナ教寺院:パールシュワナータ寺院も建設されています。

 

左からカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院、シヴァ小祠堂、チトラグプタ寺院
左からカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院、シヴァ小祠堂、ジャガダンビー寺院

 

 

■カジュラホの寺院群②東群のジャイナ教寺院群

東群は主にジャイナ教の寺院群が並んでいます。西群と比べると規模は小さいものの、こちらでも精緻な彫刻群を見ることができます。ミトゥナ像はジャイナ教寺院群ではあまり顕著には施されていません。

 

東群で目を引くのはパールシュワナータ寺院。ジャイナ教の寺院ではありますが、西郡のヒンドゥー教寺院と同時期に建てられたものであるため、基本的な構造やデザインは共通するものが多くあります。しかし彫刻のモチーフはジャイナ教寺院では男女が寄り添うものの彫像が多く、穏やかな雰囲気です。

 

パールシュワナータ寺院の壁面彫刻
パールシュワナータ寺院の壁面彫刻。最下段の中央の像は「アイシャドウを塗る女性」として、その造形の素晴らしさが知られています。

 

「アイシャドウを塗る女性」

 

また、東群のシャーンティナータ寺院は現在でも信仰の場として利用されているジャイナ教寺院です。タイミングが合えば、信者の方がお祈りをしているところを見ることができます。寺院内ではジャイナ教の祖師(ティールタンカラ)たちの彫像が安置されている他、ジャイナ教徒が使用するクジャクの羽製のほうきなども展示されています。

 

シャーンティナータ寺院
シャーンティナータ寺院
寺院内のティールタンカラ像
シャーンティナータ寺院内のティールタンカラ像

 

 

■カジュラホの寺院群③南群 ヒンドゥー教寺院

南群の2寺院は点在する形となっており、カジュラホでの寺院建設の最後期となる12世紀前半に建設されたものです。南群の寺院群では、西群とは異なりミトゥナ像が見られなくなったり、他の彫像の陰になったりしており、寺院彫刻の中での主要度が低くなっていることがわかります。

 

ドゥーラーデオ寺院
シヴァ神に捧げられたドゥーラーデオ寺院

 

ヴィシュヌ神に捧げられたチャトルブジャ寺院
ヴィシュヌ神に捧げられたチャトルブジャ寺院
チャトルブジャ寺院のミトゥナ像
チャトルブジャ寺院のミトゥナ像。他の彫像と比べて奥の陰になる部分に施されており、寺院におけるミトゥナ像の主要度が減じていることがわかります。

 

■カジュラホのライトアップと祭り

カジュラホでは、夜になると西郡の主要寺院のライトアップが行われ、ヒンディー語と英語でカジュラホの歴史を開設するライトアップショーが開かれています。日中の観光を終えたうえで鑑賞すれば、より深くストーリーを理解することができます。

 

また、毎年2月20日から26日の一週間は、カジュラホ・ダンスフェスティバルが開催されています。西群の寺院群のそばに作られるステージでは、カタック、バラタナティヤム、オディッシー、クチプディ、マニプリ、カターカリ等インド各地の伝統舞踊の公演が行われます。ちょうど晴天の続く乾季のベストシーズンにあたりますので、お祭りにあわせて訪問するのも面白いかもしれません!

 

khajurahodancefestival.comより、2019年のフェスティバルの様子

 

 

 

カジュラホの遺跡は半日あればメイン所は見ることはできます。ですが、なかなかアクセスも容易ではない場所なので、ぜひ1泊して、ガイドの解説に耳を傾けつつゆっくり見学されることをお勧めします!

 

また、一点ご注意ですが、カジュラホは本当に遺跡以外何もない村です。そのため遺跡周辺で観光客が来るのを待ち構えている物売りの人たちのガッツが、他の観光地とは比べ物にならないくらい凄いです…。要らないものを押し売りされそうになった時は、はっきりと、「要らない!」と言いましょう(絶対に彼らは一度では諦めませんが…)。

 

Text by Okada

 

 

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異色の世界遺産:カジュラホ寺院群①

ナマステ!!!西遊インディアです。

今回は、インドの世界遺産の中でも異彩を放つ、カジュラホの寺院遺跡群をご紹介します。

 

カジュラホ最大の寺院:カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院
カジュラホ最大の寺院:カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院

 

■カジュラホの位置と概要

カジュラホはインド中央部のマディヤ・プラデーシュ州の北西部、デリーからは南東に約650kmに位置する町です。規模としては非常に小さな田舎の村、という具合ですが、そのユニークな遺跡群の存在のために世界的に有名です。

