ヒマーチャル・プラデーシュ州の魅力③ カングラ鉄道

サチパスの紹介をした際に「英国人がヒマーチャルを「発見」したのは、シク教徒とグルカ族の戦争の後で、20世紀初頭には狭軌鉄道が建設され、一本はシムラ方面へ、もう一本は、カングラ渓谷を貫くように敷かれました。」書いていたのですが、シムラ方面の鉄道は山岳鉄道群として世界遺産に登録されたシムラ・カルカ鉄道です。

今回は、もう一つのトイトレイン カングラ渓谷を走るカングラ鉄道のご紹介です。

 

■カングラ渓谷鉄道

ダージリンのトイトレインと同じように1926年~1929年にかけてイギリスによって敷かれた鉄道で、線路幅は76.2mmのナローゲージ。そのため機関車は小さくエンジン出力が弱いために勾配が緩やかな南方向への迂回ルートをとっていてその分、鉄道距離は長くなり、Joginder Nagar駅~Pathankotまで全長164kmを繋いでいます。ダージリン、ニルギリ、シムラなどインドの他の山岳列車が既に世界遺産に登録 されている一方でカングラ鉄道はまだ世界遺産に申請中。この列車は観光用ではなく普通のローカル線で、地元の人の生活の足になっています。

朝、人気のない駅で入線を待ちます。

列車が来ないと、切符売り場もオープンしません。

 

運行率は8割ほどらしい、この路線。

観光客は少ないですが、地元の人で席も混みあいます。

 

 

ダラムサラに程近いカングラ渓谷は、古くから仏教と深い関係があり、635年、三蔵法師がその旅行記の中で、かつてこの周辺に50もの仏教僧院があり、そこで2000人以上もの僧侶たちが修行していたことを記しています。しかし、その数世紀後、バラモン教の隆盛により仏教はこの谷間から消えます。1849年、イギリスはダラムサラを軍の駐屯地に決め、アッパーダラムサラはイギリス人たちの避暑地となりました。

アッサム、ダージリンと同様にお茶の生産も盛んに行われていたようです。

しかし、1905年に大地震に見舞われ、住民たちは麓のロウアーダラムサラの安全な場所に移動。そして、1947年、インドが独立するとダラムサラからイギリス人たちはいなくなったそうです。

雪山を眺めながら、のんびりと列車の旅が楽しめます。

 

11月撮影
11月撮影

11月頃よりは3月頃の方が雪山がはっきり見える印象です。

 

3月撮影
3月撮影

1905年の大地震が無ければ、この地もお茶の産地として栄え、この路線も世界遺産の仲間入りをしていたかもしれません。

個人的にはダージリン、ニルギリ、シムラのどの鉄道よりもこのカングラ鉄道乗車が楽しかったので、大好きなお勧めの路線です。