ボーパール① サンチー仏教遺跡群とビーマベトカ壁画

サンチー遺跡の第1ストゥーパ

 

ナマステ!!西遊インディアの岡田です。今日はサンチー遺跡とビーマベトカ壁画、その拠点となるボーパールの街をご紹介します。

 

インド中央部に位置し、「中央の州」を表すマディヤ・プラデーシュ州の州都・ボーパール。デリーからは南へ800kmほどの位置にあります。18世紀からインド独立まで、イギリス統治の下でボーパール藩王国として栄え、その中でも1829年から1926年までの107年間は4人の女性藩王が治めたことで知られています。

ボーパールは付近の二つの世界遺産・サンチー遺跡とビーマベトカ壁画の観光拠点として多くの旅行者が訪れる街となっていますが、ボーパールの街自体も非常に多くの見どころを有しています。

その一つが、街の中心にあるタージウル・マスジッド。女性藩王の一人・シャー・ジャハーン・ベーガムがデリーのジャマー・マスジッドに勝るモスクを目指して1800年半ばに建設を開始しました。彼女の死後資金難等の問題により何度も建設は中止しましたが、1985年に完成しました。現在はアジア最大級のモスクとして、ボーパールのシンボルとなっております。

 

■サンチー遺跡

サンチー遺跡の第1ストゥーパ
サンチー遺跡の第1ストゥーパ

 

ボパールから北東へ約50km、サンチーの街へ着くと山の上にストゥーパの影が見えてきます。

ストゥーパ(仏塔)は本来は仏舎利(仏陀の遺骨/遺灰)を収めた塚を指し、全てのストゥーパには仏舎利が収められているとされていましたが、現在はその真偽を問わずに信仰の対象となっています。日本では「卒塔婆」あるいは単に「塔」として伝えられ、各地に三重塔や五重塔のような形で残されています。インドでは仏教へ帰依し広く布教を行った紀元前3世紀・マウリヤ朝のアショーカ王によって各地にストゥーパ、そしてアショーカの石柱と呼ばれる石柱が建設されています。

 

メインとなるサンチーの第一ストゥーパはアショーカ王によって建設されたもの。紀元前3世紀の建設の後、その後前2~1世紀にそれを覆うように拡張され現在の姿となりました。最大の見どころは、ストゥーパへの入り口に建てられた門・トラナに施された精緻な彫刻群です。

 

トラナに施された彫刻(北門裏側)
トラナに施された彫刻(北門裏側)

トラナはストゥーパへ至る通路にかかる塔門。日本の「鳥居」の原型はこのトラナにあると言われます。東西南北に建てられたトラナは、その表裏を覆いつくすように仏伝、ジャータカと呼ばれる仏陀の前世譚などをモチーフにした精緻なレリーフが刻まれています。トラナを埋め尽くすレリーフは「石の絵本」とも表現され、美仏陀の生涯やその教えを現代に伝えています。

 

仏陀が生まれる前のマヤ夫人に象が入る夢の場面
釈迦の生母・マヤ夫人(一番上)。天から白象が降りてきて、自分の右わきから胎内に入る夢を見て懐妊したという伝説が伝えられています。

初期仏教では仏陀を直接的に彫刻、絵画等で表すことは憚られました。そのためこの時期は「無仏像時代」といわれています。
仏陀はどの場面でも菩提樹・法輪・足跡・仏塔・傘などでシンボリックに表現されており、レリーフの中にはそれらを組み合わせて象徴的に仏陀の前身を表したものも見ることができます。仏陀の姿が仏像として実際に表されるようになるのは紀元後1世紀以降のことです。

 

仏足で象徴的に表された仏陀
仏足で象徴的に表された仏陀

 

仏教の衰退後は多くのストゥーパが破壊されてしまったのに対し、サンチーのストゥーパは森におおわれていたため発見を免れ、19世紀にイギリス軍により再発見されるまで良好な状態で残っていました。現在は第1~3までの3つのストゥーパに加えて僧院や寺院なども一部が残っており、一大仏教センターとして賑わったであろう当時の様子を伺えます。

 

第3ストゥーパ
第3ストゥーパ

 

■ビーマベトカ遺跡

ビーマベトカ壁画
ビーマベトカ壁画

続いて、ボーパールより幹線道路を南下すること約50kmのところに位置する、ビーマベトカ岩窟群をご紹介します。
ビーマベトカの岩窟群はチークの木が生い茂る小高い丘の上にあり、それぞれの岩陰に最大で約1万5千年前~3000年前の人類が描いた壁画が残されています。初期は単純な動物・人間の姿を写したものが、時代を下るにつれて人と人とが輪になって踊る様子、集団で狩りをする様子、馬に乗って行進する様子等へ変わっていき、当時の様子や社会の形成・発展の過程を知ることができます。

その他、馬は約3,000年前にモンゴルからはじめてインドに来たため、馬が描かれている壁画は3,000年前以降の新しいもの、また人物が三角形で描写されているのは5,000年前のもの、といった壁画の時代の見分け方もありそれぞれの岩全てを大変興味深く見ることができます。

 

この壁画を描くのに使われている染料は全て天然のものです。白は植物の根や石、動物の骨を粉末にしたもの、赤は動物の血や植物の樹液を混ぜたもの。黄色は植物の花等を原料として作られており、色の種類も時代に従って豊富になっていきます。

 

赤色顔料を用いた壁画 (武器を持ち馬に乗る人々)
赤色顔料を用いた壁画 (武器を持ち馬に乗る人々)

 

白色・黄色の顔料を用いた壁画(花)
白色・黄色の顔料を用いた壁画(花)

 

全部で750ある岩のうち、500の岩陰に壁画が施されています(旅行者が観光できるエリアは、15箇所のみです)。なかでも、大きな岩面に様々な時代の壁画が密集して描かれている場所は「Zoo Rock」と呼ばれ、1万年以上もの長期にわたって継続的に人々が生活し、壁画を描き続けてきたことを示す貴重な資料となっています。

 

岩一面に壁画が施されたZoo Rock
岩一面に壁画が施されたZoo Rock
ビーマベトカの岩体
ビーマベトカの岩体

 

描かれた岩絵は、ストーリー性のあるものもあり、大変見応えがあります。上記に述べたこの土地の人々の営みの変遷もそうですし、この岩窟周辺には、今よりも緑が溢れ、牛、鹿、猪、バイソンなど多くの動物が生息していたのが、壁画から伺えます。

世界にはこのような太古の岩陰壁画が残されている場所は数多くありますが、ここビーマベトカではいつ行っても他に観光客もおらず独占的に観光できるのも魅力。この地での人の営みを想像しながら、ゆっくりと見学をお楽しみください。

 

 

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