サムエ寺・ヨンブラカン・蔵王墓・ミンドゥリン寺等のチベットツェタン(沢当)の見どころをご紹介

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ツェタン
 
ツェタンとは、チベット語で「猿の地」の意。
土地名の由来は、昔々、仏教の聖地・普陀山に住んでいた観音菩薩の弟子である神猿が、観音菩薩の命令でチベット高原に修行に行き、修行中に一人の魔女に出会ったという昔話です。
魔女は神猿に、「自分と結婚しないと、あなたはすぐ鬼と結婚する。するとこの世は魔鬼だらけになり、皆が不幸になる」と脅されます。神猿は、観音菩薩に報告の上、魔女と結婚をしました。2人の間に子供が生まれ、その子どもの人数がだんだん増えるにつれ、今まで取って食べていた果物だけではもう生活ができなくなりました。困った神猿が観音菩薩に相談したところ、麦などの農作物を大地に蒔き、農作物を沢山植えるようにいわれました。そして、猿たちは、農作物を作り、食べ物が豊かになったため、木に登って果物を取る必要がなくなりました。尻尾がなくなり、言葉もできるようになり、やがてチベット族の祖先になったのです。
チベット族の猿起源説はチベット民間では広く伝えられ、昔のダライ・ラマもその説を採用しています。今でも、ダライ・ラマの夏の宮殿であるラサのノルブリンカ宮殿と冬の宮殿であるラサ・ポタラ宮にはこのツェタンの民族発祥話を表現している壁画が残っています。
立体マンダラの姿をしたサムエ寺
立体マンダラの姿をしたサムエ寺
サムエ寺
ヨンブラカン
蔵王墓
ミンドゥリン寺
サムエ寺
8世紀、吐蕃の国王であるティソン・デツェン王は仏教流布のために寺院を建てようと計画します。これが後にチベットでの最初の僧院となるサムエ寺。当時、王は僧院建立のため、インドからシャーンタラクシタとパドマサンバヴァという2人の仏教僧を招きます。両者は同じ仏教でもその教えは異なってたため対立します。そこで、双方の代表者を王の前で討論をしてどちらを取るか決めることになりました。討論は西暦792年から2年間続き、ティソン・デツェン王はパドマサンバヴァの方を選びました。これがサムエの宗論と呼ばれる出来事です。
サムエ寺の構造は仏教の宇宙感から成り、ウツェ(本堂)の周りに同心円状に仏教的宇宙観に基づいた各お堂を配置した建築構造で、本堂がその中心をなすと考えられている須弥山(全ての中心・神々の地)を表現しています。近くにあるヘポリの丘に登ればその構造が良くわかります。
へポリの丘から望むサムエ寺
へポリの丘から望むサムエ寺
本堂
本堂

ヨンブラカン
ヨンブラカン   初代チベット王が天から降りてきて築いた宮殿といわれており、現存している建物は1960年代の文革時に破壊されたものを80年代に再建したものです。
小高い丘を約20分登りますが、丘の上からはツェタンの田園風景が眺望できます。3階建てで、1階の本堂には三世仏、ソンツェン・ガンポ王、ティソン・デツェン王と文成公主、ティツン公主などを、2階はツォンカパ、パドマサンバヴァ、文殊菩薩などを祀っています。

蔵王墓
ツェタン郊外のチョンギェ村にある吐蕃王国の王墓群。歴代の吐藩王を葬った古墳が集まっているため、「王家の谷」と呼ばれています。21の陵墓があったとされていますが、現在その存在が確認されているのは10墓。王の名前が判明しているのは7基といわれてます。
一番形がはっきりしているのは、ソンツェンガンポ王墓です。高さ15mほど、ほぼ正方形、頂部は平らで中央に1983年に建てられたという僧院(ゴンパ)があります。中にはソンツェンガンポ王、ティツン王妃、文成公主、大臣のガル・トンツェン、トゥンミ・サンポータの塑像が安置されています。
  蔵王墓

ミンドゥリン寺
ミンドゥリン寺   ラサ空港からツェタンへ向かう途中、ダナン渓谷にあるニンマ派の総本山。17世紀にダライ・ラマ5世の師で、ゲルク派の仏教聖典を集大成した高僧テルダク・リンパが建立したお寺です。ミンドゥリン=「完全な解脱の場」の意。かつて壮大な中庭の回りに5重塔を含む、多くの僧堂伽藍がありましたが、文化大革命により破壊されました。現在は2つの仏殿が残ります。ここでの必見は護法尊(仏教の護り神)のお堂です。
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