チャンディーガル建築さんぽ 
【番外編】ピエール・ジャンヌレ

チャンディーガル建築博物館に展示されているジャンヌレの椅子

ナマステ!西遊インディアです。

今回は、チャンディーガル建築さんぽの番外編。ル・コルビュジエとともにチャンディーガル都市計画を成功させた立役者の一人である、建築家ピエール・ジャンヌレについての記事です。
 
近年、日本のインテリア業界でも「プロジェクト・チャンディーガル」の家具シリーズが人気を博し、注目を集めるピエール・ジャンヌレ。
都市計画の際につくられた家具が展示されている建築博物館と、実際にジャンヌレが暮らした邸宅を改装したジャンヌレ博物館もあわせてご紹介します。
 
■もくじ
1. コルビュジエの影を貫いた天才 ピエール・ジャンヌレ
2. チャンディーガル建築博物館
3. ピエール・ジャンヌレ博物館

1.コルビュジエの影を貫いた天才 ピエール・ジャンヌレ

ピエール・ジャンヌレCasa le roche, CC BY-SA 3.0,Wikimedia Commons

1896年、スイスのジュネーヴに生まれたピエール・ジャンヌレ Pierre Jeanneret(1896年3月22日-1967年12月4日)。ル・コルビュジエの従兄弟にあたります。
ジュネーヴの美術学校で建築を学んだのち、パリに移住し、1922年にエドゥアール・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)とアトリエ事務所を設立。コルビュジエの重要なパートナーとして、建築実務を担当しました。
その信頼関係の強さは、コルビュジエがチャンディーガルの都市計画を引き受ける際に、ジャンヌレを現地監督とすることを条件にするほど。それほどジャンヌレはコルビュジエにとって重要な存在でした。
ちなみにチャンディーガルの都市の中でジャンヌレが製作した代表的な建造物は、パンジャブ大学のガンディー・バワン、セクター17のバスターミナル、マウントビューホテルなどがあります。
スクナ湖でボートに乗るコルビュジエとジャンヌレ AmitojSingh1, CC BY-SA 4.0, Wikimedia commons

ジャンヌレと家具
ジャンヌレは建築だけでなく、家具の設計も行いました。コルビュジエと共同することもあれば、独立して制作したものもあります。
なかでも、ここ10年ほどで脚光を浴びているのが、ジャンヌレがチャンディーガル都市計画のプロジェクトと一緒にデザインした、椅子をはじめとした家具。
大学や裁判所など、都市計画で造られた建物に設置するために製作されたのもで、現在も裁判所内にはジャンヌレのデザインした椅子が置かれています。
建築博物館に展示されるジャンヌレの椅子

当時は、まだ工業化が進んでいなかったインド。数千脚以上も製作する必要があったため、チャンディーガルを含め、各地で現地製作チームの職人たちがジャンヌレ(ジャンヌレがリーダーを務めた製作チーム)の作成した図面から、手作業で家具を作ることになりました。
 
現地のさまざまな工房の職人が製作できるよう、図面と大まかなアドバイスだけで実現可能なデザインを考案。留め具を使わないシンプルな技術が用いられ、素材には、昔からよく流通していて入手が簡単だったチーク、サトウキビなど地元の素材が利用されました。
チャンディーガル建築博物館に展示されている、ジャンヌレデザインのデスクと椅子

これらの家具は販売用ではなく、プロジェクトで建造する官公庁などに置くためのものだったこともあり、必ずしも図面通りである必要はなく、それぞれ現場の状況判断でアレンジしても構わなかったそうです。そのため同じ図面を元にしていても、様々なバリエーションが存在します。
こうした経緯で、元来あるインドの伝統的な手工芸とジャンヌレのデザインが掛け合わされたことによって、現代においても愛されるモダンな作品が生まれました。
 
しかし、1990年代には、老朽化のためスクラップとして投げ売りされたり、廃棄されていたこともありました。現在では信じられないような状況です。
そこに目をつけたのがパリのギャラリー。収集を始め、展示会等を開いたことにより影響力のあるクリエイターの目にとまり、世界中から注目を集めることになりました。
2015年にはインドの工房が復刻版製作プロジェクトをはじめ、その優れたデザイン性が広く知られることに。今ではオークションで高値で取引されたり、日本でもジャンヌレの家具を集めた展覧会が開かれるほどの人気があります。
チャンディーガル・プロジェクトのメンバー写真(中央がコルビュジエ、左隣のその隣、白いスーツがジャンヌレ/チャンディーガル建築博物館)

2.建築博物館 Chandigarh Architecture Museum

実際にジャンヌレの家具が見られる場所を訪れてみました。
まずは、チャンディーガル都市計画の軌跡を中心に展示する建築博物館。
博物館や美術館があつまるセクター10の、政府博物館・美術館(The Government Museum & Art Gallery)と同じ敷地内にあります。

チャンディーガル建築博物館の入口

入館料10ルピー、カメラ持ち込み代は10ルピー。
キャピトルコンプレックスの立法議会棟などと同様、貴重品以外のバッグは入口の棚に預けます。

中には、チャンディーガル都市計画の設計図や模型、当時の写真に加え、ジャンヌレの椅子の様々なバリエーションも展示されていました。

座り心地を体感してみたい気もしますが、貴重な展示物なので座るのは禁止です。

3.ピエール・ジャンヌレ博物館 Pierre Jeanneret Museum

次に、ピエール・ジャンヌレの暮らした邸宅をミュージアムとして開放しているピエール・ジャンヌレ博物館(Maison Jeanneret)。
こちらはキャピトルコンプレックス近くのセクター5、都市計画でつくられた人工湖のスクナ湖のそばの住宅地にあります。

メゾン・ジャンヌレ(ピエール・ジャンヌレ博物館)

入館料20ルピー、カメラ持ち込み代は30ルピー。
建物に入る前にレセプションで手続きをして、中を見学します。

内部には写真や手紙の展示、そしてめったに見ることのできないジャンヌレ私物の木製家具などを通して、ジャンヌレがインドで過ごした時間と創作のプロセスを垣間見ることができます。

椅子のミニチュア展示も

3階建てのうち、2階までは博物館、3階は宿泊施設として改装され、なんと予約をすれば実際に宿泊することもできます。


インドを去る1965年まで、ジャンヌレは実際にこの邸宅で暮らしていました。

裏庭から見た建物。目のような形をした窓は外からみるとこんな感じです

ジャンヌレは都市計画が始まってからチャンディーガルに移り住み、コルビュジエがプロジェクトを去った後も、この地に留まり約14年間暮らしました。そこでチャンディーガルのチーフ・アーキテクトとして、またインドの近代建築の発展に寄与したのち、1965年に病気のためインドを離れ、1967年に死去。
ジャンヌレの遺言により、遺灰は遺族によってスクナ湖に散骨されたそうです。
 
天才でありながらもコルビュジエの影に徹したジャンヌレですが、今なおその功績を称えて保存される建築物や彼の軌跡から、チャンディーガルに対する思い入れと繋がりの深さが伝わってきます。
市民の憩いの場になっているのどかなスクナ湖

 
※入館料などの情報は2024年2月訪問時のものです。ご訪問の際は最新情報をご確認ください。
 
参考:チャンディーガル州政府公式サイト、建築博物館及びジャンヌレ博物館展示物
 
Photo & Text: Kondo
 


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