 

デリーからカジュラホへ行くには、乾期のシーズン中であれば、国内線が運航されますが、1日1,2便のみの運航です。もし国内線の運航がない・もしくはスケジュールが合わなければデリーから特急列車でジャンシーという街まで行き、そこから車両で約4時間程移動すると、カジュラホに到着します(長い道のりですが…)。

または、バラナシ、アグラ、ジャイプル等からカジュラホ行の列車も運行されていますので、カジュラホのみ単体で行くのではなく、周辺の観光地と一緒に組み合わせて行かれると良いかと思います。

 

 

 

カジュラホの遺跡群は東・西・南の3群に分かれており、そのうち西・南の2群がヒンドゥー教、東群はジャイナ教の寺院が残っています。最も人気があるのはメインとなる大規模な寺院が集中する西群のエリアです。それぞれのエリアは車で5分ほどの距離に位置しています。

 

巨大な寺院の壁面を覆うように施された精緻な彫刻群はまさに圧巻の迫力があり、特に男女の性行為の様子を表現したミトゥナ像と呼ばれるユニークな彫刻を見るため、多くの旅行者が訪れます。

 

 

カジュラホ
一瞬ぎょっとするカジュラホのミトゥナ像

 

これらの寺院は10世紀初頭から12世紀末までの間にこの地で栄えたチャンデーラ朝が建設したものです。チャンデーラ朝は5世紀ごろから北方の遊牧系の民族が定住化・ヒンドゥー教化して古代クシャトリヤの末裔を自称し、各地に王国を建設したラージプート族の一派です。当時は全部で85もの寺院を建設したと言われていますが、現在はそのうちの25の寺院が残されております。

 

現存する寺院の多くは970~1030年の間に建設されたもので、主要なものではヤショヴァルマン王の治世のラクシュマナ寺院ダンガ王の治世のヴィシュワナータ寺院、そしてヴィリダダーラ王の治世の建設であり現存する最大の寺院・カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院などです。また、東群のジャイナ教寺院も同時期に建設・利用されたことが分かっており、当時のカジュラホでヒンドゥー教徒とジャイナ教徒が平和的に併存していたことがわかります。

 

 

寺院群は12世紀後半までは実際の信仰の場として利用されていましたが、13世紀からはデリー・スルタン朝の支配下に入り、その後のイスラム系王朝の支配の下でもヒンドゥー教寺院の破壊が進められ、多くの寺院がそのまま放棄されました。

 

その後、19世紀に英国の測量士がカジュラホを発見するまでは寺院群はジャングルに覆われていました。カジュラホは1986年に世界遺産に登録され、柵の設置や公園内の整備、また街に空港を建設するなど観光地としての整備も進められています。

 

カジュラホ
美しく整備された公園。時期によってはブーゲンビリアが綺麗に咲きます

 

■ミトゥナ像とシャクティ信仰

カジュラホの際立った特徴はミトゥナ像と呼ばれる、男女の性行為の場面を描いた彫刻です。ミトゥナは「性的合一」を指すサンスクリット語で、カジュラホでは2人あるいはそれ以上の男女、また時には動物が交わった像が寺院の壁面に数多く彫刻されています。カジュラホのこの様なユニークな彫刻群はただ単に性行為の場面を描いたものではなく、実はヒンドゥー教のシャクティと呼ばれる独特の信仰の表現によるものです。

 

カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院南壁のミトゥナ像
カンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院南壁のミトゥナ像

 

ヒンドゥー教ではシヴァ・ヴィシュヌ・ブラフマーの男性神3柱が主神とされていますが、現在ではブラフマーの人気が低くなり、それに代わって女神信仰がもう一つの主な一派となっています。現在のヒンドゥー教における女神には、もともとはヒンドゥー教由来ではない土着の地母神が多く存在します。ヒンドゥー教はそれらの地母神を男性神の伴侶の女神、またその女神の化身として設定することで、土着の信仰集団をヒンドゥー教に取り込み、勢力を拡大していきました。ヒンドゥー教の主な神々が多くの化身を持っているのも、このような宗教としての発展の歴史に由来しているものです。

 

シャクティとは「」あるいは「性力」と訳されますが、単に性的な力を指すものではなく、もともとは神の内部に宿る神聖なエネルギーを指す概念です。そして、そのシャクティは男性神としては現れず、女性の姿で顕現すると考えられました。つまり、例えばシヴァのシャクティ(神の力)は妻のパールヴァティ、あるいはその化身のドゥルガーやカーリーの姿で現れる、という考えです。

