ジュレー! 西遊インディアです。
ラダックは、大きく2つの地域に分けられ、インダス川上流は上ラダック(トゥ)、下流地域は下ラダック(シャム)と呼ばれます。まずは、上ラダックで必見の僧院などをご紹介いたします!
■上ラダック(トゥ)
かつての王都シェイや、王族の末裔が暮らしたストクの他、ラダックを代表する僧院が多く集まる地域です。レーからの距離が近いことから、日帰り観光ができることが魅力。
▮レー(Leh)
標高約3650mに位置するラダックの中心地です。1640年頃、センゲ・ナムギャル王がレーチェン・パルカル(レー・パレス/旧王宮)を建てると、レーは一層王都らしくなり、政治・交易の中心として栄えました。チベット文化圏に属するため大部分がチベット民族であるため、「インドのチベット」とも呼ばれます。パキスタン・中国という2国に隣接している特殊な場所柄、軍事的理由により長い間閉ざされた場所でした。外国人に開放されたのは1974年のことで、現在は訪れる観光客も増え、中心地にはゲストハウスや商店が立ち並んでいます。
▮シェイ王宮跡(Shey)
10世紀、ラダック初代の王であるラチェン・パルキゴンと次の王様によりシェイがラダックの都とされてから15世紀まではこの場所にラダック王国の都が置かれていました。シェイとは「水晶」の意味で、王宮や僧院から周りを見渡すと、周囲の山々を覆う万年雪がまるで水晶のように光輝いて見えたのが名前の由来となっています。
九層(9階建て)だったシェイ王宮跡ですが、現在残っているのは廃墟となった旧王宮と、その奥に建てられた僧院で、王国が滅びる時は住人は誰もおらず、廃墟のようだったそうです。
▮ナムギャル・ツェモ(Namgyal Tsemo)
レー王宮のさらに上にある小さな僧院です。レーの街を見渡すことが出来る岩山の上に建っています。小さな僧院の中には巨大な弥勒菩薩像が納められています。元々のゴンパはレー王宮より古い15世紀に建てられましたが、新たに17世紀にセンゲ・ナムギャル王を偲んで増設され今に至ります。ここから眺める夕日は一日の最後を飾るにふさわしい美しさ。晴れていればヒマラヤの奥に沈み行く太陽がレーの街を赤く染め上げていく様子を眺めることができます。
▮シャンティ・ストゥーパ(Shanti Stupa)
レー郊外の丘の上にあるストゥーパ(仏塔)。 1985年、日本山妙法寺によって創建された新しいストゥーパです。 階段を息きらせながら登っていくと、そのストゥーパからは荒涼とした大地の中に広がるレーの街を一望することが出来ます。
▮シャンカール僧院(Sankar Gompa)
20世紀初頭、バクラ・リンポチェ20世によって創建されたゲルク派の僧院です。バクラ・リンポチェとは、ダライ・ラマ13世により認定された、仏陀の16人の阿羅漢の1人であるバクラの転生です。ラダックの指導者でもあります。2004年に死去されていますが、現在は21世が新たに認定されています。
本堂には、ドゥルカルと呼ばれる白傘蓋仏母像が安置されています。「傘蓋」とは高貴な人たちのみが使う日傘で、暑さを遮ることから魔性を遮る意味となりました。「災いから守ってくれるとても強い女神」です。顔・手・足がそれぞれ千あり、一つ一つの手には目があります。白い傘で災難をよけ、左手に持つ輪玉で煩悩を打ち砕きます。この白傘蓋仏母は、シャンカール僧院とレー王宮、ザンスカールのランドゥン僧院でしか見られないそうです。
▮ティクセ僧院(Thikse Gompa)
ラダックで最も有名な僧院の一つです。15世紀にゲルク派の開祖ツォンカパの命により建てられた僧院で、創建当時の壁画が残されています。岩山の中腹を僧房が埋め尽くし、頂上には本堂がそびえています。「ポタラ宮を見た高僧が感銘受けて、紙がなかったのでカブにスケッチをしてラダックに持ち帰り、ティクセ僧院を建立した。しかし、カブが乾燥して小さくなってしまっていたので実際のティクセ僧院もポタラ宮によく似ているがポタラ宮のミニチュア版になってしまった」という逸話があります。
ここでの見どころといえば、入口からすぐのお堂で静かな笑みを浮かべる高さ15mの弥勒菩薩像です。弥勒菩薩は、56億7千万年後の世界に現れ、多くの人々を救済すると言われている未来仏です。弥勒菩薩は大きければ大きい程早く降臨するのだとか。この弥勒菩薩像はラダックでも最大のもので、金剛界五仏の冠を被っています。
▮へミス僧院(Hemis Gompa)
レーからインダス川沿いの道を東へ走り、車で約1時間半の場所に位置する、ラダック最大かつ最も有名な僧院です。ドゥクバ・カギュ派の僧院で、17世紀にラダックを治めていたナムギャル王朝のセンゲ・ナムギャル王が、ラダックを訪れていたチベットの高僧タクツァン・レーパのために創建しました。
へミス僧院は、王家の庇護の元栄えることとなり、僧院には多くの僧が集まったため、へミス僧院にはドゥカン(僧の集会所)が2つ並んでいます。現在へミス僧院の僧は60~70人ということでしたが、かつては1000人もの僧がいたそうです。
僧院が最も賑わうのは毎年夏に行なわれるヘミス・ツェチュ(祭)の時です。お祭りではチベットに密教を伝えたパドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)の偉業を伝えるチャム(仮面舞踊)が披露されます。全チベット文化圏からの巡礼者、各国からの観光客で中庭が埋め尽くされます。祭りが一番盛り上がるのは最終日の早朝に行なわれるトンドル(大タンカ)のご開帳のとき。日の出前にトンドルが開帳され、その下でグル・リンポチェからの祝福が人々に与えられます。12年に一度、申年には通常とは異なる特別なトンドルがご開帳されます。
▮チェムレ僧院(Chemrey Gompa)
へミス僧院の分院であるチェムレ僧院。この寺院はチベット僧タクツァン・レーパがセンゲ・ナムギャル王が亡くなってから王の菩提を弔うために建てた寺院です。荒涼とした山々を背景にそびえる雄大な姿で、山と僧院が一体化しているように見えます。頂上にドゥカン(僧の集会所)があり、その下に建ち並ぶのは僧の暮らす僧坊です。
チベット僧タクツァン・レーパは「チベット仏教を西に伝道する」という使命を受けて、ラダックを訪れていました。彼はセンゲ王に適切な助言を与え、王の信頼を得ます。そして、王家の導師として敬われました。現在のアフガニスタンにまで布教に行ったため、イスラム風のターバンを被っています。
次回は、下ラダックの観光について紹介いたします。