皆様こんにちは。今回ご紹介するのは入滅の地クシナガルです。
古代インドの十六大国の一つで、マッラ人の首都。仏典によれば、人々は釈尊の遺体を荼毘に付し、ここに塔を建てて祀ったと伝えられ、法顕や玄奘が訪れたころにはすでにさびれていたが、精舎や塔があり、仏陀の涅槃像が安置されていたようです。
釈尊の故郷ルンビニはクシナガルの北側に位置し、「父・母に足を向ける事はできない」との意味から「頭を北にして」涅槃に入られたとのこと。これが「北枕」の習慣の始まりだといわれます。
まずは、大涅槃堂。
インド政府により1956年(釈尊生誕2500年記念事業)に建立されました。内部の涅槃像は、砂岩製で5世紀、グプタ王朝期に作成され、19世紀にアレキサンダー・カニンガム(イギリスの考古学者)らが発見したもの。
大涅槃寺の周囲には、僧院跡の遺構が残ります。
涅槃堂からすぐ近くの場所に釈尊が最後の説法を行った場所があります。
小さな精舎の中には11世紀パーラ王朝時代の降魔成道像が安置されています。
そして車で5分程移動したところにある荼毘塚(ラーマーバル仏塔)
釈尊の遺体は、荼毘に付されると時、火はなかなか付かなかったが、後継者たる摩訶迦葉が500人の弟子と1週間後に到着して礼拝すると、自然に発火したという説があります。
クシナガルとラジギールの間に位置するヴァイシャリ。
商業都市として栄えたリッチャヴィ族の都。ジャングルの猿までが、釈尊にハチミツを供養したのもこの地だそう。
釈尊が最後の旅の途次に立ち寄った地で釈尊の死後、第二結集が行われたといわれています。
仏舎利が発見された八分起塔は4回ほど増築されています。発見された仏舎利は現在パトナ州立博物館にあります。
アショカ王柱も非常にきれいな状態。三ヶ月後に涅槃することを修行者たちに宣言された場所という説もあります。
柱頭の獅子像は、現存する獅子像では最古の様式です。
西遊旅行のツアー「仏陀の道」では、クシナガルから国境を越えて生誕の地ルンビニへと向かいます。
釈尊が誕生した場所といわれる場所に建てられたマヤ・デヴィ寺院。建物の中には、1996年に発掘された釈尊がこの地で誕生したことを記すマーカーストーンやマヤ夫人の像、紀元前3~7世紀ごろのものと考えられるレンガ造りの礎石を見ることができます。
目の前のプスカリニ池は、マヤ夫人が出産の前に沐浴し、釈尊の産湯にも使われたといわれる池です。
現在(2022年2月)、国境が開いていないので陸路での移動は難しいですが、クシナガル周辺での仏跡周遊の際は、是非お隣のネパールまで足を運んでみてください。