 

そこからヒンドゥー教では、男女が一つとなって初めて完全なものとなるという思想が生じます。顕著な例がシヴァ神とその妻パールヴァティが一体となったというアルダーナリシュヴァラと呼ばれる姿。右半身がシヴァ、左半身がパールヴァティのこの神の姿は、まさに男女の性的合一、完全な状態を表しています。

 

アルダーナリシュヴァラ
アルダーナリシュヴァラ

 

女神信仰はシャクティ派と呼ばれ、各地で様々な女神がシャクティの顕現として信仰されています。現在ではシヴァ派、ヴィシュヌ派に並ぶ勢力となっており、ブラフマー神に代わって新たなトリムルティを形成しているとも言えます。またシャクティ信仰の思想はシヴァ派・ヴィシュヌ派にも影響を与えており、シヴァ、ヴィシュヌのシャクティはそれぞれの妻となる神の姿で顕現すると考えられています。

 

そのようなシャクティ信仰が彫像として具体化する際には、時として特に性的な部分が強調され、非常にエロティックな像として現れます。カジュラホの寺院を装飾するミトゥナ像や天女の像はこのようなシャクティ信仰に基づくものと考えられ、カジュラホの寺院を特徴づけています。

 

 

カジュラホその②へと続きます!

 

 

 

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ジャイプル③ ジャイプルの観光スポット!

ナマステ! 西遊インディアです。

今回は、人気の観光スポット・ジャイプルのみどころを詳しく紹介します。

 

▮アンベール城

 

山上の砦:アンベール城
山上の砦:アンベール城。左奥にはさらに古い都であるジャイガルが見えている。

アンベール城は、1727年にジャイプルの建設が始まるまでアンベール王国の都として利用されていた城。ジャイプル市街から約11㎞北東に位置し、平野部から40mほど標高の高い丘の上に建設され、周囲は堅牢な城壁で囲われています。

 

ここでは、入り口から城内部へ象のタクシーに乗ることができます。当時は象での入場は一部の上流階級にのみに限られていましたが、現在では一般の観光客もマハラジャ気分で象に乗ることができます!人の視点よりはるかに高い像の背からの景色は格別です。

 

象のタクシーに乗ってアンベール城へ
象のタクシーに乗ってアンベール城へ
象の背からの眺め
象の背からの眺め

入り口の広場で像を降り階段を上ると、広場を見下ろす場所にあるのが一般謁見所ディワニ・アームです。貴族向けではなく一般民衆に開かれた謁見所ですが、柱や欄干の細かな装飾の美しさが光ります。

 

一般謁見所(ディワニ・アーム)

 

ここからガネーシャ門をくぐると、王族のエリアとなります。細やかな装飾で彩られた門はアンベールでも最も有名なスポットのひとつ。麓から見上げると堅牢な城壁のイメージが強い城ですが、ガネーシャ門の内側へ足を踏み入れると繊細で豪奢な装飾に彩られた建築が並んでおり、当時の様子を偲ばせます。

 

ガネーシャ門
ガネーシャ門

 

鏡による装飾が美しい「鏡の間」
鏡による装飾が美しい来賓謁見所ディワニ・カースは、「鏡の間」としても知られます。

 

最奥部に位置するハーレム。壁面にはいたるところにフレスコ画の装飾が施されています。
最奥部に位置するハーレム。壁面にはいたるところにフレスコ画の装飾が施されています。

▮シティ・パレス

 

シティ・パレス 中央の建物に旗が掲げられている
中央の建物(チャンドラ・マハル)に、王族が滞在していることを示す旗が掲げられている

シティ・パレスは、1733年に完成したジャイプルの宮殿。現在でも一部で王族が暮らしており、王族が滞在しているときには、王宮にそれを示す旗が掲げられています。

 

まず中央に位置するのが貴賓謁見所のディワニ・カース。謁見の間には銀製の巨大な甕が置かれており、これは1902年に当時の王がイギリス国王へ謁見に向かう際、ガンジス川の水をこの甕に入れて運び、船の上で沐浴をしたものです、高さ1.6mのこの甕は世界最大の銀製品としても知られています。

 

シティ・パレスの一般謁見所と銀の壺
シティ・パレスの貴賓謁見所と銀の甕

このディワニ・カースの広場の周りに各施設が隣接しており、西側にはピタム・ニワス・チョークと呼ばれる中庭が広がっています。この回廊部分にクジャクの扉をはじめとする4つの装飾扉が設置されています。

 

ピタム・ニワス・ チョウクのクジャクの扉 上部の装飾
ピタム・ニワス・ チョウクのクジャクの扉 上部の装飾

また、迎賓館ムバラク・マハル、一般謁見所ディワニ・アームは現在はどちらも展示室として公開されています。残念ながら施設内の写真撮影は禁止されていますが、当時の王族が身に着けた豪奢な衣服やテキスタイル、またジャイプルの諸王の肖像画等を見学することができます。

 

 

ジャンタル・マンタル天文台

ジャイプルの街を建設したジャイ・シン2世は天文学に造詣が深く、インド各地に天文台を建設しました。ジャイプルのほかにもデリー、ウジャイン、バラナシ、マトゥラーと計5箇所に天文台が建造されましたが、ジャイプルのものが最大規模を誇ります。

 

敷地内には様々な天体観測機器が並んでいますが、最大の機器がサムラート・ヤントラと呼ばれる日時計です。基本的に日時計は高さが高くなるほど計測精度が上がるものですが、高さ27.4mのこの日時計は2秒単位の時間を計測できます。

 

ジャンタル・マンタルの巨大な日時計:サムラート・ヤントラ
ジャンタル・マンタルの巨大な日時計:サムラート・ヤントラ

インドでは占星術が非常に重視されていたため、正確な時刻や天体の位置を観測するために各地にこのような天文台が作られました。ジャイプルではラーシ・ヴァラヤ・ヤントラと呼ばれる観測器が12星座のそれぞれの方向に向かって設置されており、併設された機器と併用することで非常に正確な星座の観測を可能にしていました。

 

ラーシ・ヴァラヤ・ヤントラ
12星座を観測するラーシ・ヴァラヤ・ヤントラ。同様の小型の機器が12基並んでいます。

ジャイプルのジャンタル・マンタルには全部で16の観測儀があり、それぞれ時刻や天体の位置、日の出と日没の方向、赤道座標…など様々な観測を担っており、またそれぞれの観測結果を補正データとすることでより正確な観測が可能でした。マハラジャはこれらの機器をもとに暦の製作や天候予測を行い、政治や祭儀に活用していたといわれています。

 

天体の赤道座標と地平座標をはかるジャイ・プラカーシュ・ヤントラ
天体の赤道座標と地平座標をはかるジャイ・プラカーシュ・ヤントラ

ジャンタル・マンタルは1901年に修復が行われ、現在も正確に観測がつづけられています。イギリスの統治が始まってから欧米由来の高性能な観測機器が持ち込まれたためにその後の拡大がされることはありませんでしたが、ジャイプルの天文台は現在でも十分に機能しており、実際にその様子を見学することができる数少ない場所です。

 

ラグ・サムナート・ヤントラ
小型の日時計であるラグ・サムナート・ヤントラでは、影から実際の時刻を確認することができます。

 

 

▮風の宮殿 ハワー・マハル

1799年にジャイ・シン2世の孫:プラテープ・シンによって建設。シティ・パレスのそばの大通りに面して作られており、宮廷の女性たちが外から姿を見られずに街の様子を見られるように窓がつけられています。どの窓からも風が入るような設計から、風の宮殿と称されます。

 

風の宮殿:ハワー・マハル
風の宮殿:ハワー・マハル

前面からの姿が非常に印象的な建築ですが、背後へ回ってみると意外と奥行きの無い建物であることがわかります。出窓部分には鮮やかなステンドグラスが施されており、町の様子を一望することができます。また反対側には上述のシティ・パレスやジャンタル・マンタル、さらにアンベール城へと続く岩山まで見通すことができ、市内の絶好の展望スポットにもなっています。

 

背面から見た風の宮殿
背面から見た風の宮殿

 

出窓部分のステンドグラス
出窓部分のステンドグラス

また、ジャイプルは宝石や彫金、象牙細工、絨毯、陶器、手織物などの手工業が盛んなことでも知られています。特にブロックプリントと呼ばれる独特な手法で装飾される更紗は世界的に評価が高く、これを買うためにジャイプルを訪れる人も少なくありません。

 

ジャイプルの手芸店。美しい糸が一面に並びます。
ジャイプルの手芸店。美しい糸が一面に並びます。

 

ブロックプリントについてはこちらの記事で特集しています!ぜひ併せてご覧ください。

■ジャイプル ブロックプリント編

 

 

 

Text by Okada

 

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ジャイプル② ラジャスタン州とラージプート族

ナマステ、西遊インディアです!

今回はラージャスターン州とこの地で長い定住の歴史を持つラージプート族について、ご紹介します。

■ラージャスターン州とラージプート族

 

前回ご紹介した通り、ジャイプルはインド北西部、ラジャスタン州に位置しています。ラジャスタン州はインド最大の土地面積を有する州であり、その名は「王(Raja)の土地(Sthan)」を意味します。もともと古代インドのサンスクリット語で「部族の長」を意味する語だった「ラージャン」は後に「王」の意に転じ、インドの支配者たちが長く用いてきました。そして、「王の子」を意味するサンスクリット語の「ラージプトラ」の俗語形がラージプートです。

 

ラージプート族は自らの部族を古代インドの栄誉ある戦士階級とされるクシャトリヤの正統な末裔であると主張します。クシャトリヤは、5世紀頃に中央アジアからインドへ入ったエフタルに伴ってインドへやってきた中央アジア系の民族や、土着の諸部族にルーツを持つと考えられています。

 

インドの歴史的な身分制度:ヴァルナ制ではバラモン(祭司)・クシャトリヤ(戦士)・ヴァイシャ(平民・商人)とシュードラ(労働者・隷属民)の4つに分けられることはよく知られています。インドの王権社会では、政治的権力をつかさどるクシャトリヤ階級、そして宗教的権力を司るバラモン階級がお互いに協力して支配者階級としての特権を維持しようとしていました。これは王権の偉大さを主張したいクシャトリヤはバラモンにクシャトリヤの宗教的な正しさを示してもらい、バラモンはクシャトリヤに宗教的な権威を与えることで自らの庇護を求める、という互助関係です。

 

あくまでバラモンは司祭階級である自分たちが最高権力であるという立場でしたが、実際には王権をもつクシャトリヤの力は強大であり、クシャトリヤとバラモンの関係も完全な協力体制ではなく微妙なバランスの上に成り立つものでした。2階級間の争いも多く、ヴィシュヌの6番目の化身・パラシュラーマの物語にもみられるように、ヒンドゥー教の神話の中でもその軋轢が描かれています。

 

クシャトリヤを殲滅したパラシュラーマ(右)
クシャトリヤを殲滅したパラシュラーマ(右) (画像出典:長谷川 明  著「インド神話入門 (とんぼの本)」新潮社)

 

ラージプート族も自らの宗教的な権威を民衆に示すためにバラモンを利用しました。8~12世紀の北西インドはラージプート時代と呼ばれ、ラージプート族がバラモンの協力を受けて神話上の英雄にまで遡る系統図を作っています。自らが英雄的な神の子孫であることを示すことで、王権の正当性を築いたというものです。

 

ラージプート族はクシャトリヤの戦士の末裔としての自負を持ち、強い結束を持った誇り高い戦士として知られています。封建的な社会で上下関係と騎士道を重んじ、女性には貞淑が求められました。独立勢力としての誇りが高かったためにラージプート族全体で団結することはありませんでしたが、その後の度重なるイスラム勢力の侵入に対しても個々に抵抗し、インドにイスラム政権が成立した後も政権に服従しながらも地方勢力として存続し、たびたび離反・独立してイスラム勢力に対抗しています。

 

ムガル帝国の弱体化した後はインドの他勢力と同様にイギリスの侵略を受け、19世紀初めまでにその多くが藩王国としてイギリスに吸収されていきます。その後、インド独立後にラージプートの諸藩王国はラジャスタン州として併合されていきました。

 

ジャイプルからは少し離れますが、同じラジャスタン州のチットールガルを舞台にした映画『パドマーワト 女神の誕生』が2018年インドで作成・公開されました。インド映画史上最高の製作費約36.4億円をかけて作成されたというこの映画は、日本でも話題となり2019年に公開されています。

13世紀のラジャスタンを舞台にした本作では、ジャイプルのジャイガル城(アンベール城の奥に控える要塞)でもロケが行われました。

 

(C)Viacom 18 Motion Pictures (C)Bhansali Productions
(C)Viacom 18 Motion Pictures (C)Bhansali Productions

 

脚本や映画の時代考証等でインド国内で大きな論争を引き起こした映画ですが、インド映画史上最も興行的に成功した映画の一つでもあり、当時のラジャスタンの雰囲気を体感できる映画です。

 

詳しくは神保監督のブログをご覧ください!

 

■パドマーワト 女神の誕生 | 700年の時を越え現代に甦る、伝説の王妃 ラーニー・パドミニー

 

 

今回は文字ばかり多くなってしまいましたが、次回は写真をジャイプルの街の見どころを写真をたっぷり使ってご紹介します!

 

 

Text by Okada